隠された一刀(後編)

 ワイドバグは、一時期この地下闘技場ドゥオモで僕と二大巨頭として張っていた剣闘士だ。以前、大会後のエキシビジョンマッチで対戦をした時に、僕が完膚なきまでに敗退させたことで、ワイドバグは精神を崩壊、今では病院で言葉一つ発することのない植物人間になっている、と聞いている。


「当然、覚えていますが」

「彼女はワイドバグの娘だ」

「ほう」


 つまり敵討ちか。確かに、興行として唆るシチュエーションだ。


「彼女はワイドバグがまだ健在だった頃、闘い方を叩き込まれた。二刀流ジャック・リーと、かつての闘技場の好敵手ライバルの娘との因縁の戦い。これは見モノだろ」

「なるほど。僕に敵う相手を探すよりも、対戦相手のドラマ性を重視したと。流石はボス。で、試合はいつですか」

「一ヵ月後に試合を組めるよう、方々に手配をしてある。君はただどっしりと、父の復讐を誓う少女の仇として待っていれば良い」


 僕はオーナーに言われた通り、普段通り他の剣闘士との試合を熟しつつ、一ヵ月後のワイドバグの娘との一戦を楽しみに待った。


 ワイドバグは、僕にこそ及ばなかったが、今まで闘った闘技場の剣闘士では最強の一角と言って良い。幼い少女とは言え、そのワイドバグから闘いのイロハを教え込まれた後継者ともなれば俄然期待が募ろうというものだ。


 短いようで長い一ヵ月が過ぎ、遂にワイドバグの娘との試合の日が訪れた。


「皆様はかつて、この地下闘技場ドゥオモにて“二刀流”ジャック・リーと肩を並べた実力者の名を覚えておいででしょうか? そう! その名もワイドバグ! 二刀流に敗北を喫し、姿を消した伝説の剣闘士ファイターは、その復讐リベンジを一人娘に託しました! 御紹介しましょう! 今宵に“二刀流”ジャック・リーに立ち向かうはその一人娘! 父の仇を討つ為にここに来た!  復讐を誓う少女アヴェンジャーガール! ワイドバグJrジュニア!」


 捻りも何もないリングネームだが、悪くない口上だ。

 僕の四つの目に映る視界にいるワイドバグJrの分身アバターは、直立二足歩行をするワニだった。エジプトの豊穣神セベクを連想させるその姿は、ワイドバグが使用していた分身アバターとよく似ている。なるほど、そのファイトスタイルを娘に伝授したというのもあながち嘘ではなさそうか。


試合開始レディファイッ!」


 闘技場実況リングアナウンサーの声と共に、ワイドバグJrが動いた。その身体からはおよそ想像するのが難しい俊敏な動き。頭を下げ、下から抉り上げるように、その手に持つ槍を僕の分身アバターに向けて突く。


 僕は咄嗟に槍を避けたが、肩を掠った。この電光石火の早業には、ワイドバグ相手にも苦労させられたものだ。


「いいねえ!!」


 僕は思わず吼えた。思いがけない好敵手との再会だ。全身全霊を込めてお相手しようじゃないか。


 二体の分身アバターをそれぞれ闘技場の反対方向に走らせた。単純に二体一、そして二体の意識は僕という同一人物が保持している。

 この動きに翻弄されぬ者はいなかった。ワイドバグも例外ではない。


 分身アバターのうち、一体をワイドバグJrの操るセベクけしかける。

 ワイドバグJrは槍で僕の動きを止めようとするが、その隙が命取りだ。


 反対側に待機させたもう一体の分身アバターに闘技場を駆けさせる。そして背後から刀を一振りし、鰐の首目掛けて一閃、強く薙ぐ。


 地下闘技場ドゥオモに観客の歓声が響き渡る。アドレナリンが迸る。世界が煌めく。地下闘技場ドゥオモには歓声と悲鳴が入り混じり、観客の熱気ボルテージ最高潮クライマックスだ。


 僕は床に落ちた鰐を首をむんずと掴む。その首を観客席に向けて掲げる。


 勝利した僕二人は観客の目線を独り占めにする。この闘技場で観客の呼び掛けコールを浴びるこの瞬間は、どんな娯楽よりも性行為よりも気持ち良い。


 ──と。


 急激に、鋭い痛みが胸から全身を駆け巡った。視界がくらくらと回転するような思いだ。アドレナリンが与える高揚感と似ているが、それとは違う。


 分身アバターの視界に、僕が映っていた。正確には、もう一体の分身アバターが、胸から血を流している様を。


「な、に、を」


 混乱した意識のまま、分身アバターの意識が一つ消えた。

 今まで味わったことのない寒気が全身を支配する。

 残ったもう一体に迎撃の構えを取らせようとするが、片割れを失った衝撃ショックがそう安安と僕の身体を動かしてくれない。


 倒れた分身アバターの背後に、小さな影が見えた。

 影は倒れた僕の刀を奪い取ると、まだ意識がある方の僕へ近付き、その刀で心臓を一突き、抉る。


「お、ま、え」


 その姿は、一人の少女だった。

 オーナーに見せられた対戦相手の情報データ、そこにあったワイドバグの娘の顔……。


 娘の身体は、ぬらぬらと血と体液で濡れていた。僕は全てを理解する。


 こいつ! その矮躯をセベクの腹の中に!


 少女は生身の肉体を分身アバターに丸呑みさせ、その中で僕の隙を伺っていたのだ。

 僕の隙。それは即ち、勝利を確信し歓声を浴びて興奮しているその瞬間。


「終わりだ」


 少女は僕の分身アバターの胸から、静かに刀を引き抜いた。


 世界が廻る。嗚呼、これはもう駄目だろう、と悟った。きっと次に目が覚めることはない。今まで僕が闘ってきた対戦相手と同じように。


 成程。二つの肉体を操る二刀流は決して僕だけの十八番じゃなかったというわけだ。


 歓声が聞こえる。その歓声は、僕には向けられていない。父の仇討ちを遂げた、小さな復讐者を称える声だ。


 全く。


 他人への歓声なんて聞いても、全然気持ち良くもない。


 彼女への、僕以外に向けた不快な歓声を耳に残して、僕の意識は溶暗した。




……To be continued.

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