第3話 街と町長

「うぐッ!おあッ!」


 視界が揺れる。体が傾き視界がぶれる。開かれた街の門が凄まじい勢いで迫ってくる。


「落ち着いて下さい魔術師さん!ちょっと重心が傾いてるだけです!踏ん張りすぎないで!馬はちゃんと動いてくれます!落ちるにしても手綱は離さないで足から落ちるように!」


「落ちるのか!?」


「足が地面につくまで手綱は離さないでくださいね!」


「うわーッ!」


 俺は半泣きになりながら手綱を思い切り握りしめた。




「はぁ…はぁ…ありがとう…」


「本当に馬に乗ったこと無かったんですね…」


俺は馬に半ば引っかかるような体勢で馬を止めることに成功した。後から来たヘレスの助けを借りて何とか馬から無事に降りる。


「初めて乗ってみて分かったが…乗馬中に後ろに振り返るのは良くないな…」


「慣れてないなら無理しないでください…」


 俺は息を整えながらゆっくりその場にしゃがみ込んだ。馬に乗るのは盗賊たちとの戦いよりずっと恐ろしい。そんな俺に馬を落ち着かせたヘレスが話しかけてきた。


「あの…やっぱ魔術師さんって普段は箒に乗ったり変身したりするんですか…?」


「俺が知っている者には箒に乗る者も鳥に変身する者もいたし身一つで飛ぶ者もいたが…俺はどれも無理だな。というかそもそも魔術師じゃ…」


「ヘレス!無事だったか!心配したよ!」


 彼女の言葉を訂正しようとしていると恰幅の良い唾付きの帽子を被った女性が駆け寄ってくるのが見えた。女性は心配する声を上げながらまっすぐヘレスに駆け寄る。女性を見たヘレスの顔が綻んだ。


「駅長さん!どうしてここに?」


 どうやら彼女の知り合いのようだ。駅長というからには馬車の御者として働く上での上司のような相手なのだろうか。女性は息を切らせながら言葉を続ける。


「お前が盗賊に襲われていると聞いて駆けつけたの。無事で良かった…」


「もうダメかと思ったんですけど、この魔術師さんが助けてくれたんです」


「ま、魔術師!?」


 駅長殿の視線がこちらに向く。その表情には驚愕と、いささかの恐怖の色が見え隠れしていた。俺は内心首を傾げる。魔術師相手に奇異の目を向けるのはわかる。しかし、その表情にはそれ以上の過剰な恐れがあった。


「ヘレスさんに助けられました、馬がいなければ私も危なかった。あと、魔術師ではありません。ただの旅人です」


 俺は帽子の女性に丁寧に頭を下げる。すると女性は怪訝な顔をしながら頭を下げた。


「ま、魔術師ではないのですか…。こ、こちらこそ失礼しました。ヘレスが無事だったのはあなたのおかげです」


「あっ、そうだ!」


 俺と駅長殿を見て、ヘレスがハッとして口を開いた。


「駅長さんも盗賊達を捕まえるように衛士の人たちに伝えてくれませんか?そっちのほうがきっと兵隊さんも早く動いてくれます!」


 当然に思えるヘレスの提案。だが、それを聞いた帽子の女性の顔が曇る。彼女はためらうかのように口を開いた。


「ごめんなさいヘレス…それは難しいの」


「え!?どうして…」


「そんな余裕はないということですか?」


 俺はあたりを見回す。ふだんは賑やかであろう街並みは剣呑な雰囲気に包まれていた。道路に面した扉は軒並み板切れで打ち付けられ、深刻な表情をした男達が粗末な武器や資材を持って走り回る。道を行き交う人々の顔には皆一様に不安の色が刻まれていた。


「その通りだ、魔術師殿」


「いえ、違います」


 背後からしわがれた声が聞こえた。反射的に否定しながら振り向くとそこには小柄な鷲鼻の老人が佇んでいた。手には突撃槍を握り、頭には大きめの兜、体には鎧をまとっていたが、荒事慣れしていないように見える小柄な体格にはどれも似合っておらず、そのアンバランスさが滑稽な雰囲気を醸し出していた。


「町長さん!あいつらを捕らえられないってどうしてですか?」


「………先程の賊は奴らのほんの一部、本隊は何十人もいるだろう。何より…奴らの頭目は只者ではないのだ」


「まさか、ひょっとして…」


 それを聞いて俺の脳裏に駅長さんや街の人々の俺へ注がれた視線がよぎる。俺の様子に気づいた町長は眉間に皺を寄せて重々しく頷いた。


「そう、奴らの頭目は、魔術師なのだ」




「失敗しただと?この役立たずが!」


「す、すまない頭!」


 薄暗い洞窟の中に鈍い音が鳴り響いた。蝋燭の灯に照らされる中ぼろきれのようなフードを被った男が隻眼の男に何度も杖を振り下ろす。彼らを囲む周りの男たちは殴られる男を助ける素振りを見せず震え上がりながら彼らの周りを取り囲む。フードの男に対する恐怖が彼らを支配していた。


「だ、だけど頭…。奴らはあくまで街に入ってきただけだ。街から出て助けを呼びにいく奴ならともかく、入ってきたやつを無理して捕まえなくても良いだろ?どうせあの街は俺たちの物になるんだ」


 殴られながらも、必死で弁解する隻眼の男。その顔に再び杖が叩きつけられる。鼻血を吹き、うめき声を上げながら隻眼の男はまたしても地面に突っ伏した。


「馬鹿め。外からの情報というだけでも奴らには希望になってしまう。籠城戦で重要なのは敵の気力だ。狩りを成功させるために重要なのは獲物の心を折ることなのだ、何より…」


 フードの男の向ける杖先が隻眼の男をぴたりと捉える。びくりと顔をそむける隻眼の男をフードの男は睨みつけた。


「お前が逃したのは魔術師だ。奴がもし街の人間に手を貸してみろ。少しでも時間を与えればお前らなぞ紙人形だ。こいつの餌にされたくなければもう少し頭を使うんだな」


 フードの男の背後からギイギイと音が響く。男の背後の闇の中には怪物が横たわっていた。大木すら食いちぎれそうなサイズの鋭い顎、不気味な複眼と長く伸びた触覚、細かい毛が生えた6本の足、馬の如き大きさの体を覆う鈍く光るまだら模様の甲殻。空腹の鳴き声をあげる怪物の姿に、洞窟内のあちこちから押し殺した悲鳴が上がる。


「じゃ、じゃあ頭、どうするんですか?」


 おずおずと顔を上げる、隻眼の男にまたも杖が飛んだ。うずくまる隻眼の男を機にする素振りもなくフードの男は杖を振り上げる。洞窟中の視線がフードの男に集まった。


「今夜だ」


 ざわめく男たちを機にする素振りもなくフードの男はしわがれた声で喋り続ける。


「魔術師に時間は与えられない。今夜街を落とす。さっさとついて来い間抜けども」


それだけ言うと、フードの男は歩を進め、付き従うように怪物も後を続く。フードの男の姿がその場から見えなくなったあと、そこには慌てふためくならず者たちだけが残った。





「奴らが現れたのは半月ほど前のことだった…」


 案内された屋敷の中で町長は深刻な顔をしながら語り始めた。屋敷の廊下には人が行き交い、空き部屋には物資が集められている。慣れない戦の準備にすれ違う幾人もの顔に不安が立ち込めていた。


「初めは隣町からの連絡馬車が来なくなり、次には交易の馬車も来なくなった。不思議に思って連絡隊を出したんだがその連絡隊も帰ってこず、何か事故か魔物の襲撃でもあったんじゃないかと慌てていたところ、ある日、門番の一人がこんな手紙を持ってきたのです。何でも怪しげな杖を持った男が渡してきたそうです」


 そう言って、町長は、懐からシワのついた手紙を取り出し読み始めた。


『町長殿

   あなたの部下はこちらで保護させていただいた

   彼らとの交渉の結果、我ら傭兵団をそちらの街で雇うことを認めていただいた

   こちらと交渉する意図があるなら東門に黄色の旗を掲げ開放していただきたい

                             金蟲の団の魔術師より』


 そこまで読むと町長は苦虫を噛み潰したような顔で手紙を握りつぶした。


「いけしゃあしゃあと言ってくれるわ!物資と人の流れを堰き止め、わしの部下をさらった上でこの街に入れろだと!馬鹿にするにも程がある!」


 町長の怒りはもっともだ。先程の雰囲気に手慣れた仕事の手口。奴らを街に入れれば生かさず殺さず骨までしゃぶられた挙句、仮に街に危機が来たとしたら真っ先に逃げ出すことだろう。


「…熱くなってしまい申し訳ありませぬ。もちろん、最初は我らだけで解決しようとしました。ですが街の若者たちは殆ど昨今の魔物たちの動きの活発化でみな王都に行ってしまった。街にいるのは女子供ばかり。最近は調子に乗って馬車や兵士を襲ったり、壁に穴まで…その上、敵の魔術師は…悪魔を従えているのです」


「悪魔、ですか?」


 俺は額を抑えた。本当に悪魔を呼び出し、使役するような術師がいるとすれば正直かなり分が悪いと言わざるを得ない。俺の顔色が変わったのを見て町長は慌てて首を振った。


「いえ、もちろん悪魔とはこっちが勝手に呼んでいるだけでして…。敵の魔術師は馬ほどもある一匹の虫を従えているのです。ある夜、見張りの兵士が門をに穴をあけんとする怪物を見つけまして…。悪魔のようにおぞましく、まるで鉞のように鋭く大振りな顎を持つ化け物で、こちらを見かけると去っていったそうですが、それから夜な夜な背に魔術師を乗せてあたりを飛び回るようになったのです。街の者たちは震え上がり、飛び回るやつには矢もあたりません。ここらは魔物の被害も少なく、兵も少ない。儂らではあのような魔物、とても手に負えませぬ…」


「虫、ですか…」


 虫を操るとなると生命操りか…?いや、一匹しかいないとなると蠱毒か、あるいは使い魔の術である可能性も高い。考え込む俺に対して、町長は言葉を続ける。


「助けを呼ぼうにも街道は抑えられて、街の若者たちは昨今の魔物たちの動きの活発化でみな王都に行ってしまった。同様に王都の兵士や冒険者が街の異変に気づくのも望み薄でしょう。どうすることもできず、ほとほと困り果てているのです」


 一度に話し終えた町長はこちらに目を向け、息を吸い込むと深々と頭を下げた。


「どうか儂らに力を貸していただけないでしょうか。お礼は儂の懐から払える限りお払いします」


 俺はため息をついた。まずは誤解を解かなくてはならないようだ。


「………頭を上げてください」


「まず、勘違いを一つ訂正しておきたい。俺は魔術師ではありません」


 俺の言葉を聞くと、町長は首を傾げる。


「む、しかし見ていた兵士の話だと、確かに魔法を使っていたと…」


「まぁ、確かにある程度、洞で得た知識はあります。しかし、魔術師と言われる資格はない。術に関しては、種がある手品のような物です。あなたの期待に応えられるとは限らない」


「だ、だとしても儂らには知恵が必要なのです。どうか…」


「だから、勘違いしないでください」


 俺は町長の言葉を遮る。町長は不安げな表情でこちらを見上げた。


「な、なんですかな…?」


 俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「俺は魔術師ではありません。それでも良いなら力をお貸ししましょう。どのみち行き場を探していたところです。一人の人としてこの街の力になりましょう」


「か、感謝します!ではお礼に関して…」


「それについては、また後で。まず今夜を乗り切らねば」

 

歓極まり今にも泣きそうな顔をする町長を遮る。町長は驚いてこちらを見つめた。


「こ、今夜ですか…!?まさか、あいつらが攻め込んでくると!?」


「相手に魔術師がいると言いましたね。俺がそいつならそうします。魔術師ならば相手の魔術師にむざむざ時間を与えたくないはずだ」


「し、しかし、もしやってこなかったとしたら…」


「そうだとしても、準備は早い方が良い。街の地図はありますか?後は兵士の方々にも話を聞きたい。俺は戦の知識は疎いのです」


「わ、わかった。失礼しますぞ!」


 急いで部屋を飛び出していく町長の姿を見て俺はため息をついた。里を出て一週間足らず、我ながら偉いことに巻き込まれた物だ。どうにかこの事態を乗り切らねば、そう思いつつ俺は窓の外を見つめた。

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