第2話 御者の少女

「お客さん、もうすぐ着きますよ」


「ん、あぁ、ありがとう…」


 こちらを呼ぶ声で目が覚める。寝ぼけ眼を擦りながら自分が今乗合馬車で移動していることを思い出した。声をかけてきたのは御者で他に客はいない。視線を上げると幌の向こうの少し遠くに街の門が見えた。


『黄花の街フラリア』。黄花織と呼ばれる製法で作られた絨毯が名産のここらで最も規模の大きい商業都市だ。まだ距離があっても外観からはその賑わいが伝わってくるようなその姿を見て俺は荷物を確認し直す。


「お客さん、フラリアには何の用事で?」


街を見ていた俺に御者の少女が声をかけてきた。御者には珍しいまだ顔立ちに幼さを残した三つ編みの少女。こちらを見るその目は好奇心の光が見てとれた。


「職探しだよ。古巣から追い出されてしまって…。ソロンなら食い扶持ぐらいは稼げるだろうと思ってね」


 荷物をかき混ぜて身分証を探しながら適当に返答するが、少女の好奇心はそれでは収まらないようだ。


「食い扶持って…お客さん、魔術師じゃ無いんですか?」


「なぜ俺のことを魔術師だと?」


「だって…いかにも魔術師って感じの姿ですし…あと西から馬車に乗ってきましたよね。ひょっとしてお客さん、魔術師の里から来たんじゃないですか?」


 少女の返答に苦笑する。我ながら愚かな質問をしたものだ。体にまとった厚手のローブに宝石をはめ込んだ杖。この姿を見れば誰だってそう思うだろう。俺は少女に言葉を返す。


「確かに、里から来たのは事実だ」


「じゃあ、やっぱり魔術師なんですね!私、本物の魔術師さんとは会うのは初めてで…」


「勘違いしないでくれ」


 好奇心に満ちた視線をこちらに送る彼女の言葉を遮る。ここは俺にとって譲れない一線だ。


「俺は魔術師ではない」


「え…?」


「確かに、魔術に対しての知識は人よりもある。だが俺は魔術師ではない。才能の無い落伍者さ。夢破れたり、という訳だ。里にはいられず、かと言って行き場もない。食い扶持を探してフラリアを目指しているというわけだ。読み書きはできるから口述筆記や写本の仕事でもないかと思ってね」


「す、すいません…」


 こちらの言葉を聞いた彼女は決まりが悪そうに顔を前に向けた。車輪が道を転がる音が大きく響く。馬車の中を気まずい沈黙が支配した。


(我ながら嫌な返し方をしてしまったな)


 俺は自分の言い草を反省する。彼女はただ好奇心からこちらに質問しただけだろうに随分不躾な返しをしてしまった。他の話題でも振ろうかと口を開こうとしたその時、少女はまた話し始めた。


「えっと…私には夢があります。故郷に行ってみたいんです」


 なんの話だろうか?少し面食らった俺を尻目に彼女は話し続ける。


「私のお母さんはここよりもずっと北、大陸の端っこから幼かった私を連れてここに来たそうです。何やら色んな経緯があったみたいですが、私にはわかりません。でも、お母さんは子供の私にいつも故郷の話をしてくれました。お酒に砂糖を混ぜた飲み物、雪の中から襲ってくる怪物、年越しに行われる催し。お母さんの話はどれもとても面白くて、私はいつもお話をお母さんにせがんでいました」


「………」


 身寄りのない俺に家族のことはわからない。ただ、子供の頃聞いた話が心に刻まれているということは理解できる。俺が魔術師を志したのもどぶから拾った一冊の絵本がきっかけだった。


「お母さんは私が十二歳の頃、病で亡くなりました。辛い時、苦しい時、私の心の中にはいつもお母さんの話がありました。いつの間にか私は、いつか故郷を一目見たいと思うようになりました。必死で切り詰めて、お金を溜めてやっとこの馬車と馬を買いました。いつか私は、この馬車で故郷へ行くんです。馬車代で貯金がなくなっちゃったので今は荷物運んだりお客さん乗せたりして稼いでるんですけど…あ、すいません、つまりですね」


 彼女は勢いこんで振り向いた。


「私は夢があるから頑張れてるわけですけど…この夢が叶わなくなったらどうすればいいかわかりません。それこそ駄目になっちゃってその場から一歩も動けなくなっちゃうかもしれません」


「だから、夢が叶わなくっても、それでも未来のことを考えて自分にできることを探している旅人さんはすごいと思います」


「…そんな、立派なものではないさ」


 俺は表情を読まれないように顔を後ろに向けた。少女の夢を持った純粋な瞳。自分が失ってしまった情熱を思い出し何だか居心地が悪い。だが、気を紛らわすために外の景色を見た瞬間道脇の草陰に何か光るものが写った。


(何だ?)


ガタン!


「どうした!?」


「きゃあ!!車輪が!」


次の瞬間、衝撃音と共に馬車が大きく傾いた。驚いて振り返ると逃げ惑う馬と手綱を抑えようとする少女。少女に近寄ろうとした瞬間。幌を貫いて矢が俺と少女の間の床に突き立った。明らかな殺意に冷や汗が流れる。


「盗賊!こんな街の近くに…」


「早く逃げるぞ!」


「せ、せめて馬だけでも!」


「落ち着け、今はまずい!」


 少女を抱えて馬車から飛び降りた俺の首筋に銀色に光る刃が突きつけられた。


「杖を置け。命が惜しければ身包み全部置いて行け」


「………」


 目だけ動かして辺りを見る。前だけで剣を持った男が7人。馬車の後方や弓持ちを考えるとそらく10人以上はいるだろう。こちらはたった二人、しかも片方は少女。絶望的な状況だ。


「へへ、高そうな杖じゃねーか。兄貴、こいつやっぱ魔術師だ。頭きっと喜ぶぜ」


「こっちもガキだけどけっこう器量良しじゃねーか。使い道がありそうだ」


 下卑た台詞を吐く男たちを見つめる。食いつめた農民とは違う暴力を振るうことに慣れた気配。仮に彼らの言う通り全財産を渡したところで助けてくれる保証はない。俺が魔術師だと思っているなら尚更見逃すことが危険だと判断するだろう。


「どうした、さっさと杖から手を離せ。魔術師のことなら知ってる。この距離ならどう考えても剣の方が早い」


 男の剣が俺の喉に当たり、わずかに皮膚が切れて血が滴る。


「た、旅人さん…危ないです…」


 少女の不安げな声が耳に響く。俺はこの期に及んで俺を心配する少女を見て落ち着かせるように口を開いた。


「大丈夫だ…助ける」


「格好つけてくれるな色男、舐めてるのか?」


 俺に刃を突きつけるリーダー格の男が殺気立つ。俺は唇を舐め、ゆっくりと口を開いた。


「一つ、教えてやろう。俺は凡庸ながらうねり木の里で学び、その知識の一端に触れた」


「今度は講義か?俺たちの声が聞こえてないのか、先生よぉ」


「短気な奴らだ。手短に言ってやろう。かつての偉大なる魔術師によって蓄えられた秘蹟の前ではお前らなぞ…」


 俺が言い終わる前に刃が俺の首を通り抜けた。


「馬鹿が」


「旅人さん!」


 少女の悲鳴があたりに響き渡った。




「敵ではない。そう言いたかったんだが、本当に短気な奴らだ」


鉄を紙にフェルム・カルタ


 俺は何もなかったかのように最後まで言葉を続けた。リーダー格の男の目が見開かれる。その手に握られた剣の刃はいつの間にかぺらりと垂れ下がっていた。子供のおもちゃの様になってしまった剣を見て男は叫ぶ。


「貴様いつの間に!」


「後述詠唱と言ってな。魔術の行使による結果を呪文に先駆けて発動する。まぁ、小手先の技だ」


 俺は杖を男たちに向けたまま少女を背に庇う。少女は目をぱちくりさせながら奴の剣と俺を交互に見ていた。


「あ、あの、喉、大丈夫なんですか!?」


「初歩の変換魔術だ。奴らの剣を紙に変えてやった」


「すごい、初めて見た…」


 目を丸くする少女を気にしつつ俺は盗賊たちに目を向ける。男は唇を震わせながら飛び退き、振り返って部下に叫んだ。


「野郎ども、こいつを殺せ!」


「で、でも兄貴、俺たちも剣が…」


 しかし、そう言われた部下達は狼狽ながら自分の剣を見下ろすことしかできない。そこにあるのは頭目と同じように風に吹かれてひらひらとはためく剣だった。


「糞が、弓はどうだ!射殺しちまえ!」


「えーと、御者殿」


「わ、私ですか?ヘレスです!」


 号令を受けて動く射手たちの気配を感じながら俺は少女。いやヘレトスに声を掛ける。彼女は姿勢を正してこちらを見た。


「な、何か私にできることが…」


「とりあえず射手をなんとかするからそれまでは後ろに隠れていてくれ。射手を仕留めた後は先に逃げてくれると有り難い」


「は、はい…」


 言い終えた瞬間草陰から数本の矢が発射される。放たれた矢は俺たちを射殺そうと空から降り注いだ。


藁を壁にパリアス・ムールス


 俺は杖を構えて呪文を唱える。同時に馬車からこぼれ落ちた干し藁が膨れ上がり、壁となって目の前に聳え立つ。矢は壁に突き刺さり勢いを失った。


「ふざけるな!打ちまくれ!」


 なおも降り注ぐ矢を藁の壁で受け止めながら、俺は矢の出所を探り、またも杖を一振りした。


蔓は踊るスピナ・サルターレ


「うわぁぁ!草が襲ってくる!」


「ま、魔術師に喧嘩なんて売るべきじゃなかったんだ!」


「馬鹿が!騒ぐんじゃねえ!」


 途端に彼らの足元に生える草がその太さを増し、その足に絡みつく。悲鳴を上げながら逃げ惑う盗賊たちを怒鳴りつけている傷の男の様子を伺いながら俺は先の手を考える。奴を倒せば混乱に乗じて逃げられるだろうか?だが奴らの仲間が全部で何人いるかもわからない。術だって無限ではないのだ。


「ま、魔術師さん!乗ってください!」


 考えていると背後から声がした。振り向くとそこには馬に乗ったヘレス。俺が振り返ったのを見たヘレスはもう一頭の馬をかがませる。


「やっとこの子達を自由にしてあげられました!逃げましょう!」


「ありがたい!…ところで乗るコツとかあるだろうか?」


「腰を落として、しっかり手綱を握って、あとは馬に任せてください!」


 俺はおっかなびっくり馬に跨って手綱を握る。馬は俺がちゃんと乗れたのを確認するとゆっくりと駆け出した。


「逃がすか!」


 しかし、それに気づいた傷顔の男がこちらに駆けてくる。飛びついてでも馬の動きを止めるつもりのようだ。


「魔術師さん!」


「心配ない。派手に行こう」


心配するヘレスに声を返しつつ、俺は馬上で後ろを振り向き、男に杖を向ける。杖の先で魔力が渦巻く。最も基本的で破壊的な魔法。杖から生まれた火種が魔力と燃素を種に凝縮する。


火球フランメ!』


 俺は呪文と共に杖の先から拳大の火の玉を放った。放たれた火の玉は回転しながら高速で飛んでいき、そして爆音と共に弾け飛び、放たれた橙色の炎は盗賊たちを蹴散らした。

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