魔術師失格 〜三流魔術師の独自理論〜

@mountainstorn

第1話 魔術師失格

壁一面が大量の本と羊皮紙の束で埋め尽くされた薄暗い書庫の中、俺は不吉な予感を感じながら立っていた。


「師よ、如何なるお申し付けでしょうか?」


 俺はそう言いながら、目の前にいる師であるアシュロスにお辞儀をした。


 かつて蛇王を封印し、さまざまな勇者に予言を与え、その魔力で大地震を抑え込んだ伝説の魔術師。星のように煌めく彼女の魔眼は静かにこちらに向けられていた。見た目こそ妙齢の美女に見えるが本当の齢は俺にもわからない、そんな伝説の存在が目の前にいる。己とは格が違う存在に顔を合わせた時の消え入りそうな感覚は弟子として生活している今も慣れることはなかった。師は俺の顔を見てふっと息を吐いた。


「メディオ…我が一番弟子よ。そう緊張することはない。今日はお前に頼みがあってここに来てもらった」


 師がそう言うと、壁から一匹のひばりが飛び出し、こちらの手元に飛び込む。俺が視線を落とすと手の中のひばりはいつの間にか一通の手紙に変わっていた。俺は手紙を確認する。


「魔術の教師の募集ですか…?」


「そうだ」


 師は重々しく頷いた。


「王国とはフィーユの大乱の時から縁が深くてな…どうも断りづらくて困っておった。だが、お前ほどの魔術への知識があれば安心して任せられる。どうか頼まれてはくれんか?」


「………」


 俺は手紙の中身にもう一度目を通す。魔術の学舎を作るための確かな知識を持つものの募集。待遇は破格だ。前金だけでも当分遊んで暮らせるし、国の後ろ盾も得られる。断る理由はないだろう…普通の人間ならば。


「師匠…」


「なんだ?」


 師がゆっくりと顔をあげる。魔眼がこちらをぴたりと捉えた。師がほんの少しでも視線に敵意を込めれば俺は影すら残さずこの世から消え去るだろう。それでも言わねばならないことがあった。


「初めて会った時仰いましたね。ここ『イニティウム』には今まで生きてきた魔術師の智慧が全て遺されていると。ここに来ること以上に魔術師にとって価値のあることはないと」


「…言ったな」


師の目がわずかに揺れる。未熟な弟子が師に逆らうなど許されるはずもないこと。それでも俺は言葉を続けた。


「魔術師にとって価値のあることは己の技を深め、知識を蓄え、魔術の真奥に至ることであり、現世での栄達になんの価値があろうかと仰いましたね」


「…言った」


 師は瞬きをした。俺は吐き出すように言葉を続ける。


「もしお前が真の魔術師に至る資格を持つならば…二度とこの地を出ることはない。それだけの覚悟はあるかと言いましたね」


「…言った。確かに言った」


 師は肩を動かし、ゆっくりと下を向いて息をついた。俺は目を伏せた師に視線を向けた。師に比べれば俺の存在には何の価値もない。それでも…魔術師を志したものとして言わなければならない一言があった。


「師よ…偽りなくお答えください。俺は…この場にいる資格がないのですか?」


「俺は………魔術師になれないのですか?」


 師はゆっくりと顔をあげた。その目には見たことのない疲れが刻まれていた。彼女は唇をかすかに震わせながら口を開いた。


「お前は…」


「そうだ、お前は魔術師にはなれない」


 俺は粛々とその言葉を受け入れようとした。気づいていたはずの事実だった。それでも歯を食いしばっていなければその場に倒れてしまいそうだった。


「お前は絶対魔術師になれない…」


 師はそう吐き出すように言うと、こちらに背を向けた。俺はゆっくりと頭を下げた。


「感謝いたします、師よ。先程のご厚意ですがお断りさせていただきます。俺のような無能が行っても師に恥をかかせることになるでしょう」


 師はこちらに背を向けたまま何も言わなかった。俺は言葉を続ける。


「師のたっての懇請への辞意、大変申し訳なく思っております。付きましては、今日で師弟関係を辞させていただきます。これまでご迷惑をおかけしました」


 俺の言葉に師は何の反応を見せなかった。俺は部屋の外に足を向けようとする。次の瞬間師が口を開いた。


「すまない。私はお前に何も教えることができなかった。お前を導くことができなかった」


「全ては私の不徳、非才のなすところです」


 俺は師に頭を下げた。自分の能力不足が情けなくてたまらなかった。


 部屋を出ようとして返さなければならないものに気づいた。俺は腰帯に挿さっていた杖を抜き取る。師より賜った魔響石と黒綾樹からできた杖。刻み込まれたルーンは美しく輝いている。俺のような人間には過ぎた杖だ。


「杖はお返しします」


「持っていけ。お前が作ったものだ。いらぬとしても私の目の届く所には置いていくな」


 師は目を伏せたままそう呟くように返した。おれは所在なく杖を腰に挿し直す。魔術師にでもないものが優れた杖を持つ。馬鹿げた話だ。


「では、失礼いたします」


 俺は背を向け、部屋の扉に手をかけた。おそらく、もう二度と師と会うことはないだろう。もともと俺はここにいるべき資格がない人間だった。今までが何かの間違いだったのだろう。扉を開けようとしたその瞬間、俺の背に師の声がかかった。振り向いた先の師の目は見たことのない赤みを帯びているように見えた。


「メディオ…もし…もしお前に妾の半分…いや、10分の1でも魔術の才能があれば…」


 師の声はひどくしわがれていた。彼女の今まで生きてきた人生の重みが声に積み重なっているように思えた。


「お前に、妾の魔術を…全てを受け継がせて良いと思っていた…」


 俺はただ佇むことしかできなかった。俺は無能が故に師の期待を裏切った。こんな俺を信じ、時間を割いてくれた師を。


「師よ、あなたの全てを受け継ぐにふさわしい弟子はもういます。ディネスならばきっとそれが可能でしょう。彼女は魔術の才に溢れている…本物です」


 俺はただそう絞り出すことしかできなかった。師はもう何も言わなかった。俺は部屋から歩み出る。振り返ると、ゆっくりと閉じていく扉の間から師が見えた。彼女はもうこちらに背を向けていた。


「今までお世話になりました」


 俺が最後にその言葉をしぼりだすと同時に扉は閉じ、そして二度と開くことはなかった。

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