どっちが本物かわからない

「……くしゅん」


 昨日の雨のせいか、今日はあまり体調が良くない。

 発熱はないし、休むほどではないので登校しているが、いつもより歩幅は狭かった。


 白い息が虚空を舞い、冷え切った外の空気を形として見せてくる。


「おはようございます、神田くん」


 駅に着くと、トンと肩を叩かれ声を掛けられた。


 制服の上にコートを羽織り、マフラーに手袋と防寒対策をしている。

 だが鼻頭は赤く染まり、身体が冷えているのが見てとれた。


「俺を待つなら先に言っておいてくれ」


「言ったら、私と待ち合わせしてくれるんですか?」


「時と場合による」


「やっぱり待ち伏せしておいて正解です。あ、電車来ますよ。行きましょう」


 電車の到着を知らせるアナウンスが響く。

 急足で向かおうとする彼女の手首を掴み、俺は強引に引き留める。


「ちょっと待って」


「え、えと……」


 ジッと真っ直ぐ目を見つめる。

 時間して五秒ほど。みるみると彼女の頬が紅潮していった。


「これは何の時間ですか? 神田くん」


「昨日、そっちが言ったんだろ。俺に見つめられて顔を赤くするのが私だって。妹に変装した姉の可能性があるから、念のために確かめたんだ」


 俺は今、疑心暗鬼になっている。


 だから、目の前にいるのが初音妹である確信を得たかった。


「な、なるほど。そげなことね。さすが神田くんばい」


 初音妹はポンと手をつくと、得心のいった顔を浮かべた。

 電車に遅れないよう足早に改札を抜け、人でごった返した車内に乗り込む。


「それで俺を待ち伏せしてた理由は?」


「お姉ちゃんを問い詰めた結果を報告するためです。といっても、”あたしは何もしてない”の一点張りでお姉ちゃんから言質は取れなかったですが」


「そうか」


「でもお姉ちゃんはいつもと違う感じで、すごく怪しかったです。多分ですが、また私に変装して神田くんに接触してくると思います」


 変装した状態で俺の前に現れてくれるなら好都合だ。


 初音姉が妹に変装している説はまだ可能性のひとつでしかない。

 確定させるには決定的な場面を取り押さえるのが手っ取り早い。


「それを伝えるために待ってたの?」


「はい。お姉ちゃんに先手を取られてからでは遅いので」


「なるほど。じゃあ、簡単に姉妹の見分けがつくように合言葉でも決めておくか」


「あ、はい。それ私も提案しようと思ってました。神田くんが『山』って言ったら私が『川』って返す、でどうでしょう?」


「ありきたりすぎないか」


「むう。なら何がいいと思いますか?」


「なんでもいいけど、そうだな……俺が『山』って言ったら『栗』って返す、とか」


 初音妹はまぶたをパチクリさせると、怪訝そうに。


「それ何か意味あるんですか?」


「特に意味はない」


 パッと思いついたのが、それだっただけだ。

 強いて理由を挙げるなら、俺の幼馴染の苗字が『山栗やまくり』だったことか。なぜかふと思い出したので、そのまま合言葉に採用してみた。


「意味がないなら、はい、いいと思います。脈絡ない方が合言葉としては価値ありますし」


「ああ。今後は俺が怪しく感じたらすぐ『山』って問いかけるから」


「了解です」


 グッと胸の前で拳を握る初音妹。

 そんなわけで、俺たちの合言葉が決まったのだった。



 ★



 朝のHRが始まる前。

 机に肘をつきながら、俺はいつもより重たい頭を右手で支えていた。


 思っていたよりも体調が芳しくない。午後の授業まで持つか微妙だ。

 あまり酷くなるようなら早退を視野に入れた方がいいな……。


「神田くん」


 名前を呼ばれて振り返ると、初音妹と思しき人物が俺を手招きしていた。


 ついさっき別れたばかり。教室に来てまで話すことがあるとは思えない。

 グッと警戒心を強める俺。早くも合言葉の出番のようだ。


「山」


「え? 山?」


「さっき決めたばっかりだろ」


「さっき? 何のことですか?」


 学校内で妹に変装とは大胆なことをするものだ。

 俺は早くも、尻尾を掴んだらしい。


「妹に変装してまで俺を騙してなにが目的なんだ」


「ち、違います! 私はお姉ちゃんじゃない!」


「なら、どうして合言葉がわからないんだ」


「合言葉なんて知らないです……」


 眉根を寄せ、彼女は大量の疑問符と共に顔を険しくする。


「俺が気に触るなら関わらなきゃいいだろ。頼むからもう──」


「やけん、違うばい! だって、私が初音こよりやもん!」


「なに言ってんだ。往生際が悪いぞ」


「でも、だって、私は本当に……」


 潤んだ目で、真正面から俺を見つめてくる。


 数秒と経たずに彼女の頬に赤みが帯びていく。

 しかし目を合わせるのに恥ずかしくなったのか、すぐにその場で俯いていた。


 もし、ここにいるのが初音姉なら俺と目を合わせて顔を赤くするわけがない。


 今、目の前にいるのが初音妹? でも、じゃあさっきのは一体……。


「私が本物です。まだ信じてくれませんか?」


 やばい。

 頭がこんがらがってきた。

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