人生最悪のバレンタインその3

 今日は一日中、沈んだ気持ちを胸に抱えていた。


 例年のバレンタインであれば、放課後も教室に居残ったりして最後の最後までチョコをもらえる可能性を模索していた。しかし今日のそんな無駄な時間を過ごす気力も湧かない。


 上履きからローファーに履き替えていると、俺へと近づいてくる影があった。


「か、神田くん」


 顔を上げると、そこに居たのは初音妹だった。


 余談だが、初音姉妹を見分けるのは難しくない。

 ショートヘアが姉の紗香。ロングヘアが妹のこよりだ。


 顔は瓜二つだけれど、髪型にさえ着目すれば誰にでも見分けることができる。


「あ、無視しないでください。今朝、神田くんに言われたことが釈然としないんです。なにか誤解をしていませんか⁉︎」


「誤解も何もない。俺はそんなに馬鹿に見えるのか?」


「な、なしてそげん話になると……」


「俺だって好きでこんな名前になったわけじゃない。頼むからもう俺にかまわないでくれよ」


 初音妹の手を振り解き、足早で正門を目指していく。


 俺はそれなりに楽しい学生生活を送っている。

 でもこうして茶化してくる連中がいるからキラキラネームに悩まされて、陰鬱とした気持ちを抱かないといけなくなるんだ。


 もう、放っておいてほしい。

 と、疲れたように息を漏らしたその時だった。



「好きです!」


「……はっ?」



 拡声器でも使ったような声量で、大胆不敵な告白が飛んできた。


 思わず振り返り、俺はポカンと口を開ける。

 近くに居合わせた学生もピタリと立ち止まり、初音妹に視線を奪われていた。


「私は神田くんが好きです。ただそれだけなんです。冷たくしないでください」


 目尻に涙を溜めながら、ポツポツと初音妹は俺への公開告白を始める。


 いやいや、何してんだ……。

 これは洒落にならない。罰ゲームにしたってやりすぎだ。


「これ、神田くんに受け取ってほしいです」


 初音妹は俺にチョコを差し出してくる。


 360度全方位から視線の槍が集まっているのを感じた。


「な、なに考えてんだよ。そんなことしたら罰ゲームじゃ済まな……」


「罰ゲームなんかじゃなか! なして疑うと⁉︎」


 初音妹に気圧され、周囲の視線の圧にもやられ、頭が真っ白になる。


 罰ゲームじゃない?  いやそんなわけが……。


 でも、彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。


「本当に、罰ゲームじゃないのか?」


「当たり前ばい! 最初から本命って言いよーけん」


 怒ったような口ぶりで切り返し、俺の胸元にチョコを押し突きつけてくる。


「返事はまた今度でよか。さようなら!」


「ちょ、おい……」


 手元に戻ってきたチョコを一瞥する。

 箱の隅に『大好きです』と、今朝にはなかった手書きのメッセージが追加されていた。



 ★



 初音妹は本当に俺のことが好きでチョコをくれたんじゃないだろうか。


 もしそうだとしたら俺は最低のクソ野郎だ。

 勝手に被害妄想を膨らませて、冷たい態度で突っぱねって、好意を踏み躙る言動を重ねた。


 ああ、もう……くそ! 

 なんで俺っていつもこう……。


「神田くん」


 髪の毛を掻きむしっていると、トンと肩を叩かれる。


 長く伸びた群青色の髪。初音妹だ。


「さっきはごめんなさい。いきなりあんな人目のあるところで告白して。……迷惑でしたよね?」


「いや、それよりどうしてここに?」


「私、この近くに住んでるんです。たまに神田くんのことを見かけることもあって、ここで待ってたら会えるかなって」


「そうだったのか。ちょうどよかった。その、俺、酷い勘違いをしてたかもしれない」


「勘違いですか?」


「ああ。少し前に初音の姉から罰ゲームで告白をされたんだ。それがあったから、また同じことをされるんだと早合点して酷い態度を取った。ごめん」


「なるほど、そうだったんですね。でもそれ、何一つ間違っていませんよ」


「え?」


 微笑み混じりに、端的に切り返してくる初音妹。


「当たり前じゃないですか。どうして同じクラスでもない、まともに話したこともない神田くんを好きになるんですか。好きになる道理がないと思いませんか?」


 彼女の言っていることを理解しきれず、俺は呆然としてしまう。


「もちろん今回も罰ゲームです。貴方が素直に受け取ってくれないから、ああいうことをしただけですよ」


「いや、でも……」


「さっきまで疑っていたのに今は信じたいとか、滑稽すぎますね。罰ゲームは無事に果たしたので、告白の返事とか考えないで大丈夫ですから」


 初音妹は侮蔑するように俺を見ると、踵を返した。


 なんだよそれ……。随分と手の込んだ嫌がらせじゃないか……。


「俺、何か気に障ることしたか?」


「さあ、どうでしょうか。ただ一つ言えるのは私はナイトくんのことが世界で一番嫌いです」


 微笑を湛えながらそう断言して、初音妹は十字路を曲がっていく。


 夕焼け色の空を見上げる。

 結局、俺は正しかったようだ。被害妄想でもなんでもなかった。


 嫌になるな、ほんと。

 間違いなく今日は俺の人生史上一番最悪なバレンタインだ。

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