第12話 映画
七月下旬、学校が夏休みに入った田村さんにLINEで俺は映画に誘われた。
年中、夏休みのような生活をしている俺にとってはいつ誘ってもらっても構わないが学生である彼女は忙しいのだなと実感する。
俺は準備をしてから四街道駅に向かう。四街道市に映画館はないので千葉まで行かないといけない。俺的には四街道市に映画館を作って欲しいと切に思っている。
スニーカーをパタパタと鳴らす。明滅する信号に捕まり、緑になるまで待つ。待っている間、スマホで時刻を確認する。只今の時刻、午前十時三十分。約束の時間は十時四十分。結構、ギリギリだ。
信号が緑になり、俺は早歩きする。ダッシュする気にはなれない。事故に繋がるので焦りは禁物だ。最悪は田村さんに待っていて貰おう。俺を誘うというのはそういうことだ。
気温三十度の中、汗をかきながら並木道を歩いた。
駅に着いてスマホで時刻を確認すると午前十時三十七分だった。
「間に合った」
安堵した俺は独り言を呟く。
駅舎内にあるパン屋の前で立って駅の中全体を見回すが彼女の姿は見当たらない。
LINEを確認すると遅れるという連絡が田村さんから入っていた。
年上を待たせるとは、社会人になったら苦労するぞ。
俺は了解と返事をする。別に暇だから支障はない。
しばらくしてから田村さんがやってきた。特に走る様子はない。
彼女は当たり前だが白Tと青デニムの私服姿だった。
「お待たせ」
「人を待たせているとは思えない態度だな」
俺はお嬢様気取りの彼女に溜息を吐く。
まあ、ガチガチで三十分前とかに来られるよりは良いか。打ち解けられているとポジティブに考える。ポジティブシンキングを続けていれば社会復帰できると思う、多分。
「どうせ暇だから良いでしょ」
「そうだな」
話しながら俺たちは改札を出て1番線ホームに降りる。
電光掲示板を確認すると総武本線千葉行きの電車はあと五分ほどで来るようだ。
「そう言えば、なんで俺を映画に誘ったんだ。せっかくの夏休みなんだから彼氏と行けば良いのに」
「は?」
何気なく言うと、こいつ何言ってんだ?と言わんばかりのマジ顔を向けられる。
「いや、彼氏だよ。ニートと映画が観たいなんて女子高生いないだろ?」
ニートが活躍する映画が観たいならわかるかもしれないが。
「行かないわよ。私、彼氏いないし」
あっさりと言われる。彼氏がいない女子なんているのか? 女性声優はいないと言って、全員彼氏がいるからそれを目指す田村さんは当然いると思っていた。
「てか、今までもいたことないし」
今までもいたことがない。これは夢か?
俺は自分の頬をつねるがとても痛い。なんで俺は自分の頬を強くつねったんだと後悔するくらい痛かった。
参考になるかはわからないが俺調べによると女子はほとんどがビッチだ。あ、なるほど。田村さんは彼氏はいないけどセフレならいるビッチということか。納得、納得。
「ただ、恋愛映画を女一人で観に行くのは勇気がいるし。萌香はあまり恋愛映画好きじゃないし、だから暇そうなアンタを誘ったわけ」
「なる、ほど?」
納得できるような、できないような。そんな理由だった。
「わかったわね」
「なんとなくは、な」
お喋りはおしまいだと漆黒のカラスがカーカーと鳴く。
一番ホームに各駅停車千葉行きの電車がスピードを落としながらやってくる。
電車が止まってドアが開く。俺たちは降りる人を待ってから乗り込む。ドア付近の席が二人分空いていたので並んで座る。
華奢な彼女の身体と俺の意外とガッチリしている身体が凹凸のようにハマる。
扉が閉まり、電車が動く。
揺れた瞬間、田村さんがこちらの方に少し傾いて彼女の熱を感じる。暑いから仕方ない。
隣に座る彼女の顔を見ると少し顔が赤かった。
特に話すこともない。
無言でも別に気にならない。
そんな関係性が女子高生とできてしまった。
俺は陽子に意味もなく心の中でごめんと呟く。
十分ほどで電車は終点の千葉に着いた。……どうでも良いがアナウンスはなぜ鼻声で言うのか気になった。
千葉駅に降りて改札を出る。
改札があるのがペリエ三階という位置付けになっている。駅の改装当初は戸惑ったがもう慣れてしまった。
エスカレーターで下まで行くと看板を持ったおじさんが献血の呼びかけをしていた。
献血、大事だよな。俺はしたことがないけど。採血があまり好きではない俺にとって献血も労働と同じくハードルが高い。他の人がしてくれることを祈ってそこを足早に通り過ぎる。
「献血だって」
アピールするように田村さんが言うが俺は無視する。
「献血したことある?」
「ない」
「ニートだから血は少しで良いでしょ?」
「血も涙もないこと言うな。ニートでも働いている人間と同じくらい血液は必要だ。血の気が多い奴が献血に行けば万事解決だ」
献血にはなるし、喧嘩はなくなるし、みんな謙虚に生活できる。最高ではないか。
「まあ、ニートの血なんて需要ないか」
「それはそれで酷い言われようだな」
「そう? それにしてもアンタ、他力本願過ぎない?」
他力本願。ニートのスキル名と言っても過言ではない。
誰かに頼るのは苦手なくせに他人の力がないと生きていけない。本当にニートいうのは狡い生き物だ。
「助け合いだ」
「助けてないじゃん」
「未来に期待してくれ」
俺はキメ顔でそう言った。
全然、有望ではないけれど宝くじが当たるかもしれない。その時はきちんと赤十字に募金する。まあ、宝くじ自体が税金で運営して当たる金も血税なのだけど。
「凄い自信、そんなに自信があって学歴があるなら働けるんじゃないの?」
学歴、か。そんなもの一方通行で一回限り使えるチケットみたいなものだ。俺はそのチケットのために努力してきた。そのチケットを使って何をしたいのかもわからず、本当に大切なものを蔑ろにしてだ。
俺は努めて笑顔を作る。
「働きたくはないな。それに、働いてないおかげで田村さんと映画を観に行ける訳だし、ニート最高だろ」
田村さんは一瞬俺を睨んでからそっぽを向いた。
自分を言い訳に使われたのが気に食わなかったのだろうか。それなら申し訳ないがこちらも謝る気分にはなれなかった。
青空の下、俺たちは並んで歩き京成ローザに向かう。
千葉にある京成ローザはイースト館とウエスト館があり、俺たちが今向かっているのはイースト館だ。ちなみにウエスト館との距離は遠くない。
アニメイトを通り過ぎて吉野家の前の横断歩道で信号を待つ。赤から緑に変わり、一斉に横並びだった人間たちが動き出す。まるで指揮者がタクトで指示を出しているみたいだ。
京成ローザに到着して俺たちは掲示板で上映時刻を確認する。
只今の時刻は午前十一時五分。
田村さんが観たがっている映画の上映時間まであと三十分ある。
どう時間を潰すか。一人なら上に上がって時間まで椅子に座って待つだけだが今日は金髪の女子高生が一緒だ。タピオカとか飲ませないと噛みつかれそうで怖い。日本の首都、千葉なのでタピオカ屋は当然あるが、ダッシュで買ってきた方が良いのだろうか。
「なに、固まってるのよ。さっさと上に行こうよ」
タピオカは必要なかったようで俺は胸を撫で下ろす。
自動ドアを通り館内に入り、エスカレーターで三階に向かう。
三階に着くとまず券売機で恋愛映画の大人と高校生の券をそれぞれ一枚ずつ買う。座席は中央の後方に決めた。券売機の画面をタッチする時、券の値段が高校生と違うのを見て俺は大人なのだと改めて思い知らされる。
無事、券を手に入れた俺たちは上映時間まで椅子に座って待つことにする。
正面はガラス張りになっていて外を一望できる。俺は映画の上映を待つ間に見るこの景色が意外と好きだった。
「アンタ、恋愛映画とか観るの?」
田村さんに唐突に質問される。
「あまり観ないな」
フィクションの恋愛を観ても心が動かない。
現実の恋愛は映画のようにご都合主義にはいかないのを知っているから。
まあ、恋愛なんてしたことはないけれど。
「……先生とは映画観に行かないの?」
急に陽子の話が出て俺は少し動揺する。
陽子の生徒に幼馴染との昔話をするのはどうかと思ったが少しくらいなら良いか。
「……昔、付き合わされたことがある」
あの時も偶然、恋愛映画だった気がする。内容はほとんど覚えてないが陽子が感動して涙を流していたのは鮮明に覚えている。
「……そう、なんだ」
それ以上、田村さんは何も言わなかった。てっきり、さらに追及されると思っていたので拍子抜けする。
「ポップコーンと飲み物、買ってくる」
俺はそう言って売店で塩味のポップコーンとコーラ二つを買ってくる。
しばらくして、映画の入場開始のアナウンスがされる。
俺たちは椅子から立ち上がって列に並び券をスタッフに渡し、半券が返される。
左側に曲がり、四番スクリーンに入る。
券に書かれた中央後方の座席に二人並んで座る。コーラをホルダーに入れる。
「ちょっとトイレ」
俺が言ってその場を離れる。映画の前はトイレに行かないと心配になる。
用を足し、戻ってくるとすぐに予告が開始される。ここからは私語厳禁だ。
映画泥棒がサイレンを鳴らしながらウネウネしているのを眺めてから本編が始まる。
配役は男性アイドルが主演で若手女優がヒロイン。なるほど、男性アイドル目当てかと勝手に納得する。
内容はありきたりな王子様系の彼氏が目立たない女子を輝かせて最終的に付き合うというものだった。
こんなので感動する奴がいるのかねと映画批評家みたいなことを考えていると横でズビズビと音がする。隣を見ると田村さんがハンカチで目元を押さえて大泣きしていた。
「マジかよ」
小声で俺はそう呟いた。普段の彼女からは想像できないギャップだった。
不覚にもそんな彼女を俺は可愛いと思ってしまった。
エンドロールが終わり、俺たちは席を立ち前方から退場する。
館内を出ると青空が覗いていた。そして、田村さんが口を開く。
「めっちゃ感動した!」
ですよね。涙を流していたところを見ていたこちらとしては当たり前の感想だった。
「王子様カッコ良すぎ!」
興奮した様子で言う彼女に俺は苦笑する。
「それが目当てで観にきたんだろ?」
「え、違うけど」
眉根を寄せて不機嫌そうな顔を向けられる。
そして、田村さんは溜息を吐いてから口を開く。
「まさかアンタ、私があのアイドル目当てでこの映画を観にきたとでも思ってるの?」
「え、違うの?」
「バカ。この作品は漫画原作でそれが実写化されたから観にきたのよ」
内容を知っていてあれだけ泣いていたのかとそっちに驚く。
「てっきり、内容どうでも良いのかと思ってた」
「そんな訳ないじゃない。映画は内容重視よ。演技が上手い人にやってもらいたいけど、キャストは二の次」
どうやら勘違いしていたようだ。
見た目は馬鹿そうな見た目をして中身は空っぽそうなのにそうでは全くない。
酷い勘違いをしていた自分を反省する。
「さあ、映画の感想会をするわよ」
意気揚々とした表情で田村さんは言う。
「マジかよ」
俺は面倒そうにそう零した。
近くの喫茶店に入り、ボックス席に案内される。
只今の時刻は午後三時。喫茶店で俺たちは遅い昼食を取ることにする。
メニューを開いてはしゃぐ田村さんに俺は苦笑してスマホを見る。アプリゲームのスタミナが回復している。映画を観ている間に回復されていると得をした気分になる。
「はい」
田村さんからメニューを手渡され俺はすぐに決める。
店員をボタンで呼び出し、注文する。田村さんはピザトーストとアイスカフェオレ。俺はサンドイッチとアイスコーヒーを頼んだ。
「さ、映画の感想会を始めるわよ」
「なんでそんなやる気なの?」
「誰かと映画を観に行った時は感想会やらない?」
「やらない」
俺は即答した。
「つまらない男」
つまらなそうに言われた。そんなことでつまらないと言われるとは思いもしなかった。つまらないに男が足されると余計にダメージを受ける気がする。
「俺はつまらない男ですよ」
「いじけてる。ウケる」
「いや、全然ウケないから」
女子って変なところでウケるとか言うよな。それで目は全然笑っていないのだから本当に怖い。ウケないならウケないとハッキリ言ってくれた方が良い。
それから映画の感想を田村さんがほぼ一方的に言ってくる。
俺はそれに適当に相槌を打つ。
そんなことをしていると料理とドリンクが運ばれてくる。
「美味しい」
ピザトーストを齧る彼女は満足そうに言った。
俺もそれに倣って玉子サンドを一口食べる。玉子の塩加減が丁度良くマヨネーズともよくあっている。
「美味いな」
女子高生とニートが映画を観て喫茶店で食事をする、この異常がとても心地良かった。
*
家に帰ってきた私、田村美月は部屋のベッドに寝転がり今日のことを振り返る。
初めて父親以外の男と映画を観に行った。
意外と緊張していた。心臓の鼓動がうるさかった。
ニート相手になにドキドキしていたんだろ、私は。
他力本願で働かない最低なクズ野郎。そんな奴にドキドキするなんておかしい。
ニートのくせに私のことを心配して、映画代や食事代を奢って子供扱いしてくるのが本当にムカつく。
でも、先生の言っていた意味が少しわかった気がする。
先生が言っていたように良いところはある、と思う。
それにしても私のことを馬鹿にして。
小島は私のこと、子供のように扱うけど私だって私なりに色々と考えている。
それに、先生のことだって色々と考えているのだ。
あの時、公園で声をかけて良かったと今更ながらに思う。
まさか、二人で映画に行く仲になるなんて思いもしなかったけど。
あと、あのお節介は直した方が良い。小島って意外と女たらしだと思う。
先生が可哀想。
――ねえ、先生。小島は多分、先生が好きだよ。
今日、一緒に映画を観に行ってそれがよくわかった。
先生のことを考えて話す小島の顔が真剣で太陽のように温かくてアルバムを捲るみたいに楽しそうだったから。少しだけ羨ましく思えるくらい思い出を大切そうに話していたから。
彼の顔を思い出してから私は浅く唇を噛む。
――ごめん、先生。私、少しだけ小島が気になっているの。
こんなことを口に出したら、おかしいと笑われるかな。それとも、怒られるかな。
一晩で解決しない悩みを抱えて私は目を瞑った。
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