第11話 看病

 七月に入り、季節は順調に真夏へと向かっていた。電気代が高いので窓を開けて凌いではいるがもう少しでエアコンをつけなければいけないだろう。

 枕草子では夏は夜が良いと言っていたので俺はその夜を堪能するため昼に起きる。と言うのも昨日、遅くまでラノベを一気読みしたので仕方がない。それにニートは朝に起きる必要性がない。

 昼に起きる俺を咎める者はいない。母親は俺というクリーチャーに慣れてしまっているので俺を起こしにはこない。こういう母親の存在はとてもありがたい。

 準備をしてから朝昼兼用のご飯を近くの商業施設に入っているスーパーへ買いに行く。商業施設のシンボルである鳩のマークを見上げてから俺は店内に入る。

 フードコートも施設内にあるのだが日曜で混んでいて座るところが見当たらなかったので買って帰ることにする。

 一階の食品エリアをカゴを持ってうろうろする。

 夏が近づくと俺は食が細くなるのでざる蕎麦をカゴの中に入れる。あとはビール、これさえあれば人間生きていけるのではないかと思う。車にガソリンを入れるみたいに。

 無人レジで会計をする。レジ袋は当たり前のように貰った。袋くらいでエコを気取るエゴを持ちたくないからだ。まあ、そんな言い訳を頭の中でするが結局のところ、家からエコバッグや袋を持ってくるのが面倒というのが正直なところだ。

 サッカー台で蕎麦を袋に入れてさっさと家に帰ろうとすると隣のレジに中村さんを見かけた。昼からバイトに入っているのだろう。

 偉い、偉すぎる。俺は昼からバイトなんて入らなかった。上司から入れと言われても断っていた。用事もないのに、「あ、用事があって」としっかり断っていた。

 陽子からあまり生徒に関わるなと言われているので俺は頑張れとは思いつつ声は掛けずに帰路についた。

 家に帰ってから買ってきた蕎麦を部屋に持って行き、啜った。味は普通だった。


 翌日の月曜日、夕方に俺は酒を買いにスーパーに向かう。連日スーパーに行くのは俺としては珍しいことだが酒が切れたのだから仕方ない。仕事も酒を飲みながらして良いなら働きたいと思う。そんな会社はないとは思うが。

 そんなバカなことを考えながら俺はスーパーまでの道のりを歩く。

 店のエントランスの前で制服姿の中村さんを見かける。また、バイトなのだろうかと思ってこっそり後をついていく。一応言っておくが俺は彼女のストーカーではないぞ。彼女の足取りは重い。バイトが嫌なのかと思って見ているとバランスを崩してその場に倒れ込む。

「大丈夫か!」

 陽子の忠告をまた破ってしまうが仕方ない。世の中、仕方ないことで溢れている。

「……和也さん?」

 朦朧としていると表現した方がいいトロンとした目を中村さんはしていた。

「そうだ、和也だ。大丈夫かと聞いたけどどう考えても大丈夫そうではないな。これからバイトか?」

 中村さんはコクリと頷いた。

 意識はあるので救急車を呼ぶ必要はなさそうだがこれからバイトができる状態ではない。バイト先への連絡は後回しで良い。まずは中村さんを涼しいところで安静にさせないといけない。

「歩けるか?」

 歩けなければ、おんぶなどをしなくてはいけない。

 俺は正直、体力には自信がない。

「……はい」

 弱々しい声で返事して立ち上がる中村さん。

「タクシーに乗ろう。家に人はいる?」

「……いないです」

「そうか」

 いない、か。この状態で彼女を一人にさせておくのは心配だ。

 大人の男が女の子の家に行くのは良くないが緊急事態だ。

 俺たちはタクシー乗り場までゆっくりと歩く。大きな商業施設なのでタクシー乗り場があるのが不幸中の幸いだ。

 タクシー乗り場で二人並んでタクシーに乗り込む。オッサンに中村さんが家の近くの公園を告げてタクシーが動き出す。タクシーに揺られて俺は車窓から街を眺める。街路樹が並び、花壇には名前はわからないがカラフルな花が咲いていた。

「ごめんなさい、和也さん」

「謝らないでくれ。体調を崩すのは人間だから仕方ないことだ」

 昨日、お昼から中村さんが働いているのを見ているから余計にそう思った。

 スマホでバイト先に休みの連絡をする中村さんはひたすら謝っていた。

 仮病ではないのだから、そんなに謝らなくても良いのになと俺は思った。

 それからタクシーは数分走って公園に着いた。

 俺は財布から金を取り出してトレーに置く。領収書を貰ってから俺と中村さんはタクシーを降りた。

 公園すぐ近くの白色の一軒家が中村さんの家だった。

「でかいな」

「そうですか?」

 ローンで買ったのだろうか、売ったらいくらなのだろうかと嫌なことばかりを考えてしまう。

 大人になると言うのは良いような悪いような、まあ、ちゃんとした大人なら平日のこの時間に女子高生の家には行っていないだろうが。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 スニーカーを脱ぎ揃えて端に置き、中村さんの家にお邪魔する。とりあえず、中村さんを部屋のベッドに寝かせる。俺は冷凍庫を開けてアイス枕を取り出す。それをタオルで巻いてから枕の上に乗せてあとは冷水でタオルを濡らし中村さんの額に乗せる。

「冷たいですね」

「まあ、氷だからな」

「でも、気持ち良いです」

「それならよかった」

 いつも大人ぽい中村さんが子供のように見えた。まあ、子供なのだから当たり前か。この子はいつも気を張り詰めているような気がする。

「ご両親は?」

「共働きなのでいつも家にはいません」

「……そうか」

 こうして他人に関わると嫌でも人間というのは働かないといけない動物なのだと思い知らされる。この家を守るために、家族、そして一人娘を守るために働いているのだと思うと自分が本当に情けなく思う。

 中村さんにあまり無理はするなと言おうと思ったが、最近の俺はむしろ無理できていることは素晴らしいことなのではないかと思うようになっていた。体調を崩してしっかりと休むのならば無理はしないと人間として駄目になるのではないかと思うようになったのだ。

「必要そうなもの近くのコンビニで買ってくるから鍵を貸してくれると助かる」

「ありがとうございます。鍵は玄関のところにあるので持っていてください」

 彼女のお礼を背中で受け取り部屋を出ていく。玄関に置いてある棚の上に鍵が置いてあったのでそれを持って家を出た。戸締りはしっかりとした。

 公園とは反対側の方向に歩き、畑を抜けて坂を下っていくとコンビニが見えてくる。駐車場に車は三台止められていた。

 コンビニに入りオレンジ色のカゴを手に持つ。スポーツドリンクや水、レトルトのお粥などをカゴに入れる。ついでに缶ビールも入れておく。看病が一段落したらご褒美に飲んでしまおう。

 買い物を済ませて中村さんの家に戻ると中村さんはベッドで眠っていた。俺が外出して気が抜けたのだろう。仮に俺が極悪人だったら今の中村さんの状況はとても危険だ。こういうことは担任である陽子がきちんと指導しておかないといけないなと思った。まあ、ニートの男が看病するケースなんて稀な例だけど。

 俺が狼になる前に買ってきたスポーツドリンク、ついでに完ビールを冷蔵庫に入れておく。

 お粥を作ろうかどうか迷う。食欲がないのに無理に食べさせる訳にもいかないし、無駄にするのも食べ物に悪い。

 結局、中村さんが起きるまで地べたに座って待つことにする。

 そう言えば、昔。陽子のこともこんな風に看病したことがあったなと思い出す。

 陽子は身体が弱かったからすぐに熱を出して陽子の両親が共働きだったこともあり俺がよく面倒を見ていた。

 懐かしいな。まさか、俺の方が働けない人間になるとはあの頃は思いもしなかった。


 夢を見た。幼馴染の陽子が風邪を拗らせて死んでしまう夢を。

 俺はベッドに眠ったままの彼女を見てひたすら泣いていた。身体中の水分が全てなくなるくらい、泣いていた。無様に泣くことしかできなかった。

 夢だよなと思いつつもその夢はなかなか醒めない。明晰夢というやつだ。

 少し焦っていると眠っていた陽子がベッドからむくりと起き上がってドッキリでしたと笑って言った。それに俺は腹が立ちながらまた涙を流した。

 碌でもない夢だった。

「和也さん、和也さん。起きてください、和也さん」

 名前を呼ばれて俺は目を覚ます。目の端からは涙が溢れていた。

「和也さん、大丈夫ですか?」

 俺は腕で目をゴシゴシと拭いて苦笑する。まったく、俺って奴は病人に心配されてどうするんだよ。

「大丈夫。中村さんの方は?」

「熱を測ったら三十七度八分でした。さっきよりは楽になりましたよ」

 顔はまだ赤いが声に力があるから嘘ではなさそうだ。

 カーテンを開けて窓の外を眺めると紺色の空が広がっている。

「そうか、それならよかった。もう遅いし、そろそろ俺は帰るよ」

「はい。和也さん、本当にありがとうございました。和也さんがいなかったら私とても大変だったと思います」

 その時は代わりの誰かがやっていたに違いない。たまたまその場に俺がいたから助けただけのこと。そこまでお礼を言われることではない。

「気にしないでくれ。俺は俺のできることをやっただけだから」

 暇を持て余していたからできたこと。ただの下心と自尊心を満たすためだけの行動。人助けをしているとは言え、女子高生の部屋に入って看病するなんて他人に咎められてもおかしくないのだ。

 俺の知っているヒーローはいつも見返りを求めず忙しそうに働いていた。昔はそんなヒーローに憧れていた。だけど、ヒーローを今更目指す気は毛頭ない。それに、見返りを求めないヒーローなんて現実にはいないのだから。

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