第10話 過去

 高校二年生の時、俺は初めて女子に告白された。なんて答えたのか、正確には覚えていないが断ったことはしっかりと覚えている。

 夕焼け染まる放課後の出来事だった。あらかじめ教室に呼び出されていて帰宅部の俺はホームルームが終わった後、教室に残っていた。

 教室後方の扉が開いて彼女が現れた。いつも通りの笑顔でこちらにやってきて少し雑談をしてから告白された。

 あれが女子から受けた最初で最後の告白だった。

「オッケーしとけば良かったな」

 深夜、自室のベッドに寝転がりながら呟く。情けない話だが学生時代のことを今更ながらに後悔する。

 俺の人生は後悔することばかりだなとつくづく思う。

 陽子の言葉を反芻する。

『……私の生徒と和也が関わるのは良くないと思う』

 陽子が言っていることは正しい。客観的に考えてニートの大人と女子高生が関わるのは危険だ。それは教師の幼馴染だって例外ではない。だから、陽子が俺を生徒と遠ざけようとするのは当然のことだ。

 当然のことだと頭ではわかっているのに心がポッカリと空いてしまった。

 幼馴染の陽子に言われたことで俺は傷ついてしまったのだろう。心が弱いお豆腐メンタルはこういう時、困るなと思った。


 翌朝、ベッドから起き上がってスマホを確認するとLINEに通知があった。陽子からだ。昨日の件についての謝罪が書かれていた。きっと言い過ぎたと反省したのだろう。気にするなと返信しておく。

「律儀だな」


 キッチンで水を飲んでから俺は珍しく散歩に出かける。

 外は相変わらずの曇り空。梅雨の時期に雨が降っていないのは喜ぶべきことなのかもしれない。

 俺の家は敬葉高校の通学路に近いため制服姿をちらほらと見かけるが関わるなと釘を刺されているので俺は通学路の反対方向に歩く。

 街の北側に行くとコンビニを見つける。自動ドアをくぐり、中に入ると敬葉高校とは違う制服姿があった。この先の坂をさらに行けば公立高校があるからそこの生徒だろう。

 俺はオレンジ色のカゴに500のペットボトルの水とアイスカフェオレ、朝昼兼用のハムとレタスのサンドイッチと明太子バターの和風パスタを入れる。

会計してもらってコンビニを出る。

坂道を下り帰路につく。

 家に帰ってすぐ買ってきたものを袋ごと冷蔵庫に入れて自室に戻る。敬葉高校のチャイムが聞こえてくる。これから未来ある若者は勉強に励むのか。それに偉いなと思いつつベッドに寝転がる。目を瞑る。散歩して少し眠気が来たから俺はまた眠ることにした。


 昼間に目が覚めて朝、コンビニで買ってきたサンドイッチと和風パスタを完食した。カフェオレも少し甘ったるかったが美味しかった。

 動画を観たり、スマホゲームをしたりといつも通りダラダラと過ごしているとあっという間に夕方がくる。

 ピンポーンとインタホーンが鳴る。最近よく鳴るなと思っているとドアがノックされる。

「アンタにお客さんよ。ほら、陽子ちゃんに似てる子」

 その言葉でピンとくる。名前は安田さんと言っていたか。確か、傘とスウェットを貸したっけ。それをわざわざ返しにきてくれたのだろう。

「今いく」

 そう言って俺は椅子から立ち上がり部屋を出ていく。階段を下りながら母親が代わりに受け取ってくれても良かったのではと思った。

 玄関のドアを開けるとそこには艶やかで綺麗な長い黒髪の少女が立っていた。安田さんはペコリと頭を下げる。

「お久しぶりです。借りていたものを返しにきました」

 制服姿だったので学校帰りに届けにきてくれたようだ。

「学校帰りにわざわざありがとう」

 陽子に生徒と関わるなと言われたがこういうイレギュラーは多めに見てもらいたい。

「あと、和也さんにご相談がありまして。あの、お時間よろしいですか?」

 お時間は幾らでもあるが陽子の縛りがあるからどう答えようか迷っていると安田さんは俯いてしまう。

「ご迷惑ですよね。すみません、忘れてください」

「いや、迷惑ではないよ」

 慌てて俺は答える。ごめん、陽子。お前との約束は果たせそうにない。まあ、安田さんは陽子のクラスの生徒ではないから良いかと都合の良い解釈をする。

「本当ですか!」

 よほど嬉しかったのか、目をキラキラさせて俺の手を握る安田さん。そして、すぐに自分がしたことに気がついたのかパッと手を離した。俺はとてもドキドキした。心臓の鼓動がやばい。今、脈拍を測ったらとても早いだろうなと思った。

「さあ、狭いところだけどあがって」

「お邪魔します」

 階段を上がる俺たちを一階で見守る母親と目が合った。なんか頑張ってみたいな視線を送られたが無視する。女子高生相手に何を頑張るんだよ。なんかあったら息子逮捕なんだぞ。わかっているのか、わかってないよな。

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

 こんなことを考えていると知られたら通報されてしまうので俺は首を横に振った。

 部屋に入り、安田さんはキョロキョロと部屋を見回し、ベッドに腰を下ろした。だから、なんでベッドの上に座っちゃうんだよ。俺じゃなかったら、そこに座った時点で襲われて終わりだぞ。

「和也さんのお部屋って落ち着きますね」

 なんでこんな可愛い子を幼馴染は振ったのだろうか。その幼馴染を一瞬、ぶん殴ってやろうかと思った。

「それは部屋で花を育てているからだよ。乾燥させると、とても気分が落ち着く花を」

 珍しく冗談を言ってみたが彼女はクスリとも笑わなかった。それどころか薬をやっている危ない人と一緒にいるという恐怖で固まっていた。そして、ワナワナしながら安田さんは口を開く。

「……か、和也さん。じ、自首しましょう。私も説明しますから」

「ごめん。冗談だから、で済むような話じゃないな。本当に申し訳ございませんでした」

 俺はすぐさま土下座した。

「あ、頭を上げてください!」

 慌てて彼女に言われたので俺は頭を上げる。

「本当にごめんね。二度とこんな冗談は言いません」

「大丈夫です。凄い怖かったですけど」


 つまらない冗談をお詫びした後、俺は単刀直入に聞く。

「それで、俺に相談とは?」

 ニートがなぜ女子高生の相談を受けているのかはわからないが乗りかかった船だ。適切な答えが出せるように頑張ることにする。

 俺が聞くと安田さんは深呼吸をしてから口を開く。

「幼馴染と付き合えるようにするにはどうすれば良いですか?」

 俺は吹いた。馬鹿にしているわけではない。ただ、心にくるものがあったのだ。

「大丈夫ですか!」

「ああ、大丈夫。続けてくれ」

 俺が先を促すと彼女は話を続ける。

「優太、幼馴染は人気者で私とは釣り合わないのはわかっているんですけど諦めきれなくて。重いですよね、私」

「そぅ、そんなことはないと思うよ」

 あっぶねえ。危うく、そうだねと共感するところだった。そう、までは言っていた気がする。女子相手に共感は大事だが、今のは共感してはいけないところだ。

「本当ですか?」

 前のめりに聞く必死な彼女に俺は苦笑してから頷く。

「男としては嬉しい限りだけどな。君みたいな可愛い子からそう思われているだけで」

 ギャルゲーで鍛えたテクニックを使い、俺がそう言うと安田さんは目をパチクリとさせる。

「可愛い、私がですか?」

 信じられないと言った様子の彼女に俺は首を傾げる。

「言われたことないか? 可愛いって」

「初めて言われました。いつもは堅いとか大人っぽいと言われていたので」

 なるほど、周りの男女が可愛いと言わないレベルに彼女は可愛いと認められているという訳か。

「近くにいるから照れくさいんだろうな。俺のは客観的な意見だから自信持って良いと思うよ」

「そう、ですか。ありがとうございます」

 お礼を言われるがまだ納得はしていない様子なので俺は彼女に一番効く言葉を伝える。

「幼馴染の優太くんも内心ではそう思っているはずだよ」

「そんなことないです。一度も言われたことありません」

「さっき言っただろ。近いから言えないって。幼馴染なんて一番近い関係性だから言えなくて当然だ」

 俺がそうだからよくわかる。言いたいことは言えなくて、言わなくても良いことはペラペラと話せてしまう。見せたい感情は伝わらず、見せたくない感情はあっさりと見透かされてしまう。上手くやろうとしても上手くいかない。むしろ余計に空回る。そして、時間だけが無情に流れていく。

「だから、どちらかが諦めないなら可能性は残っていると俺は思うよ」

 安田さんに向けての言葉なのにそれはブーメランのように自分に戻ってくる。ただの願望なのかもしれないその言葉が一歩も動けていない俺の胸に突き刺さった。

 彼女は微笑んだ。その安心した笑みを見て、幼馴染がそこまで好きなのだと改めてわかり、それと同時にここまで愛されている相手の彼に嫉妬した。

「今日は和也さんに相談できて良かったです。流石、webライターさんですね」

 そう言えば、安田さんにはニートと言いたくなくてそんなことを言った気がする。

「ま、まあね」

 一度嘘を吐いたら貫き通すしかない。これも優しい嘘だと信じて。

「山口先生も和也さんみたいな幼馴染がいて幸せですね」

 ニッコリと笑う彼女の言葉には心に刺さる何かがあった。

「……そんなことないと思うよ」

 俺は本心でそう答える。二十四歳で実家暮らし、挙げ句の果てには親の脛を齧るニートの幼馴染。そんな幼馴染がいたら普通関わりたくないはずだ。隠していたいはずだ。それなのに陽子は変わらず俺と接してくれている。見捨てないでくれる。俺はそんな陽子や周りの環境に甘えているだけなのだ。

「俺は安田さんが思っているほど優しくないし、凄くない。俺は俺にできること、したいことを精一杯しているだけなんだよ」

「……そう、なんですか」

 重い空気にさせてしまったと反省し、俺は慌てて口を開く。

「俺なんかより安田さんの幼馴染の方が凄いと思うよ」

「そうですかね」

「安田さんが諦めきれないくらいだから間違いないと思うよ」

 自信なさげだった彼女は俺の言葉を聞いて嬉しそうに頷いた。

 安田さんはベッドから立ち上がる。

「和也さんのおかげでまだ頑張れそうです。今日は相談に乗って頂きありがとうございました」

「俺は何もしてないよ。安田さんが諦めない気持ちを持っていた、それだけのことだよ。陰ながら応援してる。頑張って」

「はい!」

 田村さんは笑顔で帰っていった。そんな彼女の背中を見送ってから願う。

 どうか、安田さんが幸せになりますように、と。

「あの子、本当に陽子ちゃんに似ているわね」

 リビングからひょっこりと出てきた母親はまた余計なことを言っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る