第9話 カラオケ

 歩いているとジムの隣に赤い外観の建物が現れる。

ビッグエコーに着いた俺たちは自動ドアをくぐり中に入る。受付のところに行き、ベルを鳴らすと店員のおばさんが慌ててやって来た。

店員に利用時間を聞かれて田村さんに確認するとフリータイムと答えた。ドリンクバーも頼むらしい。

 店員から部屋番号が書かれたものを受け取る。俺たちの部屋は209だ。

 螺旋階段を上がり、二階にあるドリンクバーで二人分の飲み物を注いでから部屋に向かう。ちなみに飲み物は俺も田村さんもコーラだった。

 209の部屋のドアを開けて電気をつける。黒の長テーブルとL字ソファが置かれている。二人には勿体ない広い部屋だった。

「広いわね」

 田村さんも俺と同じ感想を抱いていたようだ。

 それにしても彼女は密室に二人きりということがわかっているのだろうか。

 まあ、意識していないから俺を誘えたのだろうなと思う。

彼女はマイク二本とリモコンを二つテーブルの上に置く。

「はい」

 田村さんから白のマイクを手渡される。彼女は左手に赤のマイクを持っている。それを受け取り俺はお礼を言う。

「ああ、ありがとう」

 リモコンを操作する田村さんの手つきは慣れている。テレビ画面には採点機能が予約されたことが表示されている。

 採点するのか、歌に自信ないのに嫌だなぁ。

「どっちから歌う?」

「田村さんじゃないのか?」

「……なんか、恥ずかしい」

 顔を赤くする田村さんに俺は苦笑する。まあ、友達でもない奴とカラオケに来て歌を聴かせるのは恥ずかしいよな。

「でも誘ってきたの、田村さんだよな」

「それは、そうだけど」

 それとこれとは話が別だと言いたげだったので俺は溜息を吐く。

「じゃあ、ジャンケンな。それで文句はないだろ?」

 ジャンケンは平等だ。ジャンケンこそ正義だと俺は信じている。だからジャンケンでアイドルのセンターを決めるの復活してくれ。

 俺のジャンケンという提案に田村さんは頷く。

「わかったわ」

 前に手を出す両者。目線を合わせると火花が散る。そして、お互いの掛け声によってバトルが始まる。

「「ジャンケン、ぽん」」

 俺が出したのはチョキ、彼女が出したのはパーだった。

「よし」

 ガッツポーズする俺を田村さんは恨めしげに見る。

「おいおい、平等な勝負で決めたんだからその目はないだろ」

「……別に良いけど」

 全然納得してなさそうに彼女は言った。

 俺は高笑いをして言う。

「さあ、聴かせて貰おうか。君の声を」

「その言い方、なんかキモい」

 溜息を吐いて田村さんは赤のマイクを握る。そして、リモコンで曲を予約する。JUDY AND MARYの『そばかす』だった。

 イントロが流れ、歌い出し。俺は息を呑んだ。なぜなら彼女の声がとても澄んでいて美しい声だったからだ。サビの盛り上がりと言い、音程も合っていて俺は金縛りのようにその場から動けなかった。

「ふぅ、緊張した」

 歌い終えて田村さんがマイクをテーブルに置く。採点結果が出る。九十五点、かなりの高得点だった。それなのに彼女は満足した様子もなく冷静に言う。

「まだまだね。ビブラートが足りていないし、抑揚ももっとつけないと伝わらない」

 止まったままだった俺を訝る田村さんは口を開く。

「感想は?」

「え、感想。そうだな、歌手になれるなと思った。マジで」

 田村さんは溜息を吐く。

「お世辞は良いわよ。こんなので歌手になれる訳がない」

「そうか?」

 彼女はコクリと頷く。

 歌手という狭き門は圧倒的な存在以外は門前払いという訳か。

「俺には凄く刺さったのは本当だよ」

 電流を流されたと表現しても良いかもしれない。それくらいの刺激を彼女の歌声から受けたのだ。本人は納得していないようだけど。

「そ、そう」

 少しだけ頬を朱色に染めた田村さん。

 そんな彼女を確認してからテーブル上のコップに手を伸ばして俺はコーラを飲む。舌の上でパチパチと炭酸が弾ける。

「特技があるのは良いことだよな」

 特技のない俺としては羨ましい限りだ。就活の面接で聞かれた時はどうしていただろうか。もう昔のことで覚えていない。

「じゃあ次はアンタの番」

 リモコンを渡されて俺は首を横に振る。

「歌わないのはなしよ」

「こっちのリモコンでやるから良いよ」

 この部屋にリモコンは二台ある。

 もう一台のリモコンを操作して俺は曲を予約する。TM NETWORKの『Get Wild』だ。

 イントロが流れる。深呼吸をしてから歌い始める。音程はまあまあ外す。

 採点結果は八十点。俺にしては悪くはない。

 俺はチラと彼女の様子を確認する。

「思ったよりは上手だった」

 田村さんにパチパチと拍手しながらそう言われる。

「そんなに下手だと思われていたのは心外だな」

「正直、もっと音痴だと思ってた」

「音痴ならカラオケには付き合わないな」

ハッキリと言う彼女に俺は苦笑する。年上相手に思ったことを言えるのは凄いことだと感心する。

「……先生とは来ないの?」

 唐突な質問に俺は驚くがすぐに俺は苦笑を漏らす。

「陽子とは来たことがないな」

 あの頃は勉強ばかりしていたから陽子とも遊ぶことは少なかった。陽子を含むメンバーが誘ってくれていたのにほとんど断っていたのを思い出す。

 あの時、陽子たちと遊んでいたら楽しかったのだろうなと今更ながらに後悔する。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。ほら、田村さんの番だぞ」

「私もこっちのリモコンでやるから必要ないわよ」

 俺がリモコンを押しつけようとして、さっきと同じようなやり取りをする。

 それから俺たちは歌を歌い続けた。


 午後六時、カラオケ屋を出ると空は紺色になっている。そして、入り口前になぜか仁王立ちで陽子が待っていた。

 陽子は俺たちの顔を見てから溜息を吐いて歩き出す。俺はその隣に駆け足で追いつく。

 街灯が光る並木道を陽子と並んで歩きながら俺は質問する。

「よく俺らの居場所がわかったな?」

「カラオケの店員さんがわざわざ学校に連絡をくれたのよ。敬葉高校の生徒さんが来店しましたけどって」

 なるほど、あのおばさんか。

「余計なお世話だな」

 正直な気持ちを言うとキッと俺を睨む陽子。真面目な彼女には冗談が通じない。まあ、余計なお世話だと思ったのは事実だけど。

「善意で電話してくれたのにそんな言い方ないでしょ。大体、なんで私の生徒と幼馴染がカラオケに行ってるのよ!」

 なんでと聞かれたら田村さんに誘われたからだが彼女の方を見ると首をフルフルと振っている。どうやら言わないでくれとジェスチャーで頼んでいるようだ。

 俺は溜息を吐いてから口を開く。

「俺が誘ったんだよ」

「え?」

 陽子は目を丸くする。その目にはなんでと疑問が溢れていた。その疑問を解消するために嘘を吐く。

「誰かとカラオケに行きたい気分だったからたまたま会った彼女を誘った。それだけだ」

 こんな嘘が社会人の時にも口から出てきてくれていたら良かったのに。ふと、そんなことを思った。

「……何もしてないわよね」

 この教師は急に何を言い出すんだ。俺にはそんな度胸はないし、リスクを考えられないほど頭は腐っていない。

「歌を歌っただけだよ。信じられないか?」

 これで信じられないと言われたら幼馴染を解消するしかないか。

「信じるけど……」

 どうやら信じてくれるそうだが納得はしていない様子。

「悪かったな、迷惑をかけて。大変だったんだろう、対応とか」

 カラオケのおばさんから小言を言われて謝罪をする。そんな対応を言わないだけでやっていてくれていたのだろう。それを言わないところが陽子の優しさだと勝手に考える。

「別に、そういうのは慣れているから良いのよ。ただ、生徒が心配なだけよ」

 陽子は俺たちの後ろをついてくる田村さんに視線を移す。

「相手が私の知り合いの和也だったから良い。でも、他の人だったらトラブルに発展していたかもしれない。田村さんのご両親だって心配する。そういうことも考えるのが私の仕事なの」

 真剣に話す陽子の目は潤んでいた。本気で田村さんのことを心配していたのだろう。今日の授業に集中もできなかったのだろうなと想像する。

「ごめんなさい」

 田村さんは陽子と俺の顔を交互に見て謝った。陽子には学校に登校しなかった反省、俺には嘘を吐かせた反省と言ったところだろうか。

「明日からは学校にちゃんと来るのよ」

 陽子の注意に田村さんはコクリと頷いた。

「じゃあ、今日はもう寄り道しないで家に帰りなさい」

「はい」

 返事をした田村さんはパタパタと走っていく。暗闇に消えていく彼女を見て陽子は呟く。

「本当、世話のかかる子だわ」

 陽子は安堵の表情を見せる。それを見て教師というのは育ての親みたいなものなのかもしれないと思った。

 俺たちは並木道を歩き続ける。

「ねえ、本当はなんで田村さんを誘ったの?」

「さっきも言っただろ。たまたま会ったからって」

「他に理由があったんじゃないの?」

 頼まれたこと以外に理由などないので俺は首を横に振って答える。

「何もないよ」

 急に立ち止まる陽子を俺は振り返る。

「どうした?」

 下を向いてから顔を上げ、俺の顔を見つめる陽子は口を開く。

「……私の生徒と和也が関わるのは良くないと思う」

「え?」

「和也だって私の生徒と関わるよりやることがあると思うし、……正直迷惑なの」

 迷惑。その冷たい響きを幼馴染から聞いて俺は唇を浅く噛む。

「そっか、迷惑か」

「私が原因なのはわかってる。でも、それを言い訳に和也が行動しないならこれ以上はやめて欲しい。……そんなのは余計なお世話」

「余計なお世話か……」

 いつから俺は正義のヒーローにでもなったつもりだったのだろうか。女子高生と関わって浮かれていたのは紛れもない事実だ。

 社会人にもなれていない滑稽な自己満足ヒーローが一人、ここにいるだけ。

 横断歩道の分かれ道、真っ直ぐ行って右に曲がれば俺の家があるが敬葉高校はそのままさらに真っ直ぐ行ったところにある。

「……私、学校に戻るからここで」

「ああ、わかった。じゃあな」

 軽く手を上げて俺たちは別れる。

 幼馴染に現実を突きつけられて俺は乾いた笑いを漏らした。

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