第6話 梅雨
部屋の中にいるとシトシトと降る雨音が聞こえてくる。
大人が平日の昼間に部屋にいるのは在宅ワーク以外おかしいがそこは放っておいて欲しい。
六月になり、梅雨に入ると俺は外出をしなくなった。
俺は梅雨が嫌いだ。癖毛がボワボワと広がるし、傘を差し続けなければいけない。だから梅雨は基本、家にいる。
唯一、好きなのは雨音を聞きながらする読書くらいだ。晴れている日より雨が降っている時の方が読書に集中できる気がするのだ。
先日、女子高生たちのテストが無事終わったことをLINEで聞かされた俺は家庭教師から解放された。それにしても、まさか女子高生とLINEを交換することになるとは思いもしなかった。まあ、陽子がいるから信用があるのだろう。俺単体だと絶対に交換されなかったはずだ。
彼女たちはよく頑張ったと思う。俺のような未熟な家庭教師が勉強を見ただけで点数が上がるのだからポテンシャルは秘めていたはずだ。
部屋のドアをノックされる。多分、母親だろう。
「どうぞー」
ガチャリと扉が開いて半身で現れた母親が開口一番に言う。
「和也、買い物に行ってきてくれる?」
面倒だなと思い、黙っているとドンドンとドアを叩かれる。
「運動不足なんだから買い物に行ってきなさい」
お願いから指示になった。
仕方ない。ニートにとって買い物は仕事。雨の中、買い物に行くことは嫌だがお釣りを貰えると思えばそれが薄まる。
「わかった。行くよ」
「よろしくね」
母親からメモと金を受け取り、俺は外に出る。分厚い雲が街中を覆っている。
傘を差し、商業施設までの道のりを歩く。傘に雨が当たる音がどこか心地良く感じる。
信号機の赤がいつもより赤く見え、それが緑に変わると横断歩道を俺はまた歩き始める。
そう言えば、仕事を辞めた日も灰色の分厚い雲が広がって雨が降っていたなと思い出す。
あれから俺はほとんど働いていない。そう考えるとなんで今の自分が生きているのか不思議に思う。
商業施設に着くとまず俺は書店に立ち寄り、奥にあるライトノベルコーナーを見る。
ラブコメ、バトルなどのジャンルのライトノベルが平積みされている。その中から俺は一冊を手にする。
ガガガ文庫から出版されている『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
俺の一番好きなライトノベルだ。住んでいる街が舞台に近いこともあり、お気に入りになった。既に家の本棚には全巻揃っているので買いはしないがカバーなどが変わっていたら迷わず買っているだろう。
本書の主人公は恋愛の仕方が間違っているが俺の場合は生き方自体が間違っている気がする。
そんなことを考えてから本を元の場所に丁寧に置き、俺は書店を出た。
書店を出た俺は反対側の食品エリアの方に歩いて行く。
途中には雑貨コーナーが広く設けられている。
そして、食品エリアに足を踏み入れる。
カートにカゴをセットして押しながら食品エリアを回る。食品エリアは他のエリアと比べて冷房が効いている。食品の品質を保つには大切なことだ。
俺はメモを見ながら必要な食品をカゴに入れていく。ついでにメモに書かれていない缶ビールなども入れた。
食品レジの列に並び順番が来ると「あ、和也さん」と声を掛けられる。
店員のつけている名札をよく見ると研修中と書かれた横に『中村』と印字されていた。
どうやら、中村さんはこのスーパーでアルバイトをしているらしい。彼女はすぐにカゴの中の商品を捌いていく。新人だが手際が良い。器用なのだろう。
一応、アルコールの本人確認もされる。身分証として国民健康保険証も提示した。
俺は若く見られるらしくパートのおばちゃんにも提示してと言われる。
「ありがとうございます」
保険証を提示しただけでお礼を言われる。
中村さんは全ての商品をレジに通し、合計金額を読み上げる。
酒税が高いよなと勝手に思う。
「ポイントカードはお持ちですか?」
財布を確認するがポイントカードはなかった。
「持ってないや」
「かしこまりました」
中村さんはニッコリと笑い、そう言った。
俺は現金を出すのが面倒だったのでスマホで支払う。キャッシュレス決済というやつだ。
彼女はその操作も問題なく熟す。優秀だ。
「ありがとう」
会計が終わり、お礼を言ってから俺はカゴをカートに戻しその場を去る。後ろに客がいたこともあり余計なことを話すのは控えた。
サッカー台でレジ袋に商品を詰める。それを終えてから俺はチラリと中村さんを見る。彼女は笑顔で接客を頑張っていた。
建物の外に出ると雨足が強まっていた。俺はビニール袋を手にさげながらまた傘を差す。
帰路につこうとすると商業施設の敷地内の広場のベンチに長い黒髪で制服を着た女子高生が座っていた。それも土砂降りの雨の中、傘を差さずに。
俺は溜息を吐いてから彼女の元に駆け寄る。そして、彼女に傘を差す。
「大丈夫か?」
項垂れていた彼女は俺の顔を見上げる。雨で綺麗な長い黒髪が、瞳は涙で濡れていた。
「すみません。でも、大丈夫です」
当然だが彼女は男の俺をとても警戒していた。そして、大丈夫には見えなかった。大丈夫に見えていたら俺は声を掛けていないはずだ。
制服は田村さんや中村さんと同じ敬葉高校のものだった。それを確認した俺は幼馴染の名前を利用することに決める。もう手遅れかもしれないが彼女に風邪を引かせないためなので仕方ない。
「その制服、敬葉高校のだよな。山口陽子っていう先生がいると思うんだけど、俺の幼馴染の」
だからなんだと言われたらそれまで。これ以上、俺にできることはない。しかし、これで少しでも警戒心を解いてくれるなら介入の余地はある。
「山口先生の幼馴染……」
ポツリと零した言葉に俺はコクリと頷く。
「風邪引いたらいけないから声を掛けさせてもらった。何かあったのか?」
ナンパのセリフのように聞こえるがナンパをするつもりは毛頭ない。ただ、俺がしたいようにしているだけ。ただの自己満足だ。
彼女は長い黒髪を耳に掛けて口を開く。
「……幼馴染に振られたんです」
おいおい、滅茶苦茶重い話が来たぞ。想定していなかった話題が来たので俺は動揺する。
「それは辛いな」
とりあえず共感する。女子には共感が一番だと自己啓発本で書いてあった。メンタリスト様もそう言っていたので間違いはないはずだ。
「はい。幼稚園の時から一緒で、昔から私は彼のことが好きでした。でも、彼はそうではなかったみたいです」
目に涙を浮かべて寂しそうに話す彼女を見て俺は目を細める。
彼女はこの経験を通して強い人間になるのだろう。俺も学生時代にこんな経験をしていれば強い人間になれたのだろうか。そして、違う未来が待っていたのだろうか。たらればを言ってしまえばキリがないが彼女を見て他人事には思えなかった。
「俺の家、近いからシャワーだけでも浴びた方が良い」
リスクと身勝手な親切心を天秤に掛けて身勝手な親切心が勝つ。邪な気持ちなんてない。ただの自己満足。いや、これで見過ごして彼女が風邪を引いた時の罪悪感に耐えられないだけだ。それくらい俺は弱い人間なのだ。
「良いんですか?」
遠慮しがちに聞く彼女に俺は頷く。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
丁寧に頭を下げてから彼女はゆっくりと立ち上がる。そして、傘に一緒に入り俺の家に向かった。
家に帰ると俺は食品を手渡してから事情を母親に言ってシャワーを使わせてもらう。
「それじゃあ、着替えとかは置いておくから」
「ありがとうございます」
お礼を聞いて俺は風呂場からさっさと出ていく。これ以上、ここに留まったら逮捕されるからだ。
リビングには母親が椅子に座っていた。テレビからはニュースが流れている。
「最近アンタには女の子の知り合いが増えたわね。モテ期かしら」
「違うわ」
母親にツッコんでから少し悲しくなった。モテ期なんてニートの俺に来るわけがない。ニートじゃなくても来なかったのだから。
「そう。まあ、人と話すのは良いことね」
会話くらいはできると反論したかったがそれができなかったから社会のレールから外れたのかと思う。
俺は自室に戻り、読書をする。少ししてから部屋のドアが控えめに叩かれる。
「どうぞ」
俺の上下灰色のスウェットを着た彼女が現れ、部屋の中に入る。ズボンは紐で絞れているが上着のサイズはぶかぶかだ。濡れていた髪の毛は乾かされ、艶やかな黒髪が肩まで流れている。美人がそこにはいた。
「ちゃんと洗濯して返しますので」
「ああ、気にしないで。座ったら」
緊張して立っている彼女に俺が促すとキョロキョロと部屋を見回してからベッドに沈むように座った。
あー、他に座るところなかったから仕方ないか。事故だ、事故。
まだ自己紹介すらしていないことに気づく。俺はキャスター付きの椅子で彼女と少し距離をとってから口を開く。
「俺は小島和也。君の名前、教えてくれる?」
「あ、すみません。
ギクリ。
平日の夕方、家にいる俺は異質だ。今日は休みだと言っても仕事を答えるのを逃れることはできない。年齢を誤魔化そうとしても陽子の年齢を考えればすぐバレてしまう。
それなら……。
「あー、……webライターです」
俺は嘘を吐いた。きっと、安田さんとの関わりはこれで終わりだろう。そんな相手にニートですなんて正直なことを言ったらドン引きされてしまう。それに、このまま彼女の中で俺はヒーローでいたいのだ。ヒーローのまま終わりたいのだ。
「だからノートパソコンだけが机に置かれているんですね。在宅での仕事って憧れます」
興奮した様子で手を叩く安田さんに苦笑する。
「そう、あはは」
全然、笑えなかった。嘘を吐いたことの罪悪感が俺の身体を蝕んでいく。しかし、今から謝る勇気もない。今はこのまま貫き通すしかない。
俺は話題を逸らすことにする。
「や、安田さんはなんで幼馴染が好きだったの?」
話題を逸らすためとは言え、個人的なことを聞いてしまったと口にしてから後悔する。
安田さんは指を組んでから口を開く。
「……優しくて、カッコいいから」
安田さんの顔は茹蛸のように真っ赤だった。俺まで照れてしまうほどのシンプルで最強の言葉を聞いてしまった。
「……そうか、それは惚れるわな」
コクリと頷く安田さんは恋する乙女だった。ただ、客観的に考えるとなんでこの子はほとんど知りもしない男と恋愛話をしているのだろうかとおかしく思えた。
これ以上、深入りしても仕方がない。それに安田さんの気持ちを考えるとさっさと帰りたいだろうし、湯上がりからは落ち着いたことだろう。
「それじゃあ、行くか」
「はい」
ベッドから立ち上がり制服を入れた鞄を持った安田さんと俺は部屋を出る。階段を下りて玄関に向かう。
「あら、もう帰るの?」
呑気な母親が声を掛けてくる。もうって、これ以上いたら色々とマズいだろ。
「ご迷惑をかけました」
安田さんがペコリと頭を下げると母親は手をブンブン横に振る。
「全然よ。和也の話し相手になってくれてありがとう」
笑顔の安田さんはきっと勘違いをしている。俺は働きもせず普段から引きこもっているから話し相手がいないのだ。まあ、面倒なので勘違いをしたままお帰り頂こう。
安田さんが玄関で靴を履き、俺はビニール傘を貸す。返されなくても構わない。あまり服を買わないのでスウェットの方は返して欲しいが。
「送ろうか?」
「いえ、平気です」
「そうか」
もう一度、この雨の中を歩くのは正直ごめんだったので助かったと内心思った。
「スウェットと傘は後日お返しします」
金欠な俺としてはこちらも助かった。
「わかった。気をつけて帰って」
「本当にありがとうございました」
何度目かのお礼を言われ、安田さんは家を出て行った。その背中を見送ってから俺は部屋に戻ろうとする。
「可愛い子だったわね。昔の陽子ちゃん、そっくり」
ボソリと母親が言ったのを俺は無視して階段を上がった。
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