第4話 居酒屋
土曜日の午後七時、俺は幼馴染の陽子に呼び出され駅前の居酒屋に来ていた。
俺は彼女との待ち合わせの時間に五分遅れた。怒られながら階段を上っていく。
気が利く陽子は予約を取っていたらしく2名で予約した山口ですと伝えたらすぐに通された。並んでいる人がいた訳ではないがどこか優越感を感じてしまう。
テーブル席に対面で座る。手始めに俺はビール、陽子はレモンサワーを頼む。枝豆や焼き鳥のおつまみも頼んだ。
ジョッキに入ったお酒と枝豆がすぐにやって来る。スピードメニューとこの店では呼ばれているらしい。
俺はビール片手に口を開く。
「とりあえず、乾杯」
「うん、乾杯」
ジョッキが当たり、控えめなカチャンという音が鳴る。それを合図に俺と陽子は酒を飲む。ゴクゴクと喉越しが良いビールが沁みる。働いてもいないのに美味いのだから働いている陽子はもっと美味しいことだろう。笑顔でレモンサワーを飲んでいる。
サワーを飲む女の子が魅力的に見えるのは俺だけだろうか。俺だけか、俺だけだな。
「あー、美味しい」
「良い飲みっぷりだな」
「まあね。ストレス溜まってるし」
教師の仕事が大変じゃない訳がない。生徒との関わり、保護者との関わり、近隣住民への関わり、どれをとっても想像しただけで嫌になる。
俺は学生時代、教師になろうなんて考えたこともなかった。
「大変だな」
「他人事なんだから。まあ、変に共感されるよりは良いけど」
陽子は退屈そうに言って枝豆を摘む。
「そう言えば、あの子達来た?」
あの子達というのはきっと田村さんと中村さんのことだろう。
俺の家の住所という個人情報を彼女たちに伝えた犯人が目の前にいる。
「来たよ。陽子が薦めたんだろ」
「そうだよ」
悪びれることなく陽子はサラリと答えた。そして、レモンサワーを半分まで飲んだ。ペース早すぎだろ。
「そうだよって結構困ったぞ。女子高生の相手なんて」
「ふーん、女子高生だからドキドキしちゃったの?」
グラスに口をつけながらジト目で陽子が聞くので俺は首を横に振る。
「違うよ。勉強なんて人に教えるのは久しぶりだったからだ。ドキドキなんてしてない」
「鼻の下を伸ばしたりは?」
「……」
自分の顔があの時、どうなっていたかなど確認していなかったので無言になってしまう。その反応を肯定と取られたのか陽子はテーブルの下で俺の足を蹴ってきた。
「痛い。暴力反対」
「自分の生徒を変質者から守るための正当防衛よ」
「俺が生徒だったら正義感とキックが強い教師は嫌だな」
「パンチなら良いのかしら」
俺は頬杖をついて溜息を吐く。
「たくましくなりやがって」
昔の陽子は身体的にも精神的にも強くはなかった。そんな彼女は沢山の挑戦や経験を通してちゃんと大人になったのだろう。
成長した幼馴染を見ていると自分がとても情けなく感じる。
「弱い私の方が好きだった?」
唐突に聞かれて俺は一瞬戸惑う。でも、すぐに俺は笑って首を横に振る。
「今の方が断然良い」
ハッキリと俺はそう言った。
「そうハッキリと言われると照れるな」
早くも酔いが回っているのか頬を朱色に染めて陽子が照れ臭そうに言う。
「陽子が聞いたんだろ」
「それはそうだけど、昔ならそんなしっかりと答えなかったじゃん。……いつも適当に誤魔化していた」
学生時代、放課後の俺たち以外誰もいない教室が想起される。窓の隙間から入る緩やかな風でカーテンが揺れている光景が目に浮かぶ。
「……悪かった、と思っている」
「和也が謝るようなことではないよ。……あれはただの私の勘違いだから」
勘違い。その言葉で済ませてしまったのは俺の責任だ。
昔のことだからと終わらせられることは美しい。それは大人のやり方で正しい人間関係の修復方法だと思う。けれど、餓鬼の俺は今になっても俺たちの過去にケリをつけられていない。
店員が焼き鳥を持ってくる。それを受け取り、俺は口を開く。
「焼き鳥、美味そうだな」
「……そうだね。よし、食べよう!」
空元気を出すほろ酔い状態の陽子に俺は頷き、ねぎまを摘む。炭火の香り、鶏肉のジューシーさとネギのシャキッとした食感がとても合い美味しい。ビールともよく合う。
「美味いな」
「美味いね」
昔、クッキーを分け合ったかのように俺たちは言い合う。
そして、取り繕った会話ができるような話題を必死に探してそれを声に出す。そのラリーが続いて笑いが起きる。
あんなことあったねと彼女が懐かしそうに言って、あったっけと俺は惚けて見せる。そんな変わらないものが今も続いていると証明するようにまた話題を絞り出す。
話題を出すたびに思うのは後悔ばかりしているということ。
アルコールが飲める年齢で本当に良かったと思う。過去の後悔を一瞬だけ忘れさせてくれるから。
お互いにしっかりと酔いが回って俺たちは居酒屋を出た。
会計は赤い顔をした陽子が全額支払った。元々、奢りだと聞いていたので俺としては助かったが男としては失格だ。こんな男とは付き合わない方が良い。
午後九時、夜風に当たりながら俺たちは帰路につく。
街灯に照らされた道を千鳥足の陽子を支えて二人三脚のように歩く。
「和也は優しいねぇ」
普段は見せないヘラヘラ顔でそんなことを言われる。
「酔っ払いの言葉は信用できないな」
俺の言葉に陽子は朱色に染まった頬を膨らませる。
「誰が酔っ払いだぁ」
「お前だよ」
俺の頬をつつく陽子に即座にツッコむと彼女はケラケラと笑う。陽子は笑い上戸だった。
信号に捕まる。夜でも信号は守らないといけない。
「私の生徒は可愛かった?」
いくら真面目に働いているとは言っても酒を飲んだ後のウザ絡みは勘弁して欲しい。彼女には酒に呑まれないことを学んで欲しいと思った。
「無視ですかぁ?」
「可愛かったぞ」
酔っ払いの相手は面倒なので適当に頷いておく。
「そっか」
「ああ」
「……じゃあ、私は?」
「は?」
「私は可愛い?」
この酔っ払いは本当に何を聞いているんだ。異性の幼馴染にする質問ではない。
幼馴染に対しての可愛いは何かを俺はまだ知らない。だから大学院まで行って沢山の文献を読み漁って学ばないと答えは出せない。
「答えてくれないの?」
首を傾げて上目遣いで聞く陽子に俺は戸惑う。
可愛いと言えば良い。ただの酔っ払い相手に可愛いと言えない理由がないだろ。
しかし、俺の口は動かない。
「……意気地なし」
そのまま俺が黙っていると陽子はポツリと言った。
俺は臆病者だからそう言われても仕方ない。意気地があったら俺はきっとニートなんかしていないはずだ。
「でも、好きだよ」
聞いてはいけない言葉を耳にしてしまった。だから、すぐに俺は脳内で言葉を変換する。陽子が言った好きは幼馴染として好きだということだ。異性として見なくて楽で酒を一緒に飲んで愚痴を聞いてくれる存在だから好き。そう、考える。
「ありがとう」
俺は飯を奢ってもらったお礼も兼ねてシンプルな礼を言う。ただの自己満足だから届いていなくても構わない。
どうやら聞こえていたようで目を瞑っている陽子は口を開く。
「どういたしましてぇ」
幸せそうな顔をした幼馴染が可愛くないわけがなかった。
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