第3話 勉強

 人はなぜ働くのか。そんなことを考えていると一日があっという間に終わるのがニートという生き物だ。ニートは哲学者と言っても過言ではない。無職論ならニーチェにも負けないと思う。

 とりあえず一章として人はなぜ生まれながらにして平等ではないのかということについて考えていこうとしたらインターホンが鳴った。

 母親は夕飯の買い出しに出かけているので俺が出るしかない。とても面倒だ。

 無視しようとしたがしつこくインタホーンを鳴らされる。とてもうるさい。

 流石に無視できないと思ったので俺は自室から出て、階段を下りる。

「まったく、誰だよ」

 独り言を呟いて鍵を開ける。

 ドアを開けるとそこには二人組の女子がいた。制服姿だ。金髪と茶髪だ。私立とは言え、校則は本当に大丈夫なのかよと思いながら俺は口を開く。

「なんの用だ?」

 俺が不機嫌そうに聞くと礼儀がちゃんとしている中村さんが答える。

「和也さんに勉強を見て頂こうと思って。私たち、これからテストなので」

「勉強?」

「はい。山口先生から和也さんが勉強得意だと聞いたので」

 それで生徒に俺の個人情報をバラしたのか。相変わらず、あの幼馴染は狂ってやがる。と言うか、勉強教えるのはあいつの仕事だよな? 仕事放棄するなよ。給料を貰えるなら教えてやらないでもない。

「教えて頂けますか?」

 伏し目からの上目遣いで中村さんが見てくるので俺は目を逸す。なぜ彼女の目はこんなにもキラキラと輝いているのだろうか。目に銀河でも飼っているのだろうか。

「いや、その」

「教えてくれるに決まってるでしょ。ニートで暇なんだから」

 礼儀がちゃんとしていない田村さんに俺は口角を無理やり上げてできる限りの笑みを作ってから答える。

「ニートでも忙しい時があるんだよ。他人の気持ちを理解できない君にはわからないかもしれないけど」

 田村さんは目を逸らして鼻を鳴らす。

「ニートはさっさとハローワークにでも行けば」

 吐き捨てるように彼女は言った。

 ハローワーク。国が運営する雇用に関する相談などができる場所だ。ここで求人を探して面接の指導などを受けられる。

 俺は苦笑する。

「ハローワークなんてとっくに行ってるよ」

 受付でカードを作って、パソコンを適当に弄って終わった記憶がある。そしてすぐに行かなくなった。

「やれることは結構やってるんだよ、俺は」

「なんでそんなに自信満々なのよ。おかしいんじゃないの?」

「ちょっと、美月」

 田村さんを止める中村さんに俺は苦笑する。

「おかしい、か。そうだな、おかしいよな」

自分がおかしいことなんてとっくに知っている。自分を責めた時も当然あった。でも、自分を責めても解決なんてしなかった。誰も助けてはくれなかった。だから俺は自分を受け入れて生きることを決めた。それを他人が否定することはできやしない。それがわかっている俺は笑っていられる。

「田村さんが言っていることは正しいよ。そして正しいから人を傷つけることもある。だから、そのことを考えて正しさをぶつけないといけない」

 正しさが全てなら簡単で良かった。でも、現実で正しさは絶対ではない。正しくないことも往々にしてある。それを受け入れないと彼女たちがこれから羽ばたいていく社会は生きていけない。それを知っている俺は嫌でも口にしなければいけない。

「ニートで説教なんてしたくないんだけどさ、これは無駄に歳を重ねた奴からの助言だと思ってくれたら嬉しい」

 そして、彼女たちが社会で決して間違わないようになってくれれば最高だ。

「……わかったわよ。気をつけるわ」

 俺の想いが伝わったのか、それとも面倒と思われたのかはわからないが田村さんがそんなことを言う。きっと、さっさと俺の圧から逃げたかっただけだろう。

 年下に助言なんて何年か前の俺が見たら馬鹿にするだろうなと思いながら俺は笑った。

「勉強を見れば良いんだろ?」

「そうよ」

 偉そうに田村さんは言った。そんな彼女を見て俺は苦笑して言う。

「俺は厳しいから覚悟しろよ」

「ニートが偉そうに」

「今からは先生だ」

 俺がそう言うと田村さんはニヤリと笑う。

「ニート先生」

「ニート先生って言うな」

 俺と田村さんを見てふふふと中村さんが笑う。

「それでは、お邪魔しますね。和也さん」

 代表して中村さんが言って俺の家に女子高生がやって来た。

 こう言うと語弊がありそうなので、女子高生が勉強を教えにもらいに俺の家にあがった。


「本当に和也さん、頭が良いんですね。とてもわかりやすかったです」

 一階のリビングで一通りのテスト勉強を見てから中村さんが感心したように言った。

 ニートは意外と賢い人が多いと俺は勝手に思っている。その中には俺も当然含まれている。

「まあ、陽子とは同じ高校だったからな」

 俺と陽子は千葉県内の同じ進学校に通っていた。自慢ではないが成績は陽子より俺の方が良かった。まあ、俺の場合、友達がいなかったから勉強時間を多く取れたのだ。

 中村さんが微笑んで口を開く。

「山口先生のこと、陽子って言うんですね」

 女の子が食いつく方はそっちかと頭を手で押さえる。子供の時から男がくだらないことをやっていた間に女は既に恋愛を学んでいるのだから仕方ないか。

「まあ、幼馴染だからな」

 切っても切れない関係が幼馴染だ。

 切ろうとしても俺のように戻ってきちまったら関わらないのは難しい。

「幼馴染って良いですね。美月もそう思わない?」

「思わない」

 中村さんが隣に聞くが田村さんはキッパリと言う。

「幼馴染がこんな人だったら恥じゃん。そんなの私は耐えられない」

「ちょっと、美月」

 久しぶりにこの感覚を味わったような気がする。俺の中には怒りなんてものはなく、清々しさしかない。

 田村さんみたいにハッキリ物事を言ってくれる人が社会に多ければわかりやすく疲れないで済むのにな。

「陽子に申し訳ないな」

 今の俺に言えることはこれしかない。

 こんな幼馴染でごめん、情けなくて弱くてごめん。今のところ謝罪の言葉しか出ない。謝罪しないで行動しろと言われるかもしれないが行動すらできない自分でごめんとずっと謝り続けることしか今の俺にはできない。

 タイムマシンがあったら俺は変われるのだろうか。そんな妄想もしたことがあった。結論は多分、変われないだった。そんな簡単に変えられるなら今の自分を変えられているはずだからと真っ当な理由が思い浮かんだのだ。

「君たちには夢があるか?」

 俺は唐突にそんなことを女子高生二人に聞いていた。

 言っておいてなんだが道徳の授業でもするのかと心の中で自分を自分で嘲笑った。

 ロン毛の先生にでもなったつもりか。腐ったみかんがどうのと言うつもりか。

 腐っているのは俺だ。周りの彼女たちまで腐らせるわけにはいかない。

「……まあ」

「あります」

 そんな前向きな言葉を聞いて俺は頷く。

 夢があることは素晴らしいことだ。明日への活力があることは尊いことだ。それを誰も馬鹿にできないし、馬鹿にする権利はない。

 俺は机に頬杖をついてから溜息を吐いてから口を開く。

「俺にはなかったんだよな、夢」

 二人は身構えるが大した話ではない。ただ、一人の男の情けない話だ。

「親に期待されて友達を作らず、いや作れずか、勉強ばかりして良い高校に入って、良い大学に合格した。良い大学に入れば良い企業に入ることは造作もなかった。良い企業に入ってそれなりの生活ができると勘違いしていた。でも、違った。働くことは勉強ができるより凄いことだった。……俺にはそれができなかった。勉強が全てだと思っていたからだ。それに気づいた時にはもう、ほとんどが決まっていた」

 女子高生に話す話題ではないのかもしれない。でも、俺は彼女たちに伝えたかった。不思議な縁で結ばれた彼女たちに自分のしくじり話を聞かせたかったのだ。きっと、自己満足だと思う。きっと、伝わらない。そんなことは知っている。知っているのに話しているのはそんなことをしている暇が今の俺にはあるからだ。ただ、それだけのことなのだ。

「まあ、これが俺のニートになった大方の理由だ。くだらないだろ?」

 嘲笑ってくれれば良いなと思っていたがそんなことはなかった。

「……くだらなくなんかないわよ」

 田村さんが唇をワナワナさせて言う。

 そして、机をバン!と叩いて立ち上がる。

「それはアンタが、小島が頑張ってわかったことでしょ。それをそんな簡単にヘラヘラしてまとめんな!」

「……田村さん」

 年下にこんなこと言われたら終わっているなと内心、俺は俺を笑う。

 いや、年下だからと思っている時点で俺は終わっている。

 いつからかそんな自分の作り出した物差しで誰かを見るようになっていたのかと俺は俺に失望する。

 彼女たちは俺より立派な大人だ。

 勉強を見てやるなんて大層なことを思ったがどうやら俺も彼女たちから学ばないといけないようだ。社会に復帰するためには本気で学ばないと俺は本当に死んでしまう。

 死んでも良いかと前は思った。死のうと思っていたし、死のうとした。

 でも、死ぬのは怖かったし、死にたくないと思った。

 死ぬ前にやりたいことがちゃんとあった。

 だから俺は生きて彼女たちに出会えた。

 生きるのを諦めなくて良かった。死ななくて良かった。

 大袈裟かもしれないけど、そう思った。

「ありがとうな、二人共。これからもよろしく頼む」

「ふん!」

「よろしくお願いします」

 対照的な二人の態度を見て俺はクスリと笑った。


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