第5話 厭恋の唄

 昼間っから酒をあおって、天に召されかけていたかもしれない。

 だって、こどものころの記憶が、走馬灯みたいに蘇ったから。


(……理由も言わずに、いきなり別れるとか、ないだろ)


 いっそのこと、そんな女はごめんだって、切り捨てられたらいいのに。

 でも俺の想い出のなかの美波みなみは、どこまでも、きれいだった。


「……帰ろ」


 ばかみたいに飲んだくれてたら、おばぁを心配させてしまう。

 空になった酒瓶のくびをつかみ、よろよろと立ち上がった。

 酔いを冷ましたくて、あてもなく、海岸を歩く。


 ざ、ざぁー……


 雷雨が通りすぎて数日しかたっていないからか、砂浜には流木とか、プラスチックの破片とかでいっぱいで。

 深く考えるまでもなく、目についた漂流物を拾って、コンビニのレジ袋に放り込んでいた。

「ぎゃははは!」と下品な笑い声が聞こえてきたのは、そんなときだ。


 若い男が3人。見ない顔だ、観光客か。

 砂浜に飲みかけの缶ビールが倒れたり、食べかすがちらばるのもおかまいなしに、油でギトギトなバーベキューコンロを囲んでさわいでいる。


「……おい、お前ら」


 短気なほうではないつもりだが、これは秒でアウトだ。こめかみに青筋が浮かぶ。


「それ以上散らかしてみろ。わかっとるな?」


 なにがとは、言わなくてもいいだろう。


「ひぇっ……」


 3人が3人とも、血相をかえてすくみ上がったからだ。

 過剰なくらいビクついているのは、俺が生まれつきの仏頂面で、おあつらえむきに酒瓶を担いでいたことが理由だろうな。


「こっわ……あそこまでキレなくてもよくね?」


 背を向けてから、そんな言葉が聞こえたが、堪えた。

 口を開いたら、今度こそあいつらを殴り飛ばしてしまう気がしたから。

 そんなことをしたら、美波が悲しむだろうと思ったから。


 ──怖い顔してるから誤解されるけど、やさしいんよねぇ、アラシは。


 なぁ、美波。

 まぶたの裏にいるお前が笑ってるから、俺はお前を、嫌いになれないんだ。



  *  *  *



「アーちゃん」


 海岸からどうやって帰ったか、覚えていない。

 うちに帰ると縁側におばぁが座っていて、俺に手まねきをした。


「……どうかしたか?」


 しまった、まだ怖い顔をしていただろうか。

 だけどおばぁは、にっこりと笑顔を浮かべたまま。


「みせたいものがあるさ」


 米寿をむかえ、前よりもっと腰が曲がってしわくちゃになったおばぁにつれられて、座敷の奥の間に向かう。


「ミナちゃんに、怒られるかねぇ」


 からからとわらいながら、おばぁが出してきたのは、見覚えのある三線だった。

 ハッとする。だってあれは、美波の。

 ついで、漢字だらけの紙束をわたされる。


「あの子ね、曲をつくってたみたいでねぇ」


 美波がつくっていた曲。

 その譜面には、お手本のようにととのった字で、こう書かれていた。


厭恋えんれんうた』と。


 恋をいとう、嫌う唄。

 あぁ、そうか。やっと腑に落ちた。

 ……美波は、俺との恋に、本気で疲れてしまったのか。


「アーちゃん、ミナちゃんはなぁ……」

「いいよ、おばぁ。わかったから。……夕飯はいいわ。ごめん」


 なにか言いかけたおばぁを制して、座敷を出る。

 独りに、なりたかった。

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