第4話 三線の音色

 それから、毎年夏休みの時期に、島にあそびに行った。

 豊かな自然に囲まれ、のんびりとした島民たちとすごす日々は、俺のやすらぎになった。

 とくに、美波みなみとあそんでいる時間が、いちばん楽しくて。

 こどもの俺は、その理由が、よくわからなかったけど。


「……ちょっと、アラシ」


 大海原みたいにおおらかな美波だったけど、俺は一度だけ、あいつをブチ切れさせてしまったことがある。

 忘れもしない、12歳の夏。まだ美波よりちょっと身長が低かった、あのころ。


「遊泳禁止の場所に入るとか、なに考えとるの?」


 全身ずぶ濡れでうちに帰ると、美波が仁王立ちで待ちかまえていた。


「……なんでもええやろ」

「よくない。あそこの海岸は流れが速いのよ。あんたみたいなモヤシ、すぐ流されるわ」

「あずきが溺れとった!」

「それであんたまで溺れたら意味ないがね! 死にかけたのわかっとるの!?」


 はじめて聞く、美波の怒号だった。


「ミャア、ミャア……」


 うなだれる俺にだっこされたびしょびしょの三毛猫が、心細そうに鳴く。

 海で溺れた子猫を助けようとして、俺も溺れたんだ。


「こんな怪我して……心配するでしょ」


 岩であっちこっち打った。すりむいたひざにズボンからしたたる塩水がしみて、いまも痛い。


「……うちのあずき、助けてくれて、ありがとね。でもねアラシ、命あっての物種さぁね。死んだらダメよ」

「ミィナねぇね……」

「無事でよかったよ……」


 美波は、そう声をふるわせて、あずきごと俺を抱きしめた。

 ぎゅってされたら、ぽろりと、目から涙がこぼれた。


「ねぇね……っ!」


 怖かった、痛かった、苦しかった。

 えぐえぐと泣きじゃくる俺の背を、美波はずっと、さすってくれていた。



  *  *  *



「おいで、アラシ」


 しばらくして、美波が泣き腫らした俺の手を引いて、家にあがる。

 風呂で俺があったまっているうちに、着替えはおばぁが出してくれていたみたいだ。


 ベン……ベン。


 縁側をはだしで歩いていると、座敷のほうから音が聞こえた。

 三線さんしんだ。美波が三線を弾いている。

 はじめは三味線しゃみせんと違いがわからなかったけど、いまならわかる。

 わかりやすいのは、三味線はバチで、三線は義甲ゆびで弾くってことだ。

 おばぁがよく弾いているから、自然と覚えた。


「……三線弾けたんか」

「最近おばぁに習いはじめたのよ」


 弦を爪弾つまびく手を止めた美波が、俺を見てはにかむ。

 美波のそばに腰をおろすと、座布団の上に丸まっているあずきを見つけた。

 すやすやと、安心しきっている寝顔だった。


 とくに会話をするわけでもなく、静けさに包まれる。

 おもむろに、美波の細い指が三線をはじいた。


 寄せては返す波のように。

 青空を吹き抜ける風のように。

 枝葉をゆらす木々のように。


 それは、すべてをやさしく包み込む、子守唄のような音色だった。

 一音一音がゆったりと奏でられるたび、荒波にもまれたときの恐怖が、うそみたいにほどかれてゆく。


(……きれいだ)


 夕暮れを浴び、三線を弾く美波のすがたに、釘づけになる。

 いつの間にかおとなっぽくなった15歳の彼女を前にして、ムズムズと、落ちつかない気持ちになった瞬間だった。

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