第4話


 エルトレン王国中央に位置する王城の足元には、セントラル地方の交易の幹となる城下街が広がっている。

 いつもなら多くの人で街並みは賑わっているが、この日はあきらかに様子が変わっていた。賑わいの中心となっているのは、王城を見上げる壮麗な景観で知られる王城御前広場である。いつもなら広々としたこの場だが、今日は人だかりでごった返していた。


「はいそこ、通らないで! この紐より内側、入らないで! 入るな!」


 王国付きの警備兵たちが市民たちに大声をあげ、人の流れを整理する。

 人々は涙を浮かべたり、嗚咽を漏らしたりしている。


 この日、広場では《選定の剣》返還の儀が行われていた。

 理由はもちろん――勇者ゼクス・フラメルが死去したためである。


 《選定の剣》はその時代の勇者を選ぶ宝剣である。そして勇者ゼクスが死んだ今、《選定の剣》は王城御前広場にある台座へと返還されなければならなかった。


 《選定の剣》は、台座に収められていないときは超常の魔法力が働く。勇者以外には誰であろうと決して手に取ることができない。なので今回のように非業の死を遂げた勇者があらわれた際は、やむなく亡骸ごと《選定の剣》を運び、広場の台座に剣を戻す――というのが非常時のきまりとなっていた。


 つまるところ今日という日は、市民にとっては平和の象徴であり希望でもある勇者の葬儀にも等しい一日なのだった。


「ったく……だからって見せもんじゃねえんだぞ。こらそこ、通るな!」


 警備兵のソックは悪態をつく。

 個人的には勇者に対してなんの感情ももっていなかったが、最後にまったく厄介な仕事を用意してくれたと苦々しく思う。


 とりわけ問題となっているのは、勇者の死因が「自殺」であるという噂だ。


 情報の出所はわからない。だがいつの間にやら、そんな噂が市民のあいだに広がっているのだ。王政府は混乱を避けるためか明言を避けているが、その真偽は《選定の剣》とともに運ばれてくるであろう勇者の亡骸なきがらを見ればわかるかもしれない。


「見ろ! 勇者さまだ!」

「ああっ……なんてこと……!!」


 市民たちのあいだに悲鳴のような声が広がる。

 そんな声があがった理由は、台座のもとへ運ばれてきた勇者を一目みてわかった。


 兵士に両肩を支えられて運ばれてきた勇者は、《選定の剣》で自らの胸を突いていた。

 剣の柄を両の手で逆手に持ち、深々と剣を心臓に刺している。それは巷に流れていた噂が事実だということを如実に示していた。


「……なんだ?」


 離れた場所で騒ぎが起こっていた。

 どうやら、誰かが勇者の遺骸に近づこうとしたらしい。


 すでに警備兵に止められているが、遠目にはそれは黒髪の少年の姿に見えた。ここからでも「僕は許さない」だの「人殺し」や「卑怯者」だの叫んでいるのが聞こえる。極めつけは「ミアを殺した」という発言だ。


 人々がさざめくように怒りと不快感を口にする。


「……何言ってるんだあの子? こんなときに!」

「ミア様を殺したのは魔王だ。気でも狂ったのか」

「むしろ勇者さまは、懸命に魔王からミア様を守ろうとなさったというのに、なんと罰当たりな……!!」

「よりにもよって勇者さまの亡骸を前にして……おい警備兵、早くつまみ出せよ!」


 騒ぎはすぐに収まった。

 どうやらすぐに原因となった少年は追い出されたらしい。


 その一方で《選定の剣》返還の儀はつつがなく進行していった。

 どうにか死体から剣を引き抜かれ、台座に剣が戻される。胸元に凝固して黒くなった血の傷跡を残し、力なくうつむく勇者の亡骸を両脇の兵士が支えている。


 《選定の剣》が台座に突き立った。


 勇者の身体が離れ、剣は台座と一体になる。以後、いつの日か現れる新しい『勇者』に、自らが引き抜かれることを剣は待ち続ける。


 勇者の遺骸が兵士たちとともに王城に引き上げられると、徐々に人だかりは消えていき、広場はかつての静けさを取り戻していった。勇者の国葬は王城内で、関係者のみで執り行われるということだった。


 こうして《選定の剣》返還の儀は終わった。



   ◇



 屈強な警備兵に掴まれて、アシェルは広場はずれまで引っ張られた。

 強引に投げ捨てられ、硬い石畳の上に倒れこんだ。


「勇者が殺人鬼だのなんだの、わけわかんねえこと喚きやがって! 出てけクソガキッ!」

「ぐっ……!!」


 忌々しげにツバを吐き捨てて、警備兵は戻っていく。

 口から血が出ていた。手の甲でそれを拭う。リーネリアが駆け寄ってきた。


「お怪我はありませんか!?」

「大丈夫だ。大したことない。それより……」


 アシェルは奥歯を噛みしめる。


「まさか……本当に、死んだなんて。あの勇者が……」


 隠れ家のあるデルヴィーニュ領から、この王城御前広場はさほど離れていない。

 ラシャドに任せるだけでなく、自らの目で真偽を確かめるためにアシェルは《選定の剣》返還の儀に立ちあった。

 そしてその結果得られた情報は、目をそむけがたい事実としてますますアシェルを打ちのめした。


 勇者ゼクスは、本当に死んでいた。


 自身の目で確かめてもなお信じがたい。

 あの狡猾で姑息な男が自ら命を断ったなど、今でもまだ信じられない。


 兵に連れられたゼクスの姿には、一〇年の歳月があった。

 転生直前に見たときよりも精悍な顔つきに変わり、以前はなかった口ひげも生えていた。まだ青年だった勇者は、すっかり壮年の男に変わっていた。


「あの死体が、勇者ゼクスの偽物だという可能性は……」

「……ありえない。あれは本物の勇者ゼクスだ。《選定の剣》は勇者でない者には絶対に手にできない。あの死体は、柄を握ったままだった。台座に収まったところ見るに、あの《選定の剣》も本物。自殺も……たぶん事実なんだろう」


 怒りと絶望で、手がぶるぶると震えた。

 悔しさと諦念で、身体じゅうが痺れた。

 自分で「勇者は死んだ」といっておきながら、それでもなお信じられない。いや、信じたくないのだ。


 あの男は、僕をこんな姿に転生させ! 何よりもミアを殺しておきながら!

 なんの裁きも受けることなく身勝手に死を選んだのだ! 何かの責めを受けるどころか、民衆から祝福さえ受けて! のうのうと生き延び、勇者のまま死んだのだ!


「アシェルさま――」

「すまない。一人にしてくれ……」


 何も言わず、リーネリアはアシェルの傍から離れた。

 それからしばらく、座り込んだまま動けなかった。どうすればいいのか。何をするべきなのか。まったく何も思い浮かばなかった。


 どれだけ時間が経ったのか――ようやく立ち上がったアシェルは、重たい足を引きずってふたたび王城御前広場に向かった。


 空は曇天になっていた。鈍色の空の下、台座には《選定の剣》が突き立っている。

 その足元にはいくつもの献花が添えられていた。そのなかにある白い花束を見つけ、アシェルは胸を掻きむしられるような痛みを覚えた。


「ミアには……誰一人、花を添えられることもなかったのに……」


 現在、旧魔王城は魔物の巣窟となっており、人間には手の出せない禁域になっている。現在ミアの亡骸や侍従たちがどうなったのかは、誰一人知るところにない。


 せめて愛らしいあの妹を弔ってやりたい。

 だが今の自分に何ができるというのか? この無力な自分に。  


 呆然と突っ立っていると、目の前にカラスが現れた。

 アシェルのすぐ前で止まり、じっとこちらを見つめている。珍しく思っていると、もう一羽がカラスのすぐ隣に止まった。そしてもう一羽、いや、更にもう一羽……。


「なんだ……こいつら」


 時間もかからないうちに、カラスは十数羽の群れとなった。

 しかしカラスたちは揃ったまま鳴くこともせず、ただ、じっ……とこちらを注視している。

 不気味に思っていると先頭の一羽が、鳴いた。


《お前の大切な仲間を預かっている。女と男だ》

「っ……!?」

《夜までに一人で隠れ家に来い。来なければ、仲間は殺す》


 人語を発したそのカラスが、何者かの使い魔だったと気づく。

 瞬間、鳴き声と羽音を立ててカラスの群れが空に飛び立った。


「人質……ラシャドとカリーナが……!?」


 アシェルはすぐさま西の空を見た。すでに陽が傾きかけている。

 急いで戻らなければならない。日没まであまり時間は残されていない。


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