第4話 絹子╱いのち

十年前の秋口、私は当ても無く浜辺を歩いていた。


 私にはここが千葉県であるという程度の認識しかない。白く広がった砂浜と乳白色に曇った空が同化して、地に足がついている感覚を失っていく。夏と共に人も去っていった切なさと寂しさが、大きな波音をより轟音の如く際立たせている。夏にはもっと穏やかだったのだろうか、あまりにも波が高い気がする。兎にも角にも、私は海が見たかったのだ。美しく雄大に、自分の存在をかき消してくれる場所。それは海以外に思いつかなかった。


 数時間前の明け方、気付くと私は薄手のガウンと安物のハンドバッグだけを持ち玄関を出ていた。路線図や時刻表も確認せず、行き着く駅の駅員に聞きつないで、私は海を目指した。


「海は、どうやって行けばよいですか。」


私がそう尋ねる度に、駅員たちは皆怪訝そうな顔をした。それはそうだろう。女が化粧もせず、着の身着のままの恰好で朝っぱらからそんなことを聞くのだから。それでも、絹子の鋭い眼光とか細くも通った声は駅員たちに有無を言わせず、より簡潔に最寄りの海へ行ける術を調べさせた。本当は声も出す気力も無かったが、「今日で全て終わらせる。」そう思うことで、私の中の気力が沸々と湧いていくように感じられた。この衝動は、若かりし頃の自分自身と重なる。懐かしい、だけど、悲しい。


―これで終わる。何もかも綺麗にできる。帰れる、帰れる。


私は不気味な平穏を取り戻しながら、一歩一歩、永遠に続いていきそうな白浜を裸足で歩いていた。ザバン、ザバンと砕けては引く荒波が、消え入りそうに蒼白で萎れた足指にちくり、冷たい飛沫で刺激する。


―冷たい。


私にはまだ感覚というものが残っていたのだ、そう思った。


 豊の失踪から、今日で十年も経ってしまった。私が二〇歳の時に産んだ、唯一の息子。彼と出会って、二十六年目の丁度今ぐらいの時期。彼は突然消えてしまった。無論、私はこれまで彼についての失踪宣告などはしなかった。そんなことをしたら、彼はどこに帰って来ればよいというのだ。それでも、十年間は長すぎて、速すぎた。既に私も還暦を過ぎ、笑顔を作るための皺は随分と増えたけれど、このかた、心から笑顔になったことは一度も無い。この広い海と空を眺めるように、どこに焦点を合わせてよいのかわからない日々。それが、豊を失った私の十年だった。


 豊を身籠っていることが分かったのは、四十六年前、当時の夫から逃げて辿り着いた網走でのことだった。年の瀬の夜明けと朝の間頃、薄暗く曇り凍てつく空の下、私は思い切って函館行きのフェリーに乗りこんだ。念には念を入れ、確実に誰にも向かう理由を感じさせない場所まで行こう、そう思うがままに流れ着いたのが、網走という港町だった。午後一五時頃、碁盤の目のように造られた街の中央を貫く商店街は長く、活気づいていた。生まれ育った土地が同じ港町でも、こうも賑やかだとまるで外国に来てしまったような感じがした。外国はもとより、私は八戸から出たことなど無かったけれど。もちろん、寒さには慣れていた。しかし、網走の寒さは八戸とは違う。心を閉ざし身を守らねばならない寒さが八戸のそれならば、この寒さに立ち向かわなければ死んでしまう、そんな闘志を感じさせるものが網走だった。

高校を出てすぐ、私が十八歳にして結婚した時にばあちゃんがこっそり握らせてくれた現金、二万円。


「大事の時さ、わば守らたまなぐさ使んだだし。絶対さ見つかきやね所ささまておけ。いいきゃ?(大事な時に、自分を守るために使いなさい。絶対に見つからない所に仕舞っておきなさい、いいね?)」


 そう言い私を見つめるばあちゃんの瞳は、まるで私が戦地に赴くかのような、真剣で悲しく、優しい色をしていた。

 私は夫が小便に起きやしないかと冷や冷やしながらも、台所の弱い電球の灯りを頼りに母の形見のセーターの裏に裏地を縫い付け、その二万円を隠した。夫の鼾の音に耳を澄ませながら、私は初めて腕を通すそのセーターを着、家を出た。初めて着る母のそれは暖かく、驚くほど私の体にぴったりだった。母は私を産んですぐに亡くなった。その後は父と暮らしていたが、私が四歳の冬以降、父は出稼ぎ先の東京から帰ってこなくなった。それ以来、私は母方の祖母に育てられた。ばあちゃんはまるで娘が帰ってきたように感じたらしく、それはそれは可愛がって育ててくれた。港町の一角で小さな干物店を商っていた彼女は、夫を戦争で亡くして以来一人で母を育てたという。そしてまた、一人で孫の私を育てた。貧しいながらも、女が一人で生きていく過酷さを知っていた祖母は、なんとかして私を高校まで出してくれた。だが、私は早計にもあの男と結婚してしまった。それが最大の間違いでもあり、成果でもあった。豊が生まれたこと、それはあの男がいなくては成立しなかった私の宝であるからだ。


 網走の商店街をとぼとぼ歩いていた私は、漂う出汁の香りに誘われバサバサと暖簾の揺れる蕎麦屋に入った。昨晩から何も食べられておらず、空腹と寒さで眩暈がしていた。「腹が減っては戦はできぬ」ばあちゃんの口癖が耳鳴りのように耳奥で歌う。私は、えい、と残りのお金をはたいて鴨南蛮を頼んだ。味がどうこうの問題ではなく、あれは、今まで生きてきた中で一番美味しかった食べ物だったと思う。命の温かさが、下胎にしみ込んでいく感じがした。美味いと言うよりも、気持ちが良い、といった感覚だった。しかし、胃が満たされると同時にひどい吐き気をもよおした。私は咄嗟に店を飛び出し、吐いた。吐しゃ物とともに込み上げ続ける不思議な感情。みぞれと寒風にさらされながら私は泣いた。悲しいとか、悔しいとか、そういう感情とは違う。今までに感じたことの無い類の感情が込み上げた。膝に溶けたみぞれが染み入ってくる。寒い、寒い。肩も脚も、ガクガクと震えてくる。流れ落ちる涙は氷のように頬に張り付いた。一世一代の勇気を振り絞って飛び出して来たはよいものの、余りに簡単に負けてしまいそうになる自分の弱さに私は愕然としていた。


その時だった。ふいに、背中に重みを感じた。


「ついといで、泣くには寒いよ、外は。ね、ほら。立てる?」


誰だかわからないが、ザラザラとして優しい女性の声が聞こえた。

私はその声の主も見ず、その小さな体に身を預けながら、促されるままに着いていった。



 目を覚ますと、薄暗いオレンジ色の傘から漏れる光が揺れていた。視線を下にやると、四角い板が、一つ、二つ、三つ。少し遠くから、カチャカチャとガラスのぶつかり合う音、水がじゃあっと出る音が聞こえてくる。動物と花の匂いが入り混じったような香りと温かい重みを身体に感じる。私は胎児のように丸くなって横になっていた。―ここは、何処だろう。

私は身を起そうとした。が、足元がガクンと下がり、バランスを崩しそうになる。


「あれれ、おめざめ。おはよ。」

ショートカットの綺麗な女性が、カウンター越しに私を見て微笑んでいる。ぼやけた視界の中にも、とびきり濃い化粧をしたその女性ははっきりと浮き上がって見えた。

「ええと、私…。」

―私は八戸からフェリーで函館へ、そして電車で網走駅に。そこからなんとなく歩いて、港町の商店街にたどり着いて…。そう、お蕎麦屋さんに入ったのだ。そして、あ…、お金!

「お蕎麦屋さんさ、お勘定ば…。」

「あははっ、いいのよ、私のツケにしてもらったから、心配ないわ。」

「えっ! へ、へば今払でや。わんつか待ってけろ。(では今払います。ちょっと待ってて下さい。)」

私はそう言い、急いで上着を脱いでセーターの前身ごろを捲りあげた。

「ちょ、ちょっとあんた。私はそんな趣味ないからね! 蕎麦代なんかで自分を軽く売っちゃぁ…。え?」

セーターの内側から封筒を出す私を見て、彼女は困った顔をしながら大笑いした。

「そんなところに! やぁだー。もう。びっくりするじゃないか! あははは、ははっ。久々に笑った。あんた、もう、おっかしいったら。」

「大事なじゃんこだかきや…、変のものば見へてしまじょいした。(大事なお金だから…。変なもの見せてしまいました。)」

慌てて故郷の言葉で話す私の言葉に、彼女は少し首を傾げながら微笑んでいる。

「何が言いたいのか、なんとなくは分かるわ。いいのよ、いいの、いいの。私てっきり裸でも見せられちゃうんじゃないか、って。びっくりしたわよ。お金は安全でも、それじゃあんたの体が危ないわ。今度は腹巻にしとくのね。隠す場所。」

「腹巻…。」

「待ってな、私のあげるから。これからあんた、腹巻必要よ。ね?」


 彼女はグラスを私の前に差し出すと、そのまま店の二階へと上がっていった。出されたグラスからは湯気が立っている。私はそれを両手で包み込んだ。温かい…。私の指先から胸、そして下胎がじんわりと緩んでいく。中身は温めの白湯だった。それはちょっぴりしょっぱくて、甘かった。程よい糖分と塩分で、私の五感がゆっくりと目を覚ます。私は改めて自分のいる場所を見渡した。どうやら、スナックらしき店の中のようだ。甘い動物の匂いの主は、彼女が掛けてくれたのだろう、高そうな毛皮のコートだった。その優雅な品物に対して、私の顔は涙とみぞれでゴワゴワに渇き、伸ばしっぱなしの髪は結んでいたのかどうかわからないくらい乱れていた。 


 八戸で漁師をやっていた夫は、酔うと度々暴力をふるう男だった。暴力とは言え、散々に私を酷い言葉で罵った後、私が何も言い返さず黙っていると、殴るとか蹴飛ばすとかそういうもので、慣れてしまえばいちいち傷つくことも無いよう防御する術が私には身に着いてしまっていた。

 そもそも、ばあちゃんは私の結婚をそれほど歓迎してはいなかった。結婚をすると報告した日の晩、彼女は珍しく独り安いお酒を飲んでいた。その後ろ姿は、こんなに薄く小さかっただろうか、と思うほど儚げに見えた。今こうして黙って知らぬ土地に来てしまった私を、彼女はどう思うことだろう。きっと心配するだろう。それに、近所や親戚に責められるに違いない。それで一番辛いのは、きっとばあちゃんだ。私はばあちゃんに少しでも安心してもらいたかったのに。もう大丈夫だから、自分のことだけ考えていいよ、そう言いたかったというのに、私は真逆のことをしでかしているのだ。そう思うと、すぐにでも帰らなければならないような罪悪感に苛まれそうになる。

 

 しかし、もう遠い過去のように感じるがまだ丸一日も経ったかどうかわからない昨日の晩、何故か私は耐えることをやめた。耐えていたという意識も忘れるほど夫の豹変には麻痺していたし、豹変と豹変の合間の優しい彼の姿や巧みで少し強引な夜に救いを求め続けてみてはいたけれど、何故か、最早私を思い留めさせるものは無く、ふと、心も体も吹っ切れたような感覚に突き動かされたのだった。


「大丈夫? ぼーっとして。」

いつの間にか彼女が目の前に立ち、私の顔を覗き込んでいた。

「あ、はい。」

「これね、一番上等な腹巻、あげるから使いな。」

彼女の柔らかくも芯の通った声や表情が、ばあちゃんのそれと重なる。私はまた頬を濡らした。乾いた地面をぽつぽつと降り出した雨が濡らしていくように、握りしめていた私の手の甲が徐々に湿っていく。だが、あの蕎麦屋の前で露呈した涙に比べてその涙は幾分温かい。「助けて」と心が声を上げているような、そんな嗚咽を響かせていた。

「大丈夫ったら、大丈夫~」

彼女は歌謡曲の一節でも口ずさむように呟きながらカウンターに向かっていった。戻ってくると、ホカホカに蒸されたおしぼりをひとつ広げ私に手渡した。

「気持ち良いよ? 顔拭きなっ。」

私は声にならない声でお礼を繰り返しながら、それをじっと顔に押し付け、深呼吸した。私がぼんわりと顔を上げると、彼女がすかさずもう一つのおしぼりを差し出した。

「ほれ、鼻かんだっていいよ。」

優しくおどけたように彼女が言う。

 私がやっと普通に呼吸ができるようになってきた時、彼女はさりげなく私の隣に座って言った。

「あんた、明日私と病院いこう。」

私は彼女が何を意図しているのか分からなかった。もしかすると私の気がふれたと思われているのだろうか、と疑った。私は恐ろしくなって、慌てて答える。

「大丈夫です。私、すぐ帰りますから。本当に。 」

「そんな怒らなくてもいいじゃないのさ。まだ、行ってないんだろ? 病院。」

「私、頭おかしくなってる訳でねぇ。違うんです、だがら…。」

「頭? 頭の方は大丈夫だと思うけど?」

「ん?」

彼女も、「ん?」といった表情をする。私たちは数秒見つめあった。

「あれぇ。」

彼女が驚いたように目を見開いた。そして少し真面目な顔になって言った。

「あんた、もしかして気付いてないのかい? あんたの~、その、様子からして…赤ちゃんできてるんじゃないかと、思うんだけど。」

私はその言葉に驚くよりも先に、思ってもいなかった可能性をまるで『挑戦状』を叩きつけられたように感じ、硬直した。

「赤ちゃん、病院、赤ちゃん…。」

 私のあまりに戸惑った反応に、「あちゃ~」というような、少し呆れ気味な顔で彼女が問いかけた。

「あんた、悪いけど、歳は?」

「二十二、です。」

「結婚、してるよね。指輪。」

「はい。でも。」

「事情はまあいいよ。でも、そんなら、赤ちゃんできてもおかしくない。って、思うけど。」

「はい、たしかに。」

「これまで、悪阻なかったの?」

「いえ…これと言って…というか、つわりって、どんなものでしょうか?」

「あれれ、私の勘かもしれないけど、あの吐き方はそれっぽかったけど…。生理は?」

―生理…。生理は、来ていない。一ヵ月以上、来ていない…。

 私のハッとした顔に彼女はまた、「あちゃ~」といった顔をして見せた。

「それじゃあ、とりあえず、お腹の中がどんなもんかちっとも分からなくて心配だしね。明日、私の連れに車出させるから一緒に行こ、病院。ね?」

「つ、連れ?」

「旦那。徹郎、っての。彼、口は堅いから大丈夫よ。なんせ、この寒さじゃ車じゃないと動かせないもん、あんた見てると。」

「は…い。で、でもご迷惑…」

「その辺でぶっ倒れられる方が迷惑よ! あんた、ここらの人じゃないんでしょ? 東北かな? わかんないけど、とにかくだめよ、こんな時はさっさと人を頼りなさいな。」

「すみません。なんだか…本当に、すみません。」

「謝ってばっかいなさんなってば、もうっ。いいのよ。色々聞きたいこともあるけどさ、これから店も開けなきゃいけないし、とりあえずあんたは休みなさい。上、私の部屋あるから。お布団、今温めてくるからちょっと待ってて。」

「いえ、あの…私は床の間で、結構です…すみません。」

「はあ? 馬鹿言うんじゃないの。もしそのお腹に赤ちゃんがいたら、私がその子に叱られるっての。私は旦那と寝てるから、いいのよ~。」

 彼女はお道化たようにそう言って、私の恐縮っぷりを慰めてくれた。


 どこの馬の骨かもわからない私を、しかも身籠っているかもしれない面倒な女を何故に彼女はここまで世話してくれるのだろうか。だが、彼女を信じるとか怪しむとかそんなことよりも、「温かい布団」という言葉の響きに私は眠気を遮れず朦朧としてきてしまった。

店の二階に上がると階段を挟んで左右に六畳間ほどの部屋があり、彼女に促されて入った左手の部屋の中は既にストーブで暑いぐらいに暖められていた。和室だったのであろうその部屋は、白い絨毯が敷かれ、まるで洋室のようだった。小ぶりな水色の鏡台とちゃぶ台、いかにもふかふかと暖かそうな布団一式、そして枕元には私の見たことの無いような艶々とした質感の寝間着らしきものと、日本では売っていなさそうな装飾が施された可愛らしい置き時計。半畳ほどの大きさの窓の傍には、まるで深海のような青色の花瓶に二輪、赤い花が生けてあった。


「そこ、着替え置いたから。お湯取ってくるから着替えて横になってなね。」

私の返事を待つ間もなく、彼女はそう言い残して店に下りて行った。


 私はよろよろと部屋の中へと歩み入った。今しがたの毛皮のコートから漂っていたものと同じ、微かな甘い香りが鼻をくすぐる。部屋は十分に暖かかったので、私はするすると服を脱ぎ、枕元に置いてくれていた寝間着らしきものを手に取った。こんなに薄っぺらい生地で大丈夫だろうか、という不安は袖を通した瞬間に消えた。もしかすると、これはシルクのパジャマ…。以前、本屋で立ち読みした雑誌で見たことがあったっけ。確かかなり高価な品物だったと記憶している。それと一緒に置いてあったカーディガンは薄手なのに羽織るととても暖かかく、私の乾燥しきった肌にも寄り添うような肌触りの良いものだった。きっと、この部屋にある物はどれも良い品物なのだろう。数こそ少ないが、目に入る物一つひとつに存在感が在った。


パジャマとカーディガンを着込みながら、私は腹巻も忘れずに身に着けた。着替え終えた私は、そっと自分の下胎に手を添えた。本当に、ここに赤ん坊がいるのだろうか。確信とまではいかずとも、そう思うと少しばかり心強い気分になった。布団に入ってみる。足元がほっこり暖かくてとろけそうだ。足元にはアンカが忍ばされていて、まるで足湯に浸かっているようだ。気持ちがいい。それにしても、よくここまで準備していてくれたものだ…、と彼女の心遣いの細やかさに感心しながら、私の胸は感謝の気持ちと共に温もりを取り戻していた。


ダハハハハッ!


地響きのような音に、私はハッと目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのか分からない感覚に陥って周りを見渡したが、窓際にある赤い花が目に入り我に返った。ちゃぶ台の上に、眠りに就く前には無かったはずの銀色のポットと伏せた湯飲みが置いてある。その湯飲みの下には長方形の紙が敷いてあり、何か書かれている。


『白湯が入ってます。飲んでね。ゆっくりお休み。あ!私は豊子。よろしく! ※トイレは出てすぐ左』


―綺麗な字…。


一筆書きの左下には桜の和柄が施されている。春、か。お腹の子は、暖かい時期に生まれるといいな、そう思った。私の中で、目に見えぬ糸は着実に紡がれていた。

 再び下の階からどっと湧き上がるような音が響く。時計を見ると1時を指していた。外は暗いから、夜中の1時だろう。そうか、下では店の営業が佳境に入っているのだろう。響いてきた音は、お客さん達の笑い声だったようだ。私は湯飲みに白湯を注ぎ、少しずつ口に含んだ。それはやはり、ちょっとしょっぱくて、甘かった。私は枕元に畳んで置いておいた母のセーターを横手で引っ張ると顔の横に抱き頬ずりをした。懐かしく柔らかな香りを感じながら私は再びの眠りに落ちた。

 


 翌年のお盆が終わる頃、私は網走の隣町、北見の病院で男の子を生んだ。名は、豊子さんの字をもらって豊(ゆたか)とつけた。豊子さんは名付けの由来を快諾してくれたし、初めて豊と対面した時、彼女は泣いていた。もちろん彼女が優しい人間だということは骨身に染みて痛感してはいたが、あんなにも優しい彼女の顔は初めて見たと思う。

「豊ちゃんかぁ、豊ちゃん、豊ちゃん…いい子いい子ね。大きくなって、母さんのこと、守ってやれよぉ、頼むよ。ねぇ、いい子ね。」

豊子さんは豊を抱きながら声を掛け、微笑んでいた。これまで礼も求めず、そしてひと月も欠かすことなく妊婦健診の度に、さらには下腹部痛を訴える度に病院まで送迎してくれた徹郎さんも、その目をうっすらと潤しながら微笑んでいた。だが、彼が微笑んでいた目線の先が豊子さんからぶれることはなかった。


「かわいいねぇ…。」


涙目のまま徹郎さんを見上げ言う豊子さんに、徹郎さんは何も言わず、ひとつしっとりと頷いた。そして彼は身体ごと窓に向け、窓際に両手を預けどこか遠くを見つめていた。その横顔に、私はなんとなくだが、不安そうな、悲しそうな影を見出していた。


 豊子さんの強い薦めで、私は産後も店の上の一間を借り、豊の面倒だけしていればよい環境で過ごした。それにしても、生まれたのが夏でよかったと思う。こうも泣き止まず、朝も夜も関係なく母を求める赤子という存在を抱え、あの厳しい冬場では散歩に連れ出すことも難しいとなれば肝心の私がノイローゼになっていたと思う。それに、下が店であることも幸いだった。静まった夜中に夜泣きされるよりも、常に喧噪の中にあった方が孤独感から免れた。そのおかげもあってか、豊は大きくなっても外的要因に左右されず、寝ると決めたら寝られる子に育ってくれた。豊子さんも、店の合間、合間に様子を見に来てくれた。こんなに有難い産後の生活があってよいのだろうかと、私は世の不思議をひしひしと感じていた。

 


 豊を出産してから半年ほどが経ち、二十四時間はちきれそうに張っていた私の両胸も落ち着きをみせた頃、私は雑用係として店で働かせてくれもらえないかと、豊子さんに頼んだ。私の提案に対する彼女の第一声は、「何言ってんのよ、そんな必要ないってば。あんたは豊ちゃんさえ守っていてくれりゃ、それでいいんだから。」という予想していたものだった。しかし、いつまでも無銭で子どもの分まで何もかもを面倒みてもらう生活に、さすがに私も耐えきれなくなっていたし、多少の気分転換が欲しかった。そこで、身体を動かすことで精神的に楽になる、お金は一銭もいらないから何かやらせてくれるよう、豊子さんに食い下がってみた。結局は、開店前の準備の手伝いと、週に2回だけ昼食と夕食を作ること。但し豊と私の体調が思わしくない時は絶対に休むという条件で、豊子さんは承諾してくれた。


 しかしながら、実の母でも姉でもない豊子さんがどうしてここまで私たち親子のことを面倒見てくれるのだろうか。それをなんとなく不思議に感じながらも、私は翌日から豊をおぶって動き始めた。肩や腰は痛いが、何かの役に立つと意識しながら手足を動かすことは、一日という感覚を思い出させてくれたし、豊と向き合う時にも心にゆとりをもたらしてくれた。まるで姉夫婦と妹親子が一緒に生活しているようで、形は平均的ではなくとも、これも一つの家族というものかもしれない。私は感慨深いものを感じながらその生活を享受していた。


 豊がもうすぐ一歳を迎えようとした頃、私は二十三歳にして気管支喘息を発症した。空咳が出始めて数週間、手強い風邪にかかってしまったと思ってやり過ごしていた。咳以外に目立つ症状もないので、豊子さんの心配も軽く受け流していた。

しかしある晩のこと。私は胸に強い痒みを感じて目が覚めた。そしてみるみるうちに底なし沼に引き込まれ、水とも砂とも言えぬ何かの中で窒息するような感覚に襲われた。私はパニックと呼吸困難で意識が朦朧とする中、夢中で床を叩いた。この時ばかりは、豊も目を覚ましてぎゃあぎゃあ泣き出した。狂ったように泣く我が子を前にしても、「心配いらないよ、おやすみ。」と言ってやれない無力な状況に私の心は唖然とした。そして、「豊、豊、豊…助けて」この期に及んで私は、まだ一歳にも満たない乳飲み子である息子に助けを求めていた。だが呼吸をしようとすると咳が酷くなるばかり、私は生まれて初めて死を予感した。


―このままでは死んでしまうかもしれない…。


私の視界は徐々に暗い紫色へと変色していった。


 気が付くと、私は病室のベッドの上、鼻腔と股に痛みを感じながらも微動だにできぬ状態になっていた。天井の不規則な模様が霞んでは見え、また霞む。私は恐る恐る首を横に向けてみると、豊子さんが豊を抱いてミルクをあげている背中が見えた。私は思わず、「豊!」と叫ぶ。と同時に、豊子さんが「ぎゃっ!」と声をあげた。


「絹ちゃん? ああ、よかった…。あんたってば、もう、何度私を驚かすのよぉ! 間一髪だったんだってよ!? お医者さんが言ってた。あと少し運ばれるの遅かったら、ダメだったかも、って…。もう、私、びっくりしてびっくりして、豊ちゃんのギャーギャーすごい泣き声とさ、天井からドンドン聞こえる音で、まさかあんたノイローゼにでもなって豊ちゃんに何かしてやしないかね、って思って見に行ったら…あんた、なんていうか、そう、茄子みたいな色になってて…私がびっくりして死にそうだったわ、もう! 絹ちゃんの馬鹿! あれほど病院行けって、無理するな、って言ったのに! もしあのまま豊ちゃんと会えなくなったら、どうするつもりだったのさ!」

 豊子さんの勢いに、私はなだめるように声を振り絞った。

「すみません…。」

少し声を出すだけでも、胸の中がひゅうひゅうと鳴り、苦しい。

「ごめん、ちがうの、私がもっと早く、無理にでも病院行かせとけばよかった。風邪だとばっかり、ごめん、ああ、ごめん絹ちゃん…。私…なんだか安心して言い過ぎた。ごめん。」

豊子さんはひとしきり不安と安堵をぶつけ合うかのように言葉を出し切って、子どもみたいに泣き始めてしまった。彼女の胸に抱かれた豊はこの状況でも、スヤスヤと寝息を立て始めている。

「豊子さんが、命の恩人で、よかったぁ。」

私は考えもなしに、そうつぶやいていた。豊子さんは、またわんわんと泣いてしまった。


 結局、私の入院は二か月にも及んだ。その間、豊は開店前までは豊子さん、営業中は徹郎さんが面倒を見てくれていた。子どものいない二人にしては、意外なほどすんなり豊の面倒を頼まれてくれた。というより、買って出てくれた。当然私からは長期的に赤ん坊を預かって欲しいなどと頼めるわけもなく、一時的に乳児院に預けようと考えていた。その考えに断固反対し、豊ちゃんを預からせてくれないかと提案してくれたのは豊子さん夫妻だった。申し訳なさや有難さ、そして子育ての経験が無いであろう二人に預けることへの一抹の不安で、私は純粋に依頼する気分にはならなかったのも事実だった。だが、これまで二人が豊を可愛がってくれていた姿を思い、私は豊を頼む決心をしたのだった。

 


 退院後数日が経った。午前十一時、快晴だ。私は散々面倒をかけた二人に少しでも報いたいと、久々に店のキッチンに入り昼食の準備を始めようとしていた。すると、起きてくるには少し早すぎるはずの豊子さんが、身なりも小綺麗に店に下りてきた。

「おはよう、ん~、いいにおいっ。嬉しいなぁ、絹ちゃんのお昼ごはん。おはよ! 豊ちゃん! 元気、元気ねぇ。」

彼女は穏やかな様子だったが、いつになく背筋がシャンとしている。彼女に気づいた豊が、店のソファにつかまりながらよちよちと彼女に向って歩いていく。


「おはようございます。もう、食べます?」

「うん、いや、ちょっとその前にお茶、飲みたいなっ。あ、でも無理しないで!」

「もうそろそろ、少しは動かさせてください。」

私の体調に目を光らす、と言っても過言ではないほど気を遣ってくれる豊子さんに、私は少しお道化た声で返した。

「あらそ? じゃ、お言葉に甘えて。玄米茶がいいなぁ。一緒にお茶しよう。」

「はーい。」

思えば、こうして客のいない店内で豊子さんと二人で隣り合わせで座るのはあの夜以来だった。家出、妊娠発覚からの出産・育児という、私にとっては全てが初体験であり怒涛であった一年半、一つひとつを拾い上げると永遠のように長く思えるものだが、振り返るとあっという間だったように感じていた。豊子さんは湯気の立つ湯呑みに口を付けるとひとつ深く深呼吸をし、私に言った。

「あんたさ。豊ちゃんと、東京行きな。」

あまりに突拍子もない言葉ではあったが、私はついにここを追い出される日が来たのかと、無駄に驚きはしなかった。それに、ここまで面倒を見てもらって、これ以上何も欲するべきではないことは重々承知であったし、寂しさはあれど、これは然るべき流れであるのだと思った。私は笑顔で答えた。

「本当に、これまでご迷惑、ご面倒おかけしてばかり、本当に、本当に、申し訳ございませんでした。それよりも、なによりも、ありがとうございました。お礼はしても、しても、足りないと思っています…。」

いざこう言ってしまうと、私の下瞼には自然と涙が膨らんできた。そんな私を見た豊子さんは、キョトンとした顔で言った。

「え? いや、あの、違うのよ。違うっていうか、私の言葉足らず、うん。あんたが思ってるような、迷惑とか面倒の話じゃないのよ。それは絶対。」

「でも、出ていけという話じゃ…。」

「馬鹿ねぇ! 出て行ってほしいなんて、一度たりとも思ったことはないわ。むしろね、ずっと一緒に、あんたと、豊ちゃんと、いたい。本当は。」

「はあ。」

豊子さんの癖なのか、いつも結論から始める。私はいまいちその話の筋が読めずにいた。豊子さんは努めて穏やかな声で言った。

「ここは、知ってると思うけど、寒いわ。」

「はい。」

「つまり、あんたの体には無理がかかりすぎる。」

「それは…。」

「だから、もっと暖かくて、豊ちゃんが一緒でもすぐに医者にかかれる土地に移ったほうが、いい。」

「でも…。」

「あんたの気持ちが第一なんじゃないよ、今は。豊ちゃんをしっかり育てていくことを考えなくちゃいけない。わかるよね?」

「はい…。」

「うん。家があっても、金があっても、結局は母ちゃんが元気じゃなくっちゃ。豊ちゃんにとって、今はそこが大事。」

「はい。でも、でも、なんで東京なんでしょうか?」

「東京に、私の弟がいる。新宿に。」

「し、しんじゅく! そげな恐ろしいとこさ行くぐらいなら、ここの方が安全だべ?」

「まあそう慌てなさんな。弟は、新宿でヤクザしてる。」

「ひえ! そんなん余計に恐ろしか! …あ、すんません…。」

「確かに、東京、新宿、ヤクザと聞けば恐ろしくもなるなぁ!」

豊子さんは軽快に笑った。一方の私は、ヤクザと聞いて、てっきり母子共々売り飛ばされるのではないかと気が気でなくなっていた。

「そんな…私にヤクザになれ、どいうごどだが? 売られるっていう、んだいうごどだが…。」

「んな馬鹿なことは言わないわ。ちがーう! そうじゃなくて、まず第一に、私の弟は信用してくれていい。それは私の命に代えても断言する。で、弟が新宿でバーやらスナック、美容室、あとはあんたが知らなくてもいいような店をいくつか任されてるのよ。それで、あんた美容の学校に通って美容師の免許とりなさい。一芸もってりゃ、豊ちゃんのこと食わせていけるでしょ。」

「えぇ…?」

豊子さんの話が私の耳にはテレビドラマのあらすじかのように聞こえてくるばかりで、返事もろくにできない。彼女はさらに続けた。

「ちなみに、弟はヤクザだけど、あいつに面倒みてもらったからといって何の義理も必要ないようにさせる。肝心なのは今後の豊ちゃんの生活なんだから。もちろん、勉強頑張っていればそれを仕事ってことにして、毎月の生活費も出させるつもり。ただ、その中からもちょこっとずつでいいから貯蓄してその後に生かすのよ。そう、つまり、当面は子育てと免許の取得に邁進して、その後どうするかはあんたの自由、ってこと。どうよ、私のプラン。」

豊子さんは得意げにそう言った。


 蕎麦屋の店先で私のことを拾ってくれてからというもの、これまで散々っぱら面倒をみて、そして尚も私と豊のことを案じ助けてくれようとする豊子さん。瞳をキラキラさせながら、私にとっては天から降ってきたような話をする豊子さん。その奥にある寂しげな影、私は彼女の瞳の奥に仏を見ていた。


 

 名残惜しくもありながら、女満別空港で豊子さんと徹郎さんに礼を言い、深々と頭を下げた。そして、私はこれから待ち受ける大都会での親子の冒険に自分を鼓舞し続けた。


「絹ちゃん、豊ちゃん、ありがとう。落ち着いたら、おばあ様に葉書の一枚でも出しなさい。ひ孫が生まれたことを知ったら、きっと最高の親孝行になるはずよ。」


豊子さんは今生の別れの時かの如く、言い残すことはあるまいといった勢いでいつも以上の饒舌さで話していた。


「さようなら。生きて。生きるのよ。」


豊子さんは最後にそう言った。私はその言葉を単純に励ましと受け止めていた。方や、普段人前で豊子さんに触れることは無い徹郎さんが、その時だけはしっかりと彼女の手を握っていた。


飛行機でたった二時間足らずの距離であったが、生まれて初めて乗った飛行機が着陸する直前、私は窓から東京の景色を見下ろした。まだ夕刻前だというのに、眼下にはキラキラとした光と地面の見えない景色が広がっている。私はまたしても外国に来てしまったような感覚に襲われていた。


―大丈夫、大丈夫。私は生まれ変わるのだ。人の情を、自分の業を背負って、それらを翼に変えるのだ。

私は必死に自分を奮い立たせた。



 羽田空港は、見渡す限り人で埋め尽くされていた。生まれてこのかた、こんなに沢山の人間をまとめて見渡したことは、無い。人なのか動いている物なのか分からないぐらいの人間の群れは、なんだか空恐ろしい。私は危うく預けた荷物を忘れて出るところだった。動きの読めない人混みをどうにか掻き分け、荷物工場のようなベルトコンベアの中央に陣取った。ぐるぐると回ってくるトランクやボストンバッグを見送りながら、背中で身をよじり泣きだす豊につられて私まで涙が零れてしまいそうになっていた。


その時、私の身の丈に合わない、間違いなく全く似合わないルイヴィトンのトランクがベルトコンベアの入り口を悠々とくぐり現れた。目の前にたどり着いたそれを勢いよく引っ張り出す乳飲み子を背負った痩せっぽっちの女に、周囲の奇異な視線が注がれる。私かて、自分のような女がこんなに豪華なトランクを手にしていることが異様なことぐらい分かっている。だが、これは豊子さんがくれた大事な私の宝箱、なのだ。


「最後のプレゼントを授ける。」そんなことを言って、網走を発つ前夜に彼女はありとあらゆる品物を譲ってくれた。


こう、と決めたら貫いてしまう彼女のことだから、私の遠慮なんてものは社交辞令ほどの効果も発揮しなかった。結局このトランクの中には、初めて豊子さんに出会った時に貸してくれたミンクのコート、シルクの寝間着、それにブラックのイブニングドレス、白くて大きな真珠のネックレス。それから手編みだろうか、真新しい赤ん坊の帽子とお揃いの黄色いセーター。新品の口紅まで入っている。「たまには化粧のひとつもしなさい。あんた、磨けばいい女なんだから。子どもがいたって、女に生まれたことを愛しまなくっちゃね。」 そんなことを言いながら、私の唇に優しく塗ってくれたのだった。

 

 彼女のことを姉のように感じてはいたが、もし私にも母親がいたのなら、娘が上京する前の晩、こんな風に無償の愛を美しい品物たちに預けて授けたのかもしれない。荷物をまとめて一息入れながら、「ばあちゃんに、会いたい。」と、私は久しぶりに心で唱えた。


 豊は長旅の疲労と私から伝わる緊張のせいか、飛行機を降りてからというもの泣きっぱなしだ。生まれながらにして喧噪には慣れてはいても、ここでは無理もない。だが、子どもを連れての初めての遠出にしては、ここは余りに遠すぎたのではあるまいか。豊子さんによると、彼女の弟、勝也、といったっけ。彼が到着ロビーで待っていてくれるという。とはいえ写真を見たわけでもなく、なにせこの人混みの中彼を判別する術などあるはずがなかった。どんな背格好だとか、特徴のひとつでも聞いておけばよかった。とはいえ、豊子さんにしても弟と最後に会ったのは随分前で、それ以降はたまに向こうからかかってくる電話でしかコンタクトを取っていないとのことだ。それなのに、その勝也というヤクザ者を頼って本当に大丈夫なのだろうか。いっそこのまま豊と二人空港を出てしまおうかとも考えたが、右も左も分からぬ私が一体どこに向かえば良いというのだ。だいたいあの豊子さんの想いを裏切るなど、そんな恩知らずなことはできるわけが無い。


でも、でも…。ああでもない、こうでもないと、私は頭と目玉をぐるぐるさせていた。すると突然、後ろ手に引っ張っていたトランクの感触が失われた。私は咄嗟にスリに遭ったのだ! と思った。


「ひっ。どろ、ど、どろぼ…!」

東京とはここまで恐ろしい場所か! と、恐怖で声もうまく出せぬまま、私は急いで後ろを振り返った。

「お、おお。おい、そんなに急に振り返ったりしたら、背中の坊主の頭が取れるぜ。」

「荷物さ返せ! け、け、けいさつ、警察呼ぶぞ。」

私の声は未だに恐怖と怒りで震えきっていた。そのトランクには、私の宝物が…。それに、豊のおむつとか…。

「おお、怖。あんた、絹ちゃんだろ?」

私の狼狽ぶりに反して、男は半ばそれを茶化すように、しかし静かにそう言った。

―はて、この男は何故私の名前を知っているのだろう?

男の落ち着いた様子に、私の頭は冷静さを取り戻した。 

「あの、もしかすると…。」

「豊子の弟の勝也です。」

「あ、あ~、はい。えっ、と。どうして私が私だと…。」

「そりゃあ、あんた、姉さんのトランク片手に時化た女が赤ん坊背負ってきょろきょろして突っ立ってたら、わかるだろ。」

多少想像はしていたが、なかなか横暴な物言いの男だ。しかし、彼が言っていることに間違いは無い。ふいに私の中で、固持し続けていたはずの闘志という名の希望が穴の開いた風船のごとくしぼんでいくのを感じた。

「時化た…たしかに、まあ。」

明らかにトーンダウンした私の様子に彼は、かっかっか、と開けっぴろげに笑った。その感じが、なんとなく豊子さんを思い出させた。

「まあいい、行くぞ。」

そう言って男は、私のトランクと太りに太ったボストンバックを軽々持ち上げ歩き出した。私はまだ、彼が迎えに来てくれたこと、私たちを見つけてくれたこと、そして何も言わず荷物を運んでくれていることのどれに対しても礼を言っていないことに慌て、つかつかと前進する彼を追いかけながら声を張って話しかけた。

「あ、あの、この度は本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げてよいやら、豊子さんには甘えっぱなしで、ええと、勝也様にまでも…。」

すると彼は、またしても豪快に笑って言った。

「勝也様か、いいな、王様みてぇだ。」

「すみません、あ、そういえば、豊子さんの苗字、知らない…。えと、なんとお呼びすれば…。」

「勝也でいい。俺の苗字は佐々木、姉さんの方は渋谷っつってたかな。俺のことは、勝也でいい。」

「そう、ですか。でも呼び捨てできるような立場じゃ、全くなくてですね…。」

「いいって言ってんだからいいんだよ。気色悪ぃな、ったく。」

「気色、悪いですか。」

「冗談も通じねぇのか? ったく、俺は姉さんに頼まれた。姉さんの妹みたいなもんだからって。つまり、俺とお前も兄妹みてぇなもん、ってことだ。だから、他人行儀な態度は気色悪いって言ってんの。わかる?」

「あぁ、まあ。なるほど。」

「はっきりしねぇなあ! 返事!」

彼の横暴のようでざっくばらんな物言いに私の中で何かが弾けたように、それまで抑圧していた不安感や苛立ちが反動的に私の心をビンタした。

「わかったわよ!」

自分でも驚くような強気な返事をしてしまった。

「…こりゃあたまげた。お前、面白いな。なあ? 坊主の母ちゃん怒ると怖えだろ?」

勝也は可笑しそうに笑いながら私の背で憮然とした表情でおぶられる豊に話しかけた。

「坊主じゃなくて、豊です。ゆ・た・か。」

「おっかねえなぁ。あははは。豊か、じゃあ今日からお前は、ユタ坊だ。な!」

「ユタ坊…って。」


 私と豊は彼に連れられ、黒光りした忍者のような車の後部座席に乗せられた。信じられないぐらい、座り心地が良い。発進したのかも気付かぬ程静かだ。これは本当に車なのだろうか? そのまま数十分間、私は車窓から覗かれる外国はおろか宇宙かと思うような景観に唖然としていると、彼の所属している組が買い上げているというマンションの最上階にある角部屋に通された。


「ここがお前らの家だ。多少手狭だが、一番安全な物件を選んだつもりだ。」

「ひ、広い…。」

親子二人で暮らすには十分過ぎるその部屋は、6畳間ほどの和室が一つと洋室が一つ、居間に広い台所。しかもお風呂と手洗いがそれぞれ独立し、部屋かと思うほど開けたベランダには最新の洗濯機まで置かれていた。基本的な家具も揃っており、どれも若干派手過ぎる印象はあるが高価そうな代物ばかりで私は気圧され通しであった。勝也に促され、奥の和室に通された。

「これが一番迷ったんだぜ。なんせ若い衆には赤ん坊の知識なんかねぇからな。」

白く、柵の角には小さな花の模様が施されたピカピカのベビーベッドが、和室の中央にどん、と置かれていた。

「これ…選んで下さったのですか。ええと、勝也、が?」

「ああ、俺もわかんねぇから、最終的には若い衆に頼んだら、これ、ってわけ。」

「すてき…。豊! みて! みて! お姫様みたい…。」

「ユタ坊、男だろ…。」

「でも! こんな素敵なベッド…。ありがとう。本当にありがとうございます。」

「いいって、おめえらの安全だけは命かけても守れ、って。姉さんがよ。だから、ベビーベッドもいいやつじゃなきゃ、いかんだろ。」

「あ、でも、これは安全性を考えて、真ん中じゃなくて壁際…かな。」

私が控え目にそう言うと、勝也は少し照れ臭そうに片手で後頭部を掻いた後、黙ってベッドを壁際に移してくれた。

「ありがとう。」

「ユタ坊、どうだ! 今日からここがお前のシマだぞ!」

勝也が豊に笑顔で叫んだ。豊はキャッキャと声を上げた。私は東京に来て、初めて笑った。



 上京してひと月ほど経った。私はその間、豊を背負いながら近所を歩いて回り、必死で東京という街への慣れを見せ始めていた。四月から美容学校への通学も始まると思うと、胸の奥がざわめいてくる。こんな心地よい緊張は、初めてランドセルを背負って小学校への道のりをばあちゃんと練習した時以来だった。

 

 三月二〇日、風の強い晴れた朝。まだ午前六時、私はもっと寝ていたかったが早起きの豊がベッドの柵に捕まり脚を屈伸させてガタガタと音を立てている。「あーあ、まぁーま、まぁーま、あーあ…」私を呼んでいる声が段々と大きくなる。私は気合いで目を覚ました。豊に乳を飲ませベッドに戻すと、私は布団を干そうと窓の鍵に手を伸ばした。すると、ふいに玄関のドアが勢いよく開いた音がした。


―あっ、昨日の晩散歩の後に鍵を閉めるのを忘れていたのかもしれない…。というか、誰!? 


私は瞬間的に豊を押し入れに隠し入れた。強姦魔だったりしたら、豊をどうされるか分からない。私は寝間着姿のまま身構えた。しかし、入ってきたのは勝也だった。いつもきちんとした背広姿の彼にしては珍しく、出しっぱなしにしたワイシャツ一枚とスラックス、足は裸足のままという格好だった。そして彼の顔は、蒼白、という以外に表現できない様相を呈していた。私たちは数秒間、互いに目を見開いたまま黙って見つめ合った。すると突然彼が叫んだ。


「ユタ坊は!」

私は慌てて襖を開け、ゆっくりと豊を抱いて見せた。

「強姦魔なんかだったらと、思って…。」

「だったら鍵を閉めろよぉ!」

勝也の声はひどく大きく上ずって、何かただ事ではないことが起きたと思わざるを得ない様子をしていた。

「う、うん、ごめんなさい。絶対、気を付ける。それより…勝也、ど、どうした?」

彼は瞬き一つせずに、こう言った。

「俺…。」

その余りに怯え切ったような声で、私は猛烈に嫌な予感がした。そしてもう一度静かに勝也に問うた。

「どうした?」

 彼は消え入りそうな声で答えた。


「姉さんが…死んだ。」


その一言を、私は信じられないのを通り越し、信じられるわけがなかった。


―そんな、そんな。嘘に決まっている。


大事な人の命ほど、無に帰されることを最も意識の外に追いやって生きるのが人間というものだ。私も例外なく、そうだ。彼の言った言葉の意味が素直に頭に入ってこない。

「何を…言っているの。」

「徹郎から、手紙が…速達がきて、母ちゃんから電話が俺にきて…。一昨日って…。」

「だから、何言ってんの、ってば!」

私は叫ぶように声を震え飛ばした。

「死んだんだよ! 姉さんが死んだ! 早朝、網走川に浮いてた…って…。多分、身投げだって…。」

―まさか! そんなこと、あり得ない。あってはいけない! なぜだ、なぜだ…。

私は現実感の乏しい混乱の中、茫然とした。勝也も直立不動で立ちつくしていた。

「まぁま。まーぁま。」

豊の華奢な声が部屋の中に響いた。その声を合図に、勝也は畳に両手膝をつき、怒涛の如く泣きだした。男の人が泣く姿は、初めて見た。それは女の胸を抉り、同時に奮い立たせるものだった。

「どうして、豊子さん、自分で…。何か、遺していなかったの。」

私は静かにはっきりとした口調で勝也に問うた。だが、勝也の涙は止まることを知らず、とても言葉を発せるような状態ではなかった。私は速やかに台所に行き、熱いお茶を淹れにかかった。その間、豊はまるで全てを分かっているように、どこか心配そうな顔をして勝也の背中につかまっては下り、何やら喃語を発している。そして、私が盆に茶碗を乗せ運ぼうと二人に目を向けた、その時だった。

「かちゅあ、かちゅあ。」

―え? かちゅあ…かつ、や。勝也って、言った?

恐らく勝也も同じことを思ったのだろう。こんな状況の中、ふわりと暖かな風が三人を包み込んだ。勝也は私の方を振り返り、驚きのような微笑みを見せた。

「かつや、って言ったね。」

「おお、言ったな。」

「ママの次に覚えた、言葉よ。」

「あー…。」

勝也が溜息に似た声を天井に向けて吐いた。

「みっともねぇな。俺。」

「そんなこと。」

「みっともねぇ。こんなチビに、なんだか、ちゃんとしやがれ、って言われちまったよ。」

「ユタ坊、様様、だね。」

「話すよ。」

「うん。」

 勝也は語り始めた。


「戦争真っただ中の頃、姉さんと俺は東京の下町、浅草の浅草寺から歩いて五分ほどに位置する花街吉原で生まれたそうだ。産みの母は、多くの店の中でもひと際高級な店の、売れっ子芸者だったらしい。だから店側も、母が妊娠出産を繰り返してもクビ切るこたぁしなかったらしい。だがそれは普通じゃねえ、許されねえと言ってもいい。だから大抵の女たちは子を諦めるか売るか、そうする他なかったはずだが、母は二度も子を産んだ。その間商売をどう凌いでいたのか想像を絶するものがあるが、女は強い、としか俺の中では解釈できない。

しかし終戦間際、東京が何度もやられた。その大火で、吉原も例外なく甚大な被害があったんだ。母が俺ら子どもらと生活していたのは竜泉町にある銭湯裏のアパートだったとかで、稼ぎに出ている間はよく俺らを銭湯の女将さん…俺らの母ちゃんと父ちゃん、に預かってもらっていたそうだ。東京が焼かれた最後の日もそうだった。それで、ちょうど商売が終わる頃の晩遅くに空襲警報が鳴って、その直後から下町界隈が一気にやられたもんだから、母は店から銭湯までの途中で火にまかれたんじゃないか、って話だ。母ちゃんはさ、預かってた二歳とゼロ歳の俺ら姉弟を前後ろに巻き付けて店の地下に逃げたんだそうだ。ヤクザも入れる、なんつうか、要塞みてえな建物なんだよ、あの銭湯。無事焼け残ったし、お陰で俺も生きて…いるわけだ。

戦争で事実上の孤児になっちまった俺ら姉弟は、その銭湯で育ててもらえることになった。なあんにもなくなっちまって、食うにも困る時代によ、子どもがいなかったのもあったんだろうが、母ちゃんと父ちゃんは俺らを引き取ってくれた。ありがてえ話だよ。大抵の戦災孤児は、道端で倒れちまうか、盗みやって生き延びるしかなかったってのに。しかもうろついてるのが見つかると、野良犬みてえに孤児専用の収容所送りだったらしいんだよな、それもひでえ所だったらしいよ、俺のアニキが何人もそっから這い上がっててな。親切で孤児をかき集めてたわけじゃねえんだ、って。駅前や道端でガキがバタバタ倒れてんのが見栄えが悪いから掃除ちしまえ、ってのが実際のところだったそうだ。俺の母ちゃんみたいに世話してやろう、なんて考えはお国にはさらさら無かったんだろうな、ったく…。だが、運良くというか、母が縁を繋いでくれていたお陰なんだが、俺ら姉弟はそんな大変な事はひとつも知らねえまま母ちゃんと父ちゃんを実の親と思って育ててもらってきたわけだ。だからよ、本当のところは産みの母親は戦死して、父親は誰だか分からねえって知った時は驚いたよ。姉さんも然り、だ。あれは、そう。姉さんが二〇歳の時、子どもができた、結婚したい、っつって大問題になった時だったな、本当の話を聞かされたのは。俺はその頃まだ一八だったが、今も昔も親不孝で、中学出てからはずっと酒と麻雀、博打に喧嘩。そんなことばっかやって、家にほとんど帰らねぇ生活してた。だがあの晩は母ちゃんが急に、「姉さんの一大事!」って叫んで俺が入り浸ってた雀荘ん中入ってきてな、俺はすげぇ勢いで家に連れ戻されたよ。で、話しを聞いてみりゃ、子どもができたんなら結婚しちまえよ、っつう単純な話じゃなかったんだな。姉さんの男、あれだ、徹郎。あいつと姉さんは大学で出会った仲だったらしい。とはいっても姉さんは潜りの学生やってたんだ、金がねぇから中学までしか出てねえで、それでも本ばっかり読んでたみてえだ。そん時スナックの姉ちゃんやってたんだけど、俺からしたらちょっと信じられねえが、稼ぎは殆ど本と電車賃に充ててたらしい。それで文学かなんかの授業で話の合う徹郎と一緒に勉強したりなんかしてるうちに恋仲になっちまって、子どもができたってわけだ。だが、徹郎はああ見えて実家が旧華族のボンボンだった。で、如何せん花街生まれの銭湯の娘で、実は孤児だった姉さんと徹郎では身分が違いすぎた。それでも姉さんの妊娠を知った徹郎は、自分とこの親に話したらしい、結婚するとも言ったそうだ。だが徹郎の親ときたら、見たこともねえ額の小切手一枚、従者に持たせて実家によこしたんだよ。要するに、手切れ金だ。これで全部諦めろってことだな、馬鹿にしてるだろ? だが姉さんはその小切手を受け取ったかと思ったらさっさと換金した。で、「半分は母ちゃんと父ちゃんに、四分の一は俺に、残りは私が使う。」とだけ書いた置き書きの横に、それぞれ宛名書いた分厚い封筒二つ置いて、ある朝忽然と姿消しちまった。その年初めて東京にも雪が降った日だったから、心配でなぁ。母ちゃんなんて泣いて探し回ってた。まあ、金を持っていなくなる、ってことは、今思うときっと徹郎にも黙って一人で産んで育てるつもりだったんだろうな。「産むって決めたら産むなんて、母親ゆずりだよ、まったく。」って、母ちゃんはどこか懐かしそうな顔しながら、ちゃぶ台に乗った札束をよ、神棚に祭ってやっぱり泣いてたよ。で、だ。その翌年急に姉さんから俺宛に手紙が届いたんだ。これ、なんだけど。」

勝也は片手に握りしめられていた封筒を慌てて平らに伸ばし、私に手渡した。


【 勝也

前略、元気にしていますか。母ちゃん、父ちゃんはどうですか。身重のまま出て行って、心配かけて、実の親じゃないっていうのに育ててくれた母ちゃんと父ちゃんには親不孝の極み、とても顔向けできないのであんたに手紙を出しました。姉ちゃん、あの後無事に女の子を産みました。あんたにとっては姪っ子です。名は、「安恵(ヤスエ)」です。今三ヵ月になります。とても可愛くて、目があんたにちょっと似ています。大人しくてお利口さんだけど、お腹が減ったり眠たい時は、天まで届きそうな大声で泣きます。ちなみに、今、徹郎さんが一緒です。どうやったのかは教えてくれないけれど、私を探し出して先々月突然こちらにやってきました。ここは、北海道の網走という町です。網走監獄が近くにあってとにかく寒いです、東京とは大違い。だけど、親切な方(大村さんという方。大阪出身の漁師さん。)のお陰で町に知り合いもでき、今は商店街(河童橋みたいに長い!)の端っこで、小さなお店をやって生活しています。私たちは、なんとかやっているので心配無用。徹郎さんも、子育てをよく手伝ってくれます。「パパ」なんて、洒落た呼び名を安恵に覚えさせようと頑張っています。私は「ママ」と呼ばれるみたいです…可笑しいでしょう?

 徹郎さんのお家のこともあるので、念のため、こちらからは連絡できません。だけど、あんたのことも、図々しくも母ちゃん父ちゃんのことも元気かどうか心配でたまりません…。たまに、で良いので、電話くれたら姉さん嬉しいよ。母ちゃんと父ちゃんには、豊子は生きている、とだけ伝えてください。この手紙のことも、わたしたちのいる場所も、誰にも教えないでください。

 電話(○○○〇○○○○○)     草々

              昭和四二年 四月吉日 渋谷豊子   

追伸 あんたに置いていったお金、無駄遣いしないように。】


 私がそれを読み終え驚きで目をぱちくりさせているのをよそに、勝也は再び語り始めた。


「こんな差出人の無い手紙、実家の住所に宛ててよこしたんじゃあ、偶然俺が郵便屋から受け取っていなけりゃ母ちゃんか父ちゃんが読んでたじゃねえか。と思ったが、もしかすると姉さんはそれを期待してたのかもれん。だから俺は心の中で姉さんに謝りながら、母ちゃんと父ちゃん両方に手紙を見せたよ。そしたら母ちゃんやっぱり、神棚に手紙祭って、泣いてたなぁ。父ちゃんは、「お前、電話番号いつでも持っておけ。ひと月にいっぺん、必ず豊子に電話しろ。」って言って、手紙読んだ晩から辞めていたはずのタバコ、また吸い始めちまった。

それから俺は言われた通り、姉さんから手紙が来た日からひと月ごとに電話をかけた。網走なんて辺鄙な場所でよ、よく電話機なんか高えもん店にあると思ったよ。まあその辺は徹郎がどうにかしたんだろうけどよ。あ、分かってるとは思うが、徹郎は姉さんにぞっこんだった。奴は自分で稼いだわけでもない財力でもって、なんでも姉さんに与えるきらいがあってな、そこが俺は気に食わねえでいた。てめえで稼げってなもんだろ、男ってのは。まあ…それはいい。  

それでだ、たしかあれは四回目の電話をした昼間、何度かけ直しても俺が名乗った途端、向こうから電話切られちまったんだ。さすがに俺も変に思ったよ。徹郎と暮らしてるって言ってたから、もしかすると奴が姉さんにそうさせてるんじゃないか、俺はそう考えた。そうと決め込んだ俺は、とにかく姉さんと安恵ちゃんが辛い目に遭ってるんじゃねえかと心配でならなくて、それから一週間、電話をかけつづけた。それでも連絡が取れねぇで、さすがに母ちゃんも飯が喉通らなくなってきたとか言い出すから、俺、組のおやっさんに事情話して、行ったんだよ、網走に。おやっさんはよ、旅費だけじゃなくて、「灯油代の足しにでもしてやれ。」って、包んでくれてな。俺は札束腹に巻いて、生き勇んで上野を発ったな。

だがまぁ、とんでもねえ遠いな、あそこは。お前らもよくあんな所からよく出てきたもんだよ…。で、俺は姉さんから網走にいるってことしか知らされてねえからよ、まずは網走駅に下りてみるだろ? そしたら、全然人がいねえんだよなぁ? それに俺は右も左も分からねぇし、そのまま暗くなったら俺、死んじまうような気がしてよ、とにかく見つけた人間全てに手あたり次第に聞いて回ったんだ、「でっかい商店街はどこですか?」ってな。それでも振られ通し、そりゃあ明らかによそ者で堅気じゃねえ男だ、怪しまれるわけだよな。それでも、一人だけ親切に案内してくれた親父さんがいてな。俺がタバコふかして途方に暮れてたところでその親父さんが寄ってきて、「兄ちゃん、どっから来たん?」って俺に聞くから、東京だ、って答えたんだ。そしたら、「案内するでぇ、網走~。」とか言って、どんどん先行っちまうからよ、そのまま着いて行ってみたら一キロもない距離で商店街の端に着いたんだ。それでこれが不思議なんだが、その親父さんが一件のスナックの前で立ち止まってよ、「この店なぁ、めっちゃ別嬪の姉ちゃんいるんやでぇ。いっぺん行ってみぃ。」ってぼやくように言い残して、俺に礼も言わせぬ勢いで踵返して去っていった。もしかすると、あれ…あの親父…。まあ、とにかく、だ。確かに寒いし腹は減ってるし、俺は一先ず暖かけぇ所で腰を下ろしたくてな。まだ夕方だったがイチかバチか、その店に入ってみたんだよ。そしたら、「ごめんね、まだやってないのよ。」って言って、姉さんが、奥からふら~っと出てきたんだ。こんなの不謹慎だが、あん時は、女の幽霊見ちまったかと思ったんだ。姉さん、ひでえ窶れて、地に足ついてない様子だったからな…。だから、その女が姉さんだって分かるまで何秒かかかったよ。方や姉さんの方は、入ってきた男が俺だってすぐに分かったみたいで、「なんで?なんで?」とか消えそうな声してぶつぶつ言いやがる。俺は我に返って、「どんだけ心配さすんだ!」と怒鳴ったな。俺が怒鳴ったら怒鳴ったで、奥から男が出てきてよ、それが徹郎だったわけだけど、姉さんの前に立ちはだかるから俺はもう、絶対にこいつに姉さんが痛めつけられてるもんだ、と決め込んで、思わず殴っちまった。いや、実際に徹郎のせいで姉さんの人生変わっちまったようなもんだ、一発ぐらい殴ったって相殺にもならねえと思う。でも、気づいたら姉さんしゃがみ込んで、べえべえ泣きだしやがんの。「やめて、この人は悪くないの」とか言い出したもんだから、俺はなんだか馬鹿々々しくなって、「俺は電話が通じねえから何かあったんじゃねえかと思って来たまでだ。邪魔したな。」って吐き捨てて、店から飛び出した。頭に血が上ってたんだな。でもすぐに徹郎が追いかけてきたよ。それであいつに促され喫茶店に入った。そこで徹郎から聞いたんだ…姉さんの産んだ娘、安恵ちゃんが死んだ、ってな…。

丁度、俺から四回目の電話が来る三週間前ぐらいのことだったそうだ。徹郎曰く、きっと弟からの電話だから出るように姉さんに言ったそうなんだが、姉さん、電話に出ることはおろか、ずっと安恵ちゃんの寝ていた空っぽの布団に話しかけながら、安恵ちゃんの着てた服や着けてたおむつを畳んでは戻し、を繰り返す。そんな様子だったらしい。電話を切り続けていたのは徹郎で、弟からの電話だったら切ってくれ、そう安恵に言われてたんだそうだ。徹郎は俺に、「豊子には黙って電話に出て事情を話せばよかった。申し訳ない。」と詫びていたな。だが、徹郎も安恵ちゃんの親なんだ。きっと、姉さんと同じように気が狂いそうなほど苦しんでいたはずだ。それでもあいつは、怖いぐらいに穏やかに振舞ってたよ。辛い話だろうに、淡々と俺に説明してくれた。

安恵ちゃん、前の晩まで本当に元気だったんだそうだ。それが、いつも明け方頃にお腹が減って大泣きするはずなのに泣かないと思ったら、もう動かなくなってた、って。その時の姉さんは、まだ体温が残ってた安恵ちゃんを温めようと、安恵ちゃんの体中擦り続けながら、声にならない声で叫んでいた…ってよ。結局、安恵ちゃんの亡くなった原因が分からねえから一度は警察まで来たらしいが、乳飲み子が突然寝たまま死んじまうことはたまにあることだから、多分それだろうってことで取り立てて騒ぎにはならなかったらしい。だけど、姉さんには大事だ。徹郎にとってもな。

徹郎は、姉さんとは別の業を背負ったような…、なんつうか、とにかく自分が全部を受け止めようと必死だったんだろうと思うよ。でも、その時ポロっと俺に話してくれた。「安恵が亡くなる前まで元気だったからこそ、豊子は自分を責めているようです。何か変わったことは無かったのか、あったとすればなぜ母親である自分が気付いてやれなかったのか、自分の母乳に毒でも入ってたんじゃないだろうか、だとしたら自分が食べた物や飲んだ物に間違いがあったんじゃないか…と。そんな具合で、自分が話しかけてもずっと豊子は独り言ちている様子でして。それに、私の存在そのものが安恵ちゃんを殺してしまったのよね?そうなのよね?ねえ、そうだと言って。私を殺して、徹郎さん。とまで言い出しましてね。それがここ数日毎晩です。だけど、それをただ聞いてやるしか、自分にできることが無いのです。」ってな。そう話す徹郎は、酷く悲しそうな面してたな。

で、徹郎からそんな話を聞いてしまえば、俺は当然姉さんを東京に連れて帰ろうと思った。そもそも姉さんは安恵ちゃんを産むため、誰も探さないような場所を選んで逃げたんだ。徹郎と一緒にいるためじゃない。だったらもうあんなに寒くて寂しい所で凍えていることはないんだ。だから、もういいんだ。頑張ったんだから、帰ってこい。そう思った。それで、徹郎と喫茶店を後にしてから、姉さんに一緒に東京に帰ろう、という俺の考えを話した。俺の話聞いた姉さんは、しばらくぼんやりしていたな。俺はてっきり姉さんがその話に首を縦に振るかと思ったら、違った。姉さん、急にはっきりした声でこう言ったんだ、「私がここを離れたら、安恵ちゃんはどこに帰ってくればいいの?」って。俺は、何も言い返せなかった。結局、俺は一人東京に引き上げることにした。娘が死んで日も浅い時に、これ以上物事を荒立てちゃ悪いと思ってな。

その翌朝、俺は姉さんの部屋に挨拶しに言ったが、姉さんは寝てるんだか起きてるんだか分からねえ感じで、「ごめんね。」ってだけ、独り言みたいに言いやがってよ…。姉さん悪いことなんて何もないのに。俺の知っていた姉さんは、俺の周りにいる連中も黙らすぐらい怒ると怖くてな。その反面、普段は愛嬌があって美人だろ、それに加えて頭がキレる女だった。だからこそ、幽霊みたいになっちまった姉さんの姿は、どれだけの悲しみに襲われていたのか…、絶望ってこういうことだぞ、と俺に無言で伝えてくるようで、俺は空恐ろしくすらなったな。もうこれ以上俺が何話しても、あん時の姉さんの耳には何も聞こえてない気がして、「助けになれる時が来たら、何でもする。」とだけ、置き書きしていったんだ。それで、徹郎が駅まで見送りに来てよ、「自分が最後まで責任持ちます。」って、まあ当然っちゃあ当然だが、そう俺に言っていたよ。なんつーか、無力というか、虚しかったなぁ、俺。

それからも、俺は東京から毎月電話をかけ続けた。最初の数か月は徹郎が出て姉さんの近況を伝えてくれていたが、一年ぐらい経ってから、姉さんが電話に出てくれるようになった。だが結局は、四、五年かかったな、昔みたいに竹を割ったような声に姉さんが戻るまで。それでとうとう、姉さんが自分から俺に助けを求めてきた。それが、お前らのことだ。今となっては遺書みたいなもんになっちまったが、お前らのことを手紙で切々と頼んできてよ。でもやっぱり、姉さんどっか気がふれちまってたんだろうな、手紙に書いてあることも、なんだかよく分からねえ部分もあるんだ。それも仕方ねぇ、仕方ねぇんだよ。」


 勝也は私が相槌を打つ間も与えぬ勢いでひとしきり話し続けると、冷めたお茶を一気に飲み干した。私は勝也の口から溢れ出す話の内容一つひとつに衝撃を受けては、苦しくなりそうになる自分の呼吸をなだめるのに必死だった。娘さんがいたことなんて、豊子さんも徹郎さんも、一度も私に話さなかった。実の子の不幸があったのでは、それをもし私に話せば負担に感じさせるのではないか、きっとそういう考えもあったのだろう。でもよく考えれば、子どものいない夫婦にしては赤ん坊に慣れた様子であったし、泣き声やおしめの臭いなんかにも驚いてはいなかった。二人とも標準語を話していたのは、元々が東京の出だったからか。そして私が豊を身籠っていたことにいち早く気付いたのも、豊子さん自身にその経験があってのことかもしれない。しかも、私と同じように身籠りながらにしてたった一人で網走という町に逃げてきた過去があったなんて…。


 勝也によって、私の中で豊子さんの人生について紐解かれていくと同時に、彼女が最期に自ら死を選んだということの理由に私と豊の存在が関係していると思えて仕方がなくなった。私は知らず知らずのうちに豊子さんを苦しめていたのではないか。それが私にとって不可抗力であったとしても、豊子さんの優しさに甘え続けてしまった自分を責めずにいられなくなりそうだった。


「勝也、その、豊子さんからの最後の手紙、私も読んでもいいものなのかな。」

少し間を置いて、勝也は答えた。

「手紙は実家だ、持ってくる。それとも、一緒に行くか?」

「え…いいの? 私のせい…かもしれないのに。」

「何がだよ。」

「豊子さんが、亡くなった…っていうことが…。もし、私と、この子のせいだったら。」

「馬鹿野郎。お前らは、姉さんを救っていたんだと思うよ…最期まで。」


 私は勝也のその言葉の意味がその場では理解できなかった。ただ、私と豊という存在が豊子さんの命を追い詰めてしまったのかもしれない、それをどうにか否定したいと願った。そのためならば、豊子さんの最期に遺した言葉を一つ残らず拾わなければならない気がした。なんということだろう、豊子さんが亡くなったというのに、既に私は自分と息子の存在の肯定に躍起になる己の浅はかさを密かに恥じていた。



 勝也の車に乗せられて到着した場所は、どこか懐かしい雰囲気とピンと張りつめた空気が混在する街だった。駐車場から銭湯まではそんなに遠くないということで、私たちは歩くことにした。まだ午前中ということもあってか、人の姿はあまり無い。車を停めた駐車場には、数台同じ車種のいかつい車が揃っていて、それだけでなにやら物々しい気配を感じさせた。この土地が今も現役の歴史深い花街だとは聞いていたが、絹子が思っていたよりもそこに華々しさは無く、むしろ街全体が閉店後のスナックのような侘しさすら漂わせていた。それもそのはず、花街としては仕事を終え眠りに就いて間もない時間であったからだ。私は初めて歩く吉原という街を、上京した時と同じように物珍しくきょろきょろ見回していた。そんな私と、背中の赤ん坊という組合せはこの街に違和感しかもたらさぬようで、時折店先に立つ黒服の男に凝視されては、絹子は目線を落とした。


「あんまりきょろきょろ見回すな。安心しろ、ここは俺の育った街だ。」

「う、うん…。」


 居心地が良いとは言えない街の大通りから路地に入ると、突然そこはありきたりな住宅地になっていた。その合間合間には、『出会い喫茶』と無駄に洒落た字体で描かれた小さな看板も目に映る。古いアパートとアパートに挟まれた細い路地に、無造作に赤色が朱色になりかけている三輪車が置かれている。その上部には、アパートから飛び出た竿に小さな服が干されている。道を一本入ったら、ここにも誰かの暮らしがあって、誰かの子どもが育っているのだ。豊かな暮らしぶりには見受けられないが、窓際に置かれた数鉢のパンジーがそこに人が生きている温かさを絹子に感じさせた。


「ほら、ここだ。俺んち。」


勝也は少し素っ気ない物言いで建物を指さした。それはまるで、初めて女の子を家に招いた時の、気恥ずかしさを誤魔化す思春期の男子のそれだった。絹子は彼の様子も可笑しく感じたけれどその違和感以上に、彼の指さした先にある建物に少々圧倒されていた。

その銭湯は、「ヤクザも入れる、なんつうか、要塞みてえな建物」と勝也の話には聞いていたが、本当だった。それは私が想像していたようなオープンな店構えではなく、濃い灰色の厚いコンクリートの壁で囲われ、窓はおろか、入口がどこかも一見では判断しかねる様相だった。この街同様この銭湯もまた、「ここは誰もが入れる場所ではない。」と静かな威嚇を発しているように感じながら、私は恐る恐る勝也の後ろを追って建物の裏手に回っていった。背中の豊は車を降りてからというもの、その重みをグンと増している。ここにきて眠りだしたのだ。肝が据わった子だなあ。と、私の下胎にもぐっと力が入った。


「おい、俺。」


 窯の脇にある広く開け放たれた勝手口を入るとすぐに勝也が家の中に向けて声を上げた。反応は無い。奥に向かって古びた焦げ茶色の廊下が真直ぐに伸びている。左手に垂れる大きな暖簾の奥が銭湯の部分にあたるのだろうか。廊下の突き当り左に階段があるようだ、勝也は突っ掛けていた雪駄を乱暴に脱ぎ捨てると、階段の下まで大股で歩み入り、もう一度大きな声で帰宅を知らせた。


「おい!」

「聞こえてます。」

少し遠くから心もとなく小さい女性の声がし、とんとんとん、と静かに階段を下りてくる足音が聞こえてきた。階段を下りきる前に、勝也が何やら小声でその女性に話をしているようだ。

「うん、うん、うん…。そうなの! あらま、大変…」

女性の声がはっきりと聞こえてきた。勝也が入口で立ち尽くしている私に顔を向ける。大柄な勝也と比べるとその半分ほどしか無いように見える小柄な初老の女性が彼の後ろから姿を現した。白いかっぽうぎ姿に白髪が綺麗に纏められていて、可愛げの中にも芯の強さを感じさせられる方だ。

「まあ、まあまあまあ…。こんなところに待たせて、ったく勝也は…。どうぞどうぞ、中へ。ささ。」

 そう言いながら女性が近づいてきた。この人が、勝也の、豊子さんの、母ちゃん…、なのだろうか。

「あの、急にお邪魔しましてすみません、私…」

私が名を名乗ろうとする前に彼女は言った。

「絹子さん、なのね?」

「はい…。この度は…。なんと申し上げてよいのか。新山…絹子と申します。」

私は青森に残した夫の姓は名乗らず、旧姓で名を名乗る。

「あなたが。よく、来てくれたね。まあまあ、上がって頂戴。ね、大変だったね、坊や背負って、よくいらして下さいました。」

 彼女は真っ赤に染まった白目を幾分輝かせながら私の目を真直ぐに見た。

「これ、母ちゃん。」

勝也がぶっきらぼうに言う。

「スミ、太田スミです。よろしくね。」

 母ちゃん、の名はスミさんというそうだ。どうやら彼女は私と豊の訪問を悪くは思っていないようだった。むしろ、久しぶりに会う親戚の娘母子を迎え入れてくれる、そんな風であった。 



 二階に上がるとすぐに、スミさんは並べた座布団にタオルケットを掛けた即席の布団をこしらえ、そこに豊を寝かせてくれた。肩と胸部に食い込んでいた重みから解放され、締め付けられていた私の胸からは思わずふぅっと溜息が漏れた。


「何か月かね、赤ん坊は。男の子、だね?」

スミさんが豊の寝る和室の襖を静かに閉めながら私に問うた。

「はい、もう、一歳半になります。男の子です。豊、といいます。」

「豊…、豊ちゃん。可愛い坊やね、勝也もそんな時あったっけねぇ。あ、ほら、炬燵ん中温まってるから入って、入って。」

 私は自分だけくつろいでしまうようで気が引けたので、居間の柱にもたれて立ったままの勝也の方を遠慮がちに一瞥した。そんな私に気遣うように、スミさんが言った。

「勝也も、ほれ、入りな。あんたがそんなしてると絹子さんも休まらん。」

「ああ、俺のことはいちいち、いいって。」

勝也の態度は、依然としてまるで中学生の男子だ。そうなれるのも、ここが彼の実家であるということの証拠だろう。スミさんは炬燵の掛布団を開き、「どうぞどうぞ、崩して。坊やが寝てる間ぐらいは一休み、ね。」と、温かく私を促す。ああ、暖かい。知らぬ間に、湯気立つお茶が淹れてあり、その横には酒饅頭まで添えられていた。この気配りの厚さからは、彼女が豊子さんのお母さんなのだということが伝わってくる。

「平治さん、あ、父ちゃんのことね、店があるから後で紹介するね。だから晩御飯も食べていきなさい、ね?」

 スミさんの計らいに、私はすっかり和らぎそうになった自分を戒めるように改めて挨拶をしようとした。

「あの、この度は…。」

 私がそう言いかけたところで、スミさんが割って言った。

「それにしても絹子さん、あんたも、随分、その…大変だったみたいだね…。豊子から…。」

スミさんは、豊子という名を口にしてしまうともうダメだった。制御しきれぬ涙が両目から溢れ出てくる様がありありと見て分かった。

「すみません、こんな大変な時に突然お伺いしてしまって…。」

スミさんの涙は私の言葉で余計に流れの勢いを増させてしまった。

私はそれ以上、特に、「ご愁傷様」などという言葉を発することなど許されないような空気を悟った。しかしそれをぶった切るように勝也が切り出した。

「母ちゃん、姉さんの手紙どこだ。こいつに見せてやりてえんだ。」

「そう、そうね。ごめんね、どうもね、歳ですぐに涙がね…。」

スミさんはそう言うと、豊を起こさぬよう静かに豊の寝る部屋の奥に入っていった。私は遠目で彼女の背中を追いかける。スミさんが仏壇に小さな灯りを灯した。猫戸を開け、一枚の封筒をそっと取り出し、左手に乗せ右手の指先で優しく撫でた。

「豊ちゃん、ぐっすりだね。いい子だ、どこでも眠れるのは親孝行だねぇ?」

 スミさんは腫らした瞼の尻を優しく下げ私に微笑み、腰を下ろした。勝也は落ち着かない様子で胡坐をかいた。スミさんは封筒から何重にも重なった便箋を丁寧に抜き出し、私に手渡した。

「これね、あの子の手紙。ゆっくり読んでやって。絹子さんと豊ちゃんのことも書いてあるんだ。」

「え、私たちのことも…。ありがとうございます。失礼します。」

 私は焦る気持ちを押さえながら、どっしりとした便箋の束を丁寧に開いていった。


【皆様、

 拝啓

十一月の黄昏時、どうにも皆さんの温かさが恋しく筆をとってしまいました。網走はもうすっかり寒く、この前木枯らしが吹きました。いつもご飯をもらいにやってくる野良猫も来たり来なかったり。みんなでまとまって温まっていた方が良いのかもしれませんね。


東京はどうですか?そろそろ炬燵でも出す頃でしょうか。あれは勝也が中学生の頃かな、四人揃って晩御飯を食べていた時のこと。父ちゃんと勝也が大ゲンカして、勢い余って炬燵の電気のコードが壊れちゃったよね。あの時の母ちゃんの怒りっぷりは、すごかったなぁ。母ちゃん、炬燵があるとみんな集まる、って言って大好きだったもんね。勝也、あんた稼ぎはあるんだから、いい炬燵買ってやって、たまには家に顔を出しなさいね。

そうそう、勝也にお願いしている絹ちゃんと豊ちゃん、元気でやってますか。勝也、母ちゃんと父ちゃんに会わせてやってね、きっと子育ての助言などしてくれると思います。なんせ、暴れん坊の勝也と聞かん坊の私を育ててくれた二人です、日本一の母ちゃんと父ちゃんなのですから。

絹ちゃんと豊ちゃんは、私の恩人なのです。二人が東京に行ってからまだ一年も経たないのに、何年も経ってしまったような気がします。近頃は一日がとても長く感じます。二人と出会ってからというもの、私は絹ちゃんの「生きよう」とする頼もしさと、豊ちゃんの「生きている」という輝きが、私の「生きたい」という気持ちを応援してくれていました。遠い所にいても、二人が変わらず生きていってくれているのだ、そう思うと私はとても嬉しい思いです。本当に、二人が健康で、生きている。それだけで私は満足なのです。もしかすると、母ちゃん父ちゃんも同じような気持ちで私や勝也を想ってくれているのかもしれませんね。

二年と少し前の、あの雪の降る道中、泣きながらうずくまっていた絹ちゃんの姿はまるで昔の私を見ているようだった。逃げたいけれど、逃げられないものを背負って、北の果てまで来てしまった絹ちゃんを、私は助けずにいられなかったのです。でも、今思うと私、絹ちゃんを助けていたようでいて、私自身を助けていたのかもしれません。そして、私にはできなかった、我が子の成長を見守るということを絹ちゃんと豊ちゃんに重ね見ていたのも事実です。だけど、だからこそ、二人には幸せに生きていってほしい、その一心でした。もし、お節介ばかりして厄介な気持ちにさせていたら、ごめんね。そう絹ちゃんに伝えてください。

豊ちゃんが生まれた日、「豊子さんの字をもらって良いですか」って、絹ちゃんが言ってくれた時、私すごく嬉しかった。私でいいの?とも思ったけれど、「豊が生まれたのは豊子さんのおかげですから」とも言ってくれた絹ちゃん。本当に有難い気持ちだった。

それから、徹郎さんのこと。彼のことはどうか責めないでやってください。彼と出会ったことで、私の人生は目まぐるしく変化しました。その変化を、母ちゃん父ちゃんは良く思っていないかもしれません。勝也にも、本当に心配かけて、ごめんね。

でもね、私は徹郎さんと生きてこれて本当に幸せだったんだよ。すぐに天使になってしまったけれど、安恵を産めたこと、安恵と触れ合えたこと、それは徹郎さんがいなければ在り得なかった幸福でした。我が子を我が子としてこの手で抱けるという幸福以上の幸福が、この世にあるでしょうか。それも、本当に愛した人の子を。私はこの幸福を人生の中で味わえたことだけで、幸せ者だったとつくづく思うのです。安恵が天使になってしまってから、私はしばらくきちんと命を燃やすことができなかった。ずっと燻ぶらせ続けて、度々徹郎さんには苦労をかけました。彼も、とても辛かったはずなのに、私を諦めないでいてくれました。私に不思議なことが起こり始めてからも、彼は全て信じてくれました。

不思議なこと、これは徹郎さんにしか話していなかったのだけど、打ち明けたい気持ちになってしまったのでお話します。安恵が天使になってから半年ぐらい経った頃から、私はある方とお話したり、たまにお会いできるようになりました。小野寺駿さんという方です。信じてくれないかもしれませんが、彼はこの世で私たちのように生きている方ではありません。丁度、私たちの産みの母親と同じくらいの年齢だと思います。終戦間際に沖縄で戦死されたとのことです。私、実はもう何もかもがどうでもよくなって、お店にあるお酒を沢山飲んで、二月の網走川に飛び込んだことがあるのです。(変なことを言ってごめんなさい)その時初めて、「死んではだめだ。安恵ちゃんには会えないんだ、このまま死んでも会えないぞ。」というあの方の声が聞こえたのです、はっきりと。そして私は、気が付いたら必死に漁船を留めている綱にしがみついていて、探しに来ていた徹郎さんとその船の持ち主の漁師さんに引き上げられていました。漁師さんは、大村さんという方で、あの方のお陰でお店を開くこともできました。とても気さくで優しい方です。

それからというもの、私がまた自暴自棄になってしまったり、うっかり何もかもどうでもよいような気持ちになった時、小野寺さんの声がして、お話しました。あの方は男性なのですが、恋心とかいう類の感情はもちろん一切無く、なんだかとても懐かしいような、父ちゃんと話しているような気持ちになって、とても落ち着くのです。私、変なことを言っていると思われるかもしれませんね、でも、本当なのです。ちなみに、小野寺さんは帝国大学で文学を専攻されていたそうで、徹郎さんの先輩なのです。だから、徹郎さんは学校の話をしたら信じてくれたみたい。

なんだか、余計なことばかり徒然にお話ししてしまいましたね。このお手紙は、徹郎さんがこの前のクリスマスにプレゼントしてくれた万年筆で書いています。とてもするすると書けて、きっと良い品物なのだと思います。(彼のお金はどこから出てくるのやら…。プライバシーなので、聞かないことにしています。)


母ちゃん

怖い夢を見て起きてしまうと、いつも母ちゃんが抱きしめてくれたことが嬉しかった。母ちゃんの手、いつも仕事で痛そうにアカギレしていたので、一番上等のクリームを贈ります。


父ちゃん

 毎月こっそり、商品券を送ってくれましたね、ありがとう。商品券、もったいなくて使えなくて、絹ちゃんの門出の品に変えました。きっと一番良い使い道だったと思います。孫の顔を見せろと手紙を添えてくれていたのに、叶わずごめんなさい。


母ちゃん・父ちゃん

 血のつながった子どもでもない私達を大切に育ててくれて、本当にありがとう。私達の生みの母の話を打ち明けてくれたこと、とても勇気がいったことと思います。ヨネさん、という女性、母が、母ちゃんと父ちゃんと縁を作ってくれていなければ、私達姉弟はきっと共に健康に生きていけなかったことでしょう。父は誰だか知らないけれど、母が命を懸けて私達を生んだという話、私は聞けて良かったと思います。あの吉原で働きながら私達を生むなんて、きっと私達の父のことを慕っていたのだろう、同じ女だからそのくらいわかります。でも、やっぱり私達の母ちゃんは、母ちゃんです。父ちゃんは、父ちゃんです。本当にありがとう。


勝也

 ヤクザになるなんて、姉さんは今でも許していない。お前は勉強と計算ができねえから高校に行って勉強しろって父ちゃんが言ったのは、嫌味じゃなくて心配してのことだったんだよ。もっと親に素直になりなさい。でも、今のあんたのお陰で、絹ちゃんと豊ちゃんに変な輩が寄り付かず金銭も心配させないで預けることができる、それは本当に感謝してる。絹ちゃんと豊ちゃんの安全だけはお前が命懸けで守ってください。お願いします。


 絹ちゃん

 ありがとう、ありがとう、ありがとう。

 豊ちゃん

 何があっても、生きて。あなたは愛されています。


長々と、ごめんなさい。

それでは皆さん、くれぐれもお元気で。

                            草々

昭和七七年十一月吉日 渋谷豊子】


 手紙を読み終えた私の手は震えていた。思わず紙を握りこんでしまいそうになる。目からは自然と涙が溢れていた。


「温かいの、淹れてこようね。」

冷めきった私の湯呑をスミさんがそっと下げる。


「姉さん、もう死ぬこと分かってたのかもしれないな。そんな、感じだろう? 燻ぶらせきっちまって、最後に燃やしちまったんだよ。なあ、そうだろう。なあ、ユタ坊よ。」

勝也は誰に話しかけるわけでもない様子で独り言ちながら、ひどく優しい瞳で、豊を眺めていた。



 豊子さんの死から四十四年余り経つ。もし彼女が生きていたら七十六歳、か。病気にでもなっていなければ、まだ寿命は尽きていなかったのだろう。しかし、寿命とはなんなのだろうか。定められた死までの期間…そんなもの、誰が定めたというのだろう。神様がいるとすれば、そのお方が定めたのだろうか。だとしたら、どうして豊はいなくなってしまったの? 豊は生きてくれているの? あんなに愛されていた子だったのに、何が起きてしまったのだろう。或いは、私は彼に一体どんな過ちを犯してしまったのだろうか。


◇ 


 豊子さんが亡くなってからというもの、勝也は一層しゃかりきに稼ぎ、また、私と豊の家にも頻繁に顔を出しては日々のこまごまとした面倒も見てくれるようになった。だが、時折見せる彼の横顔は修羅像を思わせる静かで恐ろしいものがあった。私はそんな人間離れしていく彼の様子が気掛かりではあれど、感謝し見守っている他に無かった。


 一方私は豊子さんの死をきっかけに、思い切って故郷青森のばあちゃんに手紙を書いた。突然家を出てから今までの話を刻銘に書き連ね、最後は謝罪の文面をしたため、豊との写真を同封した。ばあちゃんからの返事はすぐに来た。その内容は意外にも、私を褒め、労うものだった。


手紙の最後には、


「人ば信じ、縁は宝さ、なきやしぐ生きてけろ。(人を信じ、縁を宝に、あなたらしく生きてください)」


と、書かれていた。


 それからしばらくして、ばあちゃんが亡くなったことを親戚からの電報で知った。ばあちゃんが何歳だったのか、私は葬儀で知った。まだ七十八歳だったというが、彼女の安らかなる寝顔はその年齢以上に歳を増して見えた。


 通夜の晩、私は豊をおぶりながら台所でグラスに半分だけビールを注いで飲んだ。予想はしていたものの、集まった弔問客からは好奇の目で見られるばかりで居心地が悪くて仕方がなかった。しかし、私はばあちゃんを送り出すことともう一つ、故郷を訪れた理由があった。夫に離婚届を書いてもらうためだ。ばあちゃんの通夜に来た夫は、恥ずかしげも無くかなり酔っていた。その彼の姿は、たった三年弱でこうも老けるかと驚かされる変貌ぶりだった。ここらでは、細かい私情でさえ筒抜けだ。夫についても同じような話をこの晩だけでも何度も別の人間から耳にした。昨年あたりからは目立ってアルコールにどっぷり漬かり、朝から酒臭く働くこともできずに、飲み屋で暴れ警察の世話になるようなことも多いとのことだ。


「今さなて分からし。ながなして飛び出していったか。あいはえで暴れていただびょんきゃ。(今になって分かるよ。あんたがなんで飛び出していったか。あれは家で暴れていたでしょう。)」


そんな慰めのようでいて、今までばあちゃんを白い目で見ていたであろうことへの言い訳のようにも聞こえる他人の言葉が飛びかっていた。



「それ、俺の子か?」


 夫は、酒と煙草の臭いを撒き散らしながら私達に近づいてきた。彼の暴力への麻痺を切らしていた私は、過去の記憶に一瞬怯みかけ、後ずさりをした。しかし、今の私には、豊がいる。壊してはならない、守らねばならぬ幸福を背負っている。私は意を決して言い返した。


「あんたの子よ。でも、あんたの子じゃないわ。私の子。この子の親は私です。」

 夫は、そんな私を初めて目の当たりにして驚いたのか、気持ち悪いくらいにゴマを擦ってくる。

「なんだよ、子ども産んで、ちょっとは色っぽくなったんじゃねえか? 今晩やってやるよ、優しくしてやるからよ。いいだろ久々に会ったんだからよ。」


 こんな侮辱に三年前まで慣れっこだった過去の自分が許せなかった。私は彼の侮辱に何も反応をせず、静かに離婚届を夫に差し出した。夫はそれを一瞥し一蹴した。蔑み見下して然るべき女に捨てられるとは、この男には随分な侮辱に思えたことだろう。しかし、それも想定通りのことであった。私は紙の上に分厚い茶封筒を投げるように置いた。茶封筒を手に取りその中身を覗いた夫が血色を変えて言った。


「お前、なんでこんなに…。身体でも売ってんのか。ついにそこまで墜ちたか。」


 夫の口から泡のように噴き出る侮辱的な言葉に、私はついに冷静さを欠きそうになった。が、ここで夫と同じ手段で対抗することだけは避けたかった。もちろん、泣きもしたくなかった。夫には勝ちたくもなければ負けたくもなかった、同じ土俵に上がることさえ許したくは無かったのだ。私はもう、ここには戻ってくるつもりは無い。ゆっくりと静かに深く、深呼吸をした。いざとなったら俺の名前を出せ、勝也に言われたことを思い出す。


「私、ヤクザの嫁になるのよ。住川会の佐々木勝也っていうの。結構な立場の人間よ。」


 彼は目を丸くしたまま掴んだ封筒を両手で握りしめて動けなくなっているようだった。私は続けた。


「それ、あんたが持ってる封筒の中、新しい旦那のはした金よ。どうぞ、お餞別。さあ、署名と捺印。印鑑は私が持ってるわ。三年も印鑑無いことも気づかなかったなんてね。可哀そうな人。」


 ヤクザという言葉にたじろいだのか、金に心を奪われたのか、いずれにしてもミジンコのように小さい器しかない夫には返す言葉は無かった。夫は黙って離婚届に署名と捺印をした。それが終わるとすぐに、私は薄っぺらくも重い、私にとって言わば卒業証書を速やかに仕舞い、翌朝一番の特急で東京に戻ることにした。



 晴れて独身になった私は、それまでに増して美容の勉強に励み、同時に勝也の世話もするようになった。私と豊の様子を見に来る勝也に、度々簡単な手料理を振舞ったのだ。なにせ、勝也が日に日に痩せてゆくように見えたからだ。

 後から聞いたが、その頃勝也は組の若頭から幹部に昇進したばかりの頃だったらしく、堅気の社会同様かそれ以上に、組織の運営に尽力して疲れが溜まっていたそうだ。だが、それも豊子さんが亡くなった後からの活躍ぶりを買われたところが大きかったらしく、彼の下にいた男たちは皆当時の彼を振り返ってこう言った。


「命懸けで守るものがある人間と、失うものが無い人間は恐ろしい。勝也さんは前者になった。中途半端が完全に抜けていった。」



 勝也と私はしだいに恋仲を通り越して、夫婦になっていた。ユタ坊の将来のため、と勝也が切望し婚姻こそしなかったが、私達の関係は組に対しても、またスミさんご夫婦に対しても公然のものとなっていた。そして彼は、私に及ぶか時として私以上に豊を可愛がった。豊も当然、勝也を父親と認識して育った。「金に苦労はさせまい、勉強も満足にさせる。戸籍に親が一人しかいなくたってなあ、一人前かそれ以上に人から尊敬されるような人間に育ててやるんだ。なあ! 絹ちゃん!」とは、酔って機嫌が良くなった勝也がよく口にしていたセリフだ。私はそれを聞く度に、幸せだった。


 豊をおぶりながら通った学校は最短で卒業し、国家試験もなんとか合格、私は美容師になった。その資格を糧に小さな美容室を開き、安価で水商売の女性を相手に夜遅くまで働いた。当時はろくに法の整備もされていなかったものだから、美容室の二階には個人で夜間に特化した託児所を作り小学校に上がるまでの子どもたちを預かる場所にした。そこでは保母さんとして、水商売や芸事、風俗業界ができなくなったが帰る故郷もないような、子ども好きな女の子を雇って働いてもらった。美容室への集客にとっても、歌舞伎町という街で働く女達にとっても使える居場所として私の店は繁盛した。それもこれも、やはり勝也が金銭的な支援を莫大にしてくれたお陰でやれたことであった。


 だがその幸せも、突然に鋭い刃物に貫かれた。勝也が外国マフィアの抗争に巻き込まれて死んだのだ。勝也の仕切っていた新宿では当時台湾勢が暗躍し始め、日本のヤクザの立場が押しに押され始めていたのだ。勝也が犠牲になったのは、その流れを決定づけるような事件でのことであった。彼が死んで、正式な妻でもない私と嫡出子でもない豊にはさほどの悪影響は無かったが、その場に住み続けるには環境が悪かった。組の者には一時でもここを離れた方がいいと言われ、確かに勝也がいなくなったとなれば尚更無防備に感じた。浅草のスミさんは同居を勧めてくれたが、豊には通わせていた花園小学校から浅草の小学校に転校してもらい、スミさんの銭湯から程近いマンションを借りた私は十年ぶりに豊との二人暮らしを再開することにした。


 勝也という支えを失った私は以前よりも増しにもまして働いた。勝也を学校に送り出してから夜二十三時まで働き、二十四時にスミさんの家ですでに寝ている豊を車に乗せて帰宅する。豊は放課後真直ぐにスミさん宅で過ごし、スミさんと平治さんがおじいちゃん、おばあちゃん役をしてくれていた。日曜日しか休みを作っていなかった私は、休日は疲れて何もできなかったが、その分休日は必ず豊には美味しいものを食べさせに出かけた。


 怒涛のような当時の日々を今振り返ると、どうしてあそこまでシャカリキに働く必要があったのだろう、と思う。多分、あそこまでする必要は経済的にも差し迫ってはいなかったのだ。ただ、私自身の心が勝也を失った衝撃に向き合うことを許さなかったのだろう。現実逃避、その言葉がしっくりする。しかしそれは結局、豊と向き合うことも妨害してしまっていたのかもしれない。


 豊の面倒を一手に引き受けてくれていたスミさんご夫婦には、当然ながら毎月お金を入れていた。それは毎月丁重に遠慮されていたが、「いつか豊ちゃんが結婚する時のために」というスミさんの提案で、お金はそのまま店の金庫に仕舞っておくことになった。


 思えば豊は、私に心配らしき心配をかけたことがなかった。運動は得意ではなかったようだが、スミさんの家で平治さんと指していたという将棋の腕はなかなかで、中学に入ってからは将棋部に入り三年生の時には部長を務めた。高校は都立の中でも上位に入る進学校に塾にも通わず合格した。高校を卒業後、第二希望だった、と本人は言っていたものの、またしても私の子だとは信じられない程の有名な国立大学に進学した。最終的には奨学金も借りずに大学まで卒業させてやれたこと、その頃の私はそれで満足していた。塾にも習い事にも通うことを勧めても固辞し、独学を貫いて公立の学校を卒業してくれた豊自身の弛まぬ努力と母親への気遣いに感謝するでもでもなく、私は自惚れた。「自分は良い母親をやっている」と。


 そう、あれは豊が十八歳の冬。高校で仲間外れに遭い一時的に不登校になったことがあった。理由は、「片親のくせに高い物ばかり持っている」という心無い一部の生徒からの嫌がらせがあったからだという。恥ずかしいことに、私はスミさんからそれを知らされた。ある晩、いつものように閉店後の風呂で入浴していた豊が一向に上がってこないことを不審に思った平治さんが様子を見に行くと、独り湯舟の中で泣いていたのだそうだ。平治さんは何気なく一緒に風呂に浸かり、豊から学校での話を引き出したのだという。スミさんはそれを何度も私に話そうと思ったが、疲れ切って余裕のない私には伝えるタイミングを逃すばかりだったそうだ。結局その嫌がらせは無くなることは無かったようだが、それが卒業まであと僅かであったことが幸いし、そのまま卒業することができた。


 豊が嫌がらせを受けて学校に行けなくなっている、という話を私が初めて知ったのは、ある日曜日の昼下がり。突然マンションにやってきたスミさんに、二人で夕飯を、と誘われた晩だった。豊は平治さんに頼まれて店の手伝いをしに行った。それも勘の良い豊のことだ、大人の事情を酌んで、自然とそうしてくれたのだろう。その晩、私はスミさんと近場のおでん屋に入り、豊のことを聞いた。豊が学校に行くふりをして店の手伝いで一日を過ごすようになって、二週間も経っていた。その話を聞いてすぐ、私は頭にすーっと血が上っていくのを明らかに感じるくらいに腹を立てた。どうして豊が責められる必要があるのか、何も悪いことをしていないではないか。畜生め。嫌がらせをしている側の生徒たちに対して、私は悪態をついた。そしてあろうことか、そんなつまらない嫌がらせのために母親である私に嘘をついて学校に行っていなかった豊のことまでも、責めた。「なぜそんなに弱いの、強くならなきゃダメなのに」と。

 しかし、スミさんは優しく私の言葉に頷きながらも、こう言った。

「子どもでも、大人でもなんでもさ。〝愛する〟っていうのは、〝ただ傍にいてやる〟ってことだと、私は思うんだよね。」


 豊がいない今、それもいなくなってしまって十年もの月日が経った今にして、スミさんの言葉が私の中で木霊する。

そうだ、二十年前、勝也を失ったのは私だけではなかった。豊も父親を失ったのだった。なんということか。私は自分の孤独ばかりを恐れていたのだった。一番近くで悲しみを分かち合い、私達は決して孤独ではないことを伝え抱きしめてやらねばならない豊という存在を、働いて良いものを食わせ、良いものを着せてやり、良い学校に通わせるということで、自分を納得させ満足させることに奔走していただけなのかもしれない。豊の孤独に寄り添うことをしなかった。そうすることで私は、自分が崩れ落ちてしまうことを避けていたのだろう。豊が学校へ行けなくなった時も、私は豊が嫌がらせを受けていることに向き合うわけでも豊を守るわけでもなく、つまるところ私は私自身を庇い守ろうとすることのみに躍起になっていただけだったのだ。


 大学を卒業した豊は、日本の財閥系トップの商社に入社した。しかし入社翌年にはバブルが崩壊し、私の美容室もその煽りを受けた。とはいえ、二十年以上仕事に突っ走ってきた私は、それを機に店を閉め少し休もう。そう決めた矢先であった。豊が出勤したままいなくなってしまったのだ。


 豊がいなくなってからというもの、私は眠ることも忘れ豊を探した。スミさんや平治さんも死に物狂いで探してくれた。失踪から1ヵ月ほど経った頃、警察から豊の物と思われる品が送られてきた。それは、上野駅近くの公園でベンチに置き去りにされていたという。豊の名前が入った名刺入れとともに、彼の使っていた財布と手帳、そして随分とくたびれた一冊の本だった。その本はどこかで見覚えのある本だが、思い出せない。何度も読まれてきたのか、背も剥がれ落ちそうになっており、表紙の布地も擦り切れて見えにくい。本を開くと、そこにはインパクトのある題名が記されていた。『破戒』と。


 豊が求めていたものを、豊の見ている方向を、一緒に考え見てやることをしなかった…。それは単純なことだった。「一緒にいる」ただそれだけのこと。十一歳だった少年は、父親を亡くしたと同時に、母親という私の姿も見失ってしまったのだ。



波の音が、ふいに豊の泣き声に聞こえてくる。私も気付くと泣いていた、その時だった。私の隣で、男の声がした。


[今あなたが死んでも、行くところは無いですよ。]


 なんと非情なことを言うのだろう。そう思いながらも、その声の温かさにほっとしている自分がいた。それは、「まだ生きていろ」と背中を押されたように聞こえたからだった。



 小野寺駿との出会いから九年ほどの月日が流れた。彼と出会ったからといって、飛躍的に私の人生が好転したかと言えば、そんなことは無かったように思う。むしろ、それまでの自分の人生には訪れたことのないような平穏で何も無い時間が、ただただ流れていったという感じであった。

 その間、私はかつて目を瞑っていたことに向き合うことに努めた。豊と勝也、三人で過ごしたこの新宿という街に、昔勝也が世話をしていた人間に力を借りて小さな喫茶店を開いた。この街に行き交う人間の香りは、今も昔も孤独と絶望、そして希望が入り混じっている。その香りを肌で感じていることが、勝也を感じることでもあり、真に彼を失っていくことでもあった。そしてまた、もしも豊が同じようにかつての生活を懐かしんでこの街を訪れた時、ふらりとここに立ち寄ってくれるかもしれない。或いは、あってはならぬことではあるが豊にもしものことがあった時、ここにいればその類の情報に事欠かないだろう、という気持ちもあった。


 無理を言って融通してもらったこの店は、もとより人通りといってもラブホテルを目指す男女や水商売の人間がちらほらあるだけの通りに佇んでいる。周囲をよく見ながら歩いていなければ気付かず通り過ぎてしまうくらい、規模も小さければ入口も小さく分かりずらい。特段のこだわりも含んでいないコーヒーや紅茶、ホットミルクの類に、軽食と言えばジャムトーストと付き合いで外注している栗羊羹だけ。手間のかかるものや酒は一切出さないし、無論ランチもやっていない。そして客とはほとんど言葉を交わさないようにしているが、迎える時は笑顔でお客の顔を見、客が帰る時には必ず、「いってらっしゃい」と言うことにしていた。大した客入りも見込めない立地と規模であったから、イチかバチか単価を高めに設定したが、来る客は来るのでなんとか経営は成り立った。このような街では、いつでもただ座って一服する場所があること、それだけでコーヒー一杯に五二〇円も払ってくれる人間が生きているのだ。その中に、一度でも豊の姿が紛れ込んでいることを願いながら、店の名は、『しまざき』と付けた。豊が残していったあの一冊の本に賭けたのだ。私は今日も一日、ほとんどの時間をこの店で過ごし、待っている。 


 小野寺とは当初から、私の無口さに沿って彼もあまり喋らなかった。ただ、新宿の歌舞伎町という街の柄につき、たまにとんでもない客や客にもならない輩の相手をしなければならないことがあった。この店が日本でも有数の組の息がかかった場所であることで大抵は若い衆が納めてくれはしたが、いつでも飛んできてくれるとは限らない。そんな時は小野寺がその異様な出で立ちと海軍仕込みという迫力で面倒な輩を対処してくれた。

 しかし唯一、この老いぼれ婆相手に手を挙げた男がいた。それはかつての夫だった。出稼ぎと言いながら、結局は故郷に居られず東京の工場や波止場で日雇い労働をしてはその賃金で飲み、摩りを繰り返しているということは風の噂で聞いていた。だが、まさか私の店にその姿を現すとは到底想定してはいなかった。だいたい、お互いに今更何を恨み合い罵り合う必要があろうか。しかしその晩も彼は酔っていた。しかも閉店間際の午前一時半、客が一人もいないタイミングにそれは起こった。来店草々彼は、「熱燗!」と一言大声を放ったかと思えば中央のテーブル席に陣取り、己の不甲斐なさや私への言われなき恨み節を時折叫ぶように独り言ち始めた。その姿はかつて同様の、全くもって質の悪い飲んだくれだった。私は瞬く間に彼と同じ空間にいることに身の毛がよだった。そもそも、どうやって私の居場所を突き止めたのか、或いはは偶然か。いくら客として入ってきたとはいえ、この街は私にとって神聖な地であり、店は家でもあるのだ、それをこの男に汚されるのは真っ平御免だと思った。私は男のいる席に冷たい水を一杯置き、「これ飲んだら出て行け。」と、静かに一言だけ言って踵を返した、その時だった。彼は後ろからその水を私に浴びせてきた。さらに、驚き振り返る私に向かってあろうことか唐突に握り拳で殴り掛かってきたのだった。その不意打ちに、私はよろめき右肩をカウンターに強打した。彼が泥酔していたことが幸いしてか、その拳の力もコントロールも滅茶苦茶だったので命中はしなかったものの、格好が付かない彼は手あたり次第に店内の椅子やテーブルを蹴り飛ばしていった。当然、彼が来店したあたりから小野寺は姿を現していた。しかし、酩酊した重度のアルコール中毒の男には見慣れた幻覚の一つとしか捉えられていなかったのか、小野寺効果、は発揮されずにいた。私は今度こそ、「殺される」そんな恐怖を感じた。と、同時にこうも感じた。


「まだ、死にたくない」と。


 その時、もの凄い勢いで店の扉を開け入ってきた人物がいた。

その人物が女か男かも判断し兼ねる、それは瞬間的な出来事だった。私の前に立ちはだかっていた男が私の視界から消え落ちたのだ。呼吸することだけで精一杯になっていた私を見下ろし、息を切らしていたのは若い女だった。男が失神していると確認した女は、明らかに震える手を抑えながら店の電話で三桁の番号を回していた。それから程なくして警察が到着し、男は現行犯逮捕をされ消えていった。一部始終、女は異様に冷静な様子であった。そんな光景を、私と小野寺はただただ唖然としながら眺めていたのだった。女は、「また、来ます。」そうとだけ言い残し、私が礼を言う暇も与えず明け方には姿を消していた。


 荒らされた店内の整頓は若い衆が手はずしてくれた。さすがに休んだ方がいい程に肩が上がらなくなっていた私は、二日後の昼過ぎに営業を再開することにした。営業再開の日の朝、店の窓際にアルバイト募集の張り紙を表に貼った。

 アルバイトの応募の電話は予想外に早かった。張り紙をした翌日に電話をかけてきた女性はその翌日、約束の時間より五分前に店に入ってきた。彼女はどこかオロオロとしたように聞いてきた。


「あの、早く着いてしまって、すみません。今日、アルバイトの面接をさせて頂くお約束を…していました。はた…いえ、杉下霞と申します。」


 私はどこか覚束ない彼女の様子から、都会に夢見て迷い込んできた飼い猫のような印象を抱いた。営業時間もここの土地柄もこの子には合わないのではないかと感じたが、約束をした以上は形だけでも面接をしておかないと可哀そうにも思い、彼女を端の席に通しコーヒーを出し、客が引くまで待っていてもらうことにした。待たせている間、彼女は店の中をキョロキョロと見回しては深呼吸を繰り返していた。たかだかこんな店の面接で、あそこまで緊張した様子ではいよいよここでの仕事は向いていないのではないか。彼女からの驚くべき第一声を聞くまで、私はそう思いこんでいた。


 三十分ほどして客が引いたので、私は意味があるのか無いのか疑問に感じながらも、店先の看板を「準備中」にひっくり返し、彼女の前に座った。私が彼女の目を見るやいなや、

「あの、お店再開できて、良かったです。」

彼女はそう言った。

 常連の顔は忘れないが、この子は今日が初めて来たはずでは? と私は疑問に思った。それを察してか、彼女は続けた。

「先日、大丈夫でしたか。お怪我は…。私、無我夢中でその…名も名乗らず、すみませんでした。」

 この子はあの晩のことを知っているというのだろうか…まさか、この子があの晩私を助けてくれた若い女だというのか…? いや、この子があんな、大の男を一発で失神させて、事後処理までやってのけた人物だとはとても思えない…。だが。私は言葉が出なかった。  

彼女は尚も続けた。

「前から、このお店に入ってみたいなあ、と思っていたんです。あの晩は眠れなくて、散歩…しながら、やっぱり歌舞伎町をあんな時間に歩いていたら不安になってきちゃって、それで、そういえばここのお店開いてるかな、って思って覗いたら、あんな…状態が。そこからは正直、後先考えず…。逆に警察なんて呼んじゃってご迷惑だったとしたら、ごめんなさい。働きたいのはもちろんなんですけど、そのお詫びもお伝えしたかった、んです。はい。」

 やはり、あの若い女はこの子だったのだ…。彼女が一瞬目を伏せたので、私はやっと声を出すことができた。

「お詫び…だなんて、そんな必要、まるでないのよ。むしろ、お礼を言いそびれてしまったのは私の方で…。ええと、本当にどうも有難うございました。この通り。」

 そう言って私は頭を下げた。だが霞は恐縮し、だからといって無理やり雇ってくれは言わない、とまで言う。物腰が柔らかくもどこか足場の覚束ない霞を見ていると、私はかつて自分が豊子さんに差し伸べられた手を、自分も差し出せるような気になっていた。人間を見るという仕事を長年してきたからか、私は何気なく彼女の左手の薬指に目を移す。その指の付け根には、真新しい日焼けの跡があった。彼女が過去に何を背負ってきたのかは知る由もないが、きっと背負うべきでもないものを背負って生きてこなければ、あの晩のような静かな鬼になれるものではない。しかし、咄嗟に善悪の区別と手加減ができる、ということはこの街で働く上で貴重な要素でもあった。結局、私は即決で彼女をアルバイトとして雇うことにした。

「じゃあ、お店は午前一一時から午前二時まで開けているのだけど、基本的に都合の良い時間だけ来てくれればいいわ。今いる子は、週に一日、数時間だけ来てくれるんだけど、来れない週もあるくらいだから。その辺は自由で構わない。そうそう、時給は八五〇円、二二時以降は一〇〇〇円にしているのだけど…それで良いかな。」

「良かった…がんばります。嬉しいです。よろしくお願いいたします。」

 彼女は少女のようなきらきらとした瞳でそう言うと、明日の開店時間の少し前に出勤するとだけ言い帰っていった。彼女の使ったコーヒーカップの横には、五二〇円が置かれていた。


 小野寺は、私と彼女の席から数席離れた席に腕を組んで座り宙を見ていた。彼の表情は、少し面白がるような、それでいて感心したような微笑みを浮かべていた。


 新宿の街からも珍しく月が綺麗に仰げる夜は、もしかしたら豊も同じ月を見ているかもしれない。そう思って乗り越えられた。ただ、新月の夜は決まって孤独に殺されてしまうように感じ、怯えた。だが、その度に小野寺は言った。「まだ、死んでも行くところはないと思う。」と。



 豊がいなくなって、二〇年が経とうとしている。私も既にいつ病院生活になろうと、或いは命が尽きようと不思議ではない年齢に近づいていると実感する。『しまむら』を開店してから一〇年待ったが、豊が店に現れることはもとより、その消息すら分からないままだ。いつまでも待っていることに、私は少々くたびれているのも事実だ。諦め、とは何か。それは何かを辞めることだけだろうか。投げ出すことだけなのだろうか。いや、違う。辛い物を食べ続けて痺れた下を、甘い物で濁すにはまた喉が渇いてしまう。水を飲むのだ。諦めるとは、そういうことだ。私は店を畳むことに決めた。そして、この命が自然と灯りを消す前に、「風の吹くまま気の向くまま」、この体と心が求める場所に向かってみよう。そう決めた。



 絹子さんとの別れは、上野駅の大きな歩道橋の上で訪れた。これまで俺が課題として関わった人間の中で、彼女は最も長い時間を共にした人物であった。春一番が過ぎ去り、いつになく空気が穏やかに澄んでいる。夕刻に近づき、上野駅は西陽を受けどこか懐かしく悲しい姿を見せていた。

 

 七〇年前の、あの朝方の上野駅が俺の脳裏に蘇る。俺は特別攻撃作戦への出撃命令が出された後与えられた休暇の晩遅くここ上野へ降り立ち、翌朝上野を発った。無論、これが最後と考えてのことであった。早朝、「駅まで見送る」と言って聞かなかったヨネは、それが俺との最後だろうということを察していたのであろう。俺も、最後は店の外で、ただの男と女としてヨネをこの目に焼き付けておきたいのが本音であった。別れの時、ヨネは俺にこう言った。


「いってらっしゃい。」


 戦地に赴く折にして、ましてや特別攻撃隊として出撃命令を受けたからには十死零生だ。行って、来る。ということはあまりにも儚い希望であるからこそ、その希望を打ち消すかの如く、俺達は残す人間にこう言ったものだ、

「ゆきます」と。

「また会おう」とは、自分の口からは決して言えなかった。だが、ヨネは、振り返らぬよう努める俺の背にむけて何度も繰り返した。


「いってらっしゃい。」


そして今、彼女が立っていた場所の真上に、絹子さんが立ち止まり俺の気配を感じて振り返る。


「小野寺さん、私行きます。」


 俺は、何故か悲しくはなかった。彼女はこれからやっと、純粋に彼女の命を「生きる」ための旅に出発するのだ。俺はそう感じ、少し微笑み頷いた。


「いってらっしゃい。」


 駅に向かう彼女の背に、俺は思わずそう叫ぶ。彼女はこちらを振り返らぬまま一歩立ち止まり、一度大きく息を吸って、吐く。そしてまた、駅に向かって歩いて行った。これが最後だと、不思議なことに俺も彼女も感じていたのだろう。

 彼女の背がビルの中に消えていった。すると、おおよそ一〇年ぶりにあの酷い頭痛と眩暈が俺を襲った。その痛みと気持ちの悪さは、いっそのこと殺してくれと言いたくなるような激しいものだった。その苦痛を感じ、「ああ、俺はまた帰れないのだ。」と、次なる課題が残されていることに落胆を感じざるを得なかった。

 

 ◇


 ひとしきりの苦痛から解き放たれると、どこかで見たことのある女性が夜中の庭で両膝を抱えてしゃがみ、煙草をふかしていた。俺は彼女の横顔が見える程度に進み、見下ろすのも申し訳ない気がしたので片膝をついてしゃがんでみた。無論、彼女にはまだ俺の姿は見えていないだろう。灯りが乏しく彼女の表情ははっきりと確認できないが、その小さな体全体から醸し出される陰鬱な雰囲気だけは、はっきりと感じられる。彼女の手には紙のような束が握りしめられていた。煙草を花壇で消した彼女が、手にした紙の束を一枚一枚眺めている。これは、写真だろうか。だがそこに写っているのは風景でも人物でもなく、何かの書類か画面だ…何かの証拠の類だろうか。


 彼女は足元に置いた小ぶりの白いじょうろをゆっくりと持ち上げたかと思えば、そのまま地面に水を落とし、窪んだ土の上に小さな水溜まりを作った。そして上着から出したライターで、その写真に火を点けた。写真は瞬く間に灰と化し、水溜まりの上で泥と同化した。と同時に、俺は小さな炎に照らされた彼女の顔に記憶を新たにした。その女性は、絹子さんの店で働いていた、あの女性、霞さんであったのだ。

霞さんは、ショベルで泥水を静かに混ぜ、しばらくすると花壇から土を掬い灰で濁った小さな水溜まりを固めていった。暗さに慣れた俺の目に映った彼女の顔は、数年前のあの晩、彼女が絹子さんを救った晩の、静かな鬼のそれだった。


 絹子さんに次ぐ俺の課題となる対象者が霞さんだと判明してから数週間、俺は黙って彼女の様子を観察していた。仮に俺が何か独り言ちようが、課題が始まってしばらくは彼女の耳には俺の出す物音すら聞こえないはずだ。俺は静かに彼女の限界と俺の限界が合致する瞬間を待っていた。


 しかしながら、女性というものはどうしてこうも賢いのだろう。細かい、と言えば語弊があるのかもしれないが、男の俺には到底成し得ない程に己の言動が及ぶ先々を見越して今を生きている、そう思わされることばかりだ。豊子さんにせよ絹子さんにせよ、そして霞さんにせよ、独りでいる時と誰かといる時、その状態の変化や落差の大きさには驚かされる。しかも、その差異には瞬間的に綿密なる計算式が含まれているということが、七〇年経ってやっと分かるようになってきた。まさに、世の中の女性全てが女優としての資質を持ち合わせて生まれた、と言っても過言ではないように感じる。もしも世の中の権威とされる立場の人間の大部分を女性が握っていたとするならば、この世はとても複雑で平和なものになっていただろう。戦争など起こる以前にやんわりと世界に格差を生じさせ、世を治めることができたであろうに。それが良いのか悪いのかは置いておいて、だが。


 反面、女性は時として驚くべき瞬発力と行動力で己の人生だけではなく、周囲の人間の人生までもを激変させてしまう影響力を持つことがあることも目の当たりにしてきた。豊子さんが子を産むため旅立ち、そして命を絶ったこと。絹子さんが命を絶とうとしながらもさらなる新たな道を見出していったこと。不思議なことに豊子さん、絹子さん、そして今度の霞さんは縁がある。これはとても興味深く、不思議に思う。もちろん俺が観察してきた人間の中には男性も数名いたが、「強くありたい」という言動が総じて彼らの原動力であったのに対し、女性たちは皆、己の強さをいかにコントロールするかに苦慮しながら生きていたように思う。男は強さを、女は弱さを、互いに己に生まれ持って無いものを己自身に装い、バランスを保とうとすることに努めて生きているのではなかろうか。


そうであるならば、果たして俺はどうだったのだろうか。俺は、強くなりたかったのか? 人間として生きていた頃の俺は、一体何者だったのだろうか…。一体、何をどうしたかったというのだろう。

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