いいから冒険者になりなさい
僕が断ると、八磨は特に意外そうにもせずに言葉を紡いだ。
「……理由を聞いても良いですか?」
「第一に、僕は僕自身の安寧と自由を最も大事にして生きてるということ。第二に、僕はダンジョンに人生最悪の思い出があるということ」
だから、嫌なんだ。そう言うと、八磨は少し考えるように目を伏せた後、僕の目を見た。
「だったら、寧ろ冒険者になった方が良いと思います」
「……どういう意味?」
目つきが鋭くなっているのを自覚するが、八磨は怯んだ様子も無い。
「先ず、嫌な思い出があるって言う話ですけど……これから大人になって、社会の中で生きていく上で経済に大きく関わっているダンジョンに触れずに生きるなんて、多分不可能ですよ。だったら、早い内にダンジョンに潜って、慣らしといた方が良いです」
「……言ってることは分かるけどね」
若いうちにトラウマを克服しとけという話だろう。だが、その言葉に頷く気にはなれない。僕は溜息を吐いた。
「次に、自由についてですけど、冒険者は世界で一番自由な職業です。勤務時間もノルマも何も決まってないですし、働きたい時に働きたいだけ働けばいいんですからね」
「まぁ、それは何となく分かるよ。だけど、大事なのはそれが世界で一番危険な職業でもあるってことでしょ?」
僕の言葉に八磨は首を振った。
「いや、よく勘違いされがちですけど、身の程を弁えられる人ならそれほど危険は無いです。知ってると思いますけど、ダンジョンは層ごとに強さが違うので、浅い層で戦えばそこまでの危険は無いですよ」
「……でも、ダンジョンごとに強さは違うんでしょ?」
「そうですよ。だから、予め調べて弱いダンジョンに行けば良いだけです」
どうやら、丸め込まれようとしているみたいだ。だけど、それだけじゃ足りない。
「正直、別に僕はお金に困ってないんだ。だからそもそも冒険者になる理由がない」
「ん? いや、ありますよ。強くなれます」
八磨の言葉に僕は目を丸めて、そして笑った。
「あはは、僕が強さに拘ると思う? そんなこと、僕からしたらどうでも良いよ」
僕はただ安全に楽をして生きていたいだけだ。
「────じゃあ、また今日みたいなことが起きたらどうするんですか?」
その問いかけに、僕は言葉を失った。
「どう、する……逃げる、とか」
「無理ですよ。今回は家が近かったからどうにかなりましたけど、ゴブリンと追いかけっこをしたら絶対負けますよ。そもそも、家の中が毎回安全って保証もないですし」
僕はまた言葉を失った。二の句が継げない、反論ができない。
「知ってますか? あの穴に呑まれた人はダンジョンの最下層に送り込まれるらしいですよ」
……やめろ。
「知ってますか? ダンジョンの近くにはダンジョンが出来やすいらしいですよ」
……もうあんな場所には行きたくないんだ。
「知ってますか? ダンジョンの出現頻度はどんどん高まってるらしいですよ」
……あの穴に、僕を引きずり込むな。
「知ってますか? ダンジョンから魔物が溢れるスタンピードって現象があるみたいですよ」
……何も言えない。言い返せない。ただ、体の奥底から恐怖が湧き上がってくる。
「それで、白羽さん。本当にこのままであなたの安寧は守れますか?」
もう、気付いた。気付かされたんだ。僕が安全だと思ってたこの家、この日本、この世界は、砂上の楼閣に過ぎないってことに。
「……分かったよ。僕も冒険者になる。でも、絶対に安全第一だ」
溜め息を吐きながら八磨を見ると、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「はいっ、もちろんですっ!」
「……はぁ」
その姿に、僕は苦悩に満ちた果てしない冒険の旅路を幻視した。
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