アドバイスをくれる人

増田朋美

アドバイスをくれる人

そろそろ師走と呼ばれる寒い季節になってきた。もう風が冷たくて、なかなか過ごしにくい季節になっている。これまでの暑さはどこかへ行ってしまったようだ。

その日、杉ちゃんたちは、いつも通りに、製鉄所にて水穂さんにご飯を食べさせようと、躍起になっていたところであった。

「こんにちは。右城先生いらっしゃいますか?あの、ぜひ彼にレッスンをしてやってくださいませんかね?」

そう言いながら、桂浩二くんが、製鉄所にやってきた。ちなみに製鉄所と言っても、鉄を作るところではなく、居場所がない女性たちに、勉強や仕事をするための部屋を貸し出す施設である。

「浩二くんどうしたの?レッスンって誰にだよ。」

杉ちゃんがそういうと、

「はい、彼ですよ。名前は太田義実さんです。ただいまというか、今年の4月から通信制高校に行き始めました。それまでは板金工だったそうですが、それは退職して、高校に通い始めたんだそうです。」

と、浩二くんは隣にいる男性を紹介した。みんなその人物を眺めたが、そこにいるのは、どう見ても高校生という感じではなく、80歳を超えたおじいちゃんである。

「でも、明らかに80は超えてるよな?」

杉ちゃんがいうと、

「初めまして。太田義実です。ただいま市川学園に通っています。ご紹介の通り、それまでは板金工だったのですが、もう少し知識を増やしたいと思いまして、市川学園に通いはじめました。」

と、その人はちょっと照れくさそうな感じでにこやかに挨拶をしたのだった。

「そうだけど、お前さんは何歳だよ?」

と、杉ちゃんが言うと、

「はい、ただいま84歳になりました。」

と、太田義実さんは答えた。

「はあ、それでピアノはどれくらいやってるの。楽譜はよめるんか?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、板金工をしながら練習していまして、ただいま献呈くらいならなんとか弾けます。」

と、答えるのである。

「献呈、ああ、リストの献呈ね。」

「じゃあ、そこにあるピアノを使っていいですから、弾いてみていただけますか?」

杉ちゃんがそういうと、水穂さんが言った。浩二くんがピアノの前に座るように促すと、太田義実さんは、ピアノを弾き始めた。 確かに音も間違えていないし、素人が聞いたらうまい演奏ということができるようになるのだと思われるが、、、。

「どうもなんだか痛々しいところがある演奏ですね。そうでなくて、もう少しのびのびと演奏できたら良いんですけど。例えば最初のメロディの持ってきかたなんかもそうなんですけど、それをもう少し抑揚をつけて弾いてみたら、もっと変わってくるのではないかなと思います。」

水穂さんは音楽の専門家らしくそういった。

「そうでしょうそうでしょう。僕もそう思ったんです。だから、右城先生みたいな人でないと、これは身につかないと思ったんです。先生、お願いしますよ。彼の演奏を聞いてやってください。」

浩二くんは、水穂さんが同じところを指摘してくれたのが、嬉しかったらしい。とてもうれしそうにそういうのだった。

「わかりました。じゃあもう一度、献呈の前半を弾いてみてくれますか。調がホ長調に変わる前のところまでです。そこから少しずつ直して行きましょう。」

水穂さんがそう言うと、太田義実さんは、献呈の前半部分を弾き始めた。

「そうですね。もう少し、イントロの流れを感じて弾いてもらえますか?」

太田義実さんはその通りにしたが、

「まだ痛々しいまんまだよなあ。」

と、杉ちゃんが言うほど、硬い演奏であった。

「それなら、まず初めにソプラノを響かせる事を考えて弾いてもらえますか?」

水穂さんがそう言うと、太田義実さんはその通りにしたが、

「やっぱり痛々しいなあ。なんか悪いところがあるんじゃないの?」

と、杉ちゃんが口を挟むほど、硬い演奏だった。

「まあ、長らくやってきた事を矯正するには難しいものがありますよね。ゆっくり直していきましょう。それでは、もう一度ソプラノをよく響かせて弾いてみてください。」

水穂さんがそう言うと、太田義実さんはまた同じところを弾いた。

「なんか献呈って言うより、痛みを我慢して、耐え忍んでいるような演奏に聞こえる。」

と、杉ちゃんに言われるほど太田さんの演奏は硬い演奏であった。

「まあ年寄りだから、頭が硬いってのも、あるかなあ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「まあそうかも知れませんね。でも、これから通信制の高校に通って、一生懸命勉強し直そうとしているんですよ。だから、そのうち、頭も柔らかくなるのではないかと思いますよ。」

と、浩二くんが言った。

「そうだよなあ。でも板金工やってたって言うけど、なんか硬いんだよな。板金工だけじゃないような気がするけどなあ。板金工だって、頭が柔らかくなくちゃできない仕事でもあるからなあ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「だって板金工は、車の表面の凸凹を取るのが仕事だよな。淡々と仕事してりゃいいっていう職業でも無いだろ。凹凸を取って、きれいにするのを想像しなければできないよな。まあどんな仕事だってそうかも知れないけどさ。頭が硬いままで、仕事することはできないよ。」

杉ちゃんに言われて、太田義実さんは、そうですねとだけ言った。

「絶対他になにか事情があったんだ。それはやっぱり、口に出して言わなくちゃだめだよ。自分の中で溜め込んどいちゃだめだ。そういうものは、ちゃんと吐き出して頭を空っぽにしなくちゃ何も始まらんよ。それにお前さん、そんなに頭が硬いんだったら、学校生活だって楽しくないだろう?違うかい?」

杉ちゃんはそう言って太田義実さんの肩を叩いた。

それと同時に。

「只今戻りました。」

という若い女性の声がした。

「ああおかえり、亀井さん。」

と、杉ちゃんが言った。太田義実さんが亀井さんとはどなたなんですかと聞くと、

「ええ、先月からこちらに来てくれている、女性なんですが、なんでも、毎日毎日、足が痛いと言って、病院で見てもらったんですが、それでも理由が分からないで、理由があったほうが幸せだって、泣きはらしてました。」

と、水穂さんが答えた。

「理由があったほうが幸せだって、異常がなくて、嬉しいなと思える気持ちにはならないのかな?」

杉ちゃんは言うのであるが、

「そう思えないほど、痛みが酷いんじゃないですか?」

水穂さんに言われて、そうだねえと杉ちゃんは言った。

「まあいずれにしても、彼女は、痛みさえなかったら幸せだと言ってたけどさ。影浦先生は、体にはどこにも異常はないし、血液検査でも何もなかったって言ってたよな。そういうことなら、もう大丈夫じゃないかって、思うことはできないもんかな?」

「多分、杉ちゃんの言う通りにできないほど、痛みが酷いので、できないのでは無いんですか?」

水穂さんがそう言うと、彼女はヨロヨロとあるきながら、四畳半にやってきた。

「只今戻りました。ああ、お客さんが来ているんですか。すみませんが私ちょっと休ませて頂きます。」

そう亀井さんは言って、方向を変えようとしたが、足が痛いようで、

「いたたたたあ、、、。」

と言って大きなため息をついた。

「だって、今日病院に行ったばかりではないか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうなんですけど、うつの薬をもらっても、何も変わりませんよ。もちろん、体に異常はないっていうんだったら、こんなに痛いはず無いじゃないですか。絶対異常があるんです。それなのに痛み止めどころか、鬱の薬しか出してもらえないんですよ。」

亀井さんは申し訳無さそうに言った。

「はあ、バファリンとか、そういうものは出してもらえなかったのか。」

「はい。オーバードーズの危険性があるので、それは出してもらえませんでした。だってこんなに痛いのに、痛みを止めてくれる薬があるんだったら、いくら体が悪くなっても、大量に飲んでもいいから飲みますよ。」

杉ちゃんがそう言うと、亀井さんは続けた。

「だからそれをしちゃうから、薬を出されないんだ。オーバードーズは危険だぜ。それでなくなった有名人もたくさん居るだろ。例えばマリリン・モンローとか、ジュディ・ガーランドみたいな人さ。」

杉ちゃんが言うと、

「そんな事を言っても通じないことだってあるのでは無いですか。それなら、すぐに薬を出してもらいたいですよ。だって私だってそういう事を何回も先生に言ってるんです。ですがどれだけレントゲンを撮っても、CTを撮っても、MRI撮っても、血液検査をしても、何も無いんですよ!こんなに痛いのに!」

と、亀井さんはヤケクソになって言うのだった。

「まあそう自棄になるな。まあ、そういうことであればそうしよう。とにかくお前さんの症状は、足が痛いこと、そして体の何をしても以上がないことだろ。その体を調べても何もないってことがある意味決定的な証拠になるかもよ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「それは影浦先生にも言われました!ですが、それ以外に決め手となる治療法が無いってことじゃないですか。だって体に異常がなければ何もできないって整形外科に断られたことがあるんですよ!それを何回経験したでしょうね!その言葉は、耳にタコができるくらい聞きました!私は、もうどうにもならないんじゃないですか!」

「まあ怒るな怒るな。そうなってしまうというのは、しょうがないでしょ。体に異常が無いのに、そんなに痛みがあるっていうんだったら、西洋医学ではなんとかできないのかもしれないよ。西洋医学は、薬出したり腫瘍を取ったりすることは得意なのかもしれないけど、体以外の異常を取り除くことは、難しいようだね。」

亀井さんが思わず怒るほど、痛みは酷いということが目に見えていた。確かに、西洋医学は、患部を切るとか、悪性腫瘍を取るとか、そういうことは得意なんだと思う。だけど、不得意な分野もかならずある。それはどのことでもそうだ。すべて万能ということはない。必ずなにか欠点があるものだと思っておかないと、人生上手く行かなくなってしまう。

「ちょっとお待ち下さい。」

と、太田義実さんが、杉ちゃんたちに言った。

「確かに、こちらの方の言うとおりだと思いますよ。西洋の医学ではできないことだってあると思います。そういうことなら、まあ宣伝するつもりはありませんが、それなら、日本独自の治療法が役に立つかもしれないですよね。それなら、例えばですけど、鍼とか灸などの日本の治療を受けたらどうでしょうか?」

「鍼や灸、そんな古臭いものの何が役に立つんですか。そんなもの年寄ばかりが、利用しているだけじゃないですか?」

太田義実さんの反応は、若い人であれば、そういうふうになってしまうかもしれなかった。

「そうかも知れないけどねえ。若いやつでも、スポーツ外傷とかで、鍼や灸にやってくるケースも有るようだぞ。」

と杉ちゃんが言うと、

「そうですね。僕もそれは聞いたことありますよ。鍼は、痛いから嫌だという誤解があるようですが、実際に鍼を打ってもらうと、すごく気持ちが良くて楽になれたという例もあるそうです。」

水穂さんも彼女に優しく言った。

「確かに私のような年寄が言うと、それでは、あまり信憑性がないと思われますが、それでも鍼とか灸、あとは、日本独自の治療法として、石を体に乗せて温める温石というのもあります。あるいは、体をマッサージしてもらって、血行を良くするというやり方もある。日本は、医療的に遅れているような事を言われてますが、そのとおりでは無いのかもしれません。いろんな治療法はありますよ。」

太田義実さんが優しく言った。

「でも、そんなもの、何になるんですか。そういうことは結局何にもならないで高額なお金を取るだけの、まやかしに過ぎませんよ。」

と、亀井さんが言うのであるが、

「でもだって、病気は治ってないでしょ。どうせ西洋式に検査したって、薬もらったって何にも良くなってないじゃないかよ。それなら、太田さんの言う通りにしたほうが良いと思うぞ。」

と、杉ちゃんは言った。

「でも、そんな単純なことで私が、治るとでも?」

「いえ、日本の文化は決して単純ではありません。単純なものから複雑なものを作ろうとするから難しいのです。だから、鍼や灸を演る人がみんな年寄りなのはそういうことです。年寄りでなければ、そのような複雑さを理解できないからです。」

水穂さんが、亀井さんに言った。

「なんなら、私と一緒に、行ってみますか?私が、以前、腰の痛みで、そこに通っていたことがありましたが、すごく親切な先生で、色々話を聞いてくださり、きちんと治療してくださいました。私は、運転免許はありませんが、電車とタクシーを使えばいけますよ。」

「結構です!どうせ、変な事言われて、高額な治療費を出されるだけでしょ。そんなところ行きませんよ。」

太田義実さんの話に、亀井さんはいうが、

「だって、お前さんは、足が痛いんだろ?それに、病院に行っても治らんのだろ?そして、薬をもらっても意味が無いんだろ?」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「そうですけど。」

亀井さんが言うと、

「じゃあ、おじいちゃんの言う通りにしろよ!亀の甲より年の功という言葉もある。若いやつは、年寄を信用しないというが、そうではないこともあるって、素直に従え。一回でいいから行ってみな。」

杉ちゃんに言われて、亀井さんは小さくなった。

「こちらです。私はここで治療を受けましたが、気持ちがとても楽になり、お陰で板金工を卒業したあと、高校へ行こうという気持ちになれました。きっと、あなたもそうだと思うんですけど、もう少し気軽になれたら、若い人はもっと変わるんじゃないですか?」

太田義実さんはにこやかに言った。

「お前さんだって、学校に戻りたいんだろ?」

と、杉ちゃんが言う。

「学校なんて、勉強する気持ちにならなければ、すぐ切り捨てだわ。」

亀井さんが吐き捨てるようにそう言うと、

「いえ、そんな事ありません。学校は、素晴らしいところですよ。一度社会から脱落すると、学校の事が本当に懐かしいというか、素晴らしいなと思われるようになるんです。私は、一度、脱落しましたからね。そのことがよく分かるんです。ここで、治療を受けて若いうちに、勉強を続けてください。」

太田義実さんは、そう言って、メモ用紙を亀井さんに渡した。

「だってあたしは、高校を留年したせいで、周りの人から何年もいじめられたんですよ。いじめられてもう生きていけないって、何回口走ったのでしょうか。それなのに私は、同級生を突き飛ばして怪我をさせたんです。弁護士の方は正当防衛だっていいましたけど、でも事実上は相手に謝らなければならなかったし。なんで私がって。」

「つまりあなたも、20歳以上で、高校生に慣れる可能性が十分にあるわけだ。」

太田義実さんは言った。

「大丈夫です。今は、いろんな機関を通して学び直しができる教育機関は十分にあります。だから今はゆっくり療養しましょう。ただその代わり、不満ばかり漏らしていてはいけません。それよりも、病気に立ち向かっていきたいと思う姿勢が大事です。ゆっくりだけど、前向きに生きることが何より大事なことだと思います。」

「ほら、亀の甲より年の功だろ。こうしてアドバイスもらえるんだから。な、その治療院だっけ?行ってみなよ。これなんてかいてあるんだ?」

杉ちゃんはメモ用紙を見て、水穂さんに言った。

「ええ、白岩治療院と描いてありますね。ああ、住所は伊豆の国市。というと、有名な観光地ですね。温泉に入りながらのんびり過ごしてくるといいですよ。」

水穂さんがそう言うと、

「どうせ体に異常が無いんだったら、行けるんじゃないのかな。そういうときこそ、自分を信じてな。体に異常が無いって信じれば、きっとそこまでたどり着けるし、治療も受けられるよ。大丈夫。お前さん行って来い。」

杉ちゃんがでかい声で言った。亀井さんはわかりましたと小さい声で言った。

翌日、亀井さんは痛い足を引きずりながら、でも、ちゃんとカバンを持って、富士駅へ向かった。そして東海道線で三島駅向かい、伊豆箱根鉄道駿豆線で伊豆長岡駅へ向かう。駅から歩いて数分のところで治療院はあるそうなのだ。亀井さんは、スマートフォンの案内を頼りにその治療院に向かっていった。

杉ちゃんと水穂さんが、いつも通りにお昼ごはんを食べていたその時。水穂さんのスマートフォンが鳴った。

「あ、メールですね。」

水穂さんは、急いでメール画面を開いた。

「はあ無事に施術は終わったようですね。狐に包まれたみたいな感じですか。それでは、無事に素直に施術を受けてくれたのかな?」

水穂さんがほっとため息を付く。

「それにしても、84歳の高校生は、どうして彼女の事をああして助けることができたんだろうか?」

杉ちゃんは、腕組みをして言った。

「それはやっぱり、杉ちゃんが言うとおりだったんじゃないかな?」

水穂さんは、スマートフォンで返信をうちながら言った。

「つまり亀の甲より年の功ですよ。」

「なるほどねえ。」

杉ちゃんは、目の前にある蕎麦をガツガツ食べながら言った。

「まあ、悩む高校生は多いんだろうけど、ああいう経験豊富な高校生がいてくれてもいいよな。なんかきっと、若い高校生を扱う学校の先生よりもあの学生はきっと偉いぞ。なんていうのかな、悩んでいる高校生と話しをして、それに合うアドバイスをする、高校生活アドバイザーみたいな?ははははは。」

水穂さんは、そういう杉ちゃんの顔を見て、ちょっとため息をついて、

「そうですね、たしかに今の時代は、そういう人がいてもいいのかもしれないですね。」

と小さい声で言った。

「まもなく、亀井さんが戻ってくると思いますから、僕たちは暖かく迎えてあげなくちゃ。」

そういう水穂さんの傍らで、杉ちゃんの方はむしゃむしゃと蕎麦を食べているのだった。杉ちゃんみたいにいつまでも明るい人は、幸せだ。そして、亀井さんにアドバイスしてくれた、高校生活アドバイザーのような、太田義実さんも、きっと幸せな人生だったのだろう。そういうことだから、彼女にアドバイスすることができたのだ。




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アドバイスをくれる人 増田朋美 @masubuchi4996

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