4-9:逃亡劇


 私が危険を冒してまで、商人連合会に掴まった理由。

 それは相手の後ろ盾、第二王子を味方に引き入れるためだった。

 殿下を揺さぶり面会に漕ぎつけ、同時に株価の高騰や海図の広まりで、商人達の期待を突きつける。

 期待に応えて商圏を支えるか、それとも好機を潰した人として名を残すか――選んでもらったのだ。

 勝算はあった。


 まず、嫌でも聞こえてくる、王子殿下の評判。大商会が牛耳る王国内で、王家もまた商業での評判を少しずつ落としている。

 そんな王子には、連合会のしがらみを抜け出す動機もありそうだった。まして今回の規制は、商いを大商会優位に傾ける、さらなるしがらみなのだから。


 そして、『海軍による海域封鎖』なんてお金がかかりそうな手札を、商人連合会は丸ごと王家に頼っていること。

 商人連合会と王家の関係は、かつて商人優位だった。

 けれど今、商人連合会は、王家がいなければ勢力を維持できない。パワーバランスは王家に傾き、王家の方針変更を止める力はおそらくない。


 王子は味方につけられるかも――私達はそう判断し、商談は成功した。

 北方商圏で一番大きな懸念は、王族の命で海軍が動き、航路が塞がれる可能性。それが消えた今、商圏には大きな目処がたつ。『海の株式会社』も生き残れるだろう。


 さて、後は脱出だ。

 第二王子殿下は、灰色の僧侶風ローブを渡してくる。


「これを羽織れば、護衛に紛れられるはずだ」


 なるほど。正体を隠して外へ出る、ということですか。

 私は頬に指を当て、ちょっと考える。

 拙速な脱出だったら、開拓騎士団やフィレス王国からの助けを待った方が、賢明かもしれない。


「地下へ降りた人数より多く外へ出れば、怪しまれませんか?」

「君が起こした高騰に、海図の配布で、商会は混乱しているらしい。見張りもおざなりだし、肝心のブルーノも上役に呼びつけられている」

「それは――」


 思わぬ好機だ。


「では、遠慮なく」


 素早くローブを羽織る。

 ……でも考えてみたけれど、かなり荒っぽいなぁ。もし見つかったら、王子の護衛を巻き込んだ荒事になるわけで。


「ふむ……?」


 殿下はローブを羽織った私を見て、首を傾げる。スカートの部分が、どうしてもふわりと膨らんでいるのだ。令嬢の衣服は、腰回りに針金が入って、少し膨らんでしまう。


「やはり、少し目立つか……?」

「ああ、これは心配ありません。少し、後ろを向いてもらっても?」


 訝る殿下が背中を向けると、私はローブのまま屈む。

 スカートの中に手を突っ込んで、膨らみを作っている針金を抜き取ってしまう。すると左右に広がっていたスカートは、ストンと下に落ちるシルエットとなった。


「さぁ、もう大丈夫ですわ」


 振り向いた殿下は、私が針金を持っているのを見て銀の目を瞬かせた。


「……君は、さては色々と準備をしていたな?」

「無策で飛び込むほど、向こう見ずではありませんよ」


 ちょっと舌を出してみると、苦笑する殿下。


「私も、いくらか手を考えた。すまないが、何か、そう――手放してよい布はあるかな?」


 そうして準備を素早く整える。

 王子を守る6人の護衛に、私は紛れた。

 俯いて顔を見せないようにしながら、地下室の階段を上りきる。

 さすがに地上では、商人連合会の見張りが4人ほど待っていた。彼らは王子殿下に一礼する。


「お話は?」

「終わった。令嬢にこれを返しておいてくれ」


 殿下が彼らに突き出したのは、私の白いハンカチだ。

 貴族の娘は、騎士や意中の男性に布切れを渡す伝統がある。別れの挨拶でもあり、『私のために戦ってくださいませ』という願いの意味も。

 男性側が一度は布を受け取り、そして返すということは――交渉は破談だ。


「おい、こりゃ――」

「へぇ……」


 商会員の頭に、泣きつく令嬢と、ハンカチを押し付けられた王子の姿が浮かんだかもしれない。

 見張り達には下品な好奇心が透けて見えた。

 ……なるほど。

 私を悪女と信じこんでいると、これは当然で自然な流れ。

 これで彼らは、悪女クリスティナが地下にいると思う。そんな状態の私を早く見たいのか、役目を疎ましく思うかのようにそわそわしていた。


「私はいく。よいかな?」

「お、恐れながら、少しブルーノ様をお待ちになっても……」

「では、外の馬車で待っている。立場上、あまり目につきたくない」


 本当の目的は、ひっそり連れだした令嬢がいるせいだけどね。

 私は苦笑した。


「か、かしこまりました」


 見張り達が道を開けた。

 ローブを羽織った殿下達と私は、なんとか難関を突破する。

 ほっと全身から力が抜けた。


「ブルーノは……いないようですわね」


 私はぽつりとつぶやいて、辺りを見回した。

 どうやら地下室は、商館の納入口と繋がっていたらしい。何も知らない商人達が馬車や荷車を引いて、今も地下への入り口付近まで訪れていた。

 この下に尋問用のスペースがあるなんて、まさか誰も思わないでしょう。

 一方、王子らは納入口とは別の方向へ向かうようだ。

 そちらにも、また違う出口がある。来賓用のものかもしれない。


「おや、お帰りですか?」


 その時、後ろから声がかけられた。

 ブルーノの声。ぎくりと体が固まりそうになるのを、ギリギリでこらえた。


「令嬢はどうしています?」


 そう言いながら、近づいてくる。


「あ、ああ……」


 王子は、ぽんと私の背中を押した。

 護衛達に指示を出す。


「何人か、先に馬車の準備をしていてくれ」


 お見事!と私は思った。

 ローブ姿は王子と共に止まる方、そのまま進む方に別れる。先行して馬車を準備するとすれば、これはまったく不自然ではない。

 もちろん、私は先へ進む方だ。

 殿下の機転には感謝しないといけない。

 後ろで王子とブルーノが話す声。

 振り返りつつ、胸を撫でおろした。まさにその直後、私はどんと誰かにぶつかる。


「ご、ごめんなさい」

「ったく、気をつけろ!」


 ……声に、妙に聞き覚えがあった。

 ぶつかった巨体と目が合う。

 どこか見覚えがある大男だった。商人とは思えない荒々しい黒髭に、海賊帽子が似合いそうなギョロ目。

 ハルさんの言葉が甦る。

 まるで――


灰色熊グリズリー――」

「ベアズリーだ!」


 あんぐりと口を開けてしまう。

 ま、まさかシェリウッドで相対した商人と、こんなところで会うなんて!

 グリ――いえ、商人ベアズリーは顎をなでる。目をパチパチやっていた。


「あん? その言い間違いは……」


 相手の目がまん丸に見開かれている。

 こっちは、顔がどんどん青くなっているだろう。

 ……そういえばこの人、シェリウッドを出て、商人連合会に行ったと聞いていたような!?


「てめぇ、クリスティナ!?」


 大声がわんと響き渡る。慌ててフードを目深に被る私。周りから視線が注がれる。

 見回すと、呆れている王子と、こちらへ瞠目するブルーノの姿が映った。青白い顔が、怒りに染まる。


「つ、捕まえろぉぉぉお!」


 近くにいた商会員がわっと押し寄せた。

 殿下の護衛が守ってくれるけど、さすがに数は向こうが多い。目当ての出口も、ベアズリーの巨体で塞ぎ済みだ。


「結局、こうなるなんて!」


 駆け出すしかない!

 回れ右。もちろん倉庫方面には戻れない。イチかバチか、先の見えない逆方向の廊下へ向かう。

 後ろからバタバタと大勢が追ってきた。

 商人もこうなると体力勝負だ。領主様のお屋敷へ続く坂を上ったり、重たい樽を抱えて歩いたり、そんなあれやこれやが去来して――ありがたいやら、情けないやら。


「ああ、もう!」


 あとちょっとだったのに、なんて間抜けなことをしてしまったんだろう!

 私は窓をちらりと見て、外に一台の馬車が停まっていることに気がついた。

 そしてそこには、客車のドアを開けて、遅めのお昼御飯を食べているらしい女の子がいる。

 その髪はニンジンみたいな赤毛で、おさげで。

 手にはサンドイッチ。

 いざ食べようと開けた大きな口のまま、目も真ん丸にして、私を見た。


「クリスティナ様!?」

「ハルさん!?」


 どうしてここに、なんて聞く暇もない。

 駆けるなか、窓は一瞬で過ぎ去る。後ろにはベアズリー達が追ってきて、どうしたってもう、戻れない。

 後ろからハルさんの声。


「ログ! ログ! 大変、いた! いたよぉ!」


 馬の嘶き。馬車が動き出す。

 また、馬車の姿が窓に見えた。客車から叫んでくる、ハルさんも。


「その先を曲がって、左です!」

「でもなんで」

「早く早くう!」


 どたどたと凄まじい音を立て、ベアズリー達が追ってきていた。これじゃ、ベアじゃなくてボアだ。

 まっすぐな廊下を走り、書類を持った人を申し訳なくも押し退ける。舞い散った紙を踏んづけた追っ手が何人か滑って転んだ。

 商会の中は大混乱だ。


「気を付けろ!」

「香辛料を倒すなぁ!」


 でも角を曲がったところで、屈強な人足達が通せんぼ。

 出口はすぐそこのようなのに!


「まずい、かも……!」

「いらっしゃあい、お嬢ちゃん」


 男達がにやりと笑う。

 大きな手が私に伸ばされた。身がすくんだ時――壁のような彼らが、左右に押しのけられた。空いた隙間に、見知った顔。

 日焼けして、黒髪で、琥珀色の目で――


「ログさん!」


 たくましい腕が差し出される。


「こっちだ!」


 手を繋ぐ。

 押しのけられ、転倒する人足。

 破れかぶれの拳がログさんの頭や肩に当たったが、ログさんは私を守るように全てを引き受けた。

 手を引かれ、走る。

 裏口から外へ出た。

 玄関や倉庫から回ってきたのか、ブルーノやベアズリーが追ってくる。

 馬に乗っている人までいた。


「ログ! クリスティナ様!」


 ハルさんが、走っている馬車のドアを開く。

 まずはログさんが足をかけて飛び移り、私をほとんど片手で抱え上げる。思わずぎゅっとログさんの胸に抱き着いた。

 背後から悔しがる大勢の声。

 全力疾走したせいか、それとも馬車に掴まりながらログさんに抱かれているせいか、心臓がやたらと波打っている。


「まてぇ!」


 馬で追ってくる複数の商人。そこに、ハルさんが小さな瓶を投げつけた。

 先頭にいた一人に、中身が盛大に降り注ぐ。

 竿立になる馬。乗り手は手綱から手を滑らせて地面に落ち、液だまりを踏んだベアズリーも倒れていた。巨体に塞がれて、後続の人も馬も通せんぼされる。


「な、なんですか、あれ!?」


 加速する馬車の中、私は肩で息をするハルさんに尋ねる。


「ぎょ、魚油ぎょゆ、です。夜のランプ用に、持ってきてたんですけど」

「うわぁ……」


 ……ケガなんてしていないといいけれど。あれ、滑るんですよねぇ……。

 馬車は商館を離れて、軽やかにリューネの街を駆け抜ける。からん、からんと、鐘の音が遠くで平和に鳴っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る