4-7:証券取引所

【お詫び】


 先ほど、誤って先の話数『4-10』を投稿してしまいました(すでに非公開対応済み)。

 こちら『4-7:証券取引所』が1月24日の更新分となります。

 分かりづらくしてしまい、申し訳ございません。


―――――――――――――――




 からん、からん、と鐘の音。

 リューネにある取引所は、羊毛から金塊まで、ありとあらゆるものを取り扱う。一日の終わりに商いを締め、その日最後の取引でつけられた値段――終値おわりねを、各産物ごとに公表していた。

 鐘の音は、そんな終値が今日も告示される合図である。

 産物の値を書いた立札が、次々と掲げられる。

 子供たちがいっせいに声をあげ走りだすのは、終値を連絡するよう商人達が雇っているからだ。

 いつもの時刻、いつもの手続き。

 しかし今日の取引所は、異様な熱気に包まれていた。


 ――終値ぇ! 終値ぇ!


 叫ぶ役人の声は、火事を見たように猛っていた。

 取引が終わった後だというのに、商人の悲鳴も、子供の歓声も、鐘の音も、止まらない。むしろ喧騒と熱狂が次々と人を呼び集めて、騒ぎが広がっていく有様だ。

 やがて風にあおられた野火のように、熱狂はリューネ全体へ伝わっていくだろう。


「暴騰だ」


 誰かが呟く。購入した証券、その番号を陽にかざした。


「……なんだ、この『株券』ってやつは……!?」


 神聖ロマニア王国では、中小の商人が資本を集約するための仕組み――株式会社は知られていなかった。だから『株券』が市場で売られたのも初めてのことだし、値がついたのも初めてのこと。

 そしてその値段、株価が取引開始からゆうに2倍も値上がりしていた。


 株券の名前は、『海洋の翼株式会社』。


 そんな取引所の片隅に、空き倉庫を急遽改修した事務所があった。

 青の羽を帽子で揺らしながら、一人の商人が満足げに腕組みする。


「ふふ! 騒ぎを起こすのは、自分でやると気持ちがいいものだね」


 フィレス王国の第四王子、エンリケだった。

 今は新興の販売会社『海洋の翼株式会社』の社長でもある。

 株券を売る即席店舗は、公証人と銀行家を七人ずつ常駐させ、王子の信用にものをいわせて短期間で態勢を整えていた。

 店には『閉場』の看板が出ていたが、多くの市民が遠巻きに、興味深そうにエンリケらを眺めている。

 金髪をかき上げると、海風が火照った顔に心地よい。


「噂は広がってる。やっぱり鍵はこれか」


 エンリケは目を細めて、テーブルから一枚の地図を取った。


「さすが、商聖女。こちらの海図だって、大当たりだ」


 クリスティナが作り上げた、北方商圏の海図。

 その印刷が始まったのは、丁度7日前だ。最初は開拓騎士団など口の堅い商人にのみ配られ、だんだんと範囲を拡大。噂が流れだしたのを確認し、今日は大々的に配っていた。

 海図だけでも大騒ぎになっただろうが、そこに取引所である。


 エンリケはもともと、北方商圏で交易する株式会社を設立予定だった。クリスティナの発案で、その『株式』――チケットの形なので、株券だが――をリューネの取引所で売り始める。

 結果が今の状況だ。

 海図が注目を浴びていた中で、エンリケの株式会社にも商人の投資が集中する。それは取引所にいる商人、つまりリューネにいる全ての商人に、北方商圏がいかに有望かを突きつけた。

 株価は期待を映し出し、儲かりそうなところには、さらに投資が集まるもの。

 噂が噂を呼び、期待が期待を呼び、北方商圏への夢はさらに膨らみだす。


 商人連合会が北方商圏を潰そうとしている中、特大の看板を出したようなものだった。


 脅しや嫌がらせなど、山火事に水差しで立ち向かうようなものだろう。

 すでに材木や防水材など、造船材料が値上がりを始めている。海上交易が活発になることを商人は読みだしたのだ。品評会まであと2週間だが、その頃にはリューネの事務所は空きがずいぶん多くなるかもしれない。

 喧騒を心地よく感じながら、エンリケは天を仰ぐ。


「……ギュンターさんにも見せたかったなぁ」


 師となる交易商は、楽園島に戻っている。今頃は品評会のニシンを積み込んでいるはずだ。

 リューネに戻ったら、商圏の盛り上がりにさぞや驚くことだろう。


 現に一日通して、市場では様々な構想が話された。

 北方の羊毛を、同じ北方に運んで北方柄ノルディスクとして売り出せば、西方で需要があるかもしれない。

 開拓騎士団の炭と鉄を、直接海の東へ運べば、東方にも武具の買い手がいる。

 塩漬けニシンは販路が広がったことで、漁場と漁期の異なる塩ダラと合わせ、引き合いが無数に生まれていた。


「まったく、まるで魔法だ」


 夏空を見上げ、エンリケは呟く。

 この町全体が一つの幻を――まだ存在していない、これから生まれるかもしれない北方商圏という夢を見ている。

 商人連合会に押さえつけられた人々にとって、新たな商圏の規模は、希望そのものだった。

 部下の一人が、上機嫌に言う。


「……後は、ご令嬢の商談次第ですね」

「うん」


 心が晴れやかなのは、エンリケとしても嬉しいからだ。

 これほどの大仕事をクリスティナはエンリケに任せた。

 商聖女に見込まれたのは、世界中に言いふらしたいほど誇らしい。


 そして仲間として、彼女の変化が喜ばしかった。

 もともと彼女に商才はあった。その分、一人で頑張りすぎた。それが他人の才も信じて、任せられようになったのだろう。

 経営者とは人を使うもの。

 リューネでの騒動、特に教会でのログとの一件は、きっと彼女自身をも変えている。君が他人を心配するのと同じくらい、周りも君が好きなのだ。

 エンリケは頬を緩める。


「……商聖女、魔法の続きを、お願いしますよ?」


 期待が実体になるかどうかは、後はクリスティナの交渉にかかっていた。



     ◆



 鐘の音が聞こえて、ログとハルはそろって馬車の窓から顔を出す。

 2人は何百枚という『海図』を朝からあちこちで配っていた。開拓騎士団の手まで借りて、本当に総力戦である。

 最初は訝しんでいた商人達も、見る人が見れば、『海図』の価値はわかる。


 やがて2人に群がるように商人、市民、貿易をしない職人まで集まって、ログ達は最後には『1人1枚まで!』と叫ばなければならなかった。

 クリスティナが作った海図は、エンリケや開拓騎士団の伝手で印刷にかけたもの。用意は1000枚近くあったが、取引所が閉まる昼過ぎには、もう配り終えていた。

 大仕事を終えた疲れから、2人は馬車で休んでいたというわけである。


「……ログ」

「ああ」


 二人は呟きあう。

 成果は出たらしい。

 商人の使いらしい青年が、商会の並ぶ通りを、暴騰だ、暴騰だ、と叫びながら走っていく。2人が顔を見合わせて耳をすますと、遠くからまた鐘の音が響いてきた。

 どよめきと一緒に、周りにいた商人らが市場の方に走っていく。

 ハルがへなへなと座席にへたり込んだ。


「……うまく、いったんです?」

「多分な」


 ログも椅子に座り直し、にやりとした。


「社長は、この街でも、でかい商いを当てた。まったく、すげぇ人だよ」


 大勢が市場へ向かう様子は、まるで魚群だ。取引所で今日の値上がり品目、そしてエンリケの『海洋の翼株式会社』の株価を見れば、北方商圏への期待は嫌でも高まる。

 一網打尽だ。


「ログリス殿! ここにいましたか!」


 開拓騎士団の団員が、馬車のドアを叩いた。


「商館へ入っていた仲間から、連絡が。捕まった令嬢は、商人連合会の、フランド商会へ連れていかれたようです」

「ということは商館か……」


 大商会は、事務所と倉庫を兼ねた建物を大都市に持っている。それが商館だ。

 ログはすぐに馬車を出て、御者の方へ回る。


「御者さん。商人連合会がある、商館通りの方へ向かえるか?」

「え、ええ。構いませんが……行ってどうするんです?」


 ハルも慌てて飛び降りて来る。


「ログ!? クリスティナ様、捕まってますけど、行ってもまだハル達なにもできないですよ……?」


 ログは首を振った。彼女のことを考えると、力が湧いてくる。


「これだけ街が騒いでるんだ。じっとしている人じゃないだろ?」


 喧騒の流れとは逆に、馬車は街の奥――クリスティナがいるであろう、商館通りへと向かう。

 交渉を終えた彼女を無事保護することが、ログが引き受けた仕事だった。



―――――――――――――――


キーワード解説


〔証券取引所〕


債券や株券といった有価証券を取り扱う取引所のこと。

色々な産物が集まる街には、決済のための銀行や、損害を補填する保険などが集まる。

産物を商う取引所があった場所は、訪れる船も多く、大陸間交易など大きな事業も起こりやすい。

事業が大きければ大勢による出資と利益(又は損失)の分担が必要となり、

出資での資金調達を行う目的から、証券取引所はそうした大都市に整備された。


〔塩ダラ〕

中世ヨーロッパの、塩漬けニシンに並ぶ主要海産物。

ニシンに比べて脂は少なめ。

そのため傷みにくく日干しで保管できる、風味にクセがない、など勝っている点もある。

(風味は好き好きだが)

しかしニシンのように巨大な群れで沿岸に押し寄せたりしないので、

大量漁獲による利用はニシンよりも遅れた。



いつもお読みいただきありがとうございます。

本作も、いよいよ終わりが見えてまいりました。

最後までお付き合いをいただければ幸いです。

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