4-6:クリスティナの『魔法』


 王子殿下――神聖ロマニア王国第二王子、アーベル殿下らはほどなく地下倉庫へやってきた。

 僧侶風のローブ姿が5人ほど現れ、そのうちの1人がフードを取る。

 それが、第二王子殿下だった。

 銀髪がさらりと流れる。切れ長の目をした端正な顔立ちだけど、細い眉と赤みのある頬がどこか幼さも感じさせた。

 変わらない、と私は思う。

 1年前、私を追放した時と。


「殿下――」


 呟く。

 ぶるりと震えてしまいそうになるのは、きっと冷えた地下のせいだけじゃない。

 王子殿下の周りにいるフードをとらない数名は、おそらく護衛だろう。男か女かもわからないが、私から王子を守るように立っていた。

 殿下は護衛を手つきでさがらせると、こちらへ歩いてくる。

 もう貴族令嬢ではないけれど、私は一礼カーテシーを送った。


「お久しぶりです、王子殿下」


 ブルーノは一歩下がり、さも困ったように私を見やる。


「殿下。この女は、罪人で、リューネでもまた多くの商人をたぶらかしています。衛兵の詰所でなくこの場で拘束していますのは――」

「説明はいい」


 少し掠れた静かな声音。その声も、かつてのことを思い出させて息苦しい。

 私の婚約者であった人。そして――無実の罪を着せ、追放した方でもある。


「商人連合会、地下から出ろ。私は彼女と話をしたい」

「しかし……」

「意見があるのか」


 ブルーノは表情を消してから、ほほ笑んだ。


「いいえ。しかし、おそれながら王家は連合会に借り入れがあること、お忘れなく? 毛皮に絹、それに麝香じゃこうの支払いがまだであること、王妃様にお言伝をお願いします」


 ブルーノは最後に苦々しく私に目を向け、出ていこうとした。


「待て」


 殿下がそれを呼び止める。


「……クリスティナの囚われた部屋は、あまりにも狭く、空気も悪い。窓もないだろう」

「悪女でありますので……それが何か?」

「場所を、入口の近くの部屋に変えてほしい。空気が入る方が、令嬢も話しやすいだろう。もともと、ふとした拍子に体を壊すこともあった」


 こほんと咳き込んでしまった私を見て、ブルーノは嫌な顔をした。喉や肺を悪くされても面倒だと思ったのだろう。


「では、階段よりのあちらの部屋へ。近くに空気取りの窓がありますが、騒いでも無駄ですよ? 内側からの声は、外に響きづらい造りなのです」


 そこも薄暗い部屋だったが、テーブルと椅子があり、火のついたランプが壁にかけられていた。倉庫番の詰所か、在庫管理の書き物をするための部屋なのだろう。

 地べたに転がされていたさっきよりは、何倍もマシだ。

 ブルーノが部下と共に階段へ向かい、最後にこちらへ振り向く。


「では、お元気で。ニシン売りヘリンガー


 見開いた目に、暴力の気配がする。穏やかな商人の仮面を脱ぎ捨てた、彼の本性だろうか。

 商売敵を捕らえ、暴力で脅しつけたというのは、本当だと思えた。

 また震えてくる手を、ぎゅっと握って抑える。心を奮い立たせて、私は殿下と向かい合って座った。


「ご健勝で何よりでございます」

「君も、息災で……」


 言いかける王子。

 思わず視線が交わり、私は苦笑した。

 北の流刑地に追放した相手に『息災』なんて、皮肉でしかない。


「すまない」

「お気になさらず。けっこう、楽しんでいますので」


 肩をすくめたおかげで、少し緊張が解ける。

 あんなに恐れていた相手なのに。覚悟がきまっているせいか、頭も口もくるくると回る。


「それに謝って済む話ではございませんし、今日は過去の話をしにきたのではありません」

「……そうか」


 王子は整った顔で困惑していたが、やがて頭を振る。銀髪が左右に揺れた。


「仔細はよそう。君の狙いはなんだ?」


 鋭い目で王子が取り出したのは、一枚の書状だ。


「今朝、私宛の、債権の督促状が届いていた。実際に王家で使ったこともある商人で、慌てて開けたが……中身はこれだ」


 見せられなくても、内容は知っている。

 私が書いたものなのだから。


 ――令嬢クリスティナが商人連合会に捕らえられる。

 ――あなたに重要な商談がある。

 ――尋問、口止め、会う口実はお好きにどうぞ。


 アーベル殿下は額を押さえ、息をつく。


「王家は、かつては金遣いが荒かった。今も多くの商人に返済を続けている状況にある。『督促状』と書けば、直通で私へいくと思ったか?」

「ええ。名前を騙ったのは恥ずかしいことですが……あなたが直接見る形で文を送る術は限られていますので」


 ちょっと首をすくめる。


「品評会が決まってから、何度か、お手紙は出したのですよ? それでも返事がありませんので、このような形を取らせていただきました」


 『督促状』に扮した手紙も、捕まって相手の懐に飛び込んだのも、王子と会うための手段だ。

 王子は頭痛がしたようにこめかみに指を当てる。


「出てこないこちらを揺さぶったということか。相変わらず、なんて大胆なんだ」

「これでも、ギリギリまで待ちましたので」


 私としても、ログさんや、みんなから勇気をもらえなければ、捕まるなんて無茶はやらなかっただろう。

 犠牲になるつもりはない。きちんと島に笑って帰るために、今は危険を冒すのだ。

 王子殿下の立場を、私は確認していく。


「私との話を拒んでいたのは、王家の方針からですか?」

「うむ。王家は体面上、商人連合会を支持している。さすがに、今の君と正式な形で会うわけにはいかない。連合会も許すまい」


 体面上、ね。これは大事な前置きだ。

 なぜなら裏の意味があるということだもの。

 唇を湿して、王子殿下へ問いただす。


「殿下。今回の規制、そして外国商人の閉め出しは、殿下のご判断でしょうか?」

「……まさか」


 殿下は視線をさ迷わせた。


「クリスティナ。君には読めているだろう? これは、商人連合会が――だんだんと立場をなくしていく大商会が、最後の賭けに出たんだ。彼らは、王国内で権勢を保ちたい。そして体制を立て直すには、今しかない。時間が経てばたつほど、海路が有利になる」

「殿下。それでは、王国内の商人も――特に規模の小さな商人も、たいへんな苦労をすると思いますけれど」

「そうだな。規制や関税で廃業するのはまだいい。カネを返すために、船や自分の身を海軍に売ったりする者もいる」


 殿下は口を結んでいた。

 私は次の言葉を待つ。王家がどうして、自国の商いが弱まるのを座してみているか、理由が知りたかった。


「……だが王国は、特に父王はこれをチャンスとみた」

「チャンス?」


 殿下は顔を歪め、顎を引く。

 もともと商いに疎いわけではなく、民の言葉もよく聞く人だった。

 ダンヴァース様が教えてくれたところでは、この人は貴族や大商人を押さえきれず私を追放した。彼らのやり口に、納得がいかない部分があるのかもしれない。

 それを追認する王家にも。


「規制を黙認して、商人連合会に貸しを作る。仮に商人連合会が失敗し、評判や影響力を落としても、今度は王家が強く出れる。ゆえに商人連合会の動きを黙認するのが最善だと、我々は考えている」


 ため息をついてしまった。


「殿下。私も王宮にいました。そのような勢力のさや当てがあるのは、存じています。しかし王国の商いが、『北方商圏』や外国商人から外されてしまう、とは考えませんでした?」

「それは」

「特に関税は、互いにかけあうもの。リューネを通して売っていた小麦や、毛織物は、外国へ売る時に関税をかけられるようになるでしょう。小麦の売り先は、小麦がないところなので、王国の力が強い。しかし毛織物は……売り負けますよ」


 王子殿下は沈黙した。

 地下室がなおのこと冷え冷えと感じる。


「要は、大商会以外が育ててきた産物が、外へ売れなくなってしまう」


 夜会にいた王国商人にも、規模は小さいながら良質な品を商う人がたくさんいた。

 彼らが痩せ、大商会が利益を得る。

 『中小商人を助けるのが常に正しい』とまでは、決して言えない。商いに競争はつきもの。でも今回ばかりは、小さな商人が割を食い過ぎだ。


「理不尽です」


 私は王子を見つめた。

 『北方商圏』や会社の邪魔をしてほしくないという気持ちがある。

 同じくらい、私の追放のように理不尽な目に遭う人を減らしたかった。

 楽園島のように新しく事業を始めた人、エンリケさんのような外国商人、そして夜会に詰めかけていた商人――彼らを守るのが、王族の務めのはず。


「……そうだろうと思う。だが、大商会のやり方にも一理あるのだ。やり方は強引だが、彼らは規模が大きいだけに、多くの手工業者や漁師、農夫を養ってきた。彼らの産業が立て直せれば、国全体にとってもよいことだ」

「立て直せるでしょうか? 仮に立て直したとして、その先は? 大商会の力が延命する間に、それ以外の商人が絶えてしまいそうな規制だと思いますけれど」


 王子殿下は目を伏せ、足を組みかえる。

 出過ぎたことを言っただろうか。でも、彼の本心を引き出すことが、必要だ。商談できる相手かどうか――。

 やがて殿下は口を開く。


「そうなる時は……」


 ログさんやエンリケさんに比べて、迷う目つきは少し頼りないかもしれない。けれども声ははっきりしていた。


「私が、商人連合会が掲げた規制や関税を撤廃させるさ。前に言ったように、遅かれ早かれ連合会は弱まっているだろう。1年前より、私の地位はずっと確かになった。3年もすればもっとだろう」


 私が島で『海の株式会社』を軌道に乗せている間に、この人も変わったようだ。

 殿下は第二王子だが、第一王子は重い病を発したまま、虹の橋を渡ったらしい。

 つまり、第二王子は王太子の位置にある。


 この方はだんだんと王国で力を増す。商人連合会とは逆だ。

 そしてその上で、北方商圏との対立が長い目で見れば利がないとわかっていて、いずれ撤廃して見せる手はずも考えている。

 私は結った髪をなでた。

 つまり、こうだ。


「大商会が支配する現状に、不安はある。けれども彼らの力が弱まった後、中小、新興商人が補えるかはわからない。大商会にも、中小商人にも不安があるから、現状維持の策に乗る――」


 私は微笑んだ。


「――まぁ、いいでしょう」

「な、なに? そういうが、君はやたらと小さな商人の肩を持つな?」

「申し遅れました。『海の株式会社』の社長をしております」

「……あの話は、本当だったか」


 呻る殿下に、私は手のひらの先を向けた。


「つまるところ。殿下のお話では、中小、新興商人がより国に利をもたらす未来があれば、今からでも規制に反対していただけると?」


 アーベル殿下は驚いたように身をのけぞらせた。半目になって睨んでくる。


「……算盤を叩いている顔だ、クリスティナ。次は、どんな手を考えている?」

「ええ。なにせ――」


 言いかけた時、空気が変わった気がした。どこか遠くで、からん、からん、と鐘の音。

 空気をとるため、部屋外の天井付近に設けられた窓から、地上の喧騒が聞こえてくるのだ。


 ――終値だ!

 ――すげぇことになった! 大暴騰だぞ!


 私は耳を澄ませる。


 ――初めてだよ! 『株式会社』の株ってやつが……リューネの取引所で、売られてたんだ!


 王子が唖然と、部屋の近くに開いた空気取りの穴を見上げた。


「……か、株?」

「暴騰を告げる伝令が、街に触れ回っているようですわね」


 目がきらりとした自覚があった。

 ぱちん、と頭で算盤の音が弾ける。


「株式会社は、もともと西方の仕組み。そして西方では、リューネのような取引所で、保険や債券――そうした、いわゆる証券が扱われています」


 そして、と私は重ねた。


「株式会社が発行する株式も、そうして取引される証券になりえます。株式会社へいくら出資したのか、その記録となる株式に大勢が集まって値を付ける。数万ギルダーの出資に発行された株式に、配当や株主としての権利を見込んで数倍の値がつくこともあるそうですよ?」


 この場合、単なる取引所ではなくて――『証券取引所』というらしい。

 ダンヴァース様からの授業や手紙、妃候補だった時の勉強、そうして積み上げた計画をエンリケさん達の経験が補強している。

 王子は顎に手を当てて、目を見開き、必死に知恵を巡らせているようだった。

 私は、続ける。


「小さな商人には、確かにお金がない。そのために船や作業所や、大量の仕入が用意できない」


 ゆえに、大商会に対して規模が不足。

 高まり続ける、外の喧騒。

 大きな物音がして部屋から階段を覗き見ると、ブルーノが地下へ駆け下りて来るところだった。


「殿下には、『大勢からの出資を一つにまとめる仕組み』をお見せしたいと思います」


 さぁ、勝負だ。

 ダンヴァース様のようにできるかはわからないけれど――私は私のやり方で、大勢に魔法をかける。


 リューネに、魔女譲りの『幻』を見せよう。

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