4-3:もう一つの株式会社


 馬車に揺られながら、エンリケは窓の外を眺める。

 初夏を迎えたリューネは、北方より蒸し暑い。それなりに着飾って商談へ向かったため、すでに首元が汗ばんでいた。

 クリスティナが商人連合会に『品評会』をけしかけて、今日で2週間。まだまだ『総会』の審議は続いており、港通りでも商人らが忙しなく行きかっている。


 ――8番と9番の樽を、開拓騎士団へ送ってくれ!

 ――林檎酒と麦酒を追加だ!

 ――例の品評会は、どんな品でも参加できるらしいぞっ。


 品評会の噂はすでに広がっていた。

 騒ぎに便乗して商品を宣伝しようと、商人らはたくましく動いているのだ。この流れを当日の盛り上がりに繋げられるかが、北方商圏を左右する。

 窓から流れ込む風が、火照った体に涼しい。要となる手続きを上首尾に終えた高揚もあるだろう。

 エンリケは椅子に座り直して、心地よい揺れを楽しむ。


「まったく、振られた男にしては頑張っているよ」


 向かいの席から少女の声がした。


「振られちゃったんですか?」

「……ハルちゃん。起きていたのか」


 早朝からの馬車旅に疲れ、少女は眠っていると思っていた。けれども、しっかり起きていたらしい。

 買い出しがあるだの外に出たいだの、色々と理由をつけてエンリケに同行してきた。実際は『あの2人』に気を遣ったのだろうと簡単に想像ができる。

 乗せた自分も、自分だが。

 エンリケは肩をすくめた。


「さぁ、どうだろうね? ごめんね、起こして」


 ハルは目をパチパチさせたまま、こてんと首を傾げた。やがて、すうっと視線を窓に移動させる。こうなると沈黙がいたたまれないのは、むしろエンリケの方だ。

 馬車の揺れに合わせて、ニンジン色のお下げが規則的に揺れる。

 気を遣われて、どちらが大人だかわからない。

 島の食堂の娘らしく、彼女はけっこう、敏感だ。

 結局、エンリケが苦笑と共に折れる。


「……振られたも同じさ。もっと悪いかな? 教会の2人を見てから……あれは、もう言い出せないよ」


 一抹の寂しさを感じる。

 もともと王子の身分である自分に、クリスティナが恋心を抱いてくれるとは、あまり期待はできなかった。なぜなら彼女は、まさに宮廷のゴタゴタで追放されたのだから。

 騎士らしい品位を取り戻し、島暮らしでもあるログとなら、まぁありうる組み合わせだ。

 遊び上手なら、きちんと引き際を心得るもの。

 エンリケもまた窓を眺めながら、目を細める。


「……ハルちゃん。ちょっと、情けないことを言ってもいいかな?」

「ハルでいいのですか?」

「壁よりマシだね」

「え!? ひどっ」


 くすくすと笑って、エンリケは今しがた大使館でとってきた書状に目を落とした。そこにはフィレス王国の紋章が描かれている。


「僕は、第四王子とはいえ、王子だからね。いつでもどこでも、フィレスという国を考える。そのせいで体が動かないことだってある。彼女を守らなければ、と頭で分かっていてもね。習慣はそうは変わらないんだって、思い知らされた」


 頭を過ぎるのは、夜会で神聖ロマニアの王子と遭遇した時だった。

 ログはすぐさま、クリスティナをかばった。エンリケは動けなかった。理由は、もしあの場でフィレス王国と商聖女のかかわりが王子当人に責められれば、外交問題になりかねないから。

 結果、クリスティナを守ったのは、ログだった。


「国を出た時には、商人として一流の実力を身に着けるつもりだった。でも心の根っこは、そうじゃなかったってことかもね。僕は結局、自分で思っていた以上に、『王子』のつもりだったらしい」

「……なにをおっしゃってるのか、ハルにはよくわかりませんけれど」


 ハルは小さな指を頬に当てた。


「失恋は殿方を強くするそうですよ」


 大真面目に言われて、エンリケは面食らう。

 11歳の少女とは思えない。


「おじいちゃんがそう言ってました」

「…………君のおじいさんは、本当に、君に何を教えているの?」

「エンリケ様。それで、あなたはどうされるのですか?」


 今度こそ、エンリケは笑った。


「君は賢いな。したいことは、もう見つかってるよ」


 エンリケは、ずっとリスクをとれなかった。王子の立場があったとはいえ、笑顔の仮面を被って、本心を隠し続けていた。

 商談で得た書状をなでる。


「フィレスの大使館で、承認と登記を終えてきた。これで僕もまた、クリスティナと同じ『株式会社』だ。リューネではまだ協力するけれど、これからはクリスティナ達のライバルになる。以前より、ずっとはっきりとね」


 もともと商聖女には、商いの面で興味があったのだ。

 恋愛に至れなかったとはいえ、商いで競えるなら、それはそれではっきりしていいではないか。

 むしろ王子としての自分を受け入れ、大商いをする覚悟が固まったのである。

 エンリケはそう思い直していた。

 風が金髪をなでていく。


「『株式会社』か――」


 設立した以上、後には引けない。リューネで大注目を集める必要があるし、それがクリスティナ達の戦略の主眼でもある。

 何より、王子であることを自然に受け入れながらも、一人の商人としてリスクを負い動けている。

 ハルは大人びた微笑を浮かべた。


「クリスティナ様が一番ですけど、ハル、エンリケ様も応援してますよ」

「ふふ、ありがとう。言う機会がなかったが、君はなかなか素敵なレディになるぞ」


 心外そうにハルが壁に寄る。エンリケの屈託ない笑いが、車輪の音と共に鳴った。

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