4-2:楽園


 品評会を商人連合会へ仕掛けてから、2週間があっという間に過ぎようとしていた。

 私はログさん達と一緒に、慌ただしく準備に追われる。

 領主様からの返信を受け取ったのは、そんなある朝。

 『親愛なるクリスティナ様』で始まるその手紙は――私とお母様の秘密について、領主様の言葉を伝えていた。



     ◆



 親愛なるクリスティナ様


 この手紙を受け取る頃には、あなたはリューネの書斎を開けている頃でしょう。

 多くの事情は、あなたが書斎で見たとおり、そして教会の神父に預けた手紙のとおりです。

 しかし謝罪と共に、まだ多くのことを整理してあなたに語らなければならないと思います。


 最初に事実を聞かせてあげられなかったこと、本当にごめんなさい。


 それは『北方商圏』について――多くの商人を惹き付け、まどわしたその商圏について、あなたが深く知ることを遅らせるためでした。


 順を追って話しましょう。

 まず、あなたのお母様――アリス・フェロー男爵夫人は、確かに私の教え子でした。

 私はフェロー男爵家が流刑されてくると知った時から、大陸での知り合いにあなた方のことを調べてもらっていました。あなた方が最初にシェリウッドから持ち帰った手紙で、かつての教え子アリスが、あなたのお母様だったことを確信したのです。


 率直にいって、私はとても驚きました。

 アリスについてはよく覚えています。

 彼女は高位貴族の表に出せない庶子として、楽園島の近郊、シェリウッドで生まれました。王家の流れを汲む侯爵家であったと聞いています。

 都では出産ができず、アリスの母親――あなたにとっての祖母は、わずかな親類を頼ってシェリウッドまで逃れてきたのです。


 けれどもお母様は、そこで商才を発揮されました。

 読み書きを教えてくれた教会に対し、その帳簿付けや計算の才を売り込んだり、シェリウッドの材木からでる色とりどりの端材を傷病者の内職細工に転用させたり――そうした工夫で、わずか10歳の年齢でありながらお金を稼いでいたのです。


 出会ったのは、もう30年も前になるでしょうか。

 以前話したと思いますが、私は楽園島の出身です。そして商人としてシェリウッドの教会に寄付をしており、その縁でお母様と出会ったのです。

 私は夫と共同事業を行いながら、同じ女商人を、弟子として何人も育てていました。

 お母様はやがてその一人となります。

 10歳は、商人の修行としては遅い始まりでしたが、お母様はすぐに頭角を現しました。

 彼女がシェリウッドで行っていた実践こそ、何よりの修行だったのでしょう。


 8年ほど私と夫の事業を手伝って、彼女はリューネの支店で独り立ちをします。

 女商人として支店を切り盛りし、北方の織物や細工、ニシンやタラを商っていました。北方の産物にいち早く目を付けていたのは、彼女だったかもしれません。

 『北方商圏』という構想も、彼女がいなければ――思いつかなかったでしょう。


 ですが、お母様はずっとリューネで商いをしていたわけではありませんでした。

 やがて、貴族籍として呼び戻されます。私も詳しく調べたのですが、当時、父方の家では正妻が亡くなり、この妻がアリス達が都へいることを許さず辺境に追いやった原因だそうです。

 正妻が亡くなってから、かつて市井の女性との間にできた子供をようやく認知する――ずいぶんと勝手に思われるでしょうが、あなたの知るとおり、貴族の結婚とはそういうものでしょう。


 アリスはすでに母を亡くし、身よりも知り合いもない貴族の家に行くことを案じていました。ただ、その呼び戻しには『フェロー家』との縁談が紐づいていました。

 アリスの父は、庶子を嫁入りさせ、正式な貴族としたいという気持ちを持っていたようです。

 お母様はずいぶんと悩み、商人として働き続けることと、家庭に入ることを、天秤にかけていたようでした。平民から貴族になる機会も、そうあるものではありません。


 間違いなく、商才はありました。

 その頃には、国際商人としての技量と経験も身に着けつつありました。

 ですが、たった独りで儲けを計算し、時に他人を蹴落とすこともまた商いです。穏やかなアリスには、そこまでの覚悟が――特に家族もいない中で、それほどまでに己を強く保てるかが不安な点だったのでしょう。

 商人として自立した後、少し痩せて見えたのを今でも覚えています。


 彼女は、悩みに悩んだ末、そのフェロー家とリューネで会うことまでは了承したといいます。

 その後のことは、おそらく、惹かれ合ってのことでしょう。

 家庭に入り、より穏やかな商いの道に入ることができたのは、ある意味では成功よりも幸せなことです。

 フェロー男爵家でのアリスのことは、あなたの方がきっとずっと詳しいでしょう。


 出生、そして来歴そのものが貴族の醜聞に触れるため、お母様は過去をあまり語りたがらなかったかもしれません。私も久しぶりに手紙を受け取ったのは、彼女の死を告げる教会からの代筆文でした。

 あなたの口からアリスの名前を聞いて、懐かしくも、切なく、複雑だったことを覚えています。

 商才は、確かに受け継がれていたようでしたから。


 そこまでが、私が知る商人アリスの来歴です。


 しかしそのような事実を、あなたにすぐに伝えることはできませんでした。

 それは、『北方商圏』の成立に彼女が関わっていたからです。

 あなたにお母様のことを伝えるには、『北方商圏』についても伝えないわけには参りません。そしてそれは――できることなら、遅らせたいことだったのです。


 弟子にしてから、9年ほどでしょうか。

 お母様と私は、互いに『北方商圏』という構想を持つようになります。


 別の大陸へと船を出せるほど航海技術が発達した時点で、陸路で海の東西を結ぶやり方は、技術的には時代遅れとなっていました。

 海路が陸路の代わりとなれば、より多くの物資が、より短い間で行き来できるようになる。

 輸送コストが減れば、浮いた時間やお金を、商人は別のことに振り向けられます。


 為替、保険、船荷証券、航海技術、そして株式会社――国際商人としてお母様が触れた西方由来の仕組みは、お母様の経験と才能、そしてわずかばかりの私の助力で、新しい商圏『北方商圏』の原型を産み出しました。

 大型の船で別の大陸にゆくための仕組みは、そのまま大型の船で北方の海峡を越えることに、転用できる。

 私は、夫や弟子たちと、リューネでその構想の裏付けをとることに2年の歳月をかけました。

 アリスが結婚をして別の道を歩むと、私と夫は拠点を西方に移し、いよいよ北方商圏のための出資を募ります。


 この商圏は、多くの人を惹きつけます。

 膨大な投資が巻き起こり、私と夫が設立した株式会社にも投資が殺到しました。

 ですが商人連合会の妨害に加え、当時、北方の産物には今ほどの魅力はなかったのです。技術的に東西を海路で結ぶことが可能であっても、運ぶ品物が乏しければ意味がありません。

 私達の構想には、交易の中で産物を少しずつ育てていくことも含まれていました。


 ですが、高まる熱気はすぐに利益を求めます。

 実態に対して、あまりに期待が先行していたのです。

 『儲かる』という思いだけが先に立ち、熱狂が熱狂を呼び、船や債券、証券への投資だけが膨らみ続け――やがて弾けました。

 暴落です。

 相場が弾けた後には、何も残らない。

 商圏は幻で終わります。


 海図や、儲けの計算、関税の調査など、お母様は商圏の構想を産み出した当人です。

 あなたにお母様のことを伝えることは、『北方商圏』について知らせるのと近しい。

 しかしあなたに『北方商圏』について詳しく伝えること、特にお母様の仕事であったことを伝えるのは、慎重であるべきでした。


 経営者として経験が浅いまま手を出せば、北方商圏に惹きつけられ、立ち上がりかけた商いを壊してしまう。その意味で、エンリケ殿下が持ち掛けた買収提案は、私が危惧したことそのものでした。

 買収を拒否していただいたことで、一つ目の危惧は消えました。


 そしてなお恐れたのは、あなたにとって、北方商圏がお母様が遺したものである点です。

 お母様が遺された構想を実現させようと思うあまり、背負い込みすぎてしまう――それが二つ目の危惧です。株式会社の経営というだけで、18歳になったばかりのあなたには、大きな重荷です。

 せめて数年、会社が安定するまで、あるいはあなたを支えてくれる方がもっと出てくるまでは。あなたがその方々に安心して身を預けられるようになるまでは。

 そう思い、私はお母様との縁を明かすのを、ずっと遅らせてしまいました。


 目の色が変わると言いますが、儲けのチャンスがあると、商人は本当に変わってしまうのです。

 あなたが強い女性であることを知っていれば、余計な心配であるかもしれません。

 しかし私もまた、同じことで大きな失敗をすでにしています。

 北方商圏が幻で終わったことの大本は、その失敗にあると今にして思っています。


 北方商圏への投資を募った当時、私も夫も、他の弟子たちも、儲けのチャンスとライバルの存在に、大きな高揚と重圧を感じていました。

 気づくと何もかもが、値札がついて見えるのです。

 『いいもの』を探して商っていたはずなのに、気づくと『売れるもの』を必死に探していました。

 さして値打ちのないものを、誤魔化すように高値で捌いていたこともあるでしょう。


 島を出発する前、あなたに私の『罪』について話したと思います。

 北方商圏を作っている時、私達は確かに『いいもの』を商うつもりでいました。

 しかし重圧の中、私達は次第に目利きの力を失っていったように思います。かつて輝いて見えた産物が、美しい染め物が、北国の氷が、霜がふる地で育った材木が、ただの値札のついた商材にみえていました。


 致命的な誤りが、楽園島です。

 故郷である楽園島のニシンには、商圏を盛り立てるだけの力があったのだと、今にして思います。

 しかし私達は『流刑島のニシンなど』と、当時は力を入れて商圏に加えませんでした。もし楽園島の近郊に産物があり、しかも良品であったなら、当時でも北方商圏は成り立ったかもしれません。

 流刑に関わっている時点で、どんなに良品であっても、それはかつての私達にとって『売れないもの』だったのです。


 私達は商圏というチャンスと重圧に負け、商人としての目利きを失った。

 それが当時の失敗、私の罪です。

 『いいもの』を売りたいと思わなくなった商人が、どうして成功できるでしょう。

 ……有望な商圏を、みすみす潰してしまいました。


 クリスティナ、遠い島からですが、あなたの企図の成功を祈ります。

 あなたのことですから、目にした海図に取り込まれることなく、その意思をきっと保つでしょう。

 ログやハル、そしてギュンターやエンリケとも、絆が深まったことと信じます。今となってはそう信じ、託すしかありません。

 私もまた、すでにあなた達に渡した手紙に加えて、各所に協力を願い出ようと思います。


 島の魚に、あなたは『いいもの』といいました。

 『売れるもの』ではなく。

 その目をどうか大事になさってください。


 最後に一つだけ。

 帰った時に、もう目利きが盲いだ商人に教えてください。

 外からやってきたあなたに、私達の島はどのように見えていたでしょうか?



     ◆



 私は領主様からの手紙を読み終える。

 ずっとずっと知りたかったお母様のことが、思わぬところで明らかになった。


「領主様――」


 お母様のことが甦る。ずっと声を聞きたかった人のことを、知れた気がした。

 私は遠い領主様に応える。


 ――決まってます。

 ――私にとって、楽園島はいまだって楽園です!


 ログさんが目をこすりながら、宿の部屋から出てくる。毎晩遅くまで作業しているので、私達みんな最近は寝不足だった。


「どうした?」

「領主様からのお手紙が。それと――」


 机の上には、北方商圏の海図ができあがっていた。仮にこれを独占すれば、膨大な利益を交易で確保できるだろう。

 領主様の書斎にあったものが『旧版』とすれば、私達が書き加えたそれは『最新版』だ。


「もう、ほとんど海図は完成ですよ。商人教会の書斎で裏取りと検算は要りますけど」


 独占すれば、だけどね。

 窓からの朝日を心地よく感じながら、私はログさんへ力強く笑いかけた。


「さぁ、リューネの騒ぎを、終わらせにいきましょう!」


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