3-30:品質の証明

「君は、強すぎる」


 琥珀色の目が、まっすぐに私を見つめてきた。私、おかしい。

 さっき全身で開拓騎士団に願い出てくれたログさんを見てから、妙に鼓動が高鳴っている。


「だがそれじゃ、俺達は――いや、俺は君を守れない。俺達を信じて、頼ってくれ」


 ……王宮から追放された時は、誰も守ってはくれなかった。

 だからだろうか。

 一人でもなんとかできる、傷つかない、そんなものになりたかった。手を握る手が大きくて、思考と義務感と一緒に、温かくて、心の大事な部分が解けてゆきそうだった。

 振り払うこともできなくて、私は顔をそむけた。


「な、なんで、私にそこまで」

「好きだからだ、クリスティナ」


 まっすぐな目つきと言葉に、ひゅっと喉から変な音がした。


「手荒な連中に、君を渡したくない」

「なっ、なっ……」


 心臓の音が、算盤の音をかき消すほどに鳴り響いている。

 ログさんは私をまっすぐに見つめている。


「……!」


 声にならない声をあげながら、心の片隅で、ふと気が付いた。

 王宮では、守ってくれると一度は考えた人が、守ってくれることはなかった。だから、怖かったのだ。同じことになるのが。

 繰り返したくなかったのは、捕まることでも、追放されることでもなく――守ってくれる人がいないと突きつけられること。

 誰にも迷惑をかけないほど、何もかも自分で処せるほど強くなれば、平気だと思っていた。

 でもそれは、本当には違ったのかもしれない。


「ログさん」


 だって、私は――みんなに、この人に頼ろうとしているのに、むしろ幸せが満ち溢れて感じる。


「守って、くださいますか?」

「もちろんだ」

「――!」

「フーゲンベルク殿も、総長殿も、二、三十人なら蹴散らして逃げ去るつもりだ。君は後ろに」


 目も頭も、もうぐるぐるだった。


「そ、それじゃ、彼らの動きを封じたことにはならないですっ。教会に、踏み込まれるかも……!」


 ――開拓騎士団よ! その女は王宮同様、あなた方を騙そうとするぞ!


 その時、ぱちんと、と頭で算盤の音がした。

 私を助けてくれるように。あるいは、背中を押すように。

 商人連合会の目的。

 それは、今も変わっていない。

 北方商圏の阻止。そのために、開拓騎士団の脱退を中断させること。

 あらゆる手を使っている。荒事どころか王子まで巻き込んでいるなら、海軍を使っての海上封鎖までやりかねない。


 では、なんでそんなことが起こるのか。

 北方商圏で彼らは損をすると思っているから。そう思い込んでいるから。

 ……ダンヴァース様や、お母様が作ったあの海図は、誰かが得をして、誰かが損をするような、そんなちっぽけな考えで作られていただろうか。


「……クリスティナ?」


 私は顔をあげて、ログさんを見上げた。

 彼は思わず赤面して顔を背けて、私に事情を思い出せてこちらをも赤面させた。


「そ、そろそろ手を放していただいても?」

「あ、ああ……」


 私は言った。


「……何もかも丸く収める手があります。荒療治だし、お金もかかるし、何より時間稼ぎが必要です」

「なるほど? いいぞ。何をすればいい」


 私は指を一つ立てた。


「開拓騎士団に、一つ、芝居をしてもらいます」



     ◆



 私がみんなと外へ出ると、数十人という衛兵が教会をぐるりと囲っていた。

 その最前列には、商人らしい一人の男性。

 黒い帽子に、白い羽をさしている。シェリウッドの市場で独占を試みた商人、ブルーノだ。

 彼は、出てきた私を見て、「おや本当にいたよ」という顔をする。まさか辺境で出会った女ニシン売りヘリンガーが、商聖女とは思わなかったのかもしれない。

 ……第二王子は、さすがにいないようだ。

 平静を保てたか自信はないから、ちょっと安心する。

 ブルーノは、私の左右に開拓騎士団の数名と、フーゲンベルクさんがいるのを見て、気をよくした。


「ご協力ありがとうございます。この悪女は、商人連合会でも話題でして、あなた方に代わって衛兵に……」


 伸ばされた手を、ログさんが払った。


「この方は渡さない」

「……ほう?」


 ブルーノは血色の悪い顔を、面白そうに歪めた。


「この人数を相手としては、いかに騎士とて多勢に無勢でしょう。それに、この悪女が事業をしていたと、宣伝してやる準備はできています。あなたが長居すればするほど、会社の評判は落ちますよ?」


 私は鼻を鳴らしてやった。

 ログさんのおかげで、大分落ち着いている。


「……どうでしょうね? 私は流刑島の産地を隠していたわけではないですし、現に樽にだってしっかり書いて出荷しています。あまり私のことを悪女と宣伝するのは、困る人もいるのでは」


 ぐっとブルーノが黙った。私を婚約破棄したのが王家の醜聞というのは、忘れては困る。


「……しかし、あなたを拘束する理由には十分だ。教会の中も、念のため改め……」

「お待ちを」


 私は胸を張り、手の平を前に突き出した。


「あなた方は、開拓騎士団との取引を継続したい。騎士団を北方商圏に行かせるのではなく、商人連合会に繋ぎ止めておきたい。そのためには、『海の株式会社』が邪魔――そうでしょう?」


 ブルーノは訝った。


「……それが何か?」


 フーゲンベルクさんが、大きな足音と共に一歩前に出た。


「取引であれば、正式に申し出てもらいたいですな。商聖女――『海の株式会社』の塩漬けニシンと比べ、そちらの製品もまた質が高ければ、きちんと取引を検討する」


 ブルーノは呆気にとられた顔をする。


「……な、なんだと? この女のことを、知っていたのか?」


 彼が呆気にとられたのも無理はない。

 私の正体を知って、開拓騎士団がこちらを見捨てるか、少なくとも戸惑うとでも思ったのだろう。

 正直なところ、『まだそんなことを考えていたのか』という気持ちだった。

 確かに、聖フラヤ修道院など、辺境にあって警戒の高い場所なら有効かもしれない。でも、開拓騎士団は、そもそも私と同じように王国から追放された騎士団だ。

 王国の判決にどれくらいの信用があるか、ちょっと考えればわかりそうなもの。


 それに、今までリューネに納めてきた『塩漬けニシン』の樽が、品質の証明だ。

 実際の産物を見れば、騙すためやその場しのぎで作れる品ではないと、すぐにわかるはず。

 ……商人連合会は、本当に、産物の良さを見ていないのだろう。

 ブルーノは、気を取り直すように頭を振った。


「……商人連合会は、今後も、北方商圏など許しません。今や、王家も認めてくださった。海軍を用いての海上封鎖さえ……我々の手札にはありますというのに」

「ああ、やっぱり」

「や、やっぱり?」

「いえ、こっちの話」


 なるほどね。

 確かに『海の株式会社』の社長、その正体に辿り着いたということは、第二王子もまた商人連合会に協力しているということ。

 海軍を動かして、北方商圏の海路の邪魔をする――確かにありえそうな話。あるいはそれを見越して、廃業した漁師や、交易商の船や人を、海軍で受け入れるという方針だったのだろう。

 海軍へ人材と船を流し、便宜を諮ってもらう取引だ。

 私は言ってやった。


「……どうぞ?」


 ブルーノは涼しい顔をしていたが、さっと懸念が目に過ぎったのを私は見逃さなかった。

 手荒な真似なら、どうぞご勝手に――そんな気持ちだ。

 領主様やお母様が遺した海図もある。産物もある。

 ならば、もうどんなに邪魔をしても止まらないと、連合会にも、王家にも、見せてやればいいのだ。

 周りにも聞こえるほど、声を張る。


「商人連合会は、『塩漬けニシン』の品質を審査する、品評会を行う。そこで認められれば、一級品の認定がくだる」


 ブルーノは目を白黒させた。

 私は手のひらの先をブルーノへ向ける。もう、彼らの手札は出尽くした。

 主導権は完全にこちら側だ。


「どうなんです? あなた方の決めた規則でしょう」

「そ、そうですが」

「同じような品評会を、『開拓騎士団』も行うそうです。日程は丁度、1月後。議論や裁判で総会もその辺りまで最終議事をまとめないでしょうし、多くの方が参加できるのでは?」


 引き取るのは、フーゲンベルクさんだ。


「そこで、我々は色々な産物を見て、並べて、どれを仕入れるべきか決めようと思っています。いやぁ、北方も王国内も、なかなかよい品ばかりで、目移りしてしまいますからなぁ?」


 ……かなり、白々しい。

 しかしこの言い方が、ブルーノを苛立たせたようだ。

 ブルーノはほとんど叫ぶように言った。


「な、なんの意味がある? なにが目的だ? 我々は……1月後だろうが、1年後だろうが、新たな商圏など許すはずが……!」

「さぁ? それとも、商人連合会が出すニシンは、海の株式会社に勝てませんか?」


 ブルーノは呻いた後、口を曲げた。

 保存食ともなり、大口の決済手段ともなるニシンの目利きは、商人の必須技能だ。これはエリートであるブルーノの心を刺激したらしい。


「私達は生産をする会社。品質の勝負であれば、引き受けますよ」


 衛兵や、周りに集まっていた野次馬がどよめく。

 『海の株式会社』の評判を落としたかったためか、彼らもまた騒いで野次馬を集めていた。そのうえで品評会の参加を断り、逃げ帰れば、噂になる。

 商人連合会がもはやなりふり構わずとも、少なくとも……ブルーノの評価は下がるだろう。


「……商圏への妨害も、策略も、ご勝手に。私達は、粛々と商いをするだけですわ」

「何か、はかりましたね」


 青白い顔が、赤くなる。

 警戒、プライド、意地、そして『品評会に出ねば何かの機会を逸す』という不安――彼の心では天秤が忙しく動いているはずだ。

 ぎりと歯噛みして、ブルーノは吐き出すように言う。


「いいでしょう。品評会、承りました」


 ぎらりと睨みつけて来る。


「ただし、待つ間に何事もないと思わないことですね!」

「楽しみにしていますわ」


 私はにっこりとほほ笑んだ。

 準備や策があるのは、こちらも同じ。品評会までの間に、大急ぎで船を往復させれば、楽園島で今年とれたばかりのニシン――『初ニシン』をリューネへ持ってこれるだろう。

 ダンヴァース様達が遺してくださった海図もある。リューネには『取引所』という仕組みもある。

 忌々しげにブルーノ達が去ってから、ログさんがほっと息をついた。


「……これで大丈夫なのか?」

「ええ。うまくすれば、北方商圏も、困っていた王国内の商人も、みんなみんな損をしない。どころか、得をする人も出るかもね」


 私は組んでいた腕をほどいた。

 教会へ振り返る。尖塔が誇らしげに陽を浴び、その足元に島からの仲間や、開拓騎士団が並んでいた。

 ふっと頬を緩めるログさん。


「まったく。本当に、君は、いつもいつもすごいことを考える」

「あらどうも」


 首をすくめた。初夏の風が結った髪をなで、耳元を抜けていく。


「でも、ログさんや、みんなのおかげですよ」


 微笑むと、胸の高鳴りと算盤の音が軽やかに弾けた。

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