3-29:大口契約


 私達が部屋に入ると、開拓騎士団も丁度やってきたところだった。

 『海の株式会社』側の出席者は、社長の私と、ログさん、株主でもあるエンリケさん、そしてギュンターさん。ハルさんは、申し訳ないけれど別室で待ってもらっている。街が物騒になっている今、宿に残すのも危なくて、連れてきたという事情だった。


 開拓騎士団は副団長フーゲンベルクさんに加えて、事務官らしき人が3人。続いて、一番最後に部屋に入ってきたのは、60歳ほどの年配だけど、すごくがっしりとした男性だ。


「開拓騎士団、総長。ベイユーグ」


 短く名乗ったこの方が、フーゲンベルクさんのさらに上、開拓騎士団のトップとなる。

 空気が引き締まったように思えた。

 副団長に負けないほどの体格と、立派な白髭、そして思慮深いに眼差し。無言で部屋の奥へと進み、どっしりと腰かけた。


「商談であるな?」


 秘密の海図を見たせいか、商魂がめらりと燃えた。

 絶対に、商談を成功させる。そして島に戻ろう!


「『海の株式会社』の社長、クリスティナです」


 私達もまた、彼らの対面に並ぶように座った。

 事前に見せてもらっていた契約書を取り出して、発注量や、納品方法について詳細に確認していく。


「年300樽の販売は、半年の漁期に直すと、月当たり50樽。つまり5万尾近い数字になります。現在、最大操業した時でも、月で3万5千尾ほど。ありがたいお申し出ではありますが、塩の精製もありますし、最初は1万尾から初めて、徐々に数を増やしていくことは可能ですか?」


 フーゲンベルクさん、そして騎士団の事務官が順に頷いていく。


「ログリスからも、そのように聞いている。我々も、炭の供給をせねばなるまい。しかし、最初に操業する分の塩はあるのか?」

「去年からの備蓄があります。すでに漁期に入っているので、操業は始まっていると思いますわ」

「ふむ……」

「精製は、おかげさまで何度か試みています。1デール(約30キロ)の塩には、同じ袋に入るだけの炭が必要です」

「前々から気になっていたのだが、塩に木炭という燃料代がかかっても、本当に利益が出ますかな?」


 ちらり、とフーゲンベルクさんは総長様の方を見やる。

 上役がどこかで同じ懸念をしたのかもしれない。


「ええ。そもそも、今まで買っていた『白塩』からして、塩鉱から塩水をくみ上げ、火で煮たてて作っています。対して『黒塩』は天日で干して作るので、燃料が要らず、安くできます」

「ふむ。燃料代をかけても、もともとある単価差が縮まるだけ、か」

「そういうことですね。少しは高くなりますが……量産すればだんだんとコストは下がっていくでしょう」


 向こうは総長という偉い人も出てきているのだから、まさか『早速、契約を!』とはいかない。 

 慎重に条件を一つ一つ改めていく。

 やがて諸々の確認が終わり、商人達が『原契約』と呼ぶものがまとまった。

 薄く紅を引いた唇が、笑うと少しは大人びて見えるといいけれど。


「では、この契約書で妥結としましょう」


 ニシンは予定通り1尾あたり105ギルダー、木炭は1デールで7500ギルダー。

 『海の株式会社』の社長として、契約書にサインを行う。

 20歳に満たない令嬢のサインが通用するのは、1年間、樽に産地を記載して売ってきた実績や、ギュンターさん、エンリケさんがこの場にいるからだろう。実際、事務官は私ではなく年長のギュンターさんに羽ペンを渡しかけ、フーゲンベルクさんに注意されていた。

 総長様が頷く。


「承知した。では――」


 その時、外から声が響いてきた。


 ――令嬢、クリスティナ!


 ぞくりと全身を寒気が貫いた。

 王宮で追放された時のことが胸を過ぎる。体が震えた。夜会の時もそうだったけれど――あの追放の瞬間を、私はまだ、完全には克服できていなかったみたい。

 神父様が部屋に駆け込んできた。


「教会の前に、商人連合会の人達が集まっています。なんでも」


 言葉を切り、訝しげに私を見る。


「王宮を去った後も民を惑わす悪女を、改めるため――と」


 この場に、女性は私しかいない。王宮のことを知らずとも、私を狙っているのは明らかなのだろう。

 外から聞こえる声は、『公金横領』、『背任』、そんなかつての冤罪を並べ立てる。

 神父様はいよいよ眉をひそめ、困惑しておいでだった。


「……あなたがそんな方には見えない。何かの間違いでは?」


 私は口を結んだ。

 最初に領主様と確認をしあった通り、裁判の結果、私は貴族身分をはく奪され『楽園島の領民』となっている。商いをすることに何も問題はないし、平民が領主のために働くというのは、普通に見られることだ。

 だというのに、今更、なんの罪を問うというのだろう?

 他の商人も捕えていたから、これは要するに――私の身柄を押さえ、脅しつけるための口実だ。

 ぱちん、と算盤の音が頭に寂しく転がる。


「……やっぱり、ばれていましたか」


 『海の株式会社』が生き残るためには、取引してくれる味方が必要だった。だから、塩漬けニシンの品質で島や会社が有名になっても、そのままにしておいた。

 ログさん、エンリケさんが立ち上がる。


「神父様。裏口のようなものは?」

「あ、ありますが……衛兵も引き連れ、相手は何十人もいますよ」


 原因は、やはり第二王子だろうか。夜会で一瞬でも存在を疑われたのは、致命的だった。

 彼が一声かければ、『令嬢クリスティナがリューネに来ているかもしれない』という噂は商人連合会に伝わる。

 そうなれば『海の株式会社』に辿り着くのは時間の問題。


 会社の『塩漬けニシン』は、産地が流刑先の楽園島ということまできちんと明かしていたのだから。

 産地の記載は信用を得たり、目立ったりできるメリットもあったけれど、最後の最後は悪く働いた。これも自業自得だろうか。


「ログさん、エンリケさん。この場合、逃げても無駄です」

「クリスティナ」

「『海の株式会社』と私が、連合会の中で繋がっています。下手に隠しても、彼らにさらに強く動く口実を与えるだけ」


 『海の株式会社』と私が結びついた以上、逃げても、島や会社に迷惑がかかるだけだ。

 何より……もっとも恐るべきは、別のこと。


「教会の奥に、『北方商圏』にまつわる重大な情報があります」


 フーゲンベルクさんが眉を上げる。


「重大な? なんですと?」

「海図です。さまざまな産物や、航路、日数、考えられる利益率まで、全て網羅されたものが」


 フーゲンベルクさんが言葉を失った。


「そ、それは……!」


 今、多くの商人が閉めだされた先、北方での商いを進めようとしている。

 あの部屋にあった海図は、いわば商圏を作るための『手引き』、あるいは『設計図』だ。

 東西を結ぶ網目のような航路が書かれている。

 どのルートが有望か、どんな産品を取引できるか、どこに寄港すべきか――みんな手探りしていた。

 ゼロから答えを作るより、誰かの答えを見て足りない部分を補う方が、当然早い。

 あの部屋は、商圏ができるまでの時間を大幅に短くするだろう。


「外を囲んでいるのが、『北方商圏』を潰したくて仕方がない相手。彼らなら、書斎丸ごと破壊しかねない。教会内に踏み込まれるのが、一番、よくないわ」


 外には何十人もいるという。

 教会という場に配慮して踏み込んではこないけれど、時間の問題だろう。


 ――どうした! 令嬢クリスティナ!


 私は立ち上がった。

 ログさんも、エンリケさんも、ギュンターさんも、騎士団の人達も、みんな私を見ていた。

 胸がぎゅうぎゅうと締め付けられ、苦しい。王宮で追放された時のことが頭で何度も繰り返される。誰にも守られず、庇われず、覚えのない罪が降りかかった。

 『助けて』と口が勝手に言いかける。

 でも私はそれをこらえることができた。


「……ログさん」


 なんとか微笑を浮かべられた。ぺこりと頭を下げる。


「お魚も、開拓騎士団との交渉も、ありがとうございます。リューネでやったように、商談や、値段交渉を、今後も島でお願いします」

「お、おい?」


 馬車の中で、引き継ぎ書を渡せていてよかった。ぎりぎりで、みんなに迷惑をかけずに済んだ。

 ハルさんが駆け込んでくる。

 私は腰をかがめて、小さな錬金術師のお孫さんと、目線を合わせた。


「クリスティナ様! あの、お外で……!」

「ハルさんも。瓶詰の時のような値段交渉や、開発が、今後もきっと大事になりますわ」


 私は交易商人のお二人を見た。


「エンリケさん、ギュンターさん。島のお二人を、きちんと楽園島まで送り届けていただければ幸いです」

「あなたは……?」


 エンリケさんに、私は苦笑した。


「思ったよりも早く、時間がきたようですので」


 先ほどの隠し部屋で、私は広い海図を見た。

 それを商ってみたかったけれど……。体が燃え上がってしまいそうなほど、悔しいけど……。

 私は、みんなが好きだ。

 だから、守らなければ。守ってほしいというのではなく。


「クリスティナ! 待ってくれ!」


 ログさんが私を制して、鋭い目をフーゲンベルクさん達に向けた。


「疑いたくはないです。けれども……変だ。どうして、場所を変えたここが? あなた方がクリスティナのことを商人連合会に話した可能性は?」

「……ログリス、それはない」


 副団長、フーゲンベルクさんは首を振る。


「だが、教会に商談の場を移す件が、騎士団内部から漏れた可能性は確かに否定できぬ」


 ――クリスティナ! こちらから入るぞ!


 響く声に、私は一歩を踏み出した。追放された時のことがちらついて、やっぱり息が苦しい。


「私が、表に出るしかないと思います」


 ハルさんが悲鳴をあげた。


「そんな!」

「……私も、残念です。でも、島のニシン漁は軌道に乗りましたもの。北方、商圏も」


 この後、開拓騎士団が『海の株式会社』との約束を反故にすれば別だけれど。

 ただ先ほどの海図があれば、北方商圏が成立する可能性は、さらに高まる。引き続き味方でいてくれる目は大いにあった。

 ああ、大昔の濡れ衣が、こんなところで足を引っ張るなんて。

 声が震えてしまう。


「他の商人さんだって、命をとられているわけじゃない。私の罪も、あくまでフェロー男爵家の罪。貴族ではなくなって、しかも領主様の指示で働いているのですもの。改めて死罪を賜ることもないでしょう」

「そんな理屈が通用する相手か、わかんないだろっ。誰も、君に出ろなんて言っていないっ!」


 ログさんは開拓騎士団の方へ振り向き、地面に手をついて頭を下げた。


「ログさんっ」

「お願いだ。クリスティナなんていないって、シラを切ってくれっ」


 それで切り抜けられる状況じゃない。

 頭ではわかっているのかもしれない。ログさんはそれでも、騎士団に頭を下げた。


「わ、私からもお願いしますっ」


 ハルさんも同じく、騎士団に願う。

 フーゲンベルクさんは戸惑い、そして騎士団総長はじっと黙っていた。

 大きな鎚で頭を殴られたように、思考が働かない。過去にあった同じ光景への怖さ。みんなを巻き込むことへの不安。

 北方商圏だって、連合会の目に触れさせるわけには、いかない。


「クリスティナ」


 エンリケさんが問うた。


「君は、こんなに簡単にあきらめる人か?」

「それは……」


 ぎゅっと口を結ぶ。

 そりゃ、悔しいに決まってるでしょ! と叫びたかった。


「クリスティナ、肝心の君の意思はどうだ?」


 視界の隅で、フーゲンベルクさんと総長様が、ログさんに目くばせしたように見えた。

 ログさんが立ち上がり、私の手を引く。

 そのまま教会の部屋を出て、奥まった通路の隅へ連れていかれた。外からの叫びが遠くなり、心が少しだけ落ち着く。


「ろ、ログさん……」


 ログさんの大きな両手が、私の手を包んだ。

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