3-28:継承


 翌日、私達は待ち合わせ時間よりも早く商人教会へ向かった。

 馬車の中、私の手にはダンヴァース様から受け取った手紙がある。

 教会の書庫に、領主様は商人時代のさまざまな情報を残したと仰っていた。過去の商いの帳簿類だけではなく、北方商圏にまつわる重要情報も含まれているという。手紙は、書斎を管理している神父様への紹介状だ。

 本当ならもっと早く訪れたかった。

 けれども規制への備えや、肝心の神父様が遠出をしていたこともあり、訪問は今日ようやくとなった。


「……皆さん」


 石畳の揺れを感じながら、私はみんなに言った。

 ログさん、ハルさん、エンリケさん、それにギュンターさん、客室にはみんなが揃っている。


「リューネでの商いの危険度が、上がっています。もし私に何かあったら、これを」


 私はログさんとハルさんに、それぞれ書状を渡した。

 同じ大きさで内容が違うものを、エンリケさん、そしてギュンターさんにも手渡す。


「クリスティナ。これは一体?」


 ログさんが訝った。


「引き継ぎ書ですわ。帳簿を簡単にまとめてあるのと、少なくとも今年1年の事業には支障がないよう、必要な事項を書き留めてあります」


 夜会で第二王子と遭遇してから、少しずつ考えておいたものだ。

 もし私に何かあった時に、みんなに迷惑はかけられない。

 ログさんとハルさんには帳簿や生産、そしてダンヴァース様への言伝について。エンリケさんには、支援への感謝と、出資に対する配当について。ギュンターさんにはお礼のほか、これまでの協力相応の銀貨を請求できる旨を、記しておいた。


「……クリスティナ、俺は、君を守ると――」


 真っすぐな言葉に、どきりとしてしまう。口を結んでこらえた。


「私も、みんなが大事です。だからこそ、迷惑なんてかけられないわ」

「商聖女、僕らは」


 エンリケさんを、私は見つめ返した。


「開拓騎士団も、わざわざ詰所ではなく、商人教会へ場所を変えた。彼らがそれだけ警戒をしているのですもの。お守りだと思って」


 みんな何かを言いたそうだったけれど、危険度があがっている情報を共有していたからだろう、きちんと受け取ってくれた。


「私がいなくなっても、事業は続きます。人が変わっても続けられる……それもまた、強さの一つですよ」


 その意味でも、私は強くなったはずだ。進む覚悟だけでなく、失う覚悟だって決めなければ。

 到着した教会は、商人の寄進をうかがわせる大きな建物だった。一方、造りは質素で、壁画や飛び梁のような装飾はない。ただ風雨と年月を受け止めて、商人達の書類を守る――そんな役割を与えられた建物に見えた。

 私が書状を見せると、年配の神父様は目を見張る。


「先触れで、事情は存じております。しかしダンヴァース殿から……それはそれは」


 一瞬、遠い目をしたのは、昔を懐かしんだからだろうか。


「こちらに。申し訳ありませんが……規則のため、お一人だけでお願いします」


 私はみんなと別れて、商人教会の奥へ案内される。

 中庭と回廊を抜けて、インクとカビの臭いがかすかに漂う、広い書庫に辿り着いた。神父様はそのさらに奥にある扉から、大きな鍵を外す。

 がちゃん、と重苦しい金属音。


「ダンヴァース殿は、5年ごとにこの部屋の賃料を払っています。今年で契約の6回目」

「ご、5年ごと……?」

「それだけ、この部屋に納めるべき書物を大事にしているのでしょう」


 一歩踏み出すと、埃が舞った。

 咳き込んで、服の裾で口元を覆う。神父様が窓を開けると、傾き始めた陽が部屋に差し込んだ。

 窓から長く伸びる陽が、壁際の書見台を照らし出す。台上に立てかけられた一幅の絵画に、目が吸い寄せられた。


「これは……」


 古びた絵画だ。

 見事な筆で、6、7人ほどの女性の姿が、まるでそこにいるように描かれている。在りし日の――そんな言葉が浮かんだ。

 額縁が窓枠のようで、遠い過去を覗き込んでいるみたい。


 真ん中に描かれた小柄な女性は、かつての領主様だろう。髪はまだ黒く、杖もついていないけれど、目元や結んだ口にははっきりと今の面影がある。

 そして周りにいる女性らは――誰だろうか?

 共同経営者にも見えるけれど、別の雰囲気を感じた。

 額縁に描かれた題名は『ダンヴァース先生と弟子』とある。これは教え子と先生、ということだろうか。

 自然と喉が鳴る。


 鼓動が高まるのと一緒に、私は絵の中の一人に注目した。

 私と同じ茶髪で、青色の目。

 気づくと、私は自分の頬に触れていた。

 似ている、と思う。……この人、お母様に。


「こちらへどうぞ」


 いつの間にか、神父様が書斎の最奥部に立っていた。壁一面を、大きな赤幕が覆っている。

 神父様が紐を引き下ろすと、幕が左右に開かれた。

 現れたのは――


「地図――」


 呟いて、即座に首を振った。


「海図だわ」


 私が両手を広げたほどの大きさの、巨大な海図だ。

 交易の中心リューネがある。ただしそれは絵の中心ではなく、下側――南の端として描かれていた。

 絵の中央、大きな紙面を割かれているのは、圧倒的に北の海。

 下から上にせり出して見えるのは、海を東西に隔てる半島だろう。


 航海の難所である海峡、その北側には材木がとれる北国。今は開拓騎士団の領地となっている位置も、しっかりと木炭や鉱物、将来的には武具の産地として有力であることが記されている。先見の明。


 海峡の東側には、たくさんの小島。航海の難所を作るそんな諸島群にも、人は住んでいる。

 どんな国があるか、どんな産物があるか、そして有望な海路に至るまで、びっしりと絵には描き込まれていた。

 震える足で、海図に近寄る。

 新しい商圏のために大勢が必死で考えている航路――これはそのほぼ完成形。このために、数億ギルダーが動いてもおかしくない情報だ。


 私は右下を確かめる。

 画家が署名をする位置。

 構想をこれだけの絵にした画家のほか、商人らしき名前がいくつもある。まずミリア・ダンヴァース――領主様だ。そして、苗字のないアリスという名前があった。


 アリスとは、私が7歳の頃に亡くなったお母様の名前だ。


 心臓が鳴っている。

 お母様にそっくりな、絵画の人。そしてこの署名。

 何よりお母様は、結婚前に商人をしていたという。


「ダンヴァース殿と、彼女の教え子らは、この構想を何十年も前に確立しておられました」

「教え子……?」


 今は、私がその一人だ。

 『株式会社』という仕組みを教わって、出資を受けて、今がある。そしてこの部屋に辿り着いた。


「これ、北方商圏……」

「20年前も、そう呼ぶ人もいたそうですな」


 神父様は寂しげに海図を見上げた。


「しかし、これほどの海上商圏が成立することは、陸上交易の中継拠点であるリューネの立場を危うくする。ゆえに、論文、そして地図にまでまとめながらも、この部屋に封じられました」


 神父様は私を見やった。

 頭には疑問が次々と浮かんでくる。

 どうしてお母様の名前がここにあるのだろう?

 ダンヴァース様はなぜ、この部屋を私に見せたのだろう?


 お母様は、結婚する前、商人をしていた。

 でも考えてみれば、貴族の娘は家の駒だ。普通は商人なんてしない。それこそ流刑されるか――貴族でない扱いをされていない限り。

 今思えば、正式な子供ではなく、たとえば庶子だったと考えるのが自然だ。


 お母様と、話せたことは少ない。

 商いのことと、かつて海の近くに住んでいたこと。シェリウッドの教会が頭を過ぎる。私は初めて楽園島の近郊、シェリウッドを訪れた時、どうしてか懐かしいと思えた。

 それはもしかして、誰かから街の名や様子を聞いていたからではなかったか。


「海――」


 呟くと、神父様が言った。


「女商人は、女商人を弟子にするものです。ダンヴァース殿はこれだけの情報を集めましたが、それはまた……重荷でもある」


 私に問い掛けた。


「それを引き継ぐ人が、己の意思で扉を開くのを、おそらくは待たれていたのだと思います」


 神父様は私へ問いかけた。


「引き継ぎますか? この部屋にある構想、航路ノウハウを」


 神父様は嘆息した。


「そも、女性が商いを続けるのは大変なこと。弟子達は少しずつ散り散りとなり、ダンヴァース殿は、旦那様とご子息の死後、リューネを離れました。今では少々の交流がありました、拙僧があの方々の記録を守っているだけです」


 神父様が、腕で机に積まれた書状や巻物を示す。

 本棚は地域や産品ごとに整理されて、全て見るだけでも何日もかかりそうな膨大な量だった。

 でも一番は――海図だ。

 この部屋にある絵を多くの人が知れば、人やモノの流れが変わる。

 新しい商いが始まるとき、最も不安なのは、『儲かるのか?』という疑問だ。この海図と、論文は、その不安に完璧に応えている。


「お母様……」


 ため息のように声が漏れた。

 まだ確証はない。領主様や、ここにいる神父様に、問わなければ。

 お母様と、ダンヴァース様、私の2人の先生もまた、同じ師弟同士だったなんて。そして、同じ商圏を夢見ていたなんて。

 でも、遠い昔にいなくなったはずのお母様と、もう一度言葉を交わせた気がした。

 呆然とする私を、神父様は不思議そうに見つめる。


「……北方商圏は、一度、妨害により失敗した商圏です。ダンヴァース殿ご夫婦は、大商人ではなく、カネを集めただけで失敗した詐欺師といわれました」


 ……領主様が、私に覚悟を決めさせた理由が、なんとなくわかる。

 以前の私には、この部屋は重すぎるもの。

 自分で切り開かなければ、運命の重さには耐えきれないのかもしれない。


「王侯への貸付金などは残りました。ですが、北方商圏を機に、ダンヴァース殿とお弟子たち、そして旦那様は――商人にとって何よりも大切な、信用を失ったのです。ダンヴァース殿は、『魔女』と呼ばれました。大勢に商圏という夢を、幻を見せました。しかし幻が、幻のまま終わってしまったから、魔女なのです」


 神父様は私へ目を向ける。


「神話がいうように、開けない方がよい箱というものはある」


 瞬きと共に涙が少しだけこぼれる。指で拭って、私は笑った。


「あら。箱に残ったものが悪いものだという証もないでしょう?」


 私は祈った。部屋を去り際、絵に小さく一礼カーテシーを送る。


 ――領主様、お母様。お二人の宿題、私が引き受けます。


 神父様にお礼を述べて、私はみんなのところへ戻る。

 ログさんが真っ先に尋ねてきた。


「どうだった? ……おい、泣いてるのか?」

「く、クリスティナ様!?」


 ハルさんとログさんの気遣いが嬉しい。それだけで胸がいっぱいになる。


「平気です。実は……ええと」


 こんな時に、口がうまく回らないなんて!


「ごめんなさい、まだ整理できないかも。でも――すごいものを見つけたわ」

「……君がそういうなんて、相当なことだろうが」


 どんなに完成されていても、海図は20年前のものだ。

 今の情報に『更新』しなければいけない。

 楽園島のニシン、修道院のワイン、シェリウッドの樽や材木、開拓騎士団は鉄を作っている。

 『株式会社』といった新しい仕組みもある。


 ――いいものを、商ってみたいっ!


 海には、まだ知られていない名品がたくさんある。

 海図を作った人は、本物の商人だ。そのための道を、航路を、私達に残してくれていた。

 エンリケさんとギュンターさんが呼びに来る。


「商聖女、開拓騎士団が到着しました」

「商談だが……どうした?」

「いえ、すぐに向かいます」


 みんなには、簡単に見つけたものを話すしかなかった。

 すぐに開拓騎士団と契約を確認しあう時間となる。

 交渉には、副団長のフーゲンベルクさんはもちろん、騎士団の総長も出席した。

 白い髭をたくわえた、厳格な眼差しをした方。こちらを探るような目つきは、騎士でもあるけれど、まぎもれなく領地を経営する商人だとも思わされる。

 商談は順調に進むと思ったけれど――ほどなく、私達は外から声を聞いた。


「令嬢、クリスティナ!」


 かつての追放を思わせる、そんな声。

 外から響いてきた言葉に、私は身を固くした。

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