3-27:商人教会

 よい報告を持ってきたはずなのに、ログさんの表情は晴れない。くしゃりと黒髪を掴んだ。


「開拓騎士団からの大口契約だが……いつもなら、先方の詰所で打ち合わせだろう? だが、今回は場所を変える希望だ。なんでも――」


 ログさんは嘆息した。


「……北方商圏に協力する商人が攫われたり、脅しつけられたりしているらしい。念のため場所を変えるそうだ」


 私は口を結んだ。

 宿の空気が、一気に張り詰めたように思う。

 ハルさんもぴしりと硬直し、奥で座っていたギュンターさんも顔を歪めた。


「いよいよか。俺達の船員にも、辺りを見回らせたりしているが――さすがに脱退者が多く出て、敵さんも焦っているな」


 商いである以上、大きなお金が動く。手荒なやり口にも警戒はしていた。

 でも実際に起こると、やりきれない。

 ……そこまでしないといけないの? 楽園島や、故郷の男爵領とは違いすぎる商いだ。


 やがて外出していたエンリケさんも戻ってくる。ログさん、ハルさん、それに交易商人のお二人が勢揃いした。

 よい機会なので、私達は昼食を食べてから、今後の相談をすることにする。


「なら、お昼はハルがご用意しますっ」


 こんな時だけど、ハルさんの笑顔が眩しい。


「ログがもらった材料もありますし! 都風のレシピも、覚えたんですよ?」

「ハルさん、私も手伝いますよっ」


 『俺も』『僕も』とみんなが集まってくるけれど、ハルさんはにこにこした。


「これは、ハルのお仕事ですから! 皆さんは商談の準備をっ」


 と、頼もしい一言。実際、ハルさんはくるくると魔法のような手つきで、お料理をすぐに持ってきた。


「どうぞ! ブルスケッタですっ」


 どん!と出てきたのは、聞きなれないお料理。

 正しくは、『ニシンとトマトのブルスケッタ』というらしい。

 白パンの上にニシンとトマトが乗っているのは、島で食べたお料理と同じだ。首を傾げながら一口かじって、あっとなる。


「――おいしいっ! これ、ニンニク……?」

「はい! 味が濃いニシンを、ビネガーとタマネギ、それにニンニクとも合わせてあるんですっ」


 ニシンの脂と、ニンニクの風味がとっても合う!

 思わずパクパク食べてしまう。ニンニクの味付けが利いた、英気を養うお料理だ。明日の商談にはぴったりである。

 エンリケさんが頬張りながらにやりとした。


「……ハルちゃん。こんなお酒に合いそうな料理、お昼に出すのは罪だねぇ」


 確かに、お父様はこのお味が好きそう。オリヴィアさんがいたら、おそらくもう酒蔵にいるだろう。

 くすりと笑って、島が恋しくなる。

 ああ、また漁がしたい――まさか追放された先で、そんな気持ちになるなんてね。

 食事が済むと、私は集まったみんなを見渡した。


「明日、開拓騎士団との商談が再開する前に、状況を共有しておいた方がいいと思います。街の危険が増したようです」


 私はログさんへ目を向けた。


「商人連合会が、商人を捕えたり脅したりしているというのは、本当ですか?」


 ログさんは浮かない顔で首肯した。


「ああ。開拓騎士団からの情報だが、確かに商人らはビクビクしていたと思う。連合会は、北方商圏に人が流れるのをなんとか食い止めたいみたいだ。捕まって情報を吐かせられたり、大陸の家族や友人を人質に脅されたり……」


 頭を振るログさん。


「いまだに信じられん」

「はっ! 大金がかかれば見境がなくなるのはどこも同じさ。交易商人にも、海賊並みに血の気が多いやつはいる」


 ギュンターさんが混ぜっ返した。

 ぎゅっとスカートを掴んでいたハルさんが、眉根を寄せた顔をあげる。


「でも、変ですよ? どうして今更、慌てて乱暴なことをするんです? カンゼイとか、塩を売らないとか……そんなことしたら人が離れていくのは当たり前じゃないですかっ」


 ハルさんがけっこう鋭い。

 私は結った髪をなで、頷いた。


「そうですね。その辺りから整理しましょう」


 夜会から帰った後、私達も情報を集めている。

 商人連合会の計画と誤算について、推理があった。


「商人連合会にとっても、今の状況は半分思い通り、もう半分は想定外、といったところだと思います。想定外があるから大慌て、手荒なやり方も使っているのかもしれない」


 私は一つ指を立て、唇を舌で湿した。


「順を追って考えましょう。20年ほど前、北方商圏が不首尾に終わったのは、商人連合会が妨害をしたから。そして今も、シェリウッドで独占をしかけたり、私も王宮から追放されたり、姿勢は変わらない」


 みんなも首肯していく。

 ハルさんが目をつむって、頬に指を当てた。


「……ええと? 北方商圏って、今、みんなで作ろうとしているやつですよね?」

「そうです。もし成立すれば、商人連合会にとって、あまりよくない結果になります」

「ハル、それは覚えてます。この街、リューネを通じて、海の東から西へモノが運ばれている。海に航路ができると、リューネをものが通らなくなって……」

「商いが減れば、儲けも減りますね」


 陸路を押さえている商人連合会が、海路の成立を阻んでいる――そういう言い方もできるだろうか。


「いつから今の規制を考え始めたのかは、わかりません。でも警戒し、妨害しているということは、彼らもこう思っていたはずです。『黙っていれば、いずれ北方商圏はできてしまう』、と」


 私は重ねた。


「どこかの段階で、『絶対に防ぐ』という自信が、『いずれはできてしまう』という危機感に変わってもおかしくない」


 そもそも船の方が、大量の運搬には便利なのだ。

 馬車と帆船では、運べる量が桁違い。遠い別大陸まで船で行けるのに、いつまで荷揚げして陸送という不便が続くのか――彼らも考えたのだ。


「逆に言えば、今ならまだ間に合う。リューネは交易の要衝だし、強引な規制だって、押し通せるかもしれない」


 ハルさんがはっとした。


「そうか。待っていても――」

「海路が育つのは止められない」


 乱暴な言い方だと、『ジリ貧』ということになる。


「生産者に投資をしたり、逆に北方のいいものを仕入れたり、他にやりようはあるとも思うのだけど……連合会は王国からライバルを追い出した。その力が、まだある内に」


 エンリケさんが両手を広げた。


「なるほど? 僕も、同じ考えですよ」


 整った顔に浮かぶのは、皮肉げな笑み。


「商人連合会は、7つの大商会が牛耳っています。究極、ここの思惑が連合会の思惑だ。都市や商会が減っても、王国内で影響力が保てればいい。成長じゃなくて、縮小均衡を目指すわけです」


 ギュンターさんが目で促した。


「仮にそうだとして?」


 私を首をすくめた。


「彼らにとって、脱退者が出ることは予想通り。誤算だったのは、その数でしょう」


 ここからは、私達も知る話。


「最大の誤算は、『北方商圏』があっさり成立してしまいそうなこと」


 ログさんが言いさす。


「あっさり? まだまだだろう」

「少なくとも、商人連合会は『北方商圏』がまだまだ先だと思っていたのですよ。開拓騎士団のような大物まで離脱するとは、まさか思わなかったはず」


 さて、思い出してみよう。私達のしたことを。


「だけど大勢の商人が、かつて成立しかけた商圏、『北方商圏』を思い出してしまった。そこに向けて、もう動きだしていたフィレスのような国もある。楽園島のような、新たな産物もある。つまるところ――彼らが予想していた以上に、北方の産物は強かった」


 新しい商圏は、北の海峡、その東西にまたがるように存在する。

 つまり海路だ。

 これは商人連合会が今後も大事にする予定だった陸路から、商人を引き剥がそうとしていた。


「商人連合会は、リューネの影響力がある内に、王国で支配を強めたい。でも策を打った瞬間から、リューネから商人がガクっと減ったら?」

「それは……」


 口ごもるログさんに、ハルさんが目をパチパチした。


「大失敗では?」

「で、焦っている……口に出すと、なんだか馬鹿らしいですわね」


 なんともいえない表情で、ハルさんは首をひねった。


「……ハル、不思議ですよ。そうなるって、わからなかったのでしょうか」

「どうでしょうね。相手に失敗を期待するのは、都合が良すぎる気もしますけど……」


 思惑をどの程度読めているかは、動きを想定する上で重要だ。

 荒事に訴えてきた焦りは、やはり予想外の何かがあったからだろう。

 ギュンターさんは長く腕を組んでいたけれど、やがて口を開いた。


「俺も、ずっと考えていた。確かに商人連合会は、北の産物について、侮っていたと思う。リューネを経由する小麦や塩で、北を生かしてやっている気にもなっていただろう」


 ギュンターさんは目を細めた。


「廃業する漁師や船乗りを海軍に入れる話も聞いたが――そりゃ、商人じゃなくて貴族の発想だぜ。海軍に人や船を送ることで、王家に話をつけたのかもしれんが、それも商人の領分じゃない」


 呟く言葉は、寂しげだった。


「商人らしい、モノを見る目をなくしていたのかもな。北で作られているものの現物を見れば、リューネから閉め出されても、他に買い手がいることは予想できたはずだ」

「僕も、いいでしょうか」


 エンリケさんが手を挙げた。


「……僕は、商聖女。あなたが連合会の誤算の根源だと思いますよ」

「わ、私?」

「ええ。ご自身の成果を過小評価しているから、相手の失敗に見える。覚えていますか? 夜会にいたブルーノという商人、シェリウッドにも来ていたでしょう」


 私は顎を引いた。


「シェリウッドの位置関係は、この交易都市リューネと北方商圏を繋ぐ線の、真ん中にある。開拓騎士団や、他の商人も、シェリウッドへの寄港や投資に前向きだった」


 ぱちり、と頭で算盤の音がした。


「島には、もう『塩漬けニシン』という産物がある。『塩漬けニシン』を支えるための、樽や、それを利用したワインも。シェリウッドや楽園島に寄港すれば、それらと取引しつつ、北方商圏が成らなかった場合でも、リューネへの中継地として利用できる。いわば、手が出しやすいんです」

「な、なるほど……」


 商流に基づいた、交易商らしい考えだ。

 楽園島の近郊は、北方商圏に参入する人に都合のよい位置にある。

 島に航路が集まれば、よい産物を仕入れつつ、集まってきた他の航路とも取引ができる。そして王国の北端でもあるから、リューネとの商いが仮に再開しても、対応可能。ギュンターさんらのように、南下すればいい。

 北方商圏と、大陸商圏、どちらとも繋がる位置なのだ。

 エンリケさんは意外そうな顔で手を振った。


「商聖女、あなたなら夜会の前に気づいていたと思ったけれど?」


 買いかぶられて、私はびっくりした。


「ま、まさか! とにかく取引先を見つけないといけませんから、夢中で……」


 でも、不思議な気持ちだ。

 楽園島のニシンも、シェリウッドで連合会に抗ったことも、必死にやってきただけ。それが思いもよらない形で、北方商圏の起爆剤となった。


「シェリウッドにブルーノがいたのは、もちろん規制の地ならしもあると思う。けれど、北方商圏ができるとなった時に、便利な位置だからでもあるかもしれない。市場の独占の他に、もう一つ、おそらくあの街から『商会をなくす』ことも目的だったのでしょう。総会に、シェリウッド近くの商人は――本来、いるはずなかったのです」


 確かに……シェリウッドに残っていた唯一の商会は、連合会に抱き込まれて街を去ってしまっていた。

 この『総会』に、あの街の商人はいないはずだったのだ。

 ログさんが顎に手を当てる。


「……俺達が総会に来たことが、連合会の予定外ってことか?」

「おそらく。今頃、ブルーノはきっと真っ青だよ」


 黒い笑顔で笑うエンリケさん。

 一方私は、嫌な汗がじっとりと額に浮かんでくる。


「もっと言おうか? ブルーノは、おそらく大商会の中で、エリートの位置にいるのでしょう。だけど、もし北方商圏が成立すれば、彼は仕事をしくじったことになる。大きな組織の中で、エリートから戦犯に転落だ」


 私は尋ねた。


「手荒なやり方は、ブルーノの苛立ちのせいもある、と?」

「可能性は」

「ああ……」


 額を押さえたくなる。

 ハルさんはきょとんとしていたけれど、やがてニンジン色のお下げを跳ねさせた。


「あ! クリスティナ様、シェリウッドで確かお顔を見られて……!」

「私が動いていると知られれば、恨みが向くでしょうね」


 あの時、もっとしっかり顔を隠しておくんだった!

 そうしてみると、私はなかなか危ない位置にいる。

 今度はログさんが言った。


「クリスティナ。言いにくいが、その……王子の件もあるだろう」

「ええ」


 夜会には、神聖ロマニア王国の第二王子もいた。私の正体が気取られそうになったけれど、その後、特段探されているようなことはない。

 普通に考えれば、流刑された令嬢が大陸の大都市にいるはずもないけれど――本当に大丈夫かは、まだ油断できまい。

 ギュンターさんが呟いた。


「ダンヴァースの婆さんが、商人連合会に手紙を送っているはずだ。向こうに、協力してくれる人が出ればいいんだが……」


 でも、彼らもまたしぶとい商人だ。これで終わるつもりはないだろう。

 その時、ドアがノックされた。

 ログさんが私達を手で静止して、ドアへ近づく。小さく開いた入り口で、しばらく話し込んでいた。


「来たぞ」


 やがて扉を閉じ、赤いリボンで巻かれた書状を持ってくる。


「開拓騎士団から、『塩漬けニシン』の発注書だ」

「いよいよですね」


 今年1年分の操業が、この発注量で決まる。事実上、『海の株式会社』が存続できるかどうかが、決まる書類だ。


「開けますよ」


 ログさんから書状を受け取り、みんが見守る前で、机に広げる。

 私は息をのんだ。


「……1年で、300樽……?」


 去年の倍量を生産する形だった。

 追伸がある。


 ――あなた方の見識と良心、そして塩漬けニシンの質を鑑み、上記の条件で発注いたします。


 ふっと笑みがこぼれた。


 ――あなた方が食事屋に卸したというニシン、我々も賞味した。

 ――確かにたいへん、美味であったぞ!


 追伸の書き手は、フーゲンベルクさん。騎士団にハルさんのレシピと共に差し入れた塩漬けニシンも、同じく好評だったようだ。


「返事を渡さなければいけませんね。明日の待ち合わせ場所は?」

「昼過ぎ、九課の鐘で『商人教会』だそうだ」


 商いが盛んな都市には、商人のための教会があるものだった。重要な契約書の保管を担ったり、裁判を行ったりもする。

 今の逗留地から遠くないし、中立的な場所ではあるけれど――。

 頭に何かが過ぎった。


「そこ……ダンヴァース様が言っていた教会だわ」


 島を出る前に、領主様から手紙をいただいた。

 リューネに行ったら、出る前にそこを訪れてほしい、と。『運命』とまで領主様が仰っていたことが思考に引っかかっている。


「行きましょう」


 私はみんなに笑いかけた。


「何が出てくるか、見てやろうじゃない?」

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