3-25:因果応報


 私達は、フーゲンベルクさんと取引の詳細を詰めた。

 発注は千尾単位、1尾あたり105ギルダーを軸に商うことを決める。今の相場より少し割安なのは、その分『炭』を値引きしてもらうからだ。

 月あたり数万尾、年でゆうに10万尾を越える大口となる。

 今度は購入する炭について調べ、購入ペースを決めなければならない。この場にいないギュンターさんの意見も必要だ。

 騎士団はシェリウッドにも興味を持ってくれる。


「空いている港?」

「ええ。以前は材木の産地だったので、そのために大きな港を持っているのです」

「ふぅむ。そこは貿易の寄港地にもよさそうだ。規格を揃えた『樽』は、騎士団にも輸送で使う」


 次の会合日程を決めたところで、さすがに時間切れとなる。


「副団長、そろそろ……」


 外で見張りをしていた男性が、ノックをして入る。ホールで次の演奏が行われるらしく、さすがに個室に居座るのは不自然だ。

 立ち上がるフーゲンベルクさん。


「よい商談であった。歓談に戻る時間ではないか?」

「ええ」


 私は商談のお礼を述べて、仮面を被りなおした。

 羽を模した青色の仮面が私の素顔を隠してくれる。


「ログリス」


 部屋を出ようとした私達を、フーゲンベルクさんが呼び止めた。黒髭をいじりながら、にんまりする。


「はっ」

「……君が、島を出られない理由がわかったぞ」

「は?」

「ご婦人方に捧げる愛をミンネという。ミンネなら仕方がない。貴殿も、貴殿の騎士道を貫きたまえ」


 ログさんがぎょっとして顔を赤らめた。

 おや……意中の女性の話でもしたのだろうか。ちょっと気になるところである。

 私達は副団長と別れると、夜会には戻らずに建物を出ることにした。ダンスの間、かなり派手に『北方商圏』の話をしたから、目を引いていないとも限らない。

 外で馬車と合流し、早めに去るのがいいだろう。

 ホールを出て豪華な廊下を歩く中、ログさんが囁いた。


「クリスティナ。新しい商圏……そんなの、できるのか?」

「まだわかりません。でも、開拓騎士団が味方についたのは、大きな前進です」


 成果を持って帰れて一安心だ。

 夜会に来れなかったハルさんとギュンターさん、こちらの2人も馬車で待っているはずだけど、今から合流が待ち遠しい。

 エンリケさんが言い足す。


「確かに。けれども、『北方商圏』を望まない商人もいる。あまり目立つのは、考え物だよ」

「……ええ。最悪のことになっても、『海の株式会社』にも、楽園島にも、迷惑がかからないようにします」


 そこだけは譲れない一線だ。

 ログさんが前に出て、急に足を止める。


「……クリスティナ。そういうことじゃない」

「え――」


 視線が交わった時、急に大声が響き渡った。

 な、なにっ!? 思わず身がすくむ。


「そこをどけ!」

「俺達を中に入れろ!」

「静かに! 静かぁに!」


 みんなで顔を見合わせる。声は外からだ。まるでこの議場に、大勢が押しかけているかのよう。

 小走りに吹き抜けの玄関を過ぎると、松明を掲げた数十人が外で詰め寄っていた。


「関税も、規制も、やめてくれ!」

「俺達が何をしたっていうんだよ!」


 怒りに目を吊り上げた顔。泣きそうな顔。憮然と睨みつける顔。

 夜会の場にいたせいか、彼らのくたびれた衣服はなおのこと貧しく思えた。

 商談の成功による熱が急速に冷める。


「規制を受ける商人が、直談判に来ているのだわ……」


 私達のように夜会に潜り込める商人だけではない。家族だけでやっている小売商や、商いを始めたばかりの新興商人は、規制に抗う術はない。そして、自らの意見を会議で述べる機会もない。


「お静かに!」


 鞭のような声が飛んだ。

 衛兵を従えて、細身の商人がじろりと群衆を見渡す。

 その姿には、どこか見覚えがあった。

 ログさんが呟く。


「シェリウッドに来ていた商人じゃないか?」


 私ははっとした。

 確かに楽園島の近くで独占を仕掛けた商人、その一人だ。

 黒い帽子には白い羽が揺れている。帽子と羽の組み合わせは商人連合会のマークで、立場によって色や差し方が変わるのだ。

 名前は、ええと……


「確か、ブルーノ」


 群衆の顔は赤い。松明が照らすせいか、それとも酒でも召しているのか。青白い顔のブルーノさんとは対照的だ。

 連合会の商人は両手を広げて、大仰に腰を折る。


「――この度は、商人連合会をおたずねいただき、ありがとうございます。フランド商会のブルーノ、小職が対応をいたします」


 群衆が静まったのを見計らって、ブルーノさんは微笑んだ。


「まずは突然の議事内容で、ご心配をおかけしていることに、謝罪を。そして現在の議事ですが、王国内で事業をされている方々には、負担が減るような仕組みを用意してあります」


 一つは、とブルーノさんは右腕を掲げた。


「商人連合会の七大商会、このフランド商会を始めとする大商会に入会をいただくこと。大商会の一員となれば、関税などはありません。いくつか支度金、および必要な場合は、生産方法の共有を求めることがありますが――」


 私は口を引き結んだ。詰め寄る人達に混ざりたくなる。

 ログさん、エンリケさんが口を揃えた。


「商聖女」

「クリスティナ、出ていくなよ」

「ま、まだ何も言っていないでしょっ?」


 でも、怒りたくもなる。

 『海の株式会社』にも提示された条件とまったく同じだ。

 要は『大商会に従え』そして『技術を明け渡せ』と言っている。


 生産統制のために中小商人をまとめあげる目的のほか、有用な技術も吸いあげるつもりなのだろう。

 ……もちろん、技術に対価が払われることはない。

 楽園島でいうと、ハルさんの『瓶詰』などの技術を奪われ、苦労して作った修道院、シェリウッドとの商流まで乗っ取られるようなものだ。


 ブルーノは歌い上げるように続ける。


「もう一つは、残念ながら環境変化で廃業をなさる場合もあるでしょう。その場合、商人連合会で船などの処分に困る資産を買い取ります。よければ再就職先のあっせんもいたしましょう」

「さ、再就職……?」

「ええ。海賊対策、海上警備などで航海に心得がある人は必要ですから……」


 私は呆気にとられた。

 ……漁師や船乗りは、海の心得がある。そして漁船には、兵士を乗せれば簡単に軍船に変わるものもあると聞く。

 要は『塩漬けニシン』の生産統制であぶれた人や船を、海軍に転用しようというのだ。


「お前ら、何を言って……!」

「事業を畳むのに、旧式の船は最も売却が困難でしょう? 買い上げると言っているのです」

「う……!」


 ブルーノは青白い顔で勝ち誇った。


「今後とも、商人連合会をごひいきに」


 ぎゅっと唇を噛む。

 北方商圏ができれば、海の株式会社は商いを立て直せる。しかし王国を、リューネをこのままにしておいて、本当にいいのだろうか。

 エンリケさんが小声で言った。


「クリスティナ、離れよう。この騒ぎじゃ、近くを馬車で通れない」

「……! はい」


 言うまでもなく、この場はまだまだ荒れそう。取り残された群衆の中で、さらに喧嘩が起きる有様だ。


「……私は、彼らにつくよ」

「お前っ」

「大商会にも私は納めてたが、確かに外のモノの方が質がいい! 閉め出しでもしなきゃ、我々は食い詰めだ」

「だからって――!」

「好きで悪いもの作ってるわけじゃない! カネも、設備もないんだよ!」


 わかっている。

 商いはいい面ばかりではない。裏切ることも、見捨てることも、時にはその方が利益が出るなら――やるべきだ。

 特に今は、楽園島の未来がかかっている。

 けれど……本当に? 『いいものを売る』のって、こんなに寒々しい光景に背を向けることだっただろうか。


「……王家は、何をやっているのでしょう」


 一旦、ホールの方角へ戻り、別の出口へ向かう。

 後ろから声がかけられたのは、そんな時だった。


 ――君は。


 悪寒。

 振り向きそうになる。我慢できたのは、奇跡だった。

 鼓動に耐えながら仮面を確かめる。

 どうして、あの人がここに。


「クリスティナ?」


 囁くログさん。

 うまく口が動かない。ひっと誰かが息をのんだ音がして、けれどもそれは私の口からだった。

 足や手が震えていることに、ようやく気付く。

 まるで全てが他人事のように思える。それくらい頭がしびれて、うまく思考が回らない。

 仮面の端からちらりと背後を見た。


「……!」


 出口まで漏れ聞こえてくるホールの演奏が、かつての出来事を思い出させた。

 1年前、私はこの人に濡れ衣をきせられ、追放された。


 神聖ロマニア王国の、第二王子に。


 白の装束は追放を言い渡した時とも似ている。流れる銀髪も、昔のままだ。

 聞こえる声は、幻聴か、それとも現実だろうか。

 動揺がひどい。


 ――すまない。いや、人違いだとは思う。だけど君は、まさか……!


 王子が見えなくなる。

 ログさんが私との間に割り込んだのだ。


「申し訳ありません」


 毅然とした声が、王子の言葉をはねのけたようだった。


「ご令嬢はご気分が優れない。これにて退出させていただきます」


 エンリケさんに手を引かれ、私はギュンターさん達が待つ馬車に向かう。議場を後にする。


「――ログ、相手がだれか分かってるのか?」

「いや、まずかったか?」

「まさか、よくやった。くそ、僕は動けなかった……!」


 心が千々に乱れるとは、こういう状況をいうのだろう。

 ようやく馬車に戻ると、私は後ろの座席にへたり込んでしまった。

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