3-23:商圏の夢
ダンスの時間が終わり、私とエンリケさんはログさんと合流する。
「なんとか、君の役に立てそうだ」
微笑するログさん。
少し別れていただけなのに、胸を張った姿は一回り大きく見えた。琥珀色の瞳に、夜会の装束や雰囲気もあってか、妙にドキドキする。
こほん、と咳払い。
商談相手、開拓騎士団の副団長――フーゲンベルクさんに目を向けた。立派な黒髭をなでてから、ホールの奥を示してくれる。
「どうやら、これから先は場所を移した方がよさそうですな。個室の方が落ち着くでしょう」
こうした夜会では、有力者用の個室もきちんと用意されているもの。
お礼を言って移動する間、大柄な副団長をそれとなく観察する。仮面を被った私とエンリケさんだけど、フーゲンベルクさんは落ち着いて接してくれていた。
個室に招くのも、仮面が単なる夜会の装束ではなくて、正体を隠すためと気づいてのことだろう。
これは手ごわそうだぞと気を引き締める。
部屋に入ると、フーゲンベルクさんが奥に、私とエンリケさんがその手前に座った。
「さて、ログリスよ」
私が仮面をとって一息つくと、早速フーゲンベルクさんが言った。
「この方々を、改めて紹介してくれないかね」
エンリケさんが首を傾げる。
「ログリス?」
「……俺の、大陸の時の名前だ。流刑された先だと貴族風の名は目立つし、浮く。みんなにあだ名で呼ぶように頼んで、それが馴染んだ」
なるほど、それでログ……。
エンリケさんが微笑する。
「へぇ、いい名じゃないか。さて、失礼を」
私とエンリケさんは、タイミングを合わせて立ち上がった。
ログさんが私達へ腕を向ける。
「こちらが『海の株式会社』の社長、クリスティナ。そしてこちらが、フィレス王国の第4王子、エンリケ・フィレス殿下」
一礼する私、そしてエンリケさん。
こういう社交では紹介にも作法があり、必ず身分が低い方を先に示すのだ。この場合は来客側、つまり私達である。
前日の詰め込み教育だったけど、ログさんはきちんと覚えていてくれたみたいで、心強い。
フーゲンベルクさんも立ち上がる。
「『開拓騎士団』副団長、ゲオルク・フーゲンベルクだ。騎士団では、輜重責任者をしている」
私より頭一つ分高い位置から、こちらを怪訝そうに見比べる。
座り直した後も、表情は驚き半分、困惑半分といったところ。
「失礼だが、どちらもお若いな」
……そうですよね。18歳の令嬢が社長であることも、西方の王子がでてきたことも、どちらも驚きだろう。
エンリケさんが忍ばせていた書状を取り出す。
「こちらを。フィレスの大使からです」
「う、うむ。拝見しよう」
エンリケさんは、きちんと地位を証明する書状を持っている。そのエンリケさんが私の身分を保証しても、やっぱりすぐには信じてはもらえなかった。
「こちらのご令嬢が、島で塩漬けニシンの事業をしていると?」
頷く私。
「ええ。女商人は珍しいでしょうか?」
「そ、そんなことはない。女商人は、我が騎士団も取引したことがあるし、開拓地の周りには女族長もいる。しかし商人も
「女性の族長……開拓騎士団が最初に聖導教を伝えた、フライヤが有名ですね」
「よ、よくご存じだ」
エンリケさんが苦笑して、助け舟を出す。
「追放された『商聖女』と言った方が、もしかしたら通りはいいかもしれませんよ?」
フーゲンベルクさんがはっとする。
「……追放? 第二王子の婚約者が、追放されたことは聞いたことがあるが」
私は島に流された経緯を話す。
都でありもしない罪を着せられたこと、そして島で塩漬けにニシンの事業をしていること。
商談が成立しそうなら、私の正体を明かすことは事前にみんなと決めてあった。罪人と怪しまれるリスクはあるけれど、何度も会って話すなら、いずれは明かさなければならない。
逆に隠していると、ばれた時に信用を損ねかねなかった。
フーゲンベルクさんはにやりとする。
「なるほど、それで今は、島での事業を。世間はそうやすやすと商才を放っておかないわけだ」
「……信じていただけるのですか?」
私は意外に思った。
『都で罪に問われた女と交渉する』という状況である。
だからこそログさんに先に会ってもらったわけだけれど、怪しまれ、商談で少しずつ誤解を解くことも覚悟していた。
フーゲンベルクさんはひょいと肩をすくめる。
「我々も追放された身ですからな。『商聖女』の名は聞き及んでいましたし、ログリスと再会させていただいた恩人でもある、信じましょう!」
お見事な思い切りだ。
北で開拓をしてきたということは、色々な商人や、戦いを経験しているはず。人への目利きにも自信があるということだろうか。
「全能神の導きに感謝を。王国から追放された騎士団と、商人が、ここに出会った」
副団長は瞑目すると、手を組んで祈りを唱える。目を開けると、ぎらりと剣のように鋭い光があった。
いよいよ、商談の続きだ。
「ログリスからあなた方の『塩漬けニシン』について聞きました。だが、懸念が2つある」
ごくりと喉が鳴る。
「ええ。商人連合会が原材料の『白塩』を独占すること。そして、私達のような新興商人に『関税』をかけること、ですね?」
「うむ。ニシンがいかによくても、そちらの商いが続かなければ、失礼ながら――当座の発注はするが、長く取引をする価値はない」
「――当然ですわね」
価値がないというより、できない。
片方は原材料、片方は商流への大きな打撃だ。
互いに海を挟んでの交易になるから、少なくとも数千尾単位での発注になる。けれど、途中で『塩がないので作れません』となったら、目も当てられない。
関税も同じで、商流でコストが増えるわけだから、うまく対応しなければ事業が潰れる。
つまりフーゲンベルクさんは、『取引してもいいが、あなた方の事業は潰れないのか?』と聞いているのだ。
ぱちん、と頭で算盤の音が弾けた。
「開拓騎士団に『塩漬けニシン』を売ることが決まっても……塩がなければ、生産できない。そして関税がかかったら、取引のたびに余計にコストがかかります。ですが――」
私は胸を張った。ハルさんの得意げな笑顔が頭を過ぎる。
「塩については、すでに案があります」
「ほう?」
「商人連合会が生産を独占している『白塩』は、手に入らなくなる。なら、より価格が低く、西で生産している『黒塩』を使います」
フーゲンベルクさんは口を曲げた。
「……あの、色の悪い塩かね? ものによっては苦みさえあるというが」
「『黒塩』は確かに低質です。けれど『黒塩』を海水に投じ、火で煮たてて上澄みを取れば、白い塩を採取できることがわかりました」
ハルさんが考案した『精製』工程を話すと、フーゲンベルクさんが膝を打つ。
「――なるほど! 見えました。それで、騎士団の木炭が必要だったわけですな?」
「開拓騎士団は、製鉄や鍛冶のため、木炭を大量に商うそうですわね」
「もちろん、北方随一の産出量と自負していますぞ。いや、なるほど、うまい手だ。『黒塩』は低価格ゆえに、煮たてる燃料代を入れても、原価は安く済む」
「火加減や、道具に工夫が要りますが――詳細は、これくらいでご勘弁を」
しかし、とフーゲンベルクさんは笑みを消した。
「……『関税』はどうなさる?」
そう、こちらが難題だ。
話の前に、私は側頭に手を添えた。思考を走らせる。
商人連合会がかける関税によって、『海の株式会社』はリューネなど、大都市との商いに大きな制限が課される。
『関税』とは港や関所を通る時に発生する通行料のようなものだ。
外国商人や、ライバルを狙って関税をかければ、彼らの産物を不利にできる。
大商会は1ギルダー払えば通れるところを、私達は10ギルダーを払って通るようなもの。関税の分、私達の儲けは少なくなる。
利益率が3割ほどの現状でこの関税はあまりに重い。
今の倍ほども売って、ようやくかつてと同じ利益が出る――といったところだろう。
対処法は2つある。
一つは、利益が減ることを甘んじて受け入れ、商人連合会と変わらずに取引する。こちらは最後の手段。
もう一つは、商人連合会の外と取引をすること。
私達が期待するのは、『北方商圏』が注目されて後者の相手が増えることだ。
「それは……」
さて。
開拓騎士団は、どこまで見ているだろうか。
「北方商圏という言葉をご存じですか?」
フーゲンベルクさんは目を細めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます