3-22:騎士修道会
過去を懐かしむ時間は終わりだ。
座ったまま、ログは背筋を伸ばす。
商人連合会の理不尽な規制と、戦わなければならない。そのためには、騎士団を味方につけることが必要だ。
「フーゲンベルク殿」
フーゲンベルクは大きな体を、ところどころに毛皮をあしらった仕立てのよい衣服に包んでいた。
対するログもまた、黒を基調とした、上品な装いをしている。仲間が用意してくれた衣服は見た目負けせず、鎧のように心強い。
服が財産になるわけだ、とクリスティナから得た知識に今更ながら感心する。
けれども相手は、経験豊かな騎士で、長年開拓をしてきた。
島にいたログとは、数えた銀貨の数も、握手した商人の数も、桁違い。
向こうの経験が明らかに上――緊張しながら、ログは脇のテーブルに載った料理を見やった。白パンに、貝のソテー、ニシンの酢漬け。豪華な夜会ではあって当然の、『あるもの』がない。
武器の一つとして、ログはその情報を脳に留めおく。
「改めましょう。私は今、『海の株式会社』に所属しています」
フーゲンベルクは目を細める。
「株式会社……西方の制度だろう」
「ええ。流刑地の領主から出資を受け、事業を行っています」
「これからは商談だな」
フーゲンベルクは身を乗り出し、ぎょろりとした目で見上げるようにした。
「聞こう。だが君がハーシェル殿の息子という点と、商いは別であるぞ」
「わかっています。ですが、品質には自信があります」
開拓騎士団と『海の株式会社』の間には、まだログを通した繋がりしかない。対等な商売相手とみなされるかどうかは、島のニシンに関心を持ってもらえるかにかかっていた。
重圧に、喉が鳴りそうになる。
小船でとんでもない大物を釣針にかけた気分だ。対応を間違えれば、船ごとひっくり返る。
「当社の商品は、『塩漬けニシン』。ところで」
ログはさも意味ありげに、小机に載った料理を見やった。
「今日は戒めの日ですか?」
フーゲンベルクは顎をなでる。大きな目には、隠しきれない興味。
ログがどの程度の商人になったか、確かめてやろうという気が生まれたのかもしれない。
「そうだ。今日は、フィッシュ・デイであるのでな」
夜会では肉料理も出るが、小机には取り置かれていない。
ログは、父とクリスティナの言葉を思い出す。
――そもそも、騎士団は聖導教と深い関係があるのです。
クリスティナは、ログに人差し指を立ててそう言った。
単に領民を守るだけならば、『兵』という呼称でいい。
『騎士』と呼んでいるのは貴族階級や、馬上で戦う兵種を示す意味もあるが、『騎士団』という集団名で呼ばれた場合、そもそもなんの目的で集まったのかということになる。
多くの場合、辺境の夜盗や蛮族から、聖導教の信徒を守るという意味だった。
「あなた方の場合、騎士団ではなく、正式には騎士修道会といいますね」
彼らはオリヴィア達と同じ――『修道院』の仲間なのだ。
辺境の守りや開拓は、彼らなりの祈り。
魚食を求める戒律も、他の教会や修道院と同様に存在する。つまり彼らもまた、魚の熱心な消費者だ。
開拓騎士団が掲げる紋章は、聖導教を示す十字の左右に、剣とツルハシをあしらったもの。
「開拓地での布教や司牧に、戒律を守るための塩漬けニシンは必要です。なにより、騎士は肉体労働。脂ののった魚は、元気がでますよ」
「……確かに。遠征や僻地の開拓であれば、保存が利く食材が必要でもある」
「ええ。当社のニシンは、半年以上、日持ちがします。島で取って、新鮮なまますぐに加工するので、長く樽にあっても臭みがありません。ニシンは脂が多い魚、なので傷みやすく、島という立地は好条件。海の真ん中に加工所があるようなもの」
フーゲンベルクは感心したように背もたれに身を預けた。
魚の話なら任せておけ。
「潮の流れがあり、島の漁期は半年もあります。漁獲も万全です」
副団長は髭をなで、ゆっくりと思案している。
商品の利点は述べたし、それは騎士団の要求にも適っているはずだ。
――頼むっ。
笑みを保ちつつも、心臓は耳の横にあるように鳴っていた。
開拓騎士団は有望な販売先、そして塩の精製に不可欠な『木炭』の供給元。取引関係になれるかどうかに、『海の株式会社』の未来がかかっている。
「……それは」
フーゲンベルクが口を開いた。
「うまいのだろうな?」
剣を突きつけるような迫力。あと一押しだ。
ログは笑みを深める。
「もちろん。島の魚は、いいものです」
剣劇で例えれば、刃の押し合いを気合で跳ねのけたようなものだろうか。
「いつか、島の魚で一杯やりましょう。その時に、父だけでなく、島のことも話したい」
「ふ! はは!」
破顔したフーゲンベルクがログの肩をぶっ叩いた。大柄なログでさえ椅子から落ちそうになり、肩が痛む。
「いたっ」
「商人め! いいだろう、そう言われたら断れんっ。
ログはもう少しで、ぐっと手を握ってしまうところだった。こういう時でも冷静でなければいけない。
「……まだ直接、品物を見たわけではない。ログリス、君の自信を買ったのだ」
「十分です。ありがたい」
「ふふ。後で、君の事業の、社長とやらにも会いたいところだ。来ているのか?」
「え、ええ……」
口元がひくついた。
まさか夜会に参加している令嬢で、その令嬢が踊りながら商談しているとは、さすがにこの人も思うまい。
フーゲンベルクはまだにやにやしている。
「しかし、まさかあの少年が、今度は騎士でなく商人として現れるとは! 帳簿の勘定ができる騎士は貴重だ、今からでも鞍替えせんかな?」
「ご、ご冗談を……今の俺は、漁師ですから」
「どうだ? 発注書に入団誓約書を忍ばせておくから……」
ごほん、と咳払い。
いつの間にか戻っていた妻が、フーゲンベルクに聞こえざまにやったようだ。
副団長は頭を振って、気まずそうに話を戻す。
「あなた」
「………………うむ。だが、懸念はあるぞ。当座の商いはいいとして、商人連合会の新たな規制には、どう対応する?」
当然の疑問だった。
仮に開拓騎士団との取引が成立しても、継続できなければ意味がない。
「『白塩』の独占。それに、『関税』ですね」
「わかっているなら話が早い。どう切り抜ける?」
ログは素早く思考を整理した。
フーゲンベルクは、島の価値を認めている。
次はこの縁を太くし、『北方商圏』に開拓騎士団を引き込む手順だ。
「我々は……大陸だけが、商いの場所ではないと思います」
「ふむ。噂の、新たなる商圏か」
ログは思う。ここは『商人連合会』が催した夜会だ。そろそろ個室に向かうべきだろう――。
「さて」
フーゲンベルクが呟いた時、舞踏会の曲が止まる。
「皆様、踊り手に拍手を!」
ホールの中央にいた踊手達に拍手が巻き起こる。
中央で行われていたダンスが終わったのだ。フーゲンベルクが立ち上がり、ログも同じようにして、拍手を送る。
ダンスの舞台は解散となり、やがて仮面を被った男女がログの方へ歩いてきた。
クリスティナと目が合う。
微笑んで頷いてみせると、仮面越しにも大輪の花が咲いたのがわかった。これだけで報われた気がする。逆にもっともっと、役立ってやろうという気になる。
「……ログリス、どなただね?」
片方は王子で、片方は商聖女。
仮面を外した2人にきっと驚くだろうな、とログは頬を緩めた。
「あれが『海の株式会社』の――」
初商談の成果に胸を張って、ログは紹介した。
―――――――――――――――
キーワード解説
〔騎士修道会〕
辺境を巡礼する信徒のために、騎士が街道などを護衛、警備することがあった。
寄進や、防衛上の理由(砦とか建てた)でだんだんと巨大化し、やがて修道院になぞらえて騎士修道会と呼ばれるようになる。
テンプル騎士団などが有名だが、実際は「戦う人」なので肉食などもある程度配慮されたとか・・・。
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