3-20:副団長フーゲンベルク


 奏でられる素朴で軽快な音色に沿って、私達は踊った。

 歩幅を意識して。男性とテンポを合わせて。手足の伸びは、できる限り優雅に。

 自然と笑みが湧く。


「では――」


 エンリケさんが微笑して、私の手を放す。

 間奏に入ると、踊りの同伴者パートナーが変わるのだ。

 こうした舞踏では、男女が順番にペアを交換していく。分け隔てのない交流を促す、『コントル』という方式だ。

 今夜はそれを存分に利用させてもらおう。


「――こんばんは、ご令嬢」


 前に来たのは、40歳くらいの紳士だった。私の仮面を見てちょっと驚くけれど、すぐに柔らかい笑みを結び直す。


「西から来られたのですか?」

「ええ。この季節は、この仮面がないと」

「ふふ、なるほど」


 手足を取って舞いながら、会話が進む。


「……大陸の西が羨ましいです。今回の規制で、私どもの商いは難しくなりそうだ」


 そらきた、と私は思った。


「あら? 毛織物は、今年は豊業だとお聞きしますが」

「いやいやそんな――なぜ私が、織物商だと」

「胸に、羊飼いの護符が」

「ああ……我々は、羊の毛に助けられていますからな」


 緩くターンしながら、紳士は苦笑する。

 生き物を相手とする商人が、商いの成功を祈って、あるいは商いを支える動物の健康を祈って、護符を持つことは多い。

 島の人が信心深いのも、同じ自然相手の商いだからだろう。

 そして羊を守護する聖人に祈るのは、彼らの毛で生きている――毛織物商人くらいのものだ。


「驚きましたな」

「ふふ、もっと驚かせて差し上げます。大陸での商いは難しくなるかもしれません。でも、リューネが港を閉じる代わりに、海路が迂回路になるとしたら」


 夜会での私の役割は、北方商圏のことを参加者に宣伝すること。

 商人連合会を抜け、新しい商圏での商いを目指す人が多いほど、取引相手は増える。つまり、『海の株式会社』に生き残る道が増える。


「……今、なんと?」


 曲が、転調。手足を伸ばし、頭も回す。

 目がきらりとした自覚があった。


「今、話題となっている『北方商圏』。北の都市や、開拓領でものを売りつつ、航路を東から西へ。半島の陸路を通さず、船で海の東西を越えられます。各都市で商いができるおまけつき」


 ペアの交代も近い中、私は囁いた。

 ……なんだか、本当の悪女みたい。


「暖かな毛織物は、北でこそむしろ商機でしょう」

「……リューネの取引所に卸していたが、そうか。取引所を通さずに、直接、北へ……」


 曲のペースが緩み、パートナーが替わる時間になった。

 互いに一礼して別れると、即座に別のお相手がやってくる。


「こんばんは! ご令嬢、素敵な仮面です……西の出ですか?」

「え、ええ」


 次の方は、戸惑ってしまうほど威勢がいい。

 背は私よりも低いけれど、身体はがっしりして、岩が転がってきたよう。

 立派な髭に、服装も目を引いた。赤や白の糸で図形に似た文様が刺繍されている。


「あなたは――北のお方ですか?」

「おや、分かりますかな」

「素敵な刺繍です」


 海峡の北側には、かつて信仰を異にする人たちが住んでいた。今では聖導教が広まったのだが、髭を豊かにたくわえる風習や、素朴だが温かみのある北方柄ノルディスクは今も残っている。

 元気のよいステップに、私は慌てて合わせる。


「ご令嬢。先ほどは、なにやら話しておいででしたな?」


 おや、この方は話が早い。

 曲の先を行こうとする男性の踊りを、私は逆に動きを緩めることで、やんわりと遅らせる。


「私達は、同じ商人ですもの」

「もっともだ! もっともなのだが――私の領地は、あなた方のようにはいかんでしょう。なにしろ氷河があるほど、北なのです。年中溶けることはない」

「年中!? それはそれは……」


 私はにっこりした。


「氷はあるところにはありますが、ないところにはまったくないもの。大陸では、わざわざ冬の氷を夏まで保管して、氷室にしています。同じように、『氷室船』というものをご存じですか?」

「い、いや……」

「『氷室』の船版ですね。氷を船倉に入れて、ワインや魚、果物を低温のまま運ぶ。美味しいものを食べるためなら、氷代を出せる人は北にもいるのでは?」


 男性は、突然ぴたりと動きを止めてしまう。

 おかげで私は、つんのめって転びそうになった。


「――なるほど」


 男性の目に、火が燃えているような気がした。商魂というものかもしれない。


「ふふ、感謝します、ご令嬢!」


 曲がまた間奏に入り、ペアが切り替わる。



     ◆



 軽やかな音楽が流れる中、ログは苦労して鼓動を落ち着けた。

 クリスティナとエンリケを見送ってから、独りになり、商談のため壁際の席へ向かう。

 目当てとなるのは、大柄の、壮年男性――開拓騎士団の副団長、ゲオルク・フーゲンベルクだった。

 海峡を越えた先に広大な領地を持つ開拓騎士団は、今や一大勢力である。大勢が商談に群れなす中、副団長フーゲンベルクは椅子に座り、腕を組んで目を閉じていた。

 音楽に混じって、さまざまな声。


「フーゲンベルク殿、もちろん、商人連合会に残りますな?」

「私達と継続的な商いを!」

「その毛皮もご立派です! ……北では、なにやら怪しげな商圏とやら噂されていますが、惑わされるのには及びませぬ」


 フーゲンベルクは薄く目を開け、緩く手を振った。

 向こうへ行け、という仕草だろう。

 おべっか笑いを続けていた商人達は気勢をそがれ、気まずそうに立ち去る。押しの強い商人も、さすがに大柄な騎士の機嫌を損ねる勇気はないらしい。

 他にも、開拓騎士団に関心がありそうな商人らは何人もいたが、次々と追い払われた。

 まるで城塞だな、とログは思う。


「失礼」


 ログがそう声をかけたのは、あらかたの商談者が追い払われた後だった。

 大勢に紛れては、どのみち話を聞いてもらえまい。

 副団長フーゲンベルクは、大きな目を気だるげにログへ向けた。


「突然話かけるご無礼をお許しください」

「……商談かね」


 フーゲンベルクは、黒髭の下で口を歪めたようだった。


「まったく、商人というやつは困る。こんな夜会でも、商いか」


 ログは肯定も否定もせずに、本題を切り出した。


「もし誤解がありましたら、身が消え入るばかりです。しかし、ハーシェルという騎士に覚えがおありではありませんか?」


 フーゲンベルクが眉をひそめた。隣にいた妻が目を見張る。


「ハーシェル……!」

「君は」


 身を乗り出すフーゲンベルク。


「ハーシェルの息子です。当時、私はリス・ハーシェルと――今はハーシェルの名前は、名乗れなくなりましたが」


 ログは続ける。商談というより、思い出が勝手に口をついた。


「父と流刑になる直前、あなたともお会いしたと思います。『父は騎士道にもとることをしたわけではない』、と言って頂いたことが……まだ記憶にあります」


 副団長を目を見張った後、ちらりと妻を見る。

 妻は小さく頷いて、席を外した。


「かけなさい。昨日、その名を部下が伝えた。まさかと思ったが……」


 言われたとおりに座る。

 フーゲンベルクはまじまじとログを見た。


「……10年、いや、もっと前か」

「流刑になったのは、14年前です」

「そうか。いや、失礼。疑うわけではないが」


 ログは微笑する。

 自身でも意外だった。

 エンリケやギュンター、それにクリスティナ――さまざまな商人を見てきたことで、いつの間にか商人の物腰が身についている。


「お疑いも当然です。ですが、直接お顔を見たせいか、昔のことがよく思い出せます。あの時、あなたは確か隊長でいらして、父とは――」

「同輩だった。うむ、そうか、あの子がなぁ。今はいくつだ」

「21です」


 副団長は頭を振って、目元を揉む。

 ログを眩しそうに見やった。


「……お父上は、息災か」

「全能神の元に。流刑になってから、ほどなく」


 ログは、島での来歴を伝えた。

 フーゲンベルクは肩を落とす。大きな体が縮んだように見え、ぎょろりとした目が悲しげに下を向いた。

 やがて手振りで人を呼び寄せ、すず製のカップを2つ取り寄せる。

 副団長は自らワインを注ぐと、一つをログへ差し出した。


「弔いだ。10年ほども遅れた」


 ログは副団長と杯を掲げ、葡萄酒を飲む。


「……悔いの多い戦いだったな」


 呟くフーゲンベルクに、ログは尋ねる。


「父は、どのような事情で流刑に?」


 副団長は首をひねる。


「……詳しく、聞いてはいないのか」

「ええ。父は騎士でありながら、敵前逃亡をしたと。その不名誉のために流刑になったと、それだけ聞いています」


 当然ながら、騎士は戦うためのものである。

 敵から逃げた、つまり戦わなかった不名誉は相当なものだ。父は『敵から逃げた』という罪のために流刑となり、ログも母も同様に処される。

 幼いログに、父は詳しい事情を話さないまま死んだ。

 母は金切り声をあげて父をなじっていたが、ログと同じく、あまり詳しくは知らないようだった。その母もまた、6年前に天に召されている。


「知りたいのです」


 ログは言いつのった。


「父は本当は、どんな罪を犯したのか。どうして、私は楽園島に来たのか」


 今、近くには運命を切り開いている女性がいる。

 彼女と一緒に商いをしていくためにも、自分の過去の疑問に決着をつけたい。


「……全能神よ、お許しください」


 フーゲンベルクは呟いてから、ログを見た。


「今では、プロイツ戦争と呼ばれている。プロイツという王国東方で起きた戦乱でのことだ」

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