3-19:会議は踊る


 夜会の日がやってきた。

 参加するのは、私、エンリケさん、そしてログさん。

 私達はフィレス王国の大使館から馬車に乗り込む。

 総会の議事、そして夜会が行われる建物は、城館と呼べるほど大きく壮麗だった。分厚い赤塗の扉や、雨と潮風でくすんだ石壁が歴史を感じさせる。

 一歩踏み込むと広大な吹き抜け。そこからさらに奥の会場へ向けて廊下が伸び、すでに参加者の長い列ができていた。

 私はエンリケさんに左腕をとってもらう。毛足の長い赤絨毯に、一歩を踏み出した。


 舞踏会の賑やかさで、都にいた記憶が甦る。

 島にいて、魚のことばかり考えていた。王宮にいたことはすでに遠い夢のように感じる。

 でも今こうして、懐かしい気持ちが湧く。あれは確かに現実だったのだ。


 自由な右手で、そっと目元に触れる。

 固い、仮面の感触。

 鳥の翼を模した濃青の仮面マスクは、口元は露出する一方、鼻から上は隠される。

 今はこれが、私の正体を守る防壁だった。

 息を整える。緊張のせいか、久しぶりのコルセットがなおさらにきつい。


「……クリスティナ?」


 右後ろで、ログさんが心配げに囁いた。

 『執事』という役割を演じるログさんは、仮面をつけていない。


「平気です」


 応じると、エンリケさんが仮面の奥で笑った。

 私を導くこの方も、今は『キツネ』を模した仮面を被っていた。


「ログ。すまないがここでは、『お嬢様』と呼ぶ方がいい。君は彼女のお付きという設定なのだから」

「……すまない、わかった」


 ログさんは背筋を伸ばして、後ろに付き従う。

 結んだ口元から緊張が伺えた。

 ……こういう夜会には暗黙の了解があり、独特の雰囲気が漂うものだ。

 おまけにログさんには、大事な役目がある。

 私は呟いた。


「一番大きな目的は、燃料の木炭を持ち、大きな勢力でもある『開拓騎士団』との商談。そして、他の商人へも夜会を機に取引をもちかけられれば上々」


 ログさんは顎を引く。

 『開拓騎士団』との商談には、まずはログさんが向かう予定だ。騎士団について情報を掴んできたのもログさんだし、商談相手の副団長を知っているのも、ログさんだけ。

 私とエンリケさんが行く手もあったけれど、味方と決まるまでは、私の身分は明かせない。信用を得るには、まずはログさんに会ってもらう方が賢明だろう。

 こちらは別の役割をこなすことにした。

 長い列に、喉が鳴る。


「こんなにたくさん……」


 それも全員が商人か、その同伴者。

 夜会は舞踏会の面もあるため、百人以上がドレスで着飾っている。

 つい、軽口を言った。


「いっそ、ログさんも仮面をかぶってくればよかったのに」

「ぐっ」


 ログさんが震えた。

 用意されていた仮面は3つ。

 鳥の翼型は私がとって、キツネ型はエンリケさんがとった。

 残ったのは『ネコ』の仮面だったのだが――ログさんがつけてみると、なかなか面白い光景だったのである。

 首を振るログさん。


「……思い出させないでくれ――いや、ください」

「ふふ」


 私は扇で口元を隠した。


「緊張、解けた?」

「まぁ確かに」


 憮然とするログさん。よしよし。

 人の流れが進み、私達がホールに通される番となる。

 ログさんが進み出た。


「招待状は、こちらに」

「拝見します。フィレス王国の第四王子、エンリケ・フィレス殿下――確かに」


 受付の男性は、私にちょっと眉を動かした。


「……こちらの女性は?」


 西方からの参加者、つまり仮面を被った人は僅か。おまけに王子の同伴者ということで、どの階層の令嬢が参加しているか、彼らは気にしているのかもしれない。

 エンリケさんが言い足す。


「さるご令嬢さ。ゴシップに興味が?」

「いえ、しかし規則ですので……」


 私は口の端に微笑を匂わせた。


「仮面を外せば、月の女神さえ消えてしまうものですわ」


 受付の二人は視線を交わし合う。私は仮面越しの微笑みを保った。


「……失礼いたしました」


 受付の人がよけ、私達はホールへ通される。


「さすが」


 エンリケさんは頬を緩めた。

 私は扇を使って、ひくついた口元を隠す。


「……ドキドキしましたけど」


 月の女神に求婚をした青年が、正体を見ようとして彼女の姿をランプで照らした結果、永遠に女神を失ってしまう――そんなおとぎ話があった。詩や戯曲で何回も引用される一節である。

 月は昼間、つまり明るみに出れば姿を消してしまうという結末だが、そもそも新月の化身だったという説も。

 『エンリケ殿下の、まだ外には出せない恋人。それも結婚がからむような』という事情を匂わせたのだ。


「君がそんな手を使えるとはね」

「どうせ読むなら、帳簿や為替の方がいいです。何にいくらか、はっきり書いてありますもの」


 こうした夜会は、建前と引用の迷宮だ。

 エンリケさんが噴き出す。


「ふふ。この時間が、仮初なのが本当に惜しい」

「心配せずとも、商いが軌道に乗れば、きっと機会はありますわ」

「……ええ、きっと」


 豪奢なシャンデリアが吊られた会場で、商人連合会の重役が登壇する。『総会』の無事な開催と、出席への礼を長々と述べた。

 いよいよ今晩のメインとなる、ダンスが始まる。


「では、ご令嬢。お手を」


 音楽が流れだす中、私はエンリケさんの手を取る。

 ログさんが綺麗に一礼した。


「いってらっしゃいませ」


 言いながら、ログさんは私へ目くばせした。

 視線を追った先は、ホールの壁際。分厚い体をした、年配の男性が立っている。岩から切り出したような顔つきと、見事な黒い髭が目を引いた。


「胸の紋章に、顔も覚えがある。開拓騎士団の副団長、ゲオルク・フーゲンベルク殿だ」


 小さく付け足すログさん。


「おそらく、初日の倉庫におられた」


 あ、と思った。

 リューネに来た初日の倉庫街で、係官とやりあっていた巨体の人。

 話す間も音楽は続き、人が少しずつホールの中央へ移動していく。

 開拓騎士団の副団長は、その場を動かない。隣には妻らしき女性もいるけれど、どちらもダンスには参加されないようだ。

 商談に都合はいいが――ちょっと呆気にとられる。


「……まったく、縁はつながるものですね」


 緩く首を振って、思考を整理する。

 情報によると、総会が始まった直後から、すでにいくつかの都市が連合会を脱退する意思を突きつけていた。

 ただ大多数、特に『開拓騎士団』はまだ態度を決めていない。商人連合会に残り今までどおりの取引を続けるか、それとも新たな取引相手を見つけるか、思惑を明かしていなかった。


 どっちつかずで様子見をするのは、いかにもありそうな手だが――味方に引き込まなければ。

 なにせ開拓騎士団は『塩漬けニシン』の有望な販売先である。さらに、塩づくりのための燃料、木炭の主な供給元。

 彼らが商人連合会に所属したままならば、私達との商いにも大きな関税がかけられる。それでは取引できない。


 神聖ロマニア王国そのものともいえる『大陸商圏』と、生まれかけの『北方商圏』のどちらを取るか――騎士団には選んでもらわなければならなかった。


「ログさん」

「やるさ。君は、本当に島の魚を都へ運んでくれた。今度は、俺が役立つ番だ」


 まっすぐな目に、私は微笑んだ。


「お願い」


 やがてログさんと別れ、私とエンリケさんはホール中央へ歩いた。

 大勢の参加者と同じく、二人で向かい合って立つ。私が改めて差し出した手を、王子殿下はうやうやしく取った。


「さぁ、商聖女」


 ここにいる私達は、みんな商人。

 パーティーでは踊る相手は次々と変わる。そして親睦を兼ねて会話するのがお決まりだ。

 『開拓騎士団』はログさんに任せる。私達はダンスの間、参加者と商談をするつもりだ。


「ええ。こちらも、始めましょう」


 演奏。人々が動き出す。

 たくさんのドレスが軽やかに翻った。



     ◆



 クリスティナ達がダンスを始めた頃、夜会に一人の男がやってきた。

 年頃は20を少し越えた頃。

 女性は連れておらず、代わりに数名の護衛を伴っていた。白を基調とした装束は上質だが、夜会に相応しいほど華美ではない。


殿


 受付は男へそう呼びかけた。

 無言の男に代わって、護衛が応じる。


「接遇はいらない。商人連合会から申し出があったゆえ、視察に来ただけのことだ。すぐに出てゆく」

「……はい」


 男はホールへ踏み込む。

 眉をひそめたのは、時々、壁際で談笑する参加者の視線が、ホールの中央へ吸い寄せられるからだ。

 参会者は、一組の男女に目を奪われているようだ。

 確かに絵になる2人だった。

 どちらも仮面を被っていて、西方からの参加者であることがわかる。そちらには、この時期、仮面舞踏会の祭りがあった。

 舞う女性に男は目を細める。

 どこかで、見たような。


「王子、この後のご予定は」

「……もう少し見ていく」


 ついてきた侍従を、神聖ロマニア王国の第二王子は手で制する。

 音楽は鳴り続けていた。

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