1-7:金のリンゴ


 エンリケさんが海へ向かって腕を振った。


「船団長、わざわざ金で買う肥料のことを、金肥きんひっていうんです。だいたいは魚のかすや切れ端、つまり魚肥のこと。土に混ぜると、骨や肉が地面に染み込んで、作物の出来がよくなる」


 ギュンターさんは納得したように頷いた。


「……なるほど。海でできる肥料か」


 私は説明を引き取る。理屈があった方が、商談は有利に運ぶもの。


「ええ。島では、ずっと長い間、魚を捕っていました。その食べ残しや、魚油の絞り残しが捨てられて――意図しないまま土を肥やしていた」


 その結果が、島でとれている野菜だった。私が昨日いただいた野菜は、どれも都に負けないくらい美味しかった。

 追放された方がご飯が美味しいのは、なんだか不思議な気持ちだけど……。


「栄養豊富な野菜、特にトマトは航海の病を遠ざけます。洋上で補給できたらいいと思いませんか?」

「……聞いたことはあるが」


 ギュンターさんは腕を組んで、視線で先を促す。

 ここからが、本題だ。


「さて、ギュンターさん」


 私はにっこりと笑いかけた。


「うん?」

「船員さんにこんなに人気で、しかも、航海の病――壊血病への予防効果もある。もちろん島に染み込んだ滋味で美味しさも保証付き」


 指を一つ立てる。


「これから、長い航海へ行くのでしょう? トマトを買ってきませんか、船団長?」


 ぽかんと口を開けた、ギュンターさん。やがてからからと笑い始めた。


「くく、なるほど? 船員の食事は、この営業へのデモンストレーションか」

「ええ。『買うものがない』、なんてもう言わせませんよ」


 だってこんなに大人気なのだから。


「美味しい料理は心も癒します。この島は、立派な補給拠点になりますよ」

「……また来いってことか?」

「お互いの幸せのために」


 ギュンターさんは憮然とした顔だ。

 この光景を見れば、船員が料理を楽しんでいるのはわかる。

 私の心にあるのは、これだけ人気でもし急に来るのをやめたら……『そりゃないですよ団長!』と乗員の心が離れるかもしれないという打算だ。


「来るよ」


 ギュンターさんは帽子をとって、頭をかいた。日光でくすんだ茶髪が風になびく。


「もともと『島に来ない』ってのは、交渉の方便だ。今までも何度か使ってる。そこの……」


 語りながら、ハルさんを見る。


「そこのお嬢さんに見られて、大事になっちまったがな」


 ハルさんがかくっと顎を落とした。

 ……正直なところ、私もそんな気がしていましたけど。

 こほんと咳払い。そうはいっても、商談だ。

 隣にいたエンリケさんが前に出て、ハルさんがカゴに持ってきたトマトを一つ取る。


「……水気が多い作物だ。痛みやすいのでは?」

「竈の熱で水分を飛ばせば、ドライフルーツのようになって日持ちします。生の方が栄養はありますが、乾燥トマトも病への予防に、いかがです?」


 私が答えると、ギュンターさんは帽子をし直した。


「…………いくらだ?」


 おや、食いついた。


「農園で生産したものが、まだ80個以上あるようです。カゴ3つですね。夏の間はまだとれるそうですし、農園の方は、欲しいならすべてお譲りできると」


 ダンヴァース様にも許可はとってあった。

 ハルさんがすかざすギュンターさんに大きなトマトを渡す。赤い実は陽光を弾いて、私達の顔が映りそうなほどだ。


「一個500ギルダーでどうだ?」


 ハルさんが息をのんだ。丸々、食事一回分の価格である。

 確かに高いけど、私はもう一踏ん張りできると踏んだ。


「ギュンターさん。小麦はこれから、北方に売りにいくご予定では?」

「なぜそうだと?」

「航路を南から来ましたのでね。この時期に荷物満載で北へいくのは、穀物を運んで、北の材木を積んで帰ってくる、国際交易船しかないでしょう」

「……なんで、島の子が交易船の航路を把握してるんだ? 何者だ?」


 それには応えず、私は言った。


「北方に小麦を売りに行く航路は、北でとれない穀物を売りに行くので、ほぼ言い値とききますわ。つまり、利益が出る航路。しかしこの島で卸される小麦の値段は、最後に卸す北方よりも、おそらく高いでしょう?」

「何が言いたい?」

「新参者が失礼かもしれませんけれど……この島に売っている小麦は、少し難しい価格では? さすがにあと10日以上も進んだ先より高い値段では、この島が不利すぎます」


 つまるところ、と私は言った。

 周りにハルさん以外がいないことを確かめる。


「……あんな値段で品を売っているんです。それで儲けが出ないと?」

「いや」


 ギュンターさんはあっさり認めた。


「実のところ儲けは悪くない」


 交易商人なのだから、利益が出ていれば来るのは当然だ。

 ハルさんが目と口をまん丸にする。

 私は肩をすくめた。


「商人の『儲かっていない』は、信用したらダメですよ、ハルさん」

「……む、むぅ!」


 お互いに『あなたにはいっぱいくわされました』という顔をして、腹ではきちんと利益をだしているものだ。

 ただし、今までの島は彼らに提供できるものがない。

 交易船には『ならば来ない』という切り札がある以上、先方の利益ばかりが大きかった。

 珍しい野菜による歓待と病気の予防は、少しは交渉の切り口になる。トマトの騒ぎに惹かれてスープを飲み、魚のおいしさに気づいた人も多いだろう。


「……予防の野菜をくれてやるから、穀物は安くしろってことか?」

「なぜ、あなたのメリットは?」


 エンリケさんが、たまらない様子で問いかけてくる。


「やはりあなたは、ダンヴァース様が島のために雇った商人では?」

「いいえ。島のこともありますけど、私は、私のために言っています」


 そこだけは胸を張った。

 もう貴族ではないのだし。


「穀物は、島民のみなさんが食べるもの。もしあなた方が麦を、もう少しお安く卸せていたら、この美味しいスープにパンをひたして食べられたんです」


 ちなみに昨日の野菜スープにも同じことが言える。

 ギュンターさんはしばらく悩んでいた。

 聞こえよがしに、ぽつりと呟いてくる。


「多少、高くてもいいっていうのは、ダンヴァースのばあさんとの約束だったんだけどな」


 ちょっと冷や汗が流れた。

 ……やり手の領主様がやることだ、何か、小麦の価格には事情がある予想はしている。

 ただそれでも、高いものは高い。

 昨夜『トマトを売ってみる』と申し出たとき、領主様は面白そうに笑い、資材の契約単価を見せることさえしてくれた。物資の相場を教えてくれたともとれるけれど――領主様は、私が契約単価に口を挟むことを狙っていたような気もする。


「承知した」


 やがてギュンターさんは、にやっと笑う。


「……わかった。メシの価値を認める。今回運んできた小麦について、多少は値引こう。その値引き分がトマトの代価だ、それでいいか?」


 島民が口をつけなかった野菜、トマト。

 売るものがあれば、交渉の糸口にすることができる。

 小麦の値引きに、スープやソテーを船員が食べた代金も含めると、島の収益は1日で60万ギルダー――職人の給金だと3か月分ほどにもなった。

 私達は領主様のお屋敷に戻って、ダンヴァース様の前に単価を見直した契約書を提出する。

 領主様は片眉をピン、とあげて囁いた。


「魔法でも使ったの?」


 領主様……このために農園や、港をきちんと整備していたのでしょうに。

 私はくすりと笑うだけにして一礼した。

 横から契約書の値段を覗き込むハルさんの目は、まん丸になりっぱなしだ。

 くるくると更新された単価表をまとめ、ギュンターさんが問う。


「お嬢さん、あんた、この島で商売でも始める気か?」


 私は首を振った。


「えっと……まだ、何も仕事が決まってないんです。昨日来たばかりなので……」


 今度こそギュンターさんは目を丸くし、大笑した。


「はっは! この島、ますます有望になったな」



―――――――――――――――


キーワード解説


〔トマト〕


 中世、イモと同様に、この野菜も海の向こうからもたらされた。

 金のリンゴともよばれ、ヨーロッパに持ち込まれた当初は観賞用。

 当初は毒だとも思われたが、トマトソースなどの調理法の発明でだんだんと食べられるようになった。

 塩分が多い土壌だと甘くなることがある。


〔壊血病〕


 船乗りに多かった病。ビタミンCの不足により、体調を崩すというもの。

 果物や野菜で栄養に気を遣うことが予防法となる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る