1-6:歴史は島にしみこんで

 翌朝、私はハルさんに導かれて島の緩い坂を登っていた。

 初夏の夜明けは早く、もう日差しが暑く照り付けてくる。水面が銀にきらめいて見えるのは、今日もニシンが泳いでいるからだろうか。

 潮風にハルさんの声が乗る。


「あとちょっとです!」

「ありがとう、ハルさん」

「いえ! クリスティナ様が教えてくれること、私も気になりますから」


 にっこりとした笑顔に、この子を抱き締めてなでてあげたくなる。流刑先でこういう子に会えるなんて……。

 でも、それだけに心配になった。


「ハルさん。お母さま達になにか言われませんでした? 私は、流された罪人ですから」


 領主のダンヴァース様は、私達の罪状を聞いているだろう。

 ただ、ハルさん達のような領民は詳しく知らないはずだ。

 厚意に甘えているけれど、ご両親は不安に思っているかもしれない。


 といっても、すべて流刑にするためのえん罪なのだが。

 公金横領、違法な買い占め、王国への背信、などなど物々しい罪が並んだ巻物は、読み上げる布告官の手から端っこが地面につきそうだった。

 ハルさんは小さな指を唇に当てる。


「そうですね……確かに、ここに来られた経緯は気になります。でも、クリスティナ様は……海賊に襲われて大変そうでしたし」

「あ――」


 そうか。ボロボロの身なりで、疑うより心配が勝ってしまったのか。


「私自身も、できるだけその人を見て決めるようにしています。過去の罪でしたら、うちも似たようなものですから」


 私は、ふと思い出した。


「ハルさんのお爺さまは――」

「……その……悪めの鋳造業で流刑に――ええと……銀貨とか、貨幣とかを……ですね」


 に、偽金ですか。

 こんないい子のお爺さまが――。

 流刑島の嫌な層の厚さを知ってしまった。

 ようやく上り坂が終わって、農場に辿り着く。防風林の内側では、青々とした葉っぱがそよ風に揺れていた。一つ一つが私の身長ほどもあり、支柱で支えられている。

 緑の隙間から、時折真っ赤な実が覗き陽光を弾いた。

 ハルさんが実を見上げながら問いかける。


「本当に、これをたくさん使うんですか?」

「ええ。都では、人気の調理方法があったの。試さなければ損ですよ」


 私は、手のひらサイズの実を一つもがせてもらう。


「とっても大きく実っていると思う。これも、お魚のおかげですね」

「さ、魚の?」


 目を白黒させるハルさん。

 拳くらいの大きな赤い実は――『トマト』。金のリンゴとも呼ばれる、最近、海の向こうからこの国に持ち込まれた作物だった。



     ◆



 熟した『トマト』を、刻んだタマネギと一緒にオリーブ油で炒める。トマト自身の水分でやがてこの野菜は溶け出し、酢や塩を加えている間に、とろりとしたソースとなる。

 レシピは覚えていたけれど、コショウがないから都よりも水っぽい。

 それでも、ハルさんと二人で味を調え、美味しい甘酸っぱさに仕上げた。

 私は、フライパンにできたソースを木べらで混ぜる。


「うん……できました!」


 ニシンのソテーや魚介のスープは、トマトソースと相性ばっちりだ。からりと焼き上げた島のイモにも、このソースは合う。

 もちろん、生のトマトを出すのも忘れない。そのままの方が、栄養は多いというから。

 ハルさんは目を輝かせた。


「こんなお料理を知ってるなんて――クリスティナ様はどこにいたんですか!?」

「え、ええと……王宮にいて、そこで公金の横領とか、色々やったことに……なっていまして……」

「? ええ? もう、冗談はやめてくださいよ」


 ハルさんは笑いながら、慣れた手つきで大鍋をかき混ぜていく。

 横から顔を出したのは、ハルさんのお母さんだ。私達は、島の食堂で竈を借りている。

 お母さんはジロリと目を向けた。


「できた? ハル」

「うん!」

「なるほど……トマトがこんなに化けるなんてね」


 とろりとしたソースになった、島では警戒されていたトマト。

 喉が鳴ってしまう。

 ……王宮では、変化はダメなことだった。この島でも、やっぱりそうなのだろうか。

 お母さんは、一口味見して、にっと笑った。


「たくさん実を付けるんで、そろそろ試そうと思っていたところだ。いいよ、そのお鍋、外のテーブルに置いとくれ!」


 ハルさんと私は見つめ合い、笑顔を弾けさせ頷いた。


「はい!」


 交易船が停泊して、一夜が明けている。

 明日出港となる各船は、まだ点検の真っ最中。

 乗員は今日も島で昼食をとるわけだけれど、私はそこにトマト料理を売り込もうというわけだった。


 続々と作業を終えた船員らが集まってくる。

 青空の下、テーブルに並ぶ大皿や大鍋。湯気をたてるソテーに焼き魚、野菜のスープ。どれも島ではありふれた料理だけど、添えられたトマトソースの赤色と香ばしさは、きっと船員を刺激する。

 特に――食欲と、好奇心を。

 テーブルは早くも賑やかだ。


「うまいな、これ!」


 遠慮がちだったのは最初だけ、トマトソースはどんどん減っていく。都でも、食べやすいソースからトマトは人気になった。


「おかわり!」

「こっちもだ! この赤いソース、食べたことねぇっ」

「王宮とかで出てるやつじゃないか!?」


 追加の料理がどんどん運ばれていく中、お母さんが手を叩く。


「はいはい! 今日は大奮発だよ!」


 食堂のおかみさんは、船員たちに顔が知れている。

 私がお願いしたセリフを、そのまま言ってくれた。


「この料理とトマトには、航海の病を遠ざける効果があるんだってさ! お野菜の中でも、特にいいらしい!」


 ただでさえ美味しい料理だ。

 船員達は、長い航海で新鮮な野菜――わけても酸味は久しぶりのはず。体がほしがっている味は、さらに美味に感じるものだ。

 狙いは当たって、わざわざ船に仲間を呼びに行く人も出る。

 トマトソースであえた魚介がなくなれば、次はスープ、さらには生のトマト。

 嫌われ者だったはずのトマトが、どんどん減っていく。滋味たっぷりで、よほど美味しかったらしい。

 ハルさんは目をキラキラさせた。


「すごい人気……!」


 私はほっと胸を撫でおろす。


「トマトは珍しいお野菜です。領地でも、なにか一つでも『名物』があると、人を惹きつけます」


 真っ赤なソースは見た目にも鮮やかで、匂いも食欲を刺激する。

 島の魚は美味しいけれど、私が思っていたように、平凡というイメージを持たれがちだ。

 『質はいいが平凡な料理』より、『美味しくて珍しい料理』に人がとびつくのは道理だろう。

 まずは島の料理によい印象を持ってもらう。


「それに、病は船旅の危険の一つ。病を遠ざけると言われたら、同僚の方も呼びに行くでしょう」

「ふわぁ~」


 もっとも、私はこの料理が本当に効果的だと知っている。


「実際に、予防という効果があるの。壊血病というのだけど――発症する船は、新鮮な果物や野菜を積んでいない船ばかり。みずみずしく、酸味がある食べ物がよいのだけど、新鮮なトマトはぴったりだわ」


 妃候補であった2年間、王宮の図書館も使えたし、そうした論文を書いた方――たいていは海軍か船医だが――と話すこともできた。

 第二王子殿下も私の話を聞いてくださり、王国を発する船には新鮮な野菜の積載を呼び掛けている。その影響で壊血病は減り始めた。


「船団には母港が私達の国と違う船もあったし、この予防法を知らないかもしれない。知っていても、航海の途上で新鮮な野菜を補給できるのは、きっと心強い」


 海の真ん中に畑があるというのが、メリットだ。


「島のおいしさに気づいてもらう。そして病気の予防もできれば、交易船を招く価値になる」


 減っていく料理とお魚に、ハルさんの目はうるんでいた。


「……島のお野菜、こんなに、美味しいんですね」

「とってもね。なにせ……あら」


 私は大きく頷いた。

 船から人影が2人走ってくる。あれは、船団長のギュンターさんと、エンリケさんだ。


「なんの騒ぎだ」


 ギュンターさんが言った。

 この交易船団のまとめ役として、騒ぎを無視できないのだろう。


「見ての通りです。島のお野菜を、ご賞味いただいています」

「うおっ! 金のリンゴじゃないか」


 ギュンターさんは、信じられないといった目で辺りを見回す。

 トマトと魚介の組み合わせは大盛況だ。こうしている間にも、船から人が降りてきて注文を増やしている。

 船から持ち出したのか、保存食である乾燥パスタをスープに投じている人も出た。

 船団長は呆然とした顔。


「……信じられん。トマトは栄養がある土地でしか、美味くはならないって聞いたが」

「栄養は、豊かなのですよ」

「なに?」


 私は、船員達が食べている魚を目で示した。


「海からの恵みが、ずっとずっと長い間、島の土壌を豊かにしたのです。そのおかげで、この島のお野菜はとても美味しい」


 エンリケさんがポンと手を叩く。


「あ、そうか。魚の肥料か」

「なんだ、そりゃ」


 ギュンターさんは訝しげだ。

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