1-3:商魂

「よさそうな島じゃないか」


 お父様はほっと息をついて、椅子に腰掛けた。

 先ほどと違う応接間で、ここからは庭がよく見える。青々とした菜園が涼しげに葉を揺らしていた。緑の隙間から、時々、赤い実がのぞく。


「交易船もあるし、領主殿も感じのよい方だ」


 お父様の顔が明るくなって嬉しい。

 人心地つけて、私も自然と笑えた。


「そうですね。ハルさんが、島に落ち着くまでの案内をしてくださるようですし……」


 ダンヴァース様とハルさんは、交易船でやってきた商人達の対応をするらしい。

 私達は別室で待つ間、もういくつか部屋を借りて、汚れた服を着替えていた。

 元々の船から持ちだせた荷物には、わずかな衣服が含まれている。

 替えの服は仕立て直せば布になるので、つまり換金や交換に便利。貧乏貴族だった頃の、生活の知恵です。


「交易船も予想外でしたわ」


 交易船は2月に1回ほどはきてくれるらしい。

 正直なところ……着るものにも不自由する生活を想像していたので、安心した。これは追放した側の配慮というより、ダンヴァース様の手腕だろう。

 少なくとも都の誰も、孤島がここまで運営されているとは想像していなかったはずだ。

 ただ……


「ただ、ここで生活するのは、やはり簡単ではないと思いますよ」

「そうか……うむ、そうだな」


 お父様は腕を組んで、眉間に皺を寄せた。乱れ放題だった髭を整えたので、ちょっと威厳が戻っている。


「この島で働いて、生きていかねばならない」

「ええ」


 私達は、仕事をする必要がある。

 刑罰と考えると無実の身では複雑だが、実際の問題として働かなければならないだろう。


「畑仕事。あるいは漁、でしょうか。畑仕事ならまだなんとか……」


 どちらもあまり経験がない。


「……不安だなぁ」


 呟くお父様は、眉毛がどんどん下がっていく。せっかく整えた口ひげも、しなりと元気がなくなりそうだ。

 私はつとめて明るく言った。


「な、なんとかなりますよ! 私は、お父様に従います!」


 少なくとも、生きているのだから。

 お父様は微苦笑を浮かべ、ふいに私へ問いかけた。


「クリスティナは何がしたい?」

「私、ですか?」

「うむ。もう貴族ではない、だから君の意思で仕事を決めてもいいんだ」


 お父様の言葉に、胸をつかれた。

 貴族の娘は、家のために生きるもの。

 婚約者だけでなく、趣味や、交友関係、社交での話題の一つ一つさえ家から指示を受ける令嬢も多い。貴族にとって、娘は家をもり立てる駒だ。


「そう……そうですね」


 追放、遭難で頭が回っていなかった。貴族の立場と一緒に、義務からも解かれていた。

 笑みを浮かべて、指をひとつ立ててみる。


「……なんでもいいのです?」

「うむ、父は止めない。約束だ」

「この島では難しいと思いますけど、いつか商人になりたいですね」


 私の語った夢に、お父様はぽかんとする。やがて、くしゃりと笑った。


「いいな。ずっと君を見てきたが、間違いなく向いている」


 私が領地の仕事を始めたのは、7歳の頃。文字と算盤は、帳簿と一緒に覚えた。

 男爵くらいの貴族では、娘もまた働くのは普通のことだろう。

 なにより戦乱や疫病で領地が傾き、母を失った頃でもある。私もまた経営を覚えないわけにはいかなかった。


 鉱山を閉めて農業を奨励したり、灌漑用の水路を引いたり、お父様と領地の方々の助力もあって故郷は無事に再生を果たしたと思う。

 そもそも王子殿下との縁が生まれたのは、疫病の後、復興した領地として私達の男爵領が挙げられたからだ。

 妃候補であった頃、商業についても教育も受けている。各地方のさまざまな産物には、心が踊った。


「世の中には『いいもの』がたくさんあります。それをたくさん、運んで、売って、商ってみたいですね!」


 私は最果ての島に流され、ここから身を興すなんて不可能だ。

 でも――生きていくなら、夢があったっていいはず。


「この島にも、お魚という産品があります。ふふ、なんだか楽しみになってきましたよ」

「単に魚が捕れるというだけだろう?」

「あら。お父様、お魚はすごいんですよ」


 目がきらっとした自覚があった。


「修道院や教会。そうした場所は、戒律が肉を禁じるので、魚をたくさん買ってくれます」


 全能神のご加護あれ――それはよく聞く挨拶。


 そしてその挨拶、つまり全能神の教えを広める教会は、同じ教えを各地で行っている。王国もその近隣国も、10歳までには洗礼という儀式を行うため、全員が信徒だった。

 厳しい戒律を守らなければいけない――というのは聖職者くらいだけど、日常でもなんとなく、意識くらいはするものだ。


 信徒には、一週間のうち数日は『肉を食べない』、断食が求められる。

 もともと、牛や羊といった動物の肉は貴重だ。けれど人は『生き物の肉』を食べないとやがて体を壊してしまう。

 だから、ある生き物だけその禁則から外されていた。


 それが魚だ。


 つまり魚は、肉食が戒められる教えの中で、ほぼ毎日食べられる。だから、塩漬けなどで保存加工された魚は、どこでも求められた。

 鉄板の売れ筋商品なのである。


「ま、前向きだなぁ」


 私の話に、お父様はなんだか遠い目をし始めた。


「……男爵領で盗賊に馬車が襲われた時も、君はむしろ喜んでいたし」

「あ、あれは……襲ってきたのが、領地からお金を貸していた騎士団だったからですわ」


 借りたお金で事業をやりきれず、山賊まがいにまで身を落とす騎士らも存在する。

 ちなみにその時は、『私達にもお金はない。なぜならあなた達が踏み倒したからだ』という旨を帳簿付きで丁寧に明かし、10ギルダーだけ回収した。あれは9歳の頃かな。


「お金を貸している側が尋ねてきてくれたので、むしろお得だと……?」

「そ、そういうものかい?」

「島を見て回るのが楽しみになりました。お父様のおかげですね!」


 笑いかけると、お父様は顔を引きつらせた。


「…………母さん、娘がどんどん君に似ていくよ」

「お父様?」

「い、いや、なんでもない」


 お父様のおかげで、ちょっと気持ちが前向きになれた。さすがお父様だ。


「さっそく、この島を見てみたいのですけど……やっぱり船の少なさは気になりますね」

「そんなに奇妙かい」

「ニシンの群れの数からして、その3倍は船があってもいいように感じます」


 言葉を切ると、葉擦れや鳥の声が聞こえ始める。遠くには潮騒。王都と違って、ここは自然の音に満ちている。

 ……かなり長く待っているけど、ハルさんはまだだろうか。


「お父様、ハルさんを探してきます」


 そう言って開いたドアで、誰かを押してしまった。

 悲鳴をあげて、男性がのけぞる。


「うっ!?」


 ばさばさ!と持っていたらしい紙束が宙を踊う。


「ご、ごめんなさい!」


 私は慌てて謝り、屈んでまき散らされた紙を集めた。

 男性もしゃがんで帳面を拾う。


「いえ、ご令嬢。こちらこそ申し訳ない――これで最後ですね」


 二人で帳面を拾い合って、ようやく立ちあがる。

 相手は、20歳を少し過ぎたくらいの男性だった。

 私より頭一つ分大きい。けれどもタレ目を細めて笑っているせいか、怖い感じはしなかった。

 ややくすんだ金髪で、帽子には青い羽根をさしている。その青羽をちょっとつまんで、慎重に角度を直した。

 気品のある、柔らかい物腰で問いかけてくる。


「おケガはありませんか?」

「はい。本当にごめんなさい」

「いえ、僕は平気です。これでも海を越える仕事をしておりまして、頑丈さが取り柄です」


 私は書類を返そうとした。

 内容がつい目に入る。

 麦、塩、漁具――そんなさまざまな資材の単価表のようだ。『商人連合会』という、多くの商人が所属する団体名が右下に小さく書かれている。

 島にものを売る時の値段だろうか。


「あら、あなたは商人でしたか――って」


 書かれた金額に、私は目を見張ってしまう。



―――――――――――――――


キーワード解説


〔断食〕


 もともと家畜の肉が貴重であったこと、食欲を戒める宗教上の要請が重なって、中世ヨーロッパでは獣の肉を食べない断食日が設定されていた。

 一週間のうち少なくとも金曜日、時代と場所によっては水曜日と土曜日、さらに春前の40日間が加わる。

 この日は代わりに魚を食べることが多かったので、フィッシュ・デイとも呼ばれていた。

 とある魚の塩漬けが、その需要に応えることになる。


 ※本作は実際の中世ヨーロッパではない、架空世界が舞台となります。

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