1-2:領主ダンヴァース
ぎしり、ぎしり、と床板が軋む。
かつん、かつん、と領主様が杖をつく音が、いやに規則的だ。
陸地にあがって一息ついた気持ちが、またひび割れ始めた。
お父様と視線を交わし合うけれど、おばあさんに導かれたまま、内緒話をする勇気はちょっとない。長い廊下は薄暗く、昼前でよいお天気だった外が嘘のようだ。
魔女、という言葉が頭に浮かぶ。
怪しげな雰囲気のお屋敷だったけれど、まさかこれほど怪しい人が出てくるとは。
思っていると、ダンヴァース様は背中を向けたまま言った。
「元、フェロー伯ウィリアム様と、ご息女クリスティナ様ですね?」
小柄なのに声はよく通った。
お父様がおずおずと頷く。
「え、ええ……どうして」
「予定よりも到着が遅れていたので、心配しておりました」
と、ぜんぜん心配していなさそうな口調で言う。
「先ほど、港から使いの者が走ってまいりました。親子連れらしい2人と聞きましたので、来る予定であったお二方であろうと推察したまで」
ダンヴァース様はそこで言葉を切る。会話が終わっただけなのに、お父様は解放されたような顔で息をついていた。
流刑にされた私達にとって、島の領主は支配者であり、監守だ。
以降、この方が私達の生活のすべてを握る。
これからどうなってしまうのだろう。
領主様は一室の前で足を止めた。
「こちらに」
通されたのは、意外にも明るい部屋だった。
南向きなのだろう、開け放たれた窓から陽光が注いでいる。一歩踏み込むと、毛足の長い赤絨毯で驚いた。壁紙の文様にも品があり、窓辺にガラス細工が置かれている。
かすかなインクの香り。
――きれいな部屋だ。
年季の入った天秤と算盤が、奥の大机にのっていた。
ダンヴァース様は、手前の応接机を勧める。
水をもらって一息つくと、ようやく島についた実感がした。
私達が遅れの顛末を伝えると、領主様はかすかに目を見開く。
「海賊ですか」
よく無事でしたね、とその目が言っていた。
不幸続きに胸がじくりとする。
「船が狙いのようでしたので、船長らは小舟に乗ってさっさと逃げてしまいまして。もう一つ残っていた小舟に、私とお父様だけ乗り込みました」
海で働く人は運を気にする。
漂流の中で罪人と同乗なんて、縁起が悪くて嫌だったのだろう。
「お辛かったでしょう」
「今は、生きてる分だけ丸儲け、です」
椅子から立ち上がり、
「きれいな島に、驚きましたわ。遅ればせながら、クリスティナと申します」
……潮風と日光にさらされ、茶色の髪は傷み、服もごわごわだ。改めて、すべてなくしたのだと実感する。
生まれ育った男爵家の領地も、都で妃となるために過ごした2年間も、すべて。
「不肖の身ゆえ、この島のご厄介になることになりました。島民の1人として、なんなりとお申し付けください」
笑顔は、身なりよりマシだと嬉しいけど。
お父様も慌てて立ち上がり、同じように名乗る。
「ウィリアム・フェローと……いや、今は只のウィリアム、でしたな。こちらも、ご挨拶が遅れて失礼を」
私達は元の椅子に座り直す。
ダンヴァース様は、口元にひっそりと笑みをのせた。
「こちらこそ、改めまして、歓迎しますよ。最果ての、楽園島にようこそ」
その後、島での暮らしについて具体的な話がされた。
無実を訴えたい気持ちは、ぐっとこらえる。どのみち今さらのことだから。
ダンヴァース様は立ち上がり、私達を部屋の外へ導く。
「島について教えましょう。屋敷の2階から、全景が見られます」
廊下に出ると、10歳くらいの女の子が合流してきた。
接ぎのある服を着ているけれど、赤毛のおさげが可愛らしい。
利発そうな、くりっとした目を私とお父様へ向け、ちょこんと一礼する。
ダンヴァース様が杖をついた。
「ハル、この方達を2階へ案内します」
こくんと頷いて、今度は女の子――ハルさんが先頭に立った。
お屋敷といっていい大きさだと思うけど、使用人はこの子1人のようだ。誰ともすれ違わない。
「こちらの部屋です」
緊張気味のハルさんが扉を開けて、中へ導く。
「わぁ――」
防風林の切れ目が額縁のようになって、きらめく海を切り取っていた。
空はうっすらと白い筋があるだけで、遙か彼方に水平線が霞んでいる。数隻の小舟が帆に風をはらんで、気持ちよさそうに海を滑っていた。
お父様が顎をなでる。
「都よりも北方なのに、これほど美しい島だとは……!」
ハルさんが背筋をピンと伸ばした。
「し、潮の流れがあるのです」
「潮?」
問い返す私。ハルさんは嬉しそうに茶色の目を輝かせた。
「島の北側に、暖かい流れがあるのです。それでこの島は、北にある割りに暖かくて、雨も降ります」
私は窓から身を乗り出して、左右に目を向けてみた。
緩やかな丘の上に立つお屋敷からは、島の様子もみてとれる。
海まで続く坂道は、左右に畑もあり、住民が漁以外で自活しているのが見て取れた。お屋敷の敷地にも、菜園らしい緑がみえる。
「今、お客様がみていらっしゃるのが、島の南側です。東側には森もあって、そこは木を切りすぎないように管理されています」
私もお父様も、圧倒された。
領地を運営するのは大変だ。孤島ならもっとだろう。ダンヴァース様は、おそらくとても腕がいい。
……というより……島を整備して、人を受け入れるのって、まるで……
「投資?」
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
そうだ。さっきの応接間。
あれは、都で何度か見た、腕利き商人の部屋によく似ている。
ダンヴァース様は光の届かない位置で、何かを考え込むように海に視線を向けていた。
ハルさんがチラチラ私達を見てくる。これはお礼を言わないと。
「教えてくれてありがとう、ハルさん」
「いいえ! 領主様が海のことも、資源のことも、わたしに教えてくれたのです」
胸を張るハルさんが、とても可愛らしい。島が好きであることが伝わってくる。
くすりと笑えた。
「ここの生まれなのですか?」
「はい! 祖父が流刑されて、私は島の3代目!」
う。さらっと重たい言葉が。
港から、かん、かん、と鐘を叩く音が聞こえてきた。
ハルさんがはっとする。
「領主様、交易船の音ですっ」
いつの間にか、水平線に数隻の船が現れていた。だんだんと港の方へ近づいてくる。
ハルさんが丁寧に教えてくれた。
「二ヶ月に一度くらい、北方へ貿易に行く商船が寄ってくれるのです。滅多にこないから、クリスティナ様は運がいいです」
ダンヴァース様達は、この島へ寄る交易商人の応接をするらしい。私達は館の別室で待つことになった。
戻る足取りが軽くなったのは、きっと明るいハルさんのおかげでしょう。
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キーワード解説
〔暖流〕
南方から北方へと流れ込む、温かい海水の流れ。周辺の海域を温暖に保ち、降水量を増やす働きがある。
暖流が低温域と混ざり合う潮目は、プランクトンが豊富な好漁場ともなる。
島の周囲にはそうした潮目ができているのかもしれない。
主人公一行はこれに乗ったため、無事に島までたどり着けたものと思われる。
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