追放令嬢の孤島経営 ~流刑された令嬢は、漁場の島から『株式会社』で運命を切り開くようです~

mafork(真安 一)

第1章:楽園島

1-1:漂流

 空はこんなに青いのに。

 漂流の3日目。私はもう数えるのもやめたため息の回数を、また一つ増やした。

 波間に揺れる小舟は、縦揺れと横揺れをくり返す。見渡す限りの水平線は、上がったり下がったりしながらも、陸地に近づいているのか、遠ざかっているのか、それさえも知れなかった。


 私は後を振り返る。

 食料。真水。

 ほんの数ヶ月前まで、ワインもプディングも取り放題だったというのに、小舟にある命綱はあまりにも有限だ。

 ため息をつく私。

 陽はまだ上がったばかり。汗が出てくる。というか……


「どうして、こうなったんだっけ……」


 汗を拭うと、ごわついた黒いレースのフードに触れた。

 『罪人』の証である。まだ17歳の娘だが、遠目には落ちぶれた未亡人に見えるかもしれない。

 うう、と後で声が漏れた。


「ごめんなぁ、クリスティナ。お前を巻き込んで」


 お父様は涙をためる。少し前までは頑張ってオールで漕ごうとしていたが、力尽きたのか、もう船尾でうずくまるだけになっていた。

 私は笑みを結んだ。


「なんとかなりますよ」


 社交界で花と呼ばれたきれいさが、まだ少しでも残っていればいいのだけど。

 お父様はまた目をまん丸に開いて、おいおいと泣いた。


「私が、私が悪いのだ。男爵家が王子殿下と縁談だなんて、おかしいと思わなければ、いけなかったのに……!」


 私の胸までじくじくと痛む。

 発端はこうだ。

 私は辺境男爵家の娘だが、わざわざ王都へ召し出される。理由は、第二王子の婚約者候補となるため。

 王子が各地を視察した際、私を目に留めていたというのだ。

 最初は私もお父様も、期待していなかった。婚約者はとっくに高位貴族に決まっていて。辺境の令嬢など数合わせか、広く婚約者を募ったというアピールが目的なのだろう、と。


 けれど、王子は私と何度も会ってくれた。やがて婚約が決まる。

 驚いたけれど、名誉なこと。私もお父様も舞い上がって、母の墓前に今までで一番大きな花とご報告を添えた。

 作物や貿易の課題。あるいは、異国語について。王子と交わしたそんな会話が、もしかたら評価されたのかもしれない――そんな願いには、やはり宮廷らしい結末がついてきた。

 お父様が言う。


「……捨て駒だったのだなぁ」


 すべては雲の上の方々が描いたこと。

 第一王子と第二王子、序列通りに進むと思われていた王位継承には、王子間の確執があったらしい。

 第二王子との婚約者が私に決まりかけたのは、第二王子の立場が弱かったから。彼は『王位に興味がありません』と、目に見えるサインを必要とした。

 辺境の男爵令嬢を婚約者に選ぶなんて、王位争いからは降りたも同じ。

 だけど、正式な婚約者として最初に呼ばれたパーティーで……。


 ――男爵令嬢クリスティナ! 僕は、君との婚約を破棄する!


 第二王子達は、密かに私と邪魔な貴族を、王子をそそのかす悪女と取り巻きに仕立てていた。

 身分に相応しい公爵家の娘を抱き寄せて、言ったもの。


 ――私は騙されていた。

 ――この者との婚約を破棄して、私は正しい道に戻るぞ!


 ライバル、第一王子が重い病を発し、第二王子に継承権の目が出ると、私は邪魔になった。

 婚約破棄には理由が要る。『王子の優しさにつけ込み、唆した罪人』にされた私に、味方はいなかった。


「……はぁ」


 私はため息をついた。

 視界がぼんやりする。私の目まで、涙でにじんできたのだろうか。

 お父様が言った。


「追放されるのが我々だけでよかった」


 屋敷や領地の人々は、咎められていない。爵位を廃して、追放されたのは私達のみ。


「……第二王子も、そこまではなさらないでしょう」


 今思えば、婚約破棄する王子の声は、少し震えていたように思う。彼も後押しを受ける貴族の意向を無視できなかったのかもしれない。

 でもとにかく――護ってはくださらなかった。


「う……」


 泣いてはいけない。塩分がもったいない。

 本当は大きな船で出航したのだが、海賊に襲われて船ごと奪われたのだ。

 声が漏れそうで、漏れない。精一杯に着飾って婚約者候補から婚約者になるべく過ごした2年間が、にじむ水平線に浮かんでは消えていく。

 悲しい。

 辛い。

 というか――


「疲れた……」


 ぽちゃん、と海面で何かがはねる音。

 ここで死んだら、私はなんのために生きてきたのだろう。


「気を落とすな、クリスティナ。女神様の予言もある」


 お父様に振り返り、私は久しぶりに笑った。


「信じていらっしゃるのですか?」

「ああ。一度、当たったように思えたからかな」


 お父様が仰るのは、この国の子女が十歳の頃に女神様よりいただくお告げのことだ。

 普通は努力を欠かさないように、とか、病に気をつけるように、とか、当たり障りのないことを教会で聞かせてもらう。

 でも私の場合は、少しだけ違った。


 ――お金持ちになる機会が、一生に一度だけあります。

 ――その時に、たくさんがんばりなさい。


 そういうお告げがあったから、お父様は宮廷へ私を送り出したのだと思う。私もまったくお告げを意識していなかったと言えば、嘘だ。

 私は笑いかけた。


「お告げなんて」


 ちゃぽん、と海面がはねた。

 今度ははっきりと私の目に映る。魚が海面から飛び出したのだ。


「あら、お魚……」


 海沿いの領地だったこともあり、私は鮮魚を見る機会に恵まれた。

 ヘリングと呼ばれる、よく捕れるお魚。場所によっては『ニシン』と呼ぶこともあるらしい。

 小舟の下で水が波打ったように思えた。

 私は水面を覗き込む。

 息を呑んだ。

 水面の下を、大勢の魚が泳いでいる。お父様がオールを波に立てれば、たちまち魚の流れで遙か彼方まで持って行かれてしまうだろう。


「お魚の群れ……」


 私は、はっとなった。


「お父様! 近くに、漁船がいるかも!」

「そ、そうか!」


 お父様が慌てて立ち上がる。小舟でバランスを崩して二人で倒れそうになるけど、お互いに支え合って起き上がった。


「……いたぞ!」


 お父様が指差す。

 また海賊船ではありませんように!


「……島だ」


 立って眺めると、水平線がぐっと下がる。その果てに、小山を二つ並べたような形の、特徴的な島が浮かんでいた。

 私達が追放されることになった、孤島が。


「あんなところで……生きていくのか」


 お父様は泣き崩れそうになる。

 私は頭から罪人のレースを脱ぎ捨てた。

 日よけがなくなって、太陽が顔にあたる。

 大きくて、広い海だった。真下を魚の群れが太陽の光を浴びながら駆け抜けていく。ぽつんぽつんと浮かぶ漁船は、波の上を気持ちよさそうに滑っていた。


「……きれい」


 見とれていた自分に唖然とする。


「お父様!」


 外したレースを、オールに結び付ける。

 私はレースのなびくオールを、微かに見える船に振った。


「この海で生きていきましょう」

「……信じがたいことだが、クリスティナ、君は楽しそうに見える」

「そうでしょうか?」


 私はお父様に微笑みかけた。

 空がこんなに青いのだもの。


「ここで生きなきゃ、損ですもの!」


 やがて、漁船の一つがこちらへ舳先を向け近づいてきた。



     ◆



 漁船に救助された私達は、おそらく7日ぶりに陸地を踏む。

 ちなみに乗ってきた小舟は、私達が漁師さんの船に移ると役目を終えたように沈んでいった。危機一髪過ぎます。

 漁師さんが尋ねてきた。


「……こんなボロい小舟で何やってたんだ?」

「海賊に襲われて、乗ってきた船は奪われたのです」


 漁師さんはキツい目端を下げて、ほんの少し気の毒そうな顔をした。


「全能神のご加護あれ――ま、こんな島に流されたきた時点で、先は決まったようなモンだがな」


 そう言い残すと、漁師さんは私とお父様を残してさっさと自分の船へ歩いて行った。

 案内は、してくれないらしい。

 お父様も、私も、日に炙られ潮気にやられてひどい有様。目的地に辿り着いたのはいいけれど、ここから何をするべきでしょう。


「クリスティナ、丘にお屋敷が見えるよ」

「あら……本当ですね」


 世界の果て、島流し先にも『領主』がいる。『監守』というべきかもしれないけれど。

 私達は長い坂道を登り始めた。

 後を振り返って、きれいと感じた海を見る。海原が、緩やかな起伏をくり返しながら、水平線まで伸びていた。

 漁船の数は、二、三、ほどだろうか。


「……あれほどのニシンがいたのに、船の数が、これだけ?」


 明らかに足りない。

 船への投資が少なすぎる。漁期の漁獲を、一隻当たり一日3樽と換算しても、おそらく利益が出せるはずだ。


「……ニシンの処理をする技術がない? 燻製にすれば……いや、燃料の薪が島だと難しいか……」


 まずは、島について知らないと。

 沖をもっと大きな群れが通るかもしれず、大型船の補給基地になってもおかしくないが。


「クリスティナ」


 お父様が呼びかけた。


「また、算盤を叩いている顔になっているよ」

「あ……」

「まったく。ここでは、まず生きることから始めなければ」


 ブツブツ呟くお父様。やがて木に――おそらく防風用のものでしょう――に囲まれた、魔女のお屋敷のような邸宅に辿り着く。

 私達が入り口に近づくと、向こうから勝手に扉が開いた。

 お父様と思わず抱き合ってしまう。幽霊のように顔色の悪いおばあさんが、薄暗い玄関に立っていた。


「――ようこそ、島へ。領主のダンヴァースです」


 屋敷に通された私達の背後で、バタンと大きな音を立て扉が閉ざされた。

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