第8話
6月13日(火)
翌朝、アラームの音で目を覚ました。
夢で、元の時代の琴乃と何かを話していたような気がする。
足首の状態を確認する。
腫れは昨日より引いており、足を着いた時に軽く痛みがある程度だ。
念のため、まだ湿布と圧迫固定は続ける。
朝食を食べ、そっと冷蔵庫から手製のサンドイッチを取り出し、鞄に入れる。
小さいペットボトルに水も入れて鞄に入れた。
給食の牛乳すら当たらないことがあるためだ。
水飲み場は不良グループが根城にしているトイレの前にあるので、あまり行きたくないと言う理由もある。
祖父母の家に朝の挨拶をして、登校した。
俺のかなり前を、稲葉と狭山が歩いており、何やら楽し気だ。
俺も、そんな友達と、楽しい時期が欲しかったが…、まあ仕方がない。無いものは、無いのだ。
学校に着き、教室へ向かおうとすると
「草森、面かせや」と声をかけられた。
吹奏楽部の
だが、3ヶ月程前からコイツは部には出ていなかったはずだ。退部したとは聞いていないが…。
もう少し先の時期だったはずだ…、鳩山を利用した矢田先輩の報復は。
「やなこった」と俺は返事をして、通り過ぎようとしたが、鳩山は回り込んで左手で俺の胸ぐらを掴んで来た。
俺は杖の中心をヤツの肘に当てて真下、やや自分寄りに崩す「おおっ?」っと鳩山は前のめりになる。
そのまま俺は時計回りに回転すると、鳩山は背中からベタン!と廊下の床に倒れた。
杖を使った、梃子と転身を利用した投げ技である。原理的には小手返しに近い。
俺は左膝で鳩山の胸の中心に乗った。
「ぐふっ…!」と鳩山はうめき声をあげる。
「矢田先輩の差し金か?それとも、お前の独断か?正直に答えろ」俺が問うと
「…昨日の夜、矢田先輩からお前にヤキを入れろと電話があった。やらなければお前にヤキを入れると言われたんだ」と鳩山は話した。
…誰が、矢田先輩に、俺が退部したことを話したのだろう?
卒業生だぞ?昨日辞めて、昨日の夜に知っているというのは情報が早すぎる気がする…。
過去の俺は吹奏楽部を辞めたしばらく後に、鳩山に呼び出され、矢田先輩の報復だとトイレでボコられた経過があった。
だが、どこかで疑問を持っていた。鳩山の独断ではなかったのかと…。
俺は鳩山の頬を少しペチペチと何度か叩きながら「じゃあ、言っとけよ。草森にはヤキを入れました、ってな。わかったか!?この腐れ使いっぱしりが!!」
と俺は伝え、一瞬体重をかけてから膝を離した。
鳩山は呻き声を上げながら起き上がり、胸を押さえながら去っていった。
このまま終わるだろうか?何か…嫌な予感がする。
かなり離れた廊下の隅で、教師の一人が見ていたが、何も言わずに教室へ向かった。
この学校では、こんなことは日常茶飯事だ。教師達も気にしていたらキリがないのだろう。
教室へ着き、自席で授業の準備をしていると、隣の席に女子が座った。
「おはよう」と俺に声をかけて来た。
佐久良梓だ。
「そこ、佐藤の席だぞ。自分の席に戻れよ」と俺は答える。
「露骨に避けないでよ。お話したくて来たのよぉ!」と佐久良は言う。
俺は構わず教科書に目を通し始めた。
「昨日のあれ、スゴかったね。渡津くん、今日は休むって噂だよ」
へぇ、と俺は気の無い返事をした。
…渡津が休むとなると、俺のプランが今日は進まない。やはり一人で事あるごとに一つずつこなして行くか…。
「何考えてるの?」と佐久良は聞いてくる。
「…俺と話すより、
「何で三橋君が出てくるのよ?」
「そうだな。理由は、手作りクッキーとか、あとは空の箱のチョコレートとか、かな。まあ、いろいろあるよ?」
「…っ!」佐倉は顔を赤くして立ち上がり、自席へ戻った。
俺と佐久良は小学生の頃、六年生の時から話すようになった。丸顔で笑顔が可愛い娘だと俺は思っていた。
中学一年生になり、ある日、俺は廊下の窓から一人で桜の花を見ていた。
友達がいない訳ではないが、一人の時間を好んでいた。
昼休みなどは一人で花壇の花や空、遠くの山をボーッと見ているのが好きだった。
桜を見ていたその日、佐久良も窓際に来て何気ない話になった。
話の途中から「草森って、好きな娘とかいないの?」と聞かれた。
好きな人はいない、…だが可愛いと思っている人はいる…。
答えあぐねていると「私、協力するよ」と佐久良は言った。
その場を立ち去ろうとしたが、手首を取られ引き止められた。
「誰にも言わないから」と言われた。
元々、俺は人を信用しない。
そうなのだが、同級生で、しかも女子から結構真剣な表情で物を言われると、こちらも真面目に返さなければならないのかなと、俺は思ってしまった。
後に、それは間違いだったと気づくのだが…。
「俺は、好きな人はいない。ただ、可愛いなと思っている人はいる。別に協力はしてくれなくていい」そう答えた。
「え?誰、誰?」と聞かれた。
言って、ドン引きされても、また一人の時間が増えるだけだと思い。
「佐久良…」と俺は答えた。答えて、しまった。
「嘘~。マジで?」
「まあ、本当…かな」と答えると
「じゃあ、今日一緒に帰ろっか?」と、まさかの提案があった。
まだ部活に入る前の話だ。
中学生時代で唯一、平穏な時期だったが、長くは続かなかった。
佐久良とは、たまに一緒に帰ることになった。
佐久良は俺より学校に近い所に家があったので、割りと早い段階でお別れとなる。
3回目の時だったと記憶している。
佐久良の方から手を繋いで来た。
俺は、佐久良も俺のことが好きなのだろうか?
と思ったが、それは俺の驕りだった。
部活に入ってからは、お互いに帰る時間帯が変わり、少しずつお互いの距離が離れたように感じていた。
ある日の放課後、バレーボール部の三橋がクッキーを食べていた。
どうやら手作りらしい。
他の生徒も貰いながら誰から?と聞いたら
「佐久良が作ってくれた」と嬉しそうに話していた。
俺は、手作りクッキーなどもらった事がない…。ちょっとショックだった。
考えてみれば、その頃はもう、佐久良は三橋とかなり仲が良かったようだ。
俺は、部活で無茶な走り込みや筋トレを強制され疲労困憊で、また、矢田先輩からの連日の暴力で精神的にも肉体的にもかなり参っていたため、なす術無く、佐久良からは自然にフェードアウトしていった。
やはり、俺は誰かと仲良くなど、まして彼女など、無理なのだろう…、という考えが心に焼き付いてしまった。
一限目が終わり、休み時間となったが、隣のクラスが騒がしい。
廊下に出て様子を見ると、B組で騒ぎが起こっていた。
不良グループの2人が喧嘩をしていた。稲葉と狭山もB組だが、教室から出ようとしていた。
中の様子を見ると、あれは
不良グループのツートップ。最凶にして最悪の2人だ。
大藪は柔道部で、大人顔負けの体格である。
太っている訳ではなく、例えるならプロレスラーのような体型だ。キレやすくて、小学生の頃から数々の暴力事件を起こしている。
対して相手は中園、こちらは大藪に比べると体格は劣るが、俺よりは大きい。家が漁師ということもあってか、力がめっぽう強いのと、喧嘩慣れしている。
性格的に大石より中園が凶悪だと、俺は判断していた。
いつだったか、彫刻刀で生徒の頭を切付けた事件があった。
完全に傷害事件なのだが、何故か警察は介入していない。
実は、不良グループは血の気が多いので、仲間同士での喧嘩がよく起こっていた記憶がある。
喧嘩の様子を見ていたが、大藪は正拳突きや、横蹴りを使っている。
空手…それも訓練された動きだ。柔道部のはず、だが…。
一方の中園は、掴んでの乱打。へぇ…かなり喧嘩慣れしているな。
だが、大藪は上手く防御し、捌いている。
中園は大藪に髪の毛を掴まれ、机の門に額を打ち着けられた。
中園の額が切れて、血が流れ出す。
複数の女子の悲鳴が上がる。
普通はここで、戦意喪失して動きが止まると思うのだが、中園は血を見て更に興奮したようで、尚もかかって行く。
ここで4名の教師が教室へ駆けつけて、両者を取り押さえた。
大人数名でようやくである。
回りの生徒では抑える事は、まず無理だ。
まるで怪獣大戦争である。
…喧嘩両成敗ではあるが、中園は額を切っている。もはや傷害事件だよな?
だが、やはり警察の介入はなかった。
学校側がどう対応しているのか謎である。
結局、中園は額を数針縫う怪我だった。
こんな事件があっても、授業は続く。
異常だよなぁ…、と考えながらも、今は勉強しようと集中した。
放課後、玄関で靴を履き替えていると、倉持に呼び止められた。
「ちょっと、あんた大丈夫なの?鳩山と揉めたらしいじゃない?」
「矢田先輩の報復らしい。部活を辞めたことへのね。俺は大丈夫だけど、誰かが矢田先輩に情報を流してるなぁ」と答えた。
矢田先輩は、今は隣町の高校に通っているはずだ。
「その矢田先輩だけど、高校退学になったのよ。今は家の漁師の仕事の手伝いしてるわ」と倉持は言った。
「退学?なにか問題でも起こしたのか?」
「入学して、1ヶ月目でモヒカンにして登校したら、退学になったんだって。父親から殴られて、残りの髪も剃られて、今はスキンヘッドらしいよ」。
モヒカンかぁ…思いきったことするなあ。
倉持は声を潜めながら話し出した。
「ファゴットの更科って女子がいるでしょ?あの娘が鳩山と仲が良いらしいのよね。どうやら恋人同士みたい。鳩山は部活にはずっと来てないけど、退部はしてないの。更科から鳩山、鳩山から矢田先輩に情報が流れてるのかも知れない」
との事だ。
…確か鳩山って、三年生になってから学校に来なくなったんだよな…。
色々な噂が飛び交っていた記憶があるが、当時はまるで興味がなかった。
倉持に礼を言って学校を後にする。
警戒して、帰り道を変えたが、この日は何も起こらなかった。
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