第7話

6月12日(月)

翌朝、目覚まし時計より早く目が覚めた。

夢は見てない。ぐっすり眠れたようだ。


寝る前のストレッチのお陰か、筋肉痛はあるが快調だ。


包帯をほどき、右足首の状態を見る。


腫れが少し引いている。

動かすと痛みはあるが、まあ我慢すれば何とか普通の動きは出来そうだ。


新しい湿布を貼り、包帯で圧迫固定する。

靴はキチンと履けるように厚くなりすぎない長さで包帯をカットした。


いざという時に、思った動きが出来なければ死活問題になる。


朝食を食べ、右手で松葉杖を突き、祖父母の家に向かう。


「おはよう」と声をかけると、祖父母は朝食を食べているようだ。


玄関の傘立てを確認すると…あった。

T字杖、だがゴツいな。

…!手に取るとズシリとした重みがあった。


普通の杖より太い造りだ。グリップは握り易い。本体は木製で黒く、ツヤがある。この感じは…。


祖父に声をかけ、事情を説明して杖を借りた。


昔の友人からもらった杖だとのことだ。

祖父母はまだ健脚なので、杖は当分使わないだろう。これで松葉杖よりは目立たないはずだ。


今日からは一人での登校だ。気楽で良い。


右足にあまり負荷をかけないよう、杖を上手く使うよう心掛ける。

俺には少し長めのサイズのようだ。本来は骨盤の高さ位が良いと聞いたことがある。


学校に着き自席へ座ると「足どうした?」と何人か聞いてきたので「軽い捻挫だ」と説明する。


今日は、何事も無く終わって欲しいが…。


一限目が終わり、休み時間に入って間もなくのことだ。


教室の後ろの扉から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


この声、岡部か?「なんだ?」と席に座ったまま答える。


岡部はC組、俺はA組だ。接点は吹奏楽部である。


「ワッツが呼んでる」と岡部は言う。


「俺は足を捻挫してる。行かないよ」


「知らねえぞ」と岡部は言いながら教室を出ていった。


ワッツ、という奴はB組だ。

B組には不良グループが多い。


学年は3クラスあるのだが、AとCクラスに4名ほど、B組は7名ほど居る。


その一人が通称ワッツ、渡津誠吾わたつ せいごだ。


ワタツ、なのだが縮めてワッツとアダ名されていた記憶がある。

洋画…戦争映画にでも出て来そうな呼び名である。


呼びに来た要件は「外に出て、握り飯を買ってこい」のはずだ。


何人か使い走りを持っていて、今日は俺を使おうと決めたのだろう。


だが、俺は行かない。教科書に目を通して予習をした。まだわからない所は多いが、勉強の成果は徐々に出てきている。


「草森ぃ!!」教室の後ろ扉から、ワッツの叫び声が聞こえた。

両手をズボンのポケットに突っ込み、ガムを噛んでいるようで口が動いている。


「ちょっと来いやぁ!!」顔に怒気がある。


ヤレヤレだな…。教室の中に誘き寄せてヤっても良かったのだが、目立つのはマズいだろう。


俺は立ち上がり、【左手】で杖を突き、右足を引きずりながら教室の後ろ扉へ歩いて行く。


ワッツは変わらず、余裕の表情だ。


俺はワッツに2m程になった距離で普通の歩み足で早足に変えた。

ワッツは「?」という状態だ。


そのまま俺は、ワッツに急接近し身体がぶつかるかと言うところで鳩尾みぞおちに右の崩拳ぽんけんを素早く入れ、そのままヤツの右脇をすり抜けた。


活歩崩拳かっぽぽんけん】俺が学んだ見山先生の得意技だ。

俺は、ほぼ正確にこの技をトレースしている。


勁を効かせたが、威力はどうかな?

俺がすり抜けた後、ワッツは膝から崩れ落ち、腹を押さえてうめき声を上げている。

そのままゴロンと横倒しになり、動けない様子だ。


俺は、その足で職員室へ向かい、吹奏楽部担当顧問の瀬良先生に退部届けを提出した。





瀬良先生から、退部理由を聞かれた。


「今年卒業したトランペットの矢田先輩から、毎日暴力を受けていました。証拠をお見せします」と言って、俺は上半身裸になった。


主に上腕に多いが、肩や胸にも無数のアザがある。


「さらに、彼に左顔面をかなり強く殴られたことで、左耳には聴覚障害が残っています。俺の担任の蓮見先生は、通りかかった際に暴行、虐待の現場を見ていましたが、止めてくれもしませんでした。この中学校は腐ってるし、終わっている。俺はいずれ、このことを公表します」


そして「吹奏楽部にはもう二度と行かない」、と捨て台詞を吐き、職員室にいた教師全員を睨み付けて、俺は退出した。



職員室を出ると倉持がいた。


「…全部聞いた…。ヴァイオリンは先輩達が良いから、楽しくやってたけど、草森がそんな目にまで合っていたとは思わなかった…。引き留めてごめん…」

彼女はうつむきながら話した。


「俺は吹奏楽部には縁も運もなかったよ。毎日が地獄だった。倉持は、縁も運もある。俺の分も、楽しんでくれよ」。

ポン、と倉持の肩を軽く叩き、俺はその場を後にした。




教室に戻り自席に着く。

二限目が始まっていた。現国だった。


隣の席の佐藤が

「お前、ワッツに何したのよ?大変だったぞ」と声をかけて来た。


「俺は職員室に行っただけだ。何もしてないよ」と俺は話した。


「だよなあ…。お前が何か出来るとは思えねぇが…。ワッツは今、保健室で動けないらしい。うめき声は上げてるが、しゃべることもほとんど出来ねえそうだ」


そうなんだねぇ、と俺は相づちを打ちながら教科書を見る。…思いの外、威力があったな。


二限目が終わり、休憩時間に保健室に行く。


保健の先生はいないようだ。

ベッドには、ワッツが横になってうめき声を上げていた。


「よう」と俺が声をかけると、ワッツはピクッと反応し、俺から身を遠ざけようとする。


「そうビビるなよ。今は何もしない。今はな…」そう言いながら、俺はベッドに近ずく。


ヤツを見下ろしながら、俺は伝える。

「お前に頼みたいことがある。聞いてくれるか?聞いてくれなければ、俺にも考えがある…。やるか?」ワッツは首を縦に降る。


「今日は無理そうだ。明日か、明後日。お前を呼び出す。逃げるなよ」

それだけ言い、俺は保健室を後にした。


午前中の授業が終わり、昼食の時間となった。

この中学は給食である。その給食が問題だ。

当たらないのである。


一年生の時は普通に食べれていた。


だが…、二年生になってから、給食を乗せた台車が教室にたどり着く前に、不良グループがほとんど根こそぎ、根城としている男子トイレに持って行ってしまい、あらかた食べてしまう事態となっているのだ。


残ったものは、汁物だったり、牛乳だったり…。


それも、全員には行き渡らない。

クラス内のカーストで上位の者だけが、残りの物を口に出来る状態だ。

過去の俺は、何も口に出来ない日が多かった。


まあ、今の俺はそれを知っていたので、対策は講じてきた。

後ろ向きな対策ではあるが…。


俺は教室に運ばれてきた残り物の中から、牛乳を一つだけ手に取り、教室を後にしようとした。


「草森、どこに行く!?」と担任教師の蓮見が声をかけてきたが、俺は一瞥して、教室を後にした。


給食は教室内で食べるというルールがあるのだが、既に不良グループが破っている。

破られているルールに、縛られる必要はない。


俺が向かったのは図書室だ。


過去の俺は在学中、この部屋に一度だけ入ったことがある。


予測通り誰もいない。

俺は牛乳と持参のサンドイッチを鞄から取り出して食べ始めた。


サンドイッチは昨夜の内に、こっそり作っておいた。パンにスライスチーズとハム、粒マスタードとマヨネーズを薄く塗っている。


昨夜はバレなかったが、いずれ母親にバレて止められるかも知れない。


親が給食が当たらないことを知るのはもっと先、3ヶ月ほど後だろうか?


母親のその時の言葉が今も心に残っている…。「給食が当たらないなら、給食費は払わないよ!」と俺に喰ってかかってきたのだ。


好きで食べられない訳ではないのに…、だ。



サンドイッチを食べ終え、図書室内の本を見て歩く。図書室とはいえ、教室よりやや狭い、粗末な感じだ。蔵書も少ない。


あまり読みたい本は無く、元々の予定だった自習をして昼休みは終わった。



その後は何もなく、午後の授業を終えて帰路に着いた。



帰りに祖父母の家に寄り、祖父に裏庭をしばらくの間、使わせて欲しい旨を伝えた。


畑を荒らさなければ、好きに使っていいと許可を貰った。


俺が使いたかったのは、屋根がかかっている裏庭の部分だ。


祖父母の家は薪ストーブなので、薪を乾燥させるため、家の裏庭にも屋根がかかっているスペースがある。


屋根を支える柱と梁が何本かあり、これを活用し、稽古場として用具を設置したいのだ。


倉庫に行き、麻の袋をいくつか、それと、細めのロープ、ダンボール、壊れたテーブルから取り外した脚を3本。


頭の中で完成予想図は既に建てている。


足首の関係で今は無理だが、治ったら浜に砂を取りに行くことにした。何往復か必要だろう。

使う用具は邪魔にならない所へまとめておいた。


自宅へ戻り、足に負担のかからない稽古と勉強を行う。


…今日の目処は終了。


シャワーを浴びて、湿布を貼り変える。

腫れは大分引いてきているな、回復が早い。


寝る前のストレッチを行いながら考える。


渡津をどう使うか…、一回、もしくは二回程、手駒として使わせてもらうつもりだ。


ストレッチを終えて、スマホを見ると琴乃からメッセージアプリに通知があった。

「足の具合はどう?今度、温泉旅行に行きます♪」とのことだ。


「羨ましいなあ。足首の腫れは引いて来ました」と俺は返信した。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る