第6話
自宅へ戻った。時刻は17時半過ぎ。
長い一日だったな。
葉月はちょっと心配してくれていたようだ。
一方、母親は無関心といった様子だ。
…考えていた。
松葉杖はちょっと大袈裟に見える。
あの学校では悪目立ちだ。
確か…祖父の家に、
玄関の傘立てに普通の杖があった記憶がある。
明日の朝に寄って、それを借りよう。
夕食を終えて、今日はシャワーのみにした。
捻挫の急性期の際は湯船には浸からない方がよい。炎症が悪化する可能性があるからだ。
自室に戻り、湿布を貼り、包帯で圧迫固定する。
元の時代の俺は、別件で捻挫等の経験もあり、包帯の巻き方や、テーピング等にも慣れていた。
知識と経験は力なりだ。
今日はもう、ストレッチだけして眠ることにした。
足首に負荷がかからないストレッチを行っていると「お兄、電話だよ」と妹の葉月が子機を持ってきてくれた。誰だろう?
「もしもし?」と電話に出ると
「水守です。今日は助けてくれて、本当にありがとうございました」琴乃だった。
体調を確認すると、大分良いとのことだ。
「母と一緒の時間が長くて、緊張したでしょう?何か変なこととか話しませんでしたか?」と琴乃は不安気の様子だった。
「いえ、丁寧に病院にも連れて行って頂いて、恐縮です」と俺が答えると
「草森君、本当に中学生!?」と琴乃は爆笑していた。まあ、中身は大人だからね…。
「ところで、母も伝えたと言っていたけど、改めてお礼がしたいので、足が治ったら家に来て頂けますか?助けて貰ったのに、私ほとんどお話出来なくて…ごめんなさい」
「いや、体調が悪かったから無理もないですよ。では、お言葉に甘えてお伺いします」
「良かった~。断られるかと思って緊張した~」
「中学生相手に緊張も無いでしょう?それに、お礼なんて、本当は言葉だけでいいんですよ?それが、ほとんどのケースじゃないでしょうか」
「いや…、命の恩人ですから、私に出来ることなら、何でもします」
「女の人が「何でも」なんて、そんな事言ってはダメです」
「アハハ、そうだね。まあ、君は無茶な事は言わないって感じたから」
と訪問の約束をして電話を切った。
…元の時代の琴乃に報告した方がいいだろう。スマホを確認するとメッセージアプリに通知があった、琴乃だ。
「夜に電話したい」との事だった。
なにかあったのかな?
「これからの時間ならOK」とメッセージすると、間もなく通話が来た。
「何かあったの?」と聞くと
「いや、こっちの恭くんのこと、いろいろ調べたけど、やっぱり本物みたいなんだよねぇ。ホクロの位置とか…」なにやら神妙な雰囲気だ。
「そうなんだ?琴乃、普段そんな所見てたんだね?ちなみにどこのホクロ?」
「陰嚢の裏とか…」そこかよ!?
「君には脱帽だよ…俺は。ところで、こっちも報告がある」
「なんかあったの?」
「こっちの琴乃に会った。ちなみに、春乃さんとの時間が長かった」
「会いに行ったの!?」
そんな訳ないだろ、と俺は今日の状況を説明した。
「いや~、私のせいで捻挫しちゃったかぁ。ごめんね~」と琴乃は謝る。
琴乃は悪くない、と伝え、治ったら自宅へ訪問することになったことを伝えだ。
それと、今の時代の車の車種とナンバーも伝えた。
「ふむ、そっちの恭くんも、やっぱり本物か…。少し疑ってた。ごめんね」と謝られた。
「無理もない。疑いが少しでも晴れたら良かったよ」
貧血の件は、後に解決したらしい。卓球部の練習がキツかったのと、他にも事情があり、当時は貧血を起こすことがあったらしい。
だが、本屋で倒れた事はなかったそうだ。
…過去の出来事、いや…今の時間軸の出来事が変わってきている…のか?
お互い、今後も連絡を取り合うこととなった。だが、学校での騒動等はいらぬ心配をさせる事になるので伝えないことにした。
足首か…。しばらく機動力が削がれたな。
ランニングも、新聞配達も、しばらくはお預けだな。他の稽古方法と勉強に力を入れるか。
「お兄、また電話~」と葉月。
今度は誰だ?「もしもし?」
「私、倉持です」珍しい相手からの電話だ。吹奏楽部の倉持だ。
「どうしたの?」と聞くと
「部活、辞めるつもりでしょう?」と切り込まれた。
「…うん。明日、退部届けを出しに顧問の瀬良先生の所に行くよ」
「そっか。なんかそんな予感したんだよねぇ。残念だな…。それより、矢田先輩からの報復は大丈夫なの?」
…!知っていたのか?
「誰から聞いた?」
「部活で先輩達から。臼井先輩が辞めると言った時は半殺しにされたらしいよ?貴方、大丈夫なの?」
…一学年上の臼井先輩が部活を辞める際に、矢田先輩に半殺しにされた噂は、俺も聞いたことがある。
「まあ、何とかするよ」と言って電話を切った。
俺は、矢田先輩から直に脅されていた。
『お前が部活辞めると言ったら、俺は木刀でお前の頭を叩き割る。それでお前の人生は終わりだ』…と。
矢田先輩は狂っている…。当時、俺はそう感じていた。
普通の人間が、まして中学生が言うセリフではない。
端から見たら嘘だろ?と思うだろうが、これが俺の現実だった。
トランペットを選んだのが間違い、というか他の楽器は選ばせて貰えなかった。
入部も、楽器の選択も強制的だったのだ。
毎日殴られ、身体中アザだらけだった。
生きているのが地獄だった…。
普通の人なら、登校拒否、そして鬱病になってもおかしくない状況だった。
父親は、俺の身体中がアザだらけなのを知っていた。
起こっている事を話せば、状況が悪化するであろうし「なぜやり返さない!?」と父親から怒鳴られるのがわかっていたので、俺は部活の状況は父親に話した事はなかった。
そして、俺の家庭は学校を休ませてはくれなかった。
なぜなのだろう…?
大人になってからも、それは疑問だった。
そして、社会人になってからは実家と距離を置き、ほとんど関わりを持たなくなった。
親を信用出来ない、人を信用出来ない。
信用出来るのは己のみ…。
俺はそういう人生だった。
琴乃に出会えたことで、少し他者を信用出来るようになったような気はするが、心の奥深い部分では人間に対して諦めの気持ちが根付いている。
過去の俺は、矢田先輩が卒業して、しばらく経過した時期で部活を辞めた。
矢田先輩が卒業したら、もう辞めても大丈夫だろうと、俺は思っていたのだ。
だが、甘かった…。報復を受けたのだ。
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