第9話
その日の夜、勉強と稽古を終えてストレッチしていると家電が鳴った。
葉月が子機を持って来てくれた。
水守さん…こちらの時代の琴乃からだった。
「こんばんは。その後、足の具合はどうですか?」
「腫れは大分引いて来ました。押すと痛みはありますが、順調に回復してますよ」と俺は伝えた。
「良かった、悪化してなくて。ところで里海町の中学って、かなり荒れてるって評判だけど、草森君は大丈夫なの?それとも…不良なのかな?」と琴乃は聞いてきた。
あっちにまで噂が流れてるんだな…。
「自分では普通だと思いますが、水守さんから見て不良に見えましたか?」と聞いてみた。
「不良には見えなかったよ。けど、何かを拗らせてるようには見えた…かな?」
「いろいろ悩みはあります。けど、拗らせてはいない、と思いますが…。そう見えるんですねぇ?」
「う~ん、そんな感じかな。悪い感じは全くしないけど…。ところで、足の調子が良かったらだけど、今週か来週の日曜日に家に来ませんか?」
「多分大丈夫、行けると思いますよ」
「そう、良かった~。何か好きな食べ物とかある?あと、苦手な食べ物は?」
「う~ん、好きなのはコロッケ…とか。苦手な食べ物はありませんよ」
「あ…コロッケね~、私も好き~」
「琴乃…さん、揚げ物は苦手じゃなかった…ですか?」
「え…!なんで知ってるの!?というか、いきなり下の名前呼びされると、お姉さんドキッとしちゃうよ!そういう作戦なの!?」
「いや…、お義母様、春乃さんとの呼び分けと言うか…」
「お義母様って、気が早すぎるわ~」
「いや、違うんです!言葉の綾で…!」
「アハハ。わかってるから、大丈夫。じゃあ今週か来週の日曜日ね。楽しみにしてるからね」と電話を切られた。
琴乃に揚げ足取られまくるとは…。
未来を知ってることが不利になってるのか?
こっちの琴乃と、上手く行くのかな俺…?
元の時代の琴乃にスマホでメッセージを送った。
「今週か来週の日曜日にお宅へ訪問することになりました」。
返信が来た。
『展開が速いね!心配しなくても大丈夫。未来の私が上手く行くように、そっちの私にエネルギーを送っておくから!ハッ!』
…明るくて助かるなぁ。
その後、シャワーを浴びてぐっすり眠った。
6月14日(水)
翌朝、アラームで目を覚ました。
右足首の腫れは、ほとんど無くなった。
押すと軽く痛い程度だ。念のため湿布と包帯を巻く。
杖をどうするか?…なんとなく、今日はまだ持って行こうと判断した。
家を出て、いつもの様に祖父母宅へ挨拶して登校する。
曇り空だ。…胸騒ぎがする。そして、うなじがチリチリする…。何だろう?何か、あるのだろうか。
登校していると、後ろから声をかけれた。
サッカー部の戸塚だ。戸塚は自転車通学だ。
「草森。お前、最近一人だなぁ?まあ、俺もなんだけどさ。何か、あったのか?」と聞かれた。
「いや。一人が好きなのさ」と俺は答えた。
戸塚はB組だ。自然と昨日の騒動の話となった。
戸塚は大藪の席の近くに居たが、なぜ喧嘩が始まったのか分からないとの事だ。
突然、二人が暴れ出したという感じらしい。
…理由もなく喧嘩になるのかな?
まあ、大方どっちが強いとか、そんな理由の様な気がする。
血の気の多い連中だからな…と思っていたら、校門まで50m程の距離となった。
その時、民家の陰から黒ずくめの男が出てきた。
…油断した。一人で登校すべきだった。
「戸塚、なにも言わずに逃げろ」俺は極力静かに伝えた。
民家の陰から出てきた男は、黒ジャージの上下に黒ニット帽。細身で長身。右手に木刀を持っている。…矢田先輩だった。
異様な風体に木刀を持っていることもあり、他の登校中の生徒達はどよめき出した。
「ん、どうした?」と戸塚は聞くが、目線で前を促す。
戸塚も気づいた。
「全力で職員室に知らせてくる!」と小声で俺に伝え、戸塚は自転車を走らせた。
「ばか!待てっ!」と声をかけたが、戸塚には届いていない。
俺は後方に逃げろ、と言ったつもりだが、戸塚は違う捉え方をしたようだ。
戸塚は矢田先輩を迂回しながら横をすり抜けようとしたが、矢田先輩が素早く移動し、木刀が振るわれた!
幸い、戸塚の身体には当たらなかったが、戸塚は体勢を崩して自転車ごと転んだ…。
他の登校中の生徒が悲鳴を上げた。
矢田先輩は、転倒した戸塚に追撃を加えようとしたが、俺は前に走りながら叫んだ。
「待て!目的は俺だろ!!」
矢田先輩は動きを止め、ゆるりと、こちらを見た。
これは、もう…やるしかないのか…。
…『お前が部活を辞めたら、俺は、お前の頭を木刀で叩き割る。それでお前の人生は終わりだ』。
以前、矢田先輩はそう言って俺を何度も脅した。有言実行ってヤツか…。
今の俺と矢田先輩の距離は20m程か。
この人は駿足だ。今の俺では逃げられない。
戸塚は、しゃがみこんで自転車を盾にしているが、矢田先輩に睨まれて動けずにいる。
仮に俺が逃げれても、戸塚がやられる…。
いくら意識が大人の俺でも、矢田先輩から受けた暴力や、恐怖の記憶は焼き付いている…。
やれるか…?
俺は、心を閉じた。ただ、己の感と、積み上げた稽古を信じる。
俺は杖を着き、右足を少し引きずりながら前へ進んだ。
矢田先輩は木刀を右斜め上に振りかぶりながら駆け寄って来た「オラぁぁあ!!」叫びながら矢田先輩は木刀を袈裟がけに打ち降ろして来た。
狙いは俺の左側頭部だ。俺は普通の歩み足に変え、杖は剣術の右片手持ち、脇構えに切り替える。
振り降ろされる木刀に、こちらも袈裟がけの杖を思いっ切り打ち付けた!
カァン!と甲高い音が鳴る。木刀による一撃目を杖による打ち落としで回避。
そのまま俺は入身で距離を詰め、左手で山田先輩の右手首を捕りながら、その両腕の下に俺は右腕と肩を滑り込ませる…。
俺は、自分の上腕と肩で相手の肘関節を担ぎ上げて肘関節を極め、触れた部位で発勁し矢田先輩の両肘を、折った!
ミシッ、バギッ!と嫌な音がした。
杖は手放し、そのまま矢田先輩の体勢を前に崩しながら腰に乗せる…。
右手を上…ザワッ!鳥肌が立った。髪の毛を掴もうとしたが一瞬でやめて、山田先輩のジャージの奥襟を逆手で捕り、
【変形十字背負い落とし!】…俺は矢田先輩を頭から地面に投げ落とした。
矢田先輩はブリッジのような体勢となった。
…ゴロリと横に転がり、いつの間にか帽子が脱げていたスキンヘッドの頭部からは血が流れる…。
倉持からスキンヘッドの情報を聞いていて助かった…。本来は髪の毛を掴んでの背負い落としなのだが、咄嗟に奥襟に切り替えた。
俺は手で合図して戸塚を学校に行かせようとしたが、腰を抜かしたようで動けないでいる。ダメか…。
矢田先輩は、両肘が折れている状態で器用にも立ち上がった…。流血で顔は血だらけだ。
「オラアぁぁあ!!」と今度は 前蹴りで攻撃してきた。俺は小さく体捌きしながら蹴りを
「!…」。山田先輩は道路に転がり悶絶する。
しかし、転がりながら、尚も足で攻撃してくる。
もう…意識を断つしかない!俺はローキックで暴れる足を払い、滑り込むように背後に回り込んで裸締めで絞め落とした。
その直後、教師数人とパトカーが到着した。
学校側は登校してきた生徒の報告を受け、警察は近所の方の通報を受けて駆け付けたとのことだ。
警察からの事情聴取があり、俺の証言だけでは心もとなかったが、戸塚や他の目撃していた生徒達も協力してくれて、状況を伝えてくれた。
また通報してくれた近所の方々も協力してくれ、その証言から、俺は正当防衛となった。
俺は吹奏楽部で矢田先輩から毎日のように暴力、虐待を受けていたことと、辞めたら殺すと脅されていたことも警察官へ伝えた。
矢田先輩は救急車で運ばれた。
親が現場に呼ばれたが、父親だけ来ていた。
酒臭かった。昼間から飲んでいたのか?
「家でも、アイツはおかしかったんだ…」父親は、それだけ繰り返し言っていた。
俺は右足に負荷がかかったのか、少し痛みがぶり返していた。
杖を手に取り、確かめる。軽く傷がある程度でヘコミもない。矢田先輩の木刀は折れていた。
おそらく、この杖は
後は、当たり所と強度の差だろう。
今朝の判断が身を助けたな…。この杖なしでは、俺は無傷では済まなかっただろう…。
命を落としていたかも知れない。
事件の話は校内に広まり、臨時休校となったようだ。
俺は警察と学校へ状況説明した後に、右足首の痛みもあることから直ぐに家に帰された。
昨日の件も説明し、取り調べは鳩山にも及ぶこととなった。
戸塚は転倒による擦り傷で済んだとのことだった。
俺は家に帰ってから自室で、ベッドに横になって右足首をアイシングした。悪化しなければ良いのだが…。
こんな戦いはもうコリゴリだな…。
スヴァインのヤツ、こんなの見て面白いのか?と考えていた。
「お兄、電話だよ」と学校から帰ってきた葉月が子機を持ってきた。
「ノックはしてくれよ」と伝えるが、多分忘れるだろうな。
「もしもし?」
「倉持です。木刀で襲われたって聞いたけど、大丈夫なの!?」
「そこまで聞いてるんだ…。大丈夫だよ。元々痛めてた右足首の痛みが、ぶり返しただけだ」
「よく無事で済んだわね?そんなに強かったっけ…?イメージと違うなぁ。
ところで、矢田先輩に情報を渡してたのは、やはり鳩山と更科だわ。更科は急に転校が決まったみたい。親の都合って言ってるけど、これ以上巻き込まれるのを避けたんでしょうね」
「そうか…。更科って、確か佐久良と仲良かったよな?」
「そうみたいね。あの二人、なんか性格が似てるのよ」
「へぇ、どんな所が?」
「んー…。気が多いのと、気持ちと態度がコロコロ変わるのよねぇ。私は、ちょっと苦手なのよ」
なるほどな。俺のモヤモヤが言語化したようでスッキリした。
「そっか、情報の出所がわかって、頭の整理が出来そうだよ。ありがとう」
「お大事にね」
そう言って倉持は電話を切った。
俺は祖父母の家に移動した。仏壇に手を合わせる。
死んでいたかも知れない状況だった。
命があったことを、御先祖様に感謝した。
その後、仏間で大の字になって目を瞑る。
少しして、祖母が焙じ茶と落雁を用意してくれた。落雁は俺の好物の一つだ。
お茶を飲んで気持ちを落ち着ける。
祖父が外出から帰ったので、杖の事を詳しく聞いてみた。昔、銃剣術を一緒に習っていた後輩からのプレゼントらしい。
今日の顛末は父から聞いていたようで
「まあ、この杖はお前にやろう。ワシが使うのは、お前が買ってくれればいい。まだまだ使う予定はないけどな」と話した。
父親は今日の件を聞いて難しい顔をしていたが「よくやった」とだけ言い、風呂に入っていった。
小学生の頃、喧嘩で負けて帰ると「勝つ迄、帰ってくるな」と、父に家から放り出されたことがあった。
俺は、戦い方を知らなかった。
子供心に父親に反発し「そんなこと言うなら、戦い方を教えてよ!」と叫んだ記憶がある。
だが、父は何も言わない…、何も教えてはくれなかった。
そんなことがあってか、元の時代の俺は高校卒業後に栄心武館へ入門した。
理不尽な暴力へ対処する方法を学ぶためだった。
入門してからは、学校や仕事の合間を縫って、何かに取り憑かれたかの様に稽古に励んだ。
それが、今の俺に至る…。
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