第十一話 愛海

 その、一時間前のことだった。

 九州、阿蘇山頂。

 七海愛海は携帯電話を耳に当てていた。


「これで、九州平定は完了しました。引き続き『炎上』の討伐へ向かわせていただきます」

『いや、それよりも先に、沖縄に行って欲しい。刀司郎とうじろう牙喰がくが苦戦しているとの連絡が入った』


 電話の先にいるのは、日本の12人の覚醒者を管理、統括する司令官。白銀の髭を撫でながら、豪奢な椅子に腰掛けて、指示を飛ばす姿が見える。

 七海は僅かに気配を変質させた。


「その次は、海外に援軍を命じるおつもりですか?」

『……』

「北海道、東京、九州……ここまで私を動かすとなると、やはりあなた方は私に炎上を倒して欲しくないのですね」

『……違う。「炎上」は倒さねばならない。必ず。しかし、今ではないのだ。機は熟していない。戦力は足りず、ここで君を失うわけにはいかないのだ。分かるだろう?

 敵は炎上だけではないのだ』


 上層部は、七海愛海の勝利を信じていない。仮に彼女が『炎上』の言霊に敗北したら……その先にある破滅の未来を恐れている。彼女以外の11人では、『炎上』は倒せない。今の日本に跋扈する無数の言霊の処理速度も大きく低下するだろう。

 だからこそ、彼らは独自の方法で七海を妨害し続けていた。通常の人員のこなせる量を遙かに超えた激務を押しつけることで、彼女を『炎上』から離していたのだ。

 しかし、それももう限界だった。

 七海愛海は『炎上』の尾を掴んだ。

 彼女は、止められない。


「いいえ、今しかありませんよ。今日を逃せば、あれは誰にも止められなくなる」

『……だとしても、今はもっと優先すべき問題がだね』

「では、これでどうでしょう」


 七海はうっすらと笑い、指を鳴らした。



 沖縄。とある防空壕内部。

 熾烈な戦いだった。事前情報では簡単に倒せる相手だとされていた。実際には全く違った。

 暗闇の中で向かい合う剣士が二人。言霊と、人間。

『正義』の言霊。外見は二メートルにも満たない、鎧を纏い剣を構えた人型。マントが、無風であるのになびいている。


「我が正義を此処に!!」


 振るわれる白銀の両手剣を、対峙していた刀司郎は刀で受け止める。外見からは想像できないパワーが込められた一撃は、覚醒者の刀を容易くへし折った。

 黒髪をポニーテールで纏めたセーラー服の少女剣士は、舌打ちをしながら折れた刀を放り投げる。

 続く二発目の斬撃を、刀司郎は敢えて踏み込むことで回避する。否、それだけではない。彼女の手には、新たな刀が握られている。すれ違いざまの一撃が繰り出され、洞窟内に金属の激突する甲高い音が響き渡る。


「……きかないか」

「正義とは、すなわち絶対であるが故に。悪党の剣など、無力である!!」


 白銀の鎧に傷はない。その隔絶した堅牢さによって、刀司郎の刀が折れ曲がったほどだ。

 刀司郎は、使い物にならなくなったそれを、地面に放る。そして、新たな一振りを握る。


 真名覚醒者・千手刀司郎。


 彼女の能力は、無制限の刀の創造である。何の代償も、詠唱も、隙も必要とせず、ただ刀の形状を思い浮かべただけで、それが手元に形成される。そして彼女は己が生み出した刀を、形状や重量に関わらず、全て完全に操ることが可能だ。

 あらゆる刀を司るもの。

 それが彼女の真名。加えて、鍛え上げられた戦闘技術は卓越している。能力なしでのタイマンなら七海や男性陣すら押さえて12人中最強とも称される程に。

 そんな彼女が、傷の一つすら負わせられていない。

 戦闘時間は五時間にも届こうとしていた。それだけの時間、彼女は切り込み続け、弾かれ続けていた。


(分かってきたことがある)


 地面に転がる刀の数は、百を超えている。

 全てが名刀、業物の域にある。振るう刀司郎の技量も極めて高い。にもかかわらず、目の前の言霊に一つの傷も与えられていない。

 その有り得ざる事象の謎を、彼女は解き明かしていた。


(『正義』の言霊は、己が不正義と見なしたあらゆる攻撃を防御ブロックできる)


 これで間違いないだろう。盤石にして無敵の正義の体現者。奴が正義であると見なした攻撃以外は、全て鎧に阻まれる。悪と認定したのなら、核攻撃すらも耐える究極の防性。言霊との戦いに現代兵器を持ち出さない理由がこれだ。有する特殊能力次第では、核であっても通じないのだ。そういう前例……爆撃や核攻撃に耐えた言霊も、英語圏で確認されている。

 となれば、もうジリ貧だった。刀司郎の攻撃は通じない。向こうの攻撃は一撃でも食らえば致命傷になり得るものだ。逃げるにしても、向こうはそれを許さない。

 詰みだ。


牙喰がく君の方も苦戦しているらしい……。一応援軍要請はしているが、残りの10人に果たして沖縄まで来れる奴がいるかな?いたとして、それまで何日かかる。最低でも二日……その期間ぶっ通しで戦い続けろと)


 思考する間に、五振りの刀が駄目になった。

 ギリ……っ、と奥歯を噛む。

 いけない。平常心を保たねばならない。

 長身の少女剣士は再び刀を形成する。


「まだやるのか、悪なる者よ。貴様の剣では、我が正義は揺るがんぞ」

「やるさ。私はまだ、負けていない」

「ふん。悪が勝てる道理などない。すべからく悪は負け、正義が勝利する。それこそが、正しき世界の在り方だ。……故に、その正しさを容認できない人間社会は悪である!悪は滅びよ!間違いは、悪は、正さねばならないのだ!!」


(……感情があるように見えるが、しかし言霊は本能のまま殺戮を行う存在だ。あれもまた、あらかじめ定められた行動原理に従っているだけでしかない)


 そう考えれば、ひどく憐れに思えてくる。

 そんな感傷で、彼女の刃は揺らがないが。

 刀司郎は構えた。


「続けようか」


 言霊も構える。


「終わらせる」


 少女は踏み込む。

 言霊もまた動き出す。

 折れても、砕かれても、即座に新たな一振りが形成される。体得した流派を片っ端から使い分け、斬り合いに挑む。一刀流、二刀流、居合……繰り出される技は全て弾かれるが、それでも彼女は諦めない。愚直に、まっすぐに、剣を振るう。

 折れた剣は全て放り投げた。地面や壁、天井に突き刺さるのを気にせずに、全て。


「まだ、続けるか」


 無駄だ。1ダメージでも、否、0,00001ダメージでも入っていたのなら、無数の攻撃手段を展開できる刀司郎の敵ではない。僅かな傷だろうと積み重ねて積み重ねて積み重ねる。その果てに、彼女は勝利を掴むだろう。しかし相手は、そんな僅かなダメージすら入れさせてはくれないのだ。

 どうしようもない。けれど、彼女は諦めていない。

 そんな剣士の気合いをあざ笑うかのように、鉄壁の正義は攻勢に出る。技量で言えば刀司郎の足下にも及ばないが、素のスペックが超越していた。防御や回避もままならず、あっという間に詰みに近づく。

 壁際に、追い詰められる。

 逃げ場を失った刀司郎に、銀の剣が突きつけられる。


「これで終わりだ」

「……お前がな」


 鋼の刀を容易く砕くパワーが、解き放たれた。弾丸めいた突き。正義の剣は勢いよく突き出され、刀司郎はそれをしゃがむことで、間一髪の回避に成功する。言霊の脇を駆け抜け、距離を取る。


「悪の力は効かないんだって言ったね。なら、正義が引き金を引いた力は、どうなる?」


 ピシ……ピシ……ッ!!と、ヒビが広がってく。

 この防空壕の天井や壁には、使い物にならなくなった刀が何振りも突き刺さっている。床に落ちている数と比較しても、数え切れないほどだ。

 刺さった周辺にはヒビが入っている。

 全て計算尽くだった。あの壁に追い込まれるところまで含めて、全て。


「な……!?」


 後は莫大なパワーを打ち込むだけ。それだけで、『正義』の言霊が面している壁が、崩落する。

 大質量が、『正義』の言霊を圧殺した。

 埃が収まったあたりで、刀司郎は呟いた。


「まあ、倒せないにしても時間稼ぎにはなっただろ」


 出てくるまで数時間はかかるはずだ。それまで休憩させて貰う。何せもう五時間も戦っていたのだ。少しぐらいは休んでも良いだろう。というか、休まなければ、死ぬ。

 崩落したのとは反対側の壁に背中を預けて、ふうと息を吐いた。


 その、直後だった。


 視界の先、ちょっとした丘に見えるほどに積み上がった土砂や岩石が、吹き飛んだ。

 爆弾でも爆発したように、轟音を伴い。

 そして、一人の騎士が、顔を出す。

『正義』の言霊は、生きていた。傷は見当たらない。


「嘘だろう……」


 右手に刀を創造し、一歩踏み出して呟く。


「嫌になるね。まだ能力を隠していたのかい?それとも、私の分析ミスかな」

「正義とは、悪を滅ぼすためにある。正義の道を阻むもの、これ全て悪なり。故、滅ぼさねばならない」

「……つまり、君は己が悪と定めたものを破壊する能力もあるってことか」


 判断を、誤った。読みを違えてしまった。

 防御だけではなく、特殊な攻撃まで可能とは。

 攻防を兼ね備えた、最悪の敵であった。


「あーあ、最悪だね。せっかく沖縄に来たんだったら、サーターアンダギーぐらいは食べときたかったけどなあ」


 また五時間かけて下準備するのは、不可能だった。

 死が、迫る。


 勝ち目のない戦いにあって、刀司郎はどこか安堵していた。


 これ程の力を持つ言霊が、自分以外の相手をしていなくてよかった。どれだけ武器を砕かれても関係なく、体力や魔力といった限界も無く、常に武器を生みだし続けることができるという、破格の戦闘継続能力を持つ刀司郎だからこそ、ここまで粘れているのだ。他の誰かが相手をして、敗北し、死亡することにならなくてよかった。そう心の底から、彼女は喜んでいる。

 自分自身に刻まれた、嫌っていた男のような名前を。

 受け入れさせてくれた、十一人の仲間達を失わずに済んでよかった。


(特に、竜哮……君は私がこんなことを考えれば怒るかもしれないが……それでも、真っ先に私を認めてくれた君でなくてよかった)


 握る刀は砕かれて、刀司郎は無防備となり。


「悪!滅!!殺!!!」


(ここで死ぬのが君でなく、私で……本当によかった)


 言霊の振るう穢れなき正義の刃が振り下ろされる。



 その瞬間だった。彼女のいる場所から北に位置するとある山の山頂で、一人の覚醒者が指を鳴らした。


『正義』の言霊の動きが停止させられる。四肢全ての関節と、思考を行う脳髄、そして存在を維持するための核が、全て穿ち砕かれたためだ。

 防空壕の天井を貫通した、数滴の雨粒に射貫かれたからだ。

 水は圧力をかけることで、鋼鉄すら切り裂く刃となる。

 雲から射出された超速の弾丸は、地面を溶けたバターの如く貫通し、言霊を破壊したのである。

『正義』の言霊は、悪と認めたあらゆる攻撃を防御する。

 しかしその能力には弱点があった。すなわち、悪と認めることができない攻撃──例えば、天井を越え、空高くから超高速で落ちて来る攻撃などは……認識できないため、防げない。


「……嘘」


 目の前で、圧倒的な脅威が崩れ去っていくのを、刀司郎は呆然と見送った。



「やりやがったな」


 東京全域からの連絡を受けて、風間は吐き捨てる。


「本気で、倒すつもりなんだな、七海……」



 攻撃を受けた言霊は『正義』だけではなかった。

 ある言霊は稲妻を浴び、ある言霊は氷塊に押し潰され、ある言霊は湖ごと凍らされ。

 およそ考えられるありとあらゆる手段によって、言霊は次々に死亡した。その数はあっという間に千に届き、万すら超えた。


 その日、『炎上』の言霊を除く全ての言霊が、日本から姿を消した。



 電話の向こうにいる全員が、息を飲むのが聞こえた。

 七海愛海は満足げに微笑む。


「敵は『炎上』だけではない、でしたか。では、今この日本に『炎上』以外でどんな敵がいるのか、教えてくださいますか?」


 誰も、何も言えなかった。

 逆らえる者など、いるはずがなかった。

 日本全土から言霊を一掃した。その行動が示す意味を、理解できるのなら。

 かつて、覚醒者の全盛の時代でも、ここまでは不可能だった。

 七海愛海は、最強だ。誰も彼女を、止められない。


『…………許可しよう、七海』


 電話の向こうで、老人が頷く。

 威厳の失われた、掠れ声。


『存分にやれ』

「了解です」


 最強が動き出す。もはや誰にも、止められない。


 彼女の行動原理は復讐。望みしものは怨敵の死。過去の清算を望むもの。

 真名の意味は、海の愛。父と母から一文字ずつ譲られた、それは深き愛の証である。

 言霊討伐数測定不能(最低推定三万七千)。

 彼女は間違いなく、この時代最強の覚醒者である。

 七つの海の愛し子────七海愛海ななみあくあ

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