第九話 日々
「……で、あるからして……はい、ここ戸塚君答えて」
「……」
「戸塚君?……はあ、じゃあ別の人──」
チャイムの音で目を覚ます。また授業中に寝ていたらしい。
成績落ちたなこれ……と軽く落ち込むが、仕方ない。だって、夜眠れなかったのだから。一晩中竜哮と戦って、これで授業中に寝るなという方が無理があると思う。
それに、だ。
今のうちに寝ておかないと、今晩がキツくなるだろうし。
能力の覚醒、その兆しは見られなかった。そうなると、今晩も呼び出される可能性が高い。
彼女は全く手加減してくれない。油断したら間違いなく死ぬ。今晩も、気を抜けない戦いになるだろう。睡眠不足の状態で行けば、即死間違いなしである。
すこしでも体力を回復させていきたい。
次の授業は、世界史だ。期末テストの返却と答え合わせになるだろうが、答えについては後で教科書やネットを使い存分に調べることにして、眠ろう。幸い、答え合わせで一授業分使う先生である。寝るには最適な授業と言えた。
放課後、速やかに荷物を片付け学校を出る。
夜の呼び出しに備える必要がある。準備しないと。でも、その前に行く場所がある。
病院に向かう。看護師の一人を捕まえて、翔琉の容態について聴いた。看護師は優しく丁寧な方で、彼についての情報を剣に教えてくれた。
熱は下がっておらず、まだ面会はできないらしい。
翔琉の容態は、院内でも話題になっているようであった。
礼を言って、病院を出る。
次に向かった先は、ホームセンターだ。
武器を探す。竜哮を拘束できるようなアイテムや、トラップに使えそうなものを吟味する。
夜、予想通り呼び出しが来た。
「今日は公園じゃないんだな」
「俺様も忙しいんでな」
今日の戦場は、河原。
一級河川に数えられる川の河川敷。サッカーグラウンドの上で、竜哮は待っていた。
「さあ、開始だ」
「!!」
水曜日、学校で睡眠を取る。
帰りに病院へ向かった。看護師を捕まえて聴くと、今日から一般病棟に移ったらしい。お見舞いも可能だとのことで、病室も教えてもらえた。
走り出したくなる心を抑えて、教わった部屋に向かう。
翔琉は、眠っていた。
ベッドの上で、小さく息をしながら、眠っていた。
「……ほんとに、寝てるだけみたいだな」
しかし額に触れてみれば、異様な高熱が伝わってくる。
「待ってろ。お前をこんな目に遭わせた奴、すぐぶっ飛ばして落とし前付けさせてやるから」
ホームセンターに向かう。
「ガムテープで口を塞ぐのは無理だったから……」
「長物……鉄パイプでも武器にするか?」
「うーん…………お、これは……」
「……へえ、こんな値段で買えるんだな」
深夜。今日の呼び出し先は、山の中。冬になればスキー場として使われる場所だった。夏場だから草がボーボー生えて、自由気ままに成長している。
暗闇のなかに浮かび上がる停止したリフトや、今は誰も使っていないコテージが、世紀末的な雰囲気を演出している。ポストアポカリプス、というんだったか。
そんなスキー場の坂の中腹に、竜哮はいた。
「ここまで時間守ってこれるとかほんと偉いな。じゃあ、始めるか」
「その前に一つ聞いて良いか?」
「なんだ?」
リュックを開けながら、剣は問う。
「お前、虫は大丈夫だっけ?」
数分後。
「二度とやるな」
「ばび」
涙目の少女にボコボコにされ、生き物を利用した攻撃はアウトだということを心に刻む。
「能力の覚醒が目的なんだから、なりふり構わず勝とうとすんな」
「それはそうだが……」
いまいちやり方……というか感覚?が掴めない。竜哮に説明されてもピンとこない。こんな現実は認められないという狂信的なまでの思い込み?名前に込められた願いを引き金とした現実の改変?負の想念を集めることで生物へと進化した言霊とギミック的には同じ、自分の名前に、言霊が成立するのと同等以上の想念を注ぎ込むことで発現する異能力?全く分からん。
「剣って名前にこもってる願いとか、いろいろあるだろ」
「困難を切り開いて欲しいとか?」
「ならそれだ。切り開いてみせるという思い込みを描け」
「どれぐらい強く思い込めば良いんだよ」
「言霊は何百年という年月をかけて負の想念を取り込み続け、進化した存在だ。真名の覚醒には、一代でその想念を超えるだけの激情を己の名前にぶつける必要がある」
つまり基準は無いということだ。
「分かったら立て。次だ」
木曜日。彗星と夏休みの到来を目前に控え、教室はにわかに活気づいていたようだが、知らない。剣は寝ていたから、分からない。
翔琉のお見舞いに行くと、先客がいるようだった。病室のドアを少しだけ開けて中を覗く。
翔琉が仲良くしていたキラキラグループの面々が来ていた。その中には、以前殴ってきた奴もいた。
全員、本気で翔琉の身を案じているように見えた。
そっと、ドアを閉じる。
最上階のレストランで時間を潰す。帰ったかなという頃合いを見計らって、病室へ。
翔琉は相変わらず眠っていた。
「……あいつら」
昨日まではなかった果物などが、枕脇の机に置かれている。ついさっき買ってきたばかりに思えるものもあった。あのグループが置いていったのだろう。
「……お前、ほんと好かれてるんだな」
凄い奴だ、と呟く。
時間を潰していたのもあり、ホームセンターには行けなかった。
今日は、何の仕込みもなしに立ち向かうしか無い。
呼び出された場所は、再びの市民公園。
「今日こそ、覚醒させて見せろよ」
「ああ、行くぞ」
「来い!」
その日の戦闘は、いや、竜哮は、どこか調子を崩しているように感じた。
いつもなら見逃さないような攻撃を見逃し、外さない攻撃を外す。
他の事が気になって、集中できないでいるようにさえ思える。本人も自覚していたらしい。
「今日はここまでだな」
僅か三戦、時間にして二時間で、切り上げた。
「気を付けて帰れよ」
彼女の視線を背中に感じながら、剣は自転車を漕いで帰宅する。
どうして調子が悪かったのだろうと不思議に思いながら、ベッドに入った。目覚まし時計をセットして目を瞑ると、すんなりと眠りに落ちることができた。
東京スカイツリーの頂上に、二人の人間が直立していた。
「わざわざ手伝いに来なくとも問題ないと言ったろうに」
「上の指示ですから」
「は。現場を知らん無能に使い潰されちゃあ、やってらんねえなあ」
女性と、男性である。日本で最も高い建造物の上にいながら、全く姿勢を崩すことなく、眼下の都を睥睨する。片方は、七海愛海。日本最強とも謡われる能力者である。
「昨日は北海道。今日は東京。そして明日は九州か。激務にも程があるな。少しは休みも欲しかろう。俺から上に言っておくか?」
吐き捨てるのは、スーツを着たサラリーマン風の男性。年齢は、外見からは読み切れない。角度を変えれば二十代にも、五十代にも見える、いまいち印象に残らない見た目である。
それも、単なる能力者であると言うだけではない。
東京は人口が多い。そのため、言霊による被害の隠蔽や偽装といった工作の難易度が、他の地域に比べて圧倒的に困難とされる。故にどれだけ強くとも、勝手を知る彼以外が東京を任せられることはない。
実に三十年間、たった一人で東京を守護し続けている。
歴戦という言葉すら生ぬるく感じる、破格の実力者である。
十年前の決戦では東京から離れることを許されず、参加することがなかったために生き残った男でもあった。
まさに首都の防人。七海を除けば最強に位置する。
発言力や政治力に関して言えば、七海以上ですらあるだろう。
「大丈夫ですよ、先生」
「そうか」
涼やかな拒否だった。
先生、と彼女は言った。両親を喪った七海の後見人となり、能力の扱い方を教えたのが、風間であった。
「風の噂で聞いたんだが」
風間が切り出す。
「『炎上』の居場所を見つけたらしいじゃないか」
七海は頷く。
どこでそれを聞いたのか、なんて尋ねることはない。風間が持つ情報の出所など、聞いてもまともに答えてくれるはずがないからだ。
名字が示すように、彼はとある一族の末裔である。戦国時代に猛威を振るった風魔忍軍。その影響力は、平成の時代にあっても健在だった。
「……そうですね。見つけました。後は狩るだけです」
「意外だな。お前のことだ。見つけ次第狩りに行くだろうと思ってたが。こんなところで何をしている」
「ええ、先日まではそのつもりでしたが、考えが変わりました。奴は、今の手札では勝てない」
カラオケの上空で繰り広げた戦闘を思い出しながら、呟く。
「想像以上ですね。過小評価していたつもりはなかったですが」
「だろうな。ありゃ次元が違う。俺が知る最強だの無敵だのが、まるで歯が立たず焼け死んでったからな。人が勝てる代物じゃねえ。多少の弱体化は、しているかもしれねえけどな。……どうやって勝つつもりだ?」
「今は、待っています」
「何をだ?」
「二つほど。────竜哮が、面白いものを拾ったようで」
「竜哮が拾いものをするのなんざよくあることだろ。ドラゴンっつうか、カラスだよあれ。しかも大体は芽が出ず消えてく。例外は今まで一人だけ。お前も知らねえわけじゃねえだろう。だってのにそこまで言うか。そんなに期待できるのかよ、ソレは」
「分かりませんね。しかし見ていて面白いです。……二つ目は、切り札。こちらが本命ですよ。地上の手札で倒せないなら、それ以外を用いれば良いんです」
視線を上げる。見上げた空に、星が見えた。
「宇宙空間は、極寒の世界ですから」
何を言っているのか、風間は理解する。あまりの規模の大きさに、思わず背筋が凍りそうになる。
「人間に選べる戦法じゃねえな」
「今更過ぎませんか。私も先生も、とっくに人間やめてるじゃないですか。……少なくとも、東京都全域を吹く風を完全に掌握してみせるなんて、人間の業ではありません。入ってくる情報を処理し、言霊が出現した次の瞬間には首を断つなんていうのも。先生に比べたら私なんて……」
「お前の能力効果圏は、何キロだったかね」
謙遜する七海を遮り、風間は問うた。
「どれだけの規模の能力行使ができるよ」
「十三キロです」
「上の持ってるデータにはそうあったが、俺はジャンプが嫌いでね。やっぱ男が読むべきはマガジンだな。で、実際はどうなんだよ。俺が能力の使い方を教えたんだ。少なくとも、俺以上なのは確定だろう」
当ててやろうか? と風間は続ける。
「1万2742キロメートルだ」
その推測を、七海は否定しなかった。ただ涼やかに笑って答える。
「さあ、どうでしょうね。外交問題にも発展しそうですし、明確にしない方が良いでしょう。こういうのは」
「違いない。……確かなのは、お前が正真正銘の化物だって事だな」
二人の間に沈黙が降りる。
東京の町はまだ眠らないようだった。とうに終電は行ったというのに。騒ぐ人は騒ぎ、笑う人が笑う。泣き顔や、怒号も聞こえてくる。
風間がこの都を守り始めてから、その営みは変わっていない。三十年前も、二十年前も、十年前も……昨日も、今日も。
同じ景色、同じ営みが、延々と繰り返されている。
それが好ましいと、風間は思う。この営みを護るためなら、神すら敵に回せる自信がある。
「明日以降は、どうなるかね」
「人間の時代は続きますよ」
「そうなると良いがな……」
風間が指を軽く振る。風が操られ、意志に従い吹き荒れる。池袋駅の線路に発生した言霊が、吹き荒れる風に巻き込まれ、その存在を削りきられて消滅する。誰も気付くことはない。
極小の竜巻は、巻き込んだあらゆる全てを削り、砕き、微塵に帰する。とてつもない量の細かな破片や、強大な風の圧力が、ヤスリでものを削るように、あらゆる物体を全て削り取るのだ。一度巻き込まれてしまえば、言霊が脱出することはできない。瞬時に消滅させられる。風間の生みだした、絶技である。
「お見事」
七海が拍手する。風間の絶技を認識できている七海もまた、尋常ならざる怪物だった。
「衰えませんね」
「これでも全盛期は過ぎてんだ。昔は削りきるのに三秒ありゃよかったが、今は倍の時間がかかっている」
東京で生まれた言霊が十秒以上生存することはない。東京に入り込むことも不可能だ。風魔の技は、東京から全ての言霊を排除する。そうすることで全ての人の営みを守護していた。
「俺はあの営みを、毎日こうして、守り続けてきた」
「知ってます」
「お前のことも、守りたかった」
風間は七海の両親と深い付き合いがあった。だからこそ、十年前、両親を失った七海の後見人となり、彼女を強く育ててきた。
本当なら、彼女には何の非日常とも関わりのない人生を歩んで欲しかったと、風間は強く思う。しかし、能力者としての嗅覚が、七海に宿る破格の才能を見抜いてしまった。彼女はもっと強くなり、やがては国家の命運すら左右できる存在に至れるだろうと、直感してしまったのだ。
後は、もう、やめられなかった。
どこまで行けるのか、見てみたいと、願ってしまった。彼女に、己の願いを預けてしまった。
「すまない」
「いいえ、先生。私がこうなったのは、誰のせいでも、誰のためでもない。私は自分で選び、望んで、ここにいます。自分のために、力を引き出し、戦うんです」
誰の責任でもないと、彼女は言う。
それは王者の孤高。
最強たる、生き方だった。
あまりに強大で、そして、寂しいものだった。
その孤高の前では、東京を守護することしかできない風間は、あまりに無力だった。
「……祈っている」
明日を超えた先、彼女の人生が、本当の意味で始まることを。
彼は祈ることしかできない。自分の力では、七海の援護どころか、足手まといにしかならないことを理解しているから。
「ええ。先生もどうかお元気で」
七海は、静かに空だけを見ていた。
────彗星の到来まで、あと十七時間。
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