第八話 攻略

「さあ、来い」


 竜哮は呟く。

 ほぼ同時に、彼女の索敵範囲の外で、剣は堀から体を引き上げた。水浸しの体と染みついてしまった臭いに顔をしかめながら思考と行動を開始する。


「能力の覚醒のやり方がわからん。あとちょっとで死ぬってところで不思議な力に目覚めた、なんて奇跡には期待できない。もっと確実なやり方を目指すべきだろう。確実……、か。どうやる?聞き出す。これだ。竜哮から聞き出す。そのためにまずは拘束する。そのためには……」


 ブツブツと呟きながら、物陰に隠れつつ竜哮の元を目指す。


「手札は体と、携帯か。防水してて助かったな。さあ、どうする」


 竜哮の背中が見えた瞬間、即座に視線を切り、茂みに身を隠す。

 直後、竜哮は剣のいる方向に視線を向けた。

 一瞬遅れていたら、剣の姿は補足されていただろう。


「気のせいか」


 呟いて、竜哮は再び前を向く。

 間一髪。危なすぎた。

 竜哮は歴戦の覚醒者だ。気配の探り方だけじゃない、殺意や敵意の感知方法、野生じみた第六感にも秀でている。一秒以上視線を向けていたら、存在を察知されていた。

 剣はそれを知らないが、可能性として考慮はしていた。「気のせいか」という呟きを聞いて、推測が正しかったことを知り、深く息を吐く。


(危ねえ……)


 そして、戦闘を構築する。

 頭の中に、思い描く。

 彼は作家志望だ。いくつもの物語を作ってきた。その経験が、妄想力をブーストする。常日頃は使い道のない厨二病の妄想だが、この極限状態にあって、かつ恐れず動ける彼であれば、その妄想力は逆境を覆すための戦闘論理構築能力として機能する。

 手札を揃える。使う順番を整える。勝負は一瞬だ。十秒にも満たない時間で布石を撒き、回収し、切り札を切り、とどめを刺す。行動不能にまで持ち込む。

 準備は今、整った。


(スタートだ)


 論理と野生が、激突する。

 まず竜哮の耳に聞こえてきたのは、歌だ。それは先ほど視線を感じた場所から聞こえてくる。


「そこか?」


 三文字の言葉は音の弾丸となり、草むらを吹き飛ばす。手応えはない。

 曲は止まらない。何故か。それは地面に置かれたスマートフォンから流れる、録音された翔琉の歌声。想定していた大きさや場所とかなり異なっていたため、音の弾丸は外れたのだ。

 そしてそこに気を取られた一瞬で、剣は動き出した。

 がさりと音を立てて、竜哮の左側の草むらが動く。


「読めてんだよ!」


 だが、竜哮はそれを読んでいた。

 そもそも剣以外の歌声が流れてくるという不自然すぎる現象が、何かの布石、罠でないなどと思う訳がない。歴戦の覚醒者はその程度に騙されない。先ほどあえて攻撃したのは、状況を動かすための一撃だ。本命は、わざと生んだ隙に、敵が引っかかったところでかます一撃。

 剣が一歩目を踏み出すより早く、竜哮の声が茂みを破壊した。


 けれどそこに、剣はいない。


「な……どこにッ」

「かかった!」


 剣は、竜哮の真正面から、走り出した!

 一度目、竜哮後方の歌は録音。そちらに竜哮が目を向けたタイミングで、剣は大きく身を乗り出し、掴んでいた石を竜哮から見て左の茂みへ投げていた。これが茂みから響いたガサリという音の正体。そしてそこめがけて放たれた音の二発目で、竜哮の肺から空気は消えた。次の一撃までは、呼吸が必要となる。その一瞬で、距離を詰める。

 剣は両手の拳をきつく握りしめ、突撃する。


(やるじゃねえか、だが……!!)


 竜哮の顎が駆動する。牙の生えた小さな口が開かれる。両者の距離は残り十メートル。呼吸が開始された。先ほどのような大仰な空気の吸引ではない。必要最小限、一音だけ出せれば良いという程度の、無駄を省いた呼吸だ。距離は残り五メートル。


(俺様の方が、早い!!!)


 肺へ空気が下り、押し出される。覚醒により異形と変じた発声器官が起動し、破壊を伴う弾丸が、少女の口から射出される。残り三メートル。


「あッッ!」


 一直線に、放たれた音は、破壊の結果を生まなかった。


(三メートルは俺の間合いだ)


 剣は、剣道経験者だ。剣道の試合において、両選手の構える開始線は、中央からそれぞれ1.4メートルが目安となる。合計すれば2.8、すなわち約三メートル。

 剣はその距離での試合を経験している。その経験が、ここで活きた。どのタイミングで声が放たれるのかを読み切って、それに会わせる形で回避を選択。

 体を大きく崩しながら前方に倒れ込み、ギリギリで声を回避する。

 そのまま突撃はやめず、抱きつく形での無力化を狙おうと、両手を伸ばした。

 しかし、それは想定通りには進まない。繰り返すが、竜哮は歴戦の覚醒者だ。

 彼女は取り乱さず地を蹴り、その体を後方へ。剣の間合いから離れる。

 勝った。会心の笑みを竜哮は浮かべた。こうして間合いから外れてしまえば、空気を吸い込む時間ができる。そして空気さえ吸えれば、後は言葉を放つだけ。対する剣は姿勢を大きく崩している。体勢を立て直さないことには次の行動には移れない。


 そのはずだった。

 剣は、諦めなかった。

 重心を移動。体を右前方へ傾けながら、その右手を伸ばす。それは竜哮の想定から離れた域にまで届く渾身の手。その執念にゾッとしながら、更に一方下がろうとするも、判断が遅い。動作が間に合わない。


 右手が届く────、


 竜哮の、胸に。


「!!!!!!!!!!!!!??????????????」


 それは完全に予想外の事象だった。彼我の身長差を考えればあり得なくもない事態だが、しかし竜哮はまさか此処に届くまで手を伸ばす執念が剣にあるとは考えなかった。結果、剣の右手は彼女の僅かに膨らみのある胸部へと到達する。

 自身をドラゴンであると自称し、女性らしい言動を全く見せない歴戦の能力者でも、その事態には思わず心が揺らぐ。顔に血が上り赤く染まる。羞恥と怒りと困惑の入り乱れた赤色。瞳には羞恥から来るのか、僅かに涙が見える。

 彼女は明らかな異常ではあるが、同時に少女でもあるのだ。突然胸を触れられたら困惑し、怒り、羞恥する。それは当然だ。そして、思考回路を乱された彼女は、我を忘れた咆哮を放とうと大きく息を吸おうとして───


 グッと、強まる押す力によって、後方へ倒れ込む。

 踏ん張りがきかない。体勢が崩れる。そこでようやく、彼女は冷静さを取り戻す。

 乱された思考回路によるものだった。咄嗟の判断が狂ったタイミングで、剣が更に力を込めて突き飛ばしたのだ。彼の右手は、既に少女から離れている。その体は、前のめりに地面へ倒れ込もうとしている。しかし、竜哮にも反撃は取れない。既に彼女も倒れる寸前だ。息は吸えても、声は出せても、狙いが定まらなければ無意味だ。定めるには、立ち上がる必要がある。剣よりも早く。既に倒れた剣よりも早く、倒れかけている竜哮が立ち上がることができるか。答えは、否だ。彼女の能力は、あくまで喉、及び発声器官の異形。己は竜であるという強い思い込みから生じた、部分的な竜への変化に他ならない。そして、彼女にはそれ以外の異能がない。肉体の強化も、高速移動も不可能。ただ絶大な音の大砲で敵を粉砕する破壊の力は、遠距離でこそ圧倒的だが、この状況ではその真価の一割すらも発揮できない。


(ありえねえ……ありえねえありえねえありえねえ!この、この俺様が、負けるだと!?それも、なんの異能も持たない一般人に!?)


 尻餅をつくなどいつ以来だろう。パタン、と軽い音が聞こえた気がする。目の前に、大地を強く手で押して、再び立ち上がった剣が見えた。彼と目が合う。


 そこには、意志が宿っていた。


 鬼気迫るとはまさにこのこと。剣は今、この瞬間、竜すら屠る狩人だった。相手が少女であることすら、既に忘却しているだろう。胸を触った感触など、まるで意識していないはずだ。

 翔琉を傷つけた落とし前を付けさせる。

 そのために力が必要で、その秘密は目の前の竜哮が握っている。

 ならばそれを吐かせるために、彼女を倒さねばならない。

 そのためだけに、全身を駆動させているのだ。それ以外の全ては置き去りにして。

 およそ常人が放ってよい領域にはないその気迫は、彼の有する翔琉への感情の裏返し。


(……本気か)


 竜哮は、認識を切り替える。目の前にいるのは、無能力者の一般人ではない。己の願いを叶えるために死力を尽くして走る少年だ。

 ならばこちらも、持てる全てで迎え撃つ!

 空気を吸い込んだ。喉に破壊が装填される。

 最後の一歩を踏み込んだ。腕に勝利を掴もうと。


 勝ったのは、竜哮だった。コンマ数秒早く、彼女の声が空間に放たれた。

 剣の体がくの字に折れ曲がる。腹から二つに分かれるよりも、両足が地面から離れる方が早かった。彼は後方に吹き飛ばされ、背中から地面を転がった。十メートルは飛んだだろう。受け身は取れていない。勝敗は、明白だった。


「っ、痛え……」


 戦闘開始と全く変わらない調子で、剣は体を起こす。


「……負けたか……」


 呟いた彼に近づきながら、竜哮は声を荒げる。


「てか、なんなんだよ!お前、趣旨分かってんのか!?」

「いや、能力の覚醒のやり方とか分からなかったからさ。とりあえず竜哮を無力化してから聞き出そうかなと……」

「……ああ、なるほど。そういうことか……」


 追い詰めれば勝手に能力を開花させるだろうと考えていた。

 しかし結果はこうだ。能力を使わずとも、剣は戦えた。

 その事実に、竜哮は、納得と同時に失望する。


「剣……お前に才能は無いな」

「は……?それ、どういうことだよ」

「お前は、能力者にはなれないってことだよ」


 これは流石に、予想外に過ぎる。竜哮は右手で髪を掻き毟る。ふう、と深く息を吐いてから、告げた。


「だが、無いなりに奇跡は起こせるかもしれねえ。もう一戦だ」

「万策尽きたんだが」

「だからこそだ。スポーツとは違うんだ。限界まで追い込めば、また違った結果が出る。少なくとも、俺様達はそうやって能力を目覚めさせてきた」


 現存する12人のうち、11人は言霊、あるいは覚醒者との遭遇をきっかけとして能力を開花させている。例外は七海愛海ただ一人。


「普通のやり方じゃ勝てない理不尽に、それでも立ち向かい生き残ろうとする意志。そして、己を示す、その在り方に刻まれた意味。この二つがあって初めて、真名覚醒が可能となる」


 竜哮は教授する。彼女らの操る能力の神髄を。

 そして同時に、彼女は一つのことを伏せていた。

 十年前に死亡した能力者を含めた統計が導いた、ひとつの結論がある。

 危機的状況の度合いが高ければ高いほど、つまり越えるべき対象が巨大であればあるほど、覚醒する能力は強力になる。

 故に、彼女は間髪入れずに動き出す。


「さあ、第二回戦だ」


 竜哮は息を吸った。剣は痛みをこらえて立ち上がる。

 二人は再び激突する。



 夜が明けかけていた。時刻は四時三十分。山際の輪郭が明るくなり始めている。そろそろこの市民公園にも人がやってくる頃合いだろう。


「今日はここまでか」


 あれから二人は五度、戦闘を繰り広げた。剣の奇策は回数を経る毎に冴え渡り、一方の竜哮もまた展開される策への対応力が向上する。初戦のような失態を犯すことはなく、非常に高度かつ互角の決闘が演じられた。最後に至っては一時間に渡る死闘であった。

 そして、この激突の中で一度として、剣の能力覚醒の兆しは見えなかった。

 剣はあくまで現実的な手段のみで、超越の異能に拮抗したのだ。

 今、彼は肩で息をしている。疲労度合いはすさまじい物があった。しかし、四肢は揃っており、大きな怪我も負っていない。明らかな異常。

 竜哮だって、覚醒してから三年間は重傷を負ってきた。骨は何度も折れたし、他の覚醒者による回復が無ければ死んでいた場面もあった。

 そういうものだと思っていた。

 最強の七海だって、大怪我をしたという記録は残っている。


 では、目の前の彼は、なんだ。

 合計六度の戦いで、手を抜いたつもりはない。手を抜いては意味が無い。

 分からなかった。何故彼が、骨の一本すら折れていないのか。


 竜哮は思考を切り替えるように、時計で時刻を確認した。

 そして、剣へと言う。


「時間が無いな。今日はもう帰れ。また時間ができたら連絡する」

「ああ……今日はありがとう」

「……別に」

(何の役にも立てなかったな……俺様)


 内心で自虐する。

 表情に出ることを恐れて、フードを深く被った。


「さっさといけ。家まで時間かかるだろ」


 剣は自転車に乗り、帰路を辿った。

 その背を見送りながら、竜哮は考える。


(あいつには、異能を扱う才能が無い)


 なぜなら、超常の技を振るわずとも、そこにある物だけで解決できる素質を持っているからだ。

 それを戦闘の才能と呼ぶ。

 どんな危機的状況でも、手元にある手札を駆使して解決できる才能。

 だが、異能がなければ、言霊は屠れない。あれは人類から生まれ、人類を滅ぼすために最適化された新種の生命だ。倒すには、人を外れる必要がある。

 竜哮のように竜の肉体機能を獲得するか、七海のように水を操るか。

 その在り方は千差万別だが、覚醒者は総じて人外と呼んで構わないだろう。

 彼らはいわば、井坂竜哮という生命種、七海愛海という系統樹なのだ。

 しかし、剣にはそれができない。才能が無いと言わざるを得ない。場にあるあらゆる手段を用いて異能者に拮抗する人間。それは戦闘者の才能ではあるが、異能者の才能ではなく、また、規格化された戦力を安定して振るう現代兵士の才能とも異なるものだ。

 時代が異なれば、或いは……。しかし今の時代において、彼のような人間に居場所はない。少なくとも、この平和な日本では。

 竜哮ら覚醒者と拮抗できても、彼では言霊にダメージを与えることすら難しいだろう。


(……いや、案外できるかもな)


 竜哮は認識していなかったが、『藁』の言霊との戦いで、剣は藁自身の炎を利用して、傷を負わせることに成功している。辞書の投擲という、極めて現実的な方法で、それを実現している。

 彼には、異常が通じないのか。

 それはそれで、有用かもしれない、と竜哮は思う。


(お前なら、七海も『炎上』も、倒せるんじゃねェか……?)


 既に見えなくなった背中を思い、彼女は笑う。ニヤリとしたものでも、恐れから来る物でもない。ただ、不可思議な期待を込めて。

 古来より、竜は宝を蒐集する。そして、竜と宝剣は決して切り離せない関係にあった。

 己を竜種であると定義する竜哮が、彼に惹かれたのは当然のことであったのかもしれない。

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