第六話 過去

 どうやら自分の名前は笑われるようなものであるらしいと、そう気付いたのはいつだっただろう。

 それ以来、自己紹介が大嫌いになった。


戸塚剣とつかそーどです……」


 そう名乗ると、皆最初は困惑する。聞き間違いかなという表情を向ける。やがてそれが間違いではなく、本当にソードと読むのだと知ったとき、全ての人間は同じ動作をする。

 笑い、だ。

 もちろん理由は千差万別。抑えきれず笑ってしまった人もいれば、冗談だと思って笑う人もいる。中には明確な嘲笑を浮かべる人も。口を抑える人も、笑ってしまってから申し訳ないと謝罪する人も。いろんな人がいるが、とりあえず笑ってしまうのは全員に共通していた。

 それが、どうしようもなく不快だった。

 当然だろう。自分の名前を笑われて、喜ぶ人間はいない。名が体を表すというのなら、つまりは自分自身が嗤われているのと変わらないのだから。

 自己紹介の後も、名前を呼ばれるたびに笑われ、時にはからかわれ続けた。


 中にはそんな状況に怒る人もいた。剣を庇い、名前を面白がるのはおかしいと呼びかける人が。それはクラスメイトであったり、先生であった。ある時には見かねた先生が道徳の授業だったかで、名前を知ろうという名目で一時間の授業を行ったりもした。名前には多くの意味が込められているのだから、それで誰かをからかうのはやめましょうというまとめ方だったと思う。


 剣は、ふざけるなと思った。


 自分は教材じゃない。他の誰かの、それも自分を笑った人間の道徳的成長の養分にされるなんてまっぴらごめんだ。ふざけるな。

 そう強く感じたことを覚えている。

 その後、表だってのからかいは止まった。しかし、剣は先生に心からの感謝をしたことはなかった。


「戸塚剣。趣味は読書。よろしく」


 高校に入る頃には、上手く感情を殺せるようになった。目の前の何人かの表情が歪んでも、何も気にせず無関心を貫けるよう成長した。

 高校生にもなれば、からかわれようが何をされようが、無関心を表明し続ければ、過度な弄りやいじめに発展することはなかった。

 ようは、こいつをからかってもツマラナイと、そう認識されさえすれば、後はからかいの的になることはなかったのである。とはいえ、それだけで解決するほどいじめだのからかいだのは簡単ではない。いじめの起きない要因は他にもあった。剣の成績が悪いわけでもなく、また、行事にもちゃんと参加していたのも大きいだろうし。クラスにいじめを行うようなやつがいなかったことも、要因の大きな割合を占めるだろう。


「戸塚君、この文章読んでみて」

「わかりました」


 二学期になると誰もが、剣を名字で呼ぶようになった。先生も、クラスメイトも。

 それで満足していた。嫌いな名前で呼ばない彼らに、感謝すらしていた。


「…………」


 三学期になったら、彼を呼ぶ人間は先生以外ほとんどいなくなった。

 読書ばかりをして、誰との遊びにも向かわない。当然友人はおらず、からかわれずとも無関心の対象となった。無視ではなく、無関心。害意や悪意、善意から来る無視とは違う。誰の関心も集めない人間となった。影が薄い、とも言う。

 それで良かった。呼ばれて笑われるよりは、呼ばれないままでいい。見世物じゃないのだから、注目される必要は無い。そして、誰にも呼ばれなければ、このふざけた名前を意識することも無い。


「……………………」


 自分の名前を忘れていられる日が増えた。

 誰も注目しないから、見ている物が本から携帯に変わっても気付かれなかった。しきりに文字を打ち込んでいても、誰も。SNSを開いていても、誰も。


 ハンドルネームが持てるから、インターネットは良かった。

 好きな名前を名乗れるから、何だって書けたし、言えた。現実で注目が集められない分、好きな名前の自分をさらけ出して、いろんな注目を集めることができた。自己顕示欲が満たせた。どこまでもイキることができた。

 反面、現実は更に孤立する。

 でも、仕方が無い。


 戸塚剣では、イキれない。


 現実の自分のままじゃ、生きれない。


 流石に高校生にもなれば、市役所で名前を変えられるという社会の仕組みにも気づき始める。


 けれど、その道は選べなかった。


 それは負けだと思った。自分の名前という負債を安易に投げ捨てることは、名前に対する日僕に思えて仕方が無かった。だから、それを剣は選ばなかった。


「………………………………」


 けれど、さすがに、疲れていた。

 そんなある日だった。

 住む世界が違うと思っていた、クラスのキラキラグループの一員が、剣の机の前にまでやってきたのは。


「…………………………………………」


 彼は、話すきっかけを探して迷っているようだった。

 剣は、それに気付いていないように、携帯だけを見つめていた。

 そうして無関心を貫けば、向こうもツマラナイと感じて、去って行くだろうと思ったから。

 けれど。彼はずっとそこにいた。

 やがて、一冊のノートを視界に差し出してきた。


「これ、落ちてたんだけど」


 それは、無くしたと思っていた、剣の『設定ノート』の三冊目だった。


「!!!!!」


 流石に無関心は貫けなかった。とっさにひったくり、抱える。


「み、みた、か!?」


 久しぶりの発声は、ひどく掠れていたように覚えている。

 それまで一言も話したことのなかった彼は、頷いた。

 見られた。黒歴史確定のノートを。

 脳裏を過ぎる最悪のイメージ。あの頃の、名前をからかわれていた頃の日ではない嘲笑の的となる未来が見える。終わった。これまでの努力が水の泡だ。

 それもよりにもよって、こんなイケイケの陽キャに見られてしまうとは。

 剣は、ひどく狼狽していて。

 そんな彼を見て、キラキラするクラスの中心人物は、少しだけ笑った。


「いいハナシだと思ったよ。もっと読ませて欲しいな。……自転車三千大バク転先生」


 それは、更なる絶望の追加情報。

 小説投稿サイトやツイッターで使っていた、剣のハンドルネームだった。

 それを知っているということは、つまり。

 全部見られているということ。

 これまで書いてきた小説や、呟いてきた言葉の数々。異世界転生、チート、ハーレム。

 その全てを、目の前のクラスメイトは知っている。

 処刑寸前の囚人の気分。或いは蛇に睨まれたカエル。

 生殺与奪の権は、目の前の他人に握られていた。

 余計なことは何も考えられないほどに狼狽しきった剣の視界の中で、クラスメイトの口が動く。

 笑われる。からかわれる。大声で言いふらされて笑いものになる。

 また、あの日々が戻ってくる。

 嫌だ。でも、どうしようもない。

 諦めかけた剣の耳に。

 意外な言葉が聞こえた。


「なに死にそうな顔してんのさ。もっと自信持てよ。面白かったって言ってるだろ」

「………………………………へ」


 彼は携帯を操作し、剣の投稿した小説のページを開いて見せた。


「面白いと思うぜこれ。俺はオタクじゃないからこういうサイトは敬遠してたけど、うん。読めて良かった」


 感想なんて、一度ももらったことなかった。

 底辺の書き手だった剣にとって、それは。

 どんな不安要素も吹き飛ばせる言葉だった。

 彼は続ける。


「なんだろうな………こう、鋭いなって思うよ」

「鋭い………?」

「うん。熱いとか重いとか、薄いとか味があるとかじゃなくて、文章が鋭いんだ。そういうのは、嫌いじゃない」

「まじか………」

「でも、この長いタイトルはどうかと思うけどね。『勇者パーティに追い出された」

「ま、待った!読み上げるのはやめてくれ!………仕方ないだろ。そのサイト、滅茶苦茶作品多いから、普通のタイトルだと埋もれるんだよ………」

「………でもさ。君は、自分の子供に恥ずかしい名前を付けるのかい?」


 その言葉は、隕石めいた衝撃を与えた。

 自分の子供に?


「どういう………ッ!?」

「作品だって子供みたいなもんだろう?それに、他人に読み上げられるのが恥ずかしいようなタイトルを付けるなんて、そりゃ無責任ってものじゃないか」

「………」

「せめて胸を張れよ、戸塚。じゃないと、作品が可哀想だ」


 作品が、可哀想。そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 ただ多くの人の目にとまって欲しい。ただそれだけのために、サイトで読まれやすい長々としたタイトルを付けていた。


「………変える」

「いや、流石にそこまでは言ってないけども………」

「もっと良いタイトルを考える」

「でも、そうしたら読まれ辛くなるんじゃないか」

「関係ない。俺は………」


 あいつらと同じになりたくないから。

 そのあいつらが、誰を指すのか。

 クラスメイトは、瞬時に理解したようで。


「………そう悪く言うもんじゃないよ」

「何が分かるんだよ」

「………」

「ふざけた名前を付けられたことの辛さが、お前に分かるかよ!!」


 声が、荒れる。騒々しかったクラスに、剣の声が響く。

 静まりかえる。誰もが彼らを見る。


「何?」「喧嘩?」「うるさ」「ちょっと、やばくない?」「いや大丈夫だろ」


 そんな囁きが聞こえてきて。

 少しだけ頭が冷めた。剣は深く息を吐く。そして、ひどい台詞をぶつけた。


「お前みたいな平凡な名前の幸せなヤツに、わかるかよ………」

「まあ、わからないな」


 俺は普通だから。


「まあ、俺の言葉はお前ほど鋭くないから、多分届かないだろうけど、一応言っとくよ。………名前ってのは呪いじゃない。あれは、願いだ」

「………は、厨二かよ。痛いぞそれ」

「戸塚程じゃないさ。なんだっけ、あれ。召喚の禁呪詠唱第六節六六章『幻想より現れ出でよ」

「やめれ!」

「冗談だよ」

「冗談だから怒るなって?言われる側になってみろ」

「先に厨二かよってバカにしたのは戸塚の方だ。発言をバカにされる側になってみた気分はどうだ」

「………確かに。………悪かった」

「こちらこそ悪かったよ。もう高校生だってのに大人げなかった」


 チャイムがなる。休み時間の終わりを告げる音だ。

 急いで携帯をしまわなければならない。授業中に使っていたら没収される。

 電源を切ろうとした瞬間、ひとつの通知が表示された。

『 翔琉 さんがあなたを友達に追加しました』


「今度から感想はそっちで伝えるよ。よろしくな、戸塚」


 これが、後に親友となる二人の。

 戸塚剣とつかそーど浪野翔琉なみのかけるのファーストコンタクトだった。

 それからしばらく、剣は黙々と小説を書いては投稿し、翔琉は毎回ちゃんと読んでは感想を送ってきた。

 作品は子供みたいなもん。子供に恥ずかしい名前を付けるのか。この二言が、嫌に記憶に残っていた。ふと投稿作品のページを開くと、未完の作品が三つ並んでいた。

 どれも長いタイトルで、しかし書いていてやる気がなくなって投げたものだった。


 ────作品は子供みたいなもん。


 なんだか無性にむしゃくしゃしたので、終わらせた。

 それぞれの伏線を回収し、ラスボスを出して困難を解決させ、物語を完結させた。

 翔琉はその終わり方にも感想を送ってきた。

 二つは褒めてくれたが、一つのラストには難色を示した。


「うーん、いや悪いって訳じゃないんだけど………主人公が絞首刑でのバッドエンドはなあ………」

「いいだろ。もうああするしかなかった。敵を有能にしすぎたし………主人公が許されるには、罪を重ねすぎたキャラ造形だったから」


 完結させれば、見えてくるものも変わる。

 物語の書き方が、分かった気がした。

 変わったのは見方だけでは無い。

 ある日、剣がクラスの人気者である翔琉と仲良くするのを、よく思っていない何人かに放課後、囲まれたことがある。彼らは、剣の名前が変だと言ってからかった。久しぶりの体験だった。

 彼らを押しのけていけるほどの力は無かった。ただ、耐えて無視していれば、いなくなるだろうと思った。

 けど、見誤っていた。

 彼が身につけた処世術は、完璧では無かった。反応を返さない剣、ツマラナイ剣。彼らはそれに、激昂した。

 無理にでもこちらを向かせようと、一人が腕を振り上げて。

 気がつけば剣は、思いっきり後ろに倒れていた。痛みは、よく分からないが、殴られたのかとぼんやり思った。

 大柄な奴だった。再び殴ろうと、殴りやすくしようと、胸ぐらを掴みに手を伸ばすのが見える。剣は感情を殺した。黙っていれば、そのうち去るだろう。その姿勢が、更に油を注いだらしい。

 再び、拳が振るわれそうになり──。


「やめろ!!」


 割って入ってきた、ヒーローみたいな奴がいた。

 そいつは、剣を掴む相手の腕を握り、強く圧迫した。

 数秒も持たずに、手を開く。剣は自由の身となる。

 乱入者は、言う。どうやら事情は既に察していたらしかった。


「は、なんだよ。多少名前が特徴的なだけでよくもまあ、そこまで騒げるな。小学生かよ、馬鹿馬鹿しい」


 そして、剣の荷物を素早く仕舞い、リュックを持たせて言った。


「ほら行こうぜ、剣。モブなんか放っておいてさ」


 呆気にとられる彼らの前で、剣の腕を引っ張って、翔琉は教室から出て行った。

 腕を引かれながら、剣は呟く。


「……ありがとう。でも、良かったのかよ」

「友達助けるのなんか当然だろ」

「でも、向こうとも仲良かったじゃん」

「ああ。でも、理屈も通ってないような理由で誰かを傷つける奴は、それが友達でも味方はしない」


 正直、眩しすぎた。世の中にこんな凄い奴がいるのかと、驚嘆した。こんな、物語の中のヒーローそのものな人間がいるなんて、思ったことすら無かった。


「悪かったな、剣」


 帰り道の分岐路で、彼は言った。


「あいつらにはちゃんと言って聞かせるから」

「いや、いいよ。俺の名前が普通じゃ無いのは、俺が一番よく知ってるからさ。……だから、お前が悪意を込めてないのはよく分かるけど……やっぱり、名前を呼ばないでくれると助かる」

「……なら仕方ねえなあ。ま、無理に向き合う必要は無いけどさ、俺は好きだぜ。名前も、それにそうやって立ち向かうお前もさ。それに、主人公感すげえし。

 考えてみろよ、戸塚。孫悟空なんて名前いないだろ現実に。……派手な名前は主人公の特権だぜ」

「ああ、でも、まだ受け入れられないんだ。けど、翔琉がそんなに言ってくれるなら、いつかは受け入れて、胸を張れるよう、努力したいな」



 高校一年の冬に、翔琉と出会った。

 そして今は、三年の夏。

 一年と少しの間に、剣は五つの物語を作り、終わらせた。

 そのどれも大きな人気は出なかったけれど、着実に面白い物が書けるようになっているという実感があった。そして同時に、一度始めた物は終わらせる、責任を持って完成させるという、創作に向き合う姿勢も得た。

 翔琉はいつも感想をくれた。

 気がつけば、二人は親友になっていた。


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