第一話 戸塚剣

「待てやごらアッ!」

「くっそ、くそくそくそ、なんでこんなことになってんだあよおおおおおおお!!!」


 少年──戸塚剣とつかソードは住み慣れた町の夜を駆けていた。


 およそ戸塚剣の記憶の中で、何かが上手く運んだことなど数えるほどしか存在しない。

 そもそも彼自身の名前からして相当なハンデめいていた。剣と書いてソードと読む、異様にキラキラした名前は、今は亡き両親から付けられたモノ。この名前のせいで、彼はどこに行っても悪目立ちした。病院、学校、エトセトラ。望んでもいないのに笑いものにされる毎日。虐めとまでは行かずとも、彼はいつでも笑われた。そんな経験を重ねてきたのだから、当然性格は暗くネガティブになる。そうなれば必然、運気も下がるだろう。正確には、彼の主観が、己は不幸であると認識し始める。そして上手くいかないことだけが記憶に残り続けていく。


 おそらく、いや確実に。


 今夜のコレも、そんな大量にある記憶の中の不運のカテゴリに刻まれるだろう。


 ちらりと後ろを見れば、八人。見るからに俺たち好き勝手に生きてますと言わんばかりの不良の皆さんが、剣めがけて全力疾走中であった。


 わりとキロ単位に届くぐらいには走っているのだが、一向に諦めてくれる気配がない。八人という数がそうさせるのか。彼らはむしろ加速してさえいるように見える。立ち向かっても敗北は必然なので逃げに徹する。中学までやってた剣道で培った技量は一対一専用だし、獲物がなくてはそのタイマンだってまともにできない。そもそも剣は剣道が嫌いだ。中学校で嫌いになった。なので長物があっても闘争より逃走を選択していただろう。


 こうなるんなら素手でできる合気でも習っとけばよかった、と。


 呻きながら点滅しつつある十字路に駆け込んで横断歩道を突破する。

 赤信号に変わったが、社会への反抗者達(笑)は平然と無視。赤信号、皆で渡れば怖くない。車通りの少ない深夜の田舎道を、追跡者達は駆けていく。


(クッソ、ほんと、なんでこんなことに……!)


 呻く剣は、どこで選択肢を間違えたのか、記憶の中を遡る。


 そもそもの始まりとなるイベントは、学校で親友の翔琉と別れ、塾へ向かい、数時間に及ぶ責め苦のような時間を終え、開放感に包まれながらちょっと贅沢な夜食でもしようかとファミレスを覗き込んだところで起きた。

 いまどきこんな不良がいるわけないだろ、ってレベルの金髪やらモヒカンやらがまず目に入った。この時の人数は二人。流石田舎すげえのがいる、なんて考えながら席に向かうと、角度が変わったからか、その二人に絡まれて迷惑そうにする女性が一名。

 ここで無視すれば良いものを、田舎のファミレス、しかも深夜である。他に客は誰もおらず、そして彼女と目が合ってしまえば、無視して食べてるわけにもいかない。仕方ないから助けてやるか、と思ってしまったのだ。そして二人からならなんとか逃げ切れるだろうと考え、浅はか極まる行動を選択してしまった。つまりまあ、ファミレスから出て、駐車場にあった彼らのものと思われるバイクを蹴っ飛ばしたのである。想像以上に凄い音を立てて、バイクは倒れた。ドミノ倒れた。


 ドンガラガッシャーーーン。


 深夜の田舎町に響く転倒音。

 倒れたバイク、合計八台。


 八台?


 暗くて見えなかったがなんでこんなに、なんて思っている暇はなかった。

 タイミング良くトイレから二人、向かいのセブンと隣のツタヤからも二人ずつが出てきて、剣の暴虐をしっかりと見ていたのだ。あとはまあ、書く必要も無いだろう。

 あのファミレスのトイレ、男子用は二つだけだったらしい。


「トイレはこまめにいっとけ!!」

 お兄さんとの約束だぞ。

 約束なんかしてる場合ではないが。

 振り向けば全力疾走する八人のチンピラ。

 つかず離れずの距離を維持して剣は逃げる。理由は二つ。バイクを持ってこさせないためと、地の利が向こうにあるからだ。振り切ってしまえばむこうはバイクがあることを思い出して取りに行くだろうし、近道やら先回りの道も向こうの方が知っているはずである。

 学校サボって昼間からうろつき、夜遅くまで仲間とつるむ連中だ。近道も行き止まりも地図にはないショートカットも、不良の方が把握している可能性は高い。

 となれば剣の勝利条件はただ一つ。向こうのスタミナ切れを狙うことだけ。

 ニンジンぶら下げさせた馬のように、向こうをひたすら走らせてぶっ倒れさせる。

 無論それがどれだけ困難なのかは分かっているが。


「くっそ追いつけねえ!」

「増援呼ぶか!?」


 不味いアイデアが聞こえてきた。とっさに剣は挑発する。


「数集めなきゃ追いつけねえのか!?この雑魚がよォ!!亀!のろま!!さすがは社会の流れについて行けなかった皆さんだ。オタク一人にすら追いつけないと見える!!」

「「「「ぶっ殺す!!」」」」


 危ない危ない。増援を呼ばれたら確定死だ。安い挑発に乗ってくれて助かったが、しかし以前状況は変わらない、というか悪化している。

 一級河川に数えられる、花火大会御用達の川と橋が見えてきた。

 最悪だ。

 ここまで逃げ切れていたのは、向こうに数があったからだ。八人という人数から来る慢心で。加えて、市内の歩道は広くない。大人数で走っていれば、先が詰まる。この二つの要因から、彼らの全力疾走が封じられていた。

 けれどこの橋を越えてしまえば、車通りの少ない深夜の更なる田舎へ向けて一直線だ。車を気にせず車道に出れるし、となれば向こうは加速してくる。

 できればここまででぶっ倒れてほしかったが、無理だったか。

 こうなるといよいよ橋の向こうにある菓子工場にでも逃げ込むしかないように思えてくる。


(勢い付けて飛び込めば、柵越えらんねえかなあ)


 その発想も、どこか冷静な頭が即座に却下する。


(無理だろうな。俺にそんな身体能力は無い。登ってる途中で追いつかれて死ぬ)


 全身にまとわりつく諦めムード。


(ここまでか……)


 ほんとに良いことのない人生だった。

 まずこんな名前で、剣なんていうキラキラネームで生まれたことが間違いだろう。それでも両親からの溢れんばかりの愛でも注がれていたのなら、少しはマシだったかもしれないが、しかしその両親は幼い頃事故に遭って亡くなっている。祖父母は惜しみない愛をもって育ててくれたが、その欠乏は埋められない。


(どうせ困難を切り開いてほしいなんて願いから付けたんだろうが、おあいにく様だ。

 あんたらの息子はこの名を嫌って、逆らって、逃げてばっかのチキンですよ)


 いつもの卑屈が顔を出す。

 諦めかけて冷静になったからか、背後から来る罵声も大きくなったように思える。


「まて!」


 待つかよ。無視して駆ける。


「あれ見ろ!」「なんだありゃ……!」


 見ねえよ。後ろは振り向かない。ただ全力で足を動かす。


「ひい……!」「逃げようぜ!」


 逃げ、え?

 何が起きたのか気になった剣は背後を向いて。


「え」


 目を疑った。

 そこには、非常識な世界が広がっていたから。


「長なああああああある髪をば五つに分けえええええええええ、五つのおおお角にいいいいいいいいいぞ造りけええええええええええええええええええええる」

「離せ、離せえええ!!」


 不良の全身に巻き付く、数え切れない藁、藁、藁。うわあ触手みたい、なんて間抜けな感想が過ぎるのは、それがあまりに非現実的すぎるからか。

 少なくとも、彼が知っている生物の中に、それはいなかった。

 タコの触手のように蠢く、藁でできた長い腕。不良を掴み、大人と変わらないだろう体重を苦も無く振り回している。

 それは、巨大な藁人形の怪物だった。


「いいいいいいいい。夜更かしはしちゃあいかぬでしょおおおおおうが」


「なんだ、これ」


 とても現実とは思えない。滑稽な夢かなにかだろう。しかし、全身を犯す疲労感は、間違いなくさっきまで走っていたことから来るものである。ならばこれは現実なのか。

 そんなはずはない。だって、あり得ないだろう。常識的、科学的、普通に考えてこんなことはあってはならない。

 ついさっきまで追いかけてきていた怒れる追跡者たちは、より上位の恐怖に飲み込まれていた。彼ら八人を縛るのは、藁でできた長い腕。そしてそれの持ち主は、今なお呻き声を上げる、全長五メートルはあるだろう藁の怪物。

 昆虫のようにコンクリートを踏む四本の足と、おぞましく動く八本の腕。頭と思われる箇所は巨大な立方体。正面と思われる方には、古いPCを思わせる画面が鈍く輝いており、女の能面が表示されていた。その額には五つの蝋燭が生え、ゆらゆらと炎が燃えている。頭部以外藁で構成された体だが、その藁の間から小さな瞳がいくつもこちらを見つめていた。人一人分はあろうかという大きさの釘が胸の部分を深々と串刺しにして、そこから赤色の、血液にしては粘度が高く、狂いそうになる腐臭を放つ液体が零れ滴り落ちている。


 異形。


 少なくとも現代にいて良い存在ではない。

 剣の足は完全に止まってしまっていたが、心と頭が全力で、危険信号を放っていた。


 逃げろ──逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ、逃げろッつってんだろうが!!


「わるいいいいこおおおおだ。おおおまああええええええは、何だあああ。あああああああああああああああ──、酒井ケンイチ。そっっっっっちは渡邊ヤスハル。合田ダイキ。早瀬シンタロウ。緑川リュウジ。中沼サトル。世良ジュン。山本リキヤ。おまえらずいぶんと、嫌われてるな」


 耳がきくことを拒否するような、地獄めいた声が響く。

 それは名前を、八人のフルネームを告げると同時に、いきなり理知的に、嘲笑するものへと変化した。


「かわいそうに、かわいそうに。底辺たちが集まって、夜な夜なみんなで現実逃避。バイク、酒、煙草にお薬。でも無意味。無駄。無価値。君らがなにをやったとしても、どんな未来も待ってないw。何も生めない底辺どもは、一生社会の笑いもの。せっかく良い名をもらっても、何も行かせずはいおしまい。賢さで一番になれよケンイチ。最後に受けたテストの点はひどかったなあw。すこやかに晴れ晴れと生きてくれヤスハル。ドラックで体壊してるねえ何年生きられるのかな。大きく輝けダイキ。ほら、輝いてみろよ。一番最初先陣切って進めシンタロウ。お前はさっき一番後ろを走ってたよなw。隆々と成長してほしいリュウジ。体だけ大きくなっても(汗)。悟れよサトル。短い人生で悟れたことなんてレイプの方法だけしかない。純粋に生きろジュン。純粋というか君は、ただの無知だ。誰にも負けない力持ちになれリキヤ。仮になれたとしても、肝心なところで振りほどけなくちゃ意味ないよなあwwwwwwww」


 不快な言葉が夜を犯す。不浄な言葉が脳を揺らす。

 笑ってる。嘲笑っている。表示された能面の口がぬるぬると動き、生理的な嫌悪を伴いながら、不良達をなじっていく。恐ろしいことに、その言葉は可視化されていた。能面の口から言葉が次々と湧き出ているのが視認できた。


「無駄無駄みんな無駄、迷惑しかかけてない社会のゴミに居場所はなし。皆そう思ってる。先生、友人だった人、片思いしてる人、幼なじみ、家族、知り合い、どこの誰もが皆思ってる。あいつら早く死なねえかな。だからこうして僕が来た。処刑するため僕が来た」


 ギリギリ、ギチギチ。

 きつく締めるのは、不良の首だった。

 きつく、けれどすぐには死なないように。

 苦しめている。そしてそれを楽しんでいる。バッタの足をもいで道路に置く小学生のような悪意の表出。

 しかし同時に違和感も覚えた。どこか演じているような、楽しんでいる振りをしているような、そんな違和感。証拠はないが、そう感じた。

 この隙に、感じている間に、逃げることはできたはずだ。

 死ぬのは不良達で、彼らを救う義理もなければ必要もない。むしろあの怪物が言ったことが本当なら、こいつらはいくつも法に触れている悪人だ。

 なら、死んで良いか。

 いいや、良くない。それはおかしい。

 では、それは何故だろう。何故おかしいと思ってしまうのか。その理由を、言葉にする。

 理由もなく命を賭けれるほど、剣は正義の味方じゃない。だから、賭けられる理由を探す。

 例えば、そう。彼らにだって、死んで悲しむ人はいるだろう。とか。

 いるのか?こいつらに?

 いるさ。いるに決まっている。

 少なくとも、一人につき一人ぐらいはいるはずだ。

 そしてこいつらは八人。つまりここでこいつらを見殺しにした場合、俺は助かるが最低八人が悲しむことになる。対して、俺がこいつらを助けて死んだ場合、八引く二人で五人分は悲しみが減る。


(ごめん、じいちゃんばあちゃん)


 なら、選ぶべきはただひとつ。

 理由は見つけた。これで存分に命が賭けられる。


「おい、藁人形」


 勝算はなかった。


「この辺で終わりにしよう。それ以上したらそいつら死んじまう」


 そもそも勝負することすらできない。その土俵には上がれていない。こちとら不良八人に追いかけられて逃げるしかない凡人。多少名前が派手なことしか特徴が無い。嫌すぎる特徴だ。

 向こうは、剣が逃げるしかなかった八人を、捉えて離さない常識外れの怪物。

 一般人である剣が勝てる道理は、皆無だ。


「取引しようぜ妖怪さんや。俺にできることなら何でもやるからさ。そいつら、解放してくれよ。なあ、何が欲しい?言ってみろよ」


 なので、勝負は選ばない。交渉でケリをつける。


「お前、なんで止める。こいつらが死ねば嬉しいだろう」


 怪物は、不思議そうに口を動かした。その藁は予断なく、不良の首をギリギリと絞め続けている。


「ああ、正直言えば嬉しいさ。でも悲しむやつだっている。だから止める」

「悲しむやつなんていないだろw。こいつらはゴミだw。ゴミは捨てるものだw」

「……さっきから聞いてたら、wだの(汗)だのゴミだのなんだの、罵倒のレベルが低いんだよな。聞いてて腹立ってくるぜ」

「何……?w」

「だーかーら、お前の罵倒は小学生レベルってこと。いや今時の小学生はもっとガンガン罵倒するか。ならそれ以下だな。……っと、怒らないでくれ。まだ話の途中だ。そこで、俺からひとつ提案があるんだが、俺がお前に罵倒の語彙を教えてやるよ。こう見えても作家志望でさ俺。ほら見てくれよ、いつも辞書持ち歩いてんだぜ。だからさ、罵倒の語彙教えてやるからそいつら解放してくれよって話なんだが……駄目か?」


 取引材料にしてはあまりに貧弱な手札で自分で言ってても笑えてくるが、これ以上だともう命しかない。初手で命を切るのは、愚か極まるだろう。なら、まずはこいつをぶつける。

 案の定、怪物は首をかしげた後、喜悦の声で返答した。


「笑。いらない」

「だろうな。なら、俺の命と交換でどうだ。そいつらみたく不衛生じゃないし、ばあちゃんが栄養に気を遣ってくれてるから、食べればかなり美味いと思うぜ。その口で食えるのか分からねえけど」


 交渉術なんてものを軽くでも調べたことがあるなら分かるだろう。有名な手だ。まず、絶対に受け入れられないような無理な頼みをして、断られてから本命を出す。そうすることで要求が通りやすくなるという。

 怪物は、今度は少し悩む素振りを見せた。

 よし、ダメ押しだ。


「それにさ、考えてみろよ。ゴミを潰すのとそうじゃないのを殺すの、どっちが価値ある行いだと思う?」

「……!」

「わかったな。わかったらさっさとそいつらを」

「わかった。どっちも殺すのが一番楽しいわw」

「……オーケーここで交渉決裂だな。なら、プランBだ」


 上手くいかない。そりゃそうだ。なにせ剣の人生は、いつだって上手く進んだことがないのだから。

 だからこそ、彼は最悪を想定して動いている。今だってそう。不良も自分も皆殺されるのが一番悪い展開だ。なら、対策ぐらいは講じるだろう。


「後悔すんなよ」


 剣は辞書を大きく振りかぶり。

 外野手の遠投がごとく、怪物の頭部めがけて投げつける。

 正確には額から生えた、蝋燭へと。

 もちろんそれだけでは蝋燭は折れなかった。しかし、紙の束である分厚い辞書は、炎に飲まれてメラメラ燃える。燃えながら、藁の体へ降り注ぐ。


「あ、あづッ」

「草タイプには炎技。公式より先に覚える常識だろ」

「あづいいいいいいいいいいいいいい!!」


 自分より腕力のあるだろう不良でも振りほどけない脅威。それを崩すのなら、相手自身の力で自滅させる。

 効果は抜群だ。藁人形の体は、自分の炎で焼かれていく。熱さや痛みを感じるのか、その体は全力でのたうち回る。回りながら、手を離す。不良達が放り投げられる。彼らは受け身も取れずコンクリートに叩き付けられたようだ。


「があッ!?」「ゲホッ……」「げェ……ッ!」


 しかし生きている。拘束を解かれた不良達は、まだギリギリ生きていた。


「逃げろ!!」


 剣が叫ぶまでもなかった。彼らは自由の身になったことを知ると、次々に元来た道を走り出す。中には動けない仲間を背負う者もいた。彼らの中にも、ちゃんと友情があるらしい。

 苦しむ怪物は、彼らにもう目もくれなかった。

 ただ全身の瞳という瞳で、剣に殺意を向けている。


「戸塚剣!!」

「名乗った覚えはないんだが。……名前は嫌いなんだ。戸塚と呼んでくれ」

「剣おおおおおおおおおお!!」

「ぐ……」


 全神経を集中させても無理だった。これまでの人生で体感したことのない速度で迫った藁の腕が、剣の首をきつく圧迫する。

 酸素が回らない。脳にまで来ない。いや、それどころではない。振りほどけないなんてレベルじゃない。


(こいつ、首を締めて、切り落とそうとしてやがる……!)


 骨が軋みを上げているのが分かる。血管はだいぶ逝ってそうだ。このままでは間違いなく死ぬ。死ぬ、死ぬのか?俺は。

 まあ、いいかと。

 そんな思考が頭を過ぎる。


(結構、頑張ったよな。あの不良だって逃がせたし。こいつに一矢も報いれた。何もできずに死ぬよりは、はるかに良い結果が残せてるはず。それに、ここで逆らったらさ……、

 それって滅茶苦茶、「剣」っぽいことしてることにならないか?)


 相手は藁だ。仮に火事場の馬鹿力とかでこの藁を千切れたとしたら。

 切れたとしたら。

 それは、ものすごく、「この名前らしいこと」をしていることになる。

 それは嫌だ。認められない。それよりだったらここで死んだ方が百倍マシだ。


「さあ殺せよ、怪物。どうせお前も燃えて死ぬだろ」


 かすかに、ほんの少しだけ肺に残っていた酸素を声に変えて紡ぐ。


「同士討ちなら、まあいいや」


 けれど、自分の骨が砕ける音は聞こえなかった。


 なぜなら、乱入者が──


 金髪で小柄で、派手なパーカーを着て数え切れないアクセサリーやキーホルダーを付けた少女が、


 藁の腕を噛み千切ったから。


 藁の腕が途中から切り裂かれ、剣の首を絞めていた部分が力なく解れて散らばる。


 解放された剣は思い切り尻餅をつき、激しく咳き込む。

 涙で霞んだ視界の中に、彼女は仁王立ちしていた。

 噛んでいた藁を吐き捨てて、一言


「不味い」


 轟くような、雷鳴めいた声だった。

 その一言で、場の空気が塗り替えられたのを、剣は直感する。

 あのおぞましい藁の怪物とは違う、あるいはそれ以上の。

 人の姿をしているだけの怪物。そんな言葉が頭を過ぎる。

 だからだろう。とっさに剣は、問いかけた。


「お前……何者だ」

真名覚醒者ネーム・ホルダー。言葉が形を得た言霊を狩る、真名を武器にするものだ」

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