第6話 レーザー盗聴器実装

 駐車場を出たターゲットの乗る自動車を追って、マスターのミニバンは川端通りに出て左折した。

「あの車は何ていうんですか」

 機械には疎い鈴音が聞くと、マスターは即座に答えた。

「あれはトヨタのクラウンです。ちなみにこの車は三菱デリカです」

 どちらも何となく聞いたことがある名前だ。鈴音にとってクラウンはよく見かける高級そうな車というイメージだ。

「自家用車は意外なところで知人に見られたりするものです。相手の車に乗り換えるのは、かなり怪しい行動ですね」

「そうですか?。誰かと御飯食べに行くときはお店の駐車場が少ないから一台に乗り合わせたりしませんか」

 マスターは運転しながら考え込んだ。

「そうか、僕は密会を前提に考えてばかりいたけど、その可能性もあるんですね」

 何をするにしても思いこみで判断するのは禁物だ。

 鈴音達が追跡するクラウンは、鈴音とマスターが待ち合わせをした出町柳駅の辺りを通り過ぎて川端通りを南進した。

 川端通りは鴨川沿いの南北の通りで、河川敷との境には桜並木がある気持ちのいい道だ。

 冬枯れになった並木越しに鴨川の河川敷に舞い降りるカモメの群れも見える。

 自動車数台をはさんで追跡するマスターのミニバンは丸太町通りや御池通との交差点でも信号に引っかかって置き去りにされることなく順調に尾行を続けた。

 広田さんの奥さんが乗り合わせたクラウンは三条通をこえて更に南に下り、四条大橋の交差点の手前でウインカーを出した。

「祇園方面に行くのかな」

 マスターがつぶやいたが、彼の予想に反してクラウンは交差点の手前にあるカフェの駐車場に入っていった。

「赤いモミの木に来はったんですね」

「鈴音さんも来たことがあるんですか?」

 マスターはクラウンを追って駐車場に入るかそのまま通過するか逡巡しながら鈴音に尋ねる。

「赤いモミの木の大きなホットケーキは有名ですからね」

 鈴音はマスターの緊張感に気づかないままのんびりとした言葉を返す。

 川端四条交差点の北側には老舗のレストランや京の町屋風のバーが並んでおり、赤いモミの木もその一角を占める。

 昼間はカフェ、夜は雰囲気のいいBARとして営業する有名店なのだ。

 問題のホットケーキは上から見たら普通の大きさだが高さが二十センチメートルはあるビッグサイズで、季節に応じた期間限定のトッピングを楽しめる名物スイーツだ。

 その界隈は四条河原町にあるデパートで買い物をした後で、お茶してから電車に乗って帰るのにちょうどいいロケーションだ。

 鈴音も買い物に来たときに何回か赤いモミの木を訪れたことがあった。

 四条大橋の交差点の信号が赤になったので、マスターのデリカはちょうど赤いモミの木の駐車場前の道路に停車した。

 「鈴音さんカメラを取ってください」

 鈴音もさすがにマスターの声に急いでる気配を感じて、手早く一眼レフデジタルカメラを手渡した。

 マスターは鈴音からデジタルカメラを受け取ると、助手席のウインドウ越しパシャパシャと写真を撮っている。

「窓を開けなくてもいいのですか」

「今窓を開けたら光線の関係で車内が見えてしまいます。この距離でも、車の中からカメラを向けているのが見えたら気づかれます」

 鈴音の問いにマスターはファインダーを覗いたままで答えた。マスターは明るさの違いとミニバンのウインドウの反射率を計算しながら、気付かれないように行動しているらしい。

 広田さんの奥さんと連れだって歩いているのは三十代の前半くらいの渋い雰囲気の男性だ。

「店内が満員でウエイティングになっていますね。今僕たちが店にはいると席が空くのを待つ間に間近で顔を見られるので具合が悪い」

「それでは、この辺から見張ったらどうですか」

「定石どおりにいくとそうなります。でも僕は二人の会話を盗聴したいんですよね」

 盗聴という言葉に鈴音はどきっとした。よく盗聴器発見サービスとか広告でも見かけるからだ。

 マスターみたいな虫も殺さないような好青年が盗聴器を仕掛けるなんて反則だと鈴音は思う。

「でも、コンセントのタップ型とか結構知名度が上がってしまったし、仕掛けに行くと当然相手の目にもとまりやすい」

 それはそうだと鈴音は無言でうなずく。

「今日はちょうど鈴音さんも手伝ってくれるので、レーザー盗聴器を試してみようと思うのです。車の外で受信機を持って立っている役をお願いできますか」

「いいですけど。私にも出来るのですか」

 そこまで話したときに信号が青に変わったので、マスターは後続車の邪魔にならないように左側の歩道に乗り上げて止まった。

 マスターは座席の間を歩いていくと、三列目の座席に置いてあったバッグから何か取り出してきた。

 ドライバーズシートまで戻ってきたマスターが鈴音に手渡したのは、一辺が二十センチほどの立方体の黒い箱に、派手な赤いリボンが付けてある代物だった。

「これを胸の辺りに持って、赤いモミの木の駐車場脇の道路に立っていて欲しいのです」

「こんな派手なプレゼント系の箱抱えて立っているって、どういうシチュエーションを想定しているんですか」

「いやほら、連れの人と待ち合わせしてるとかあるでしょう?」

 そんなんありえへんしと思って鈴音は箱を持ったまま肩をすくめた。

 しかし、マスターは鈴音の考えには気づきもせずにレーザー盗聴器の説明を始めた。

「ご存じだと思うけど音というのは空気の振動です。もし窓ガラスの傍で会話をしていたら、音を受けてガラスも振動しています。ここまではわかりますね」

 鈴音はうなずいた。

「レーザー盗聴器は会話が行われている近くの窓ガラスにレーザー光線を当てることによって窓ガラスの振動をレーザー光で拾って、再び音にするシステムです。」

 鈴音は自分が持っている箱に目を落とした。この目立つ箱がレーザとどう関係があるのだろうと不思議に思っているのだ。

「問題は、ガラスに当てたレーザーは反射するときに音の情報を持つけれど、ガラスに入った角度と同じ角度で反射してしまうことです。反射したレーザーをどうにかして受けないと盗聴することは出来ません。今日は鈴音さんがいるからやっと試すことが出来ます」

「そんな高度なことが出来る機械ってものすごく高いんじゃありませんか」

 落としでもしたら大変だと思いながら鈴音はプレゼントの箱に偽装されたレーザー受信機を見た。

「自分で作ったから、五千円もかかっていませんよ。必要なのはレーザーの発信器とカドミウムサルファイト系の光伝導セル、そしてピックアップした音声を増幅する回路ですからね。その箱の表側に、レーザー光を受けるための窓が開けてあります。僕が目標の窓ガラスに当てて反射してきたレーザー光をその箱を使って受けて欲しいのです」

 この人は何処でそんなスキルを身につけたのだろうと考えるうちに、鈴音はマスターの素性を殆ど知らないことに思い至って何だか薄気味が悪くなった。

「でもどうやったら、反射したレーザーを受けているってわかるんですか」

「するどいですね」

 マスターは鈴音の方に身を乗り出すとダッシュボードを開けてプラグタイプのヘッドフォンを取り出した。

「鈴音さんはスマホを持っていましたよね。このヘッドフォンをスマホに繋いで音楽でも聴いているような格好で立っていてください。僕がスマホ経由で立ち位置とか身体の向きを指示するのでその通りにしてくれたらいいのです」

 本当に盗聴出来るのかと疑問を抱えた鈴音は、リボンの付いた箱とマスターの顔を交互に見ながら不安を隠せなかった。 

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