第11話

 幸い、急ごしらえではあるが、こちらには備えがある。もちろん経験も。

 鞄も穴が開いているとはいえ、あと一回くらいは盾として使えるだろう。突撃をしっかりと防ぎ、口に気を付けながら地面に押さえ込んで、ペンを首の根本にズドン、だ。

 さあ来い、お前の力量は分かった。あとは・・・それを行動にするだけだ。


 例のように、警戒しながらも斜に構え、こちらへのそのそと近付いている。

 心臓は高鳴りつつも、心は冷静だ。大丈夫、やれる。

 鞄を強く握り直し、唾を一飲みする。


 俺が目線を逸らしたら始まりの合図だ。お前は必ず狩りに来る。


 そうして、先の戦い同様、目線を外した。

 今度は意図的に。


 ――――瞬間、駆ける襲歩しゅうほが響く。


 素早く目線を戻す。やはり狙い通りの動きをした。奴はこちらに向けて走り出している。

 俺は前傾姿勢を取り、半身に構えて体を鞄に押し当てるようにして衝撃に備える。

 大丈夫、体重は俺の方が重い。踏ん張るだけだ。


 鼻先が鞄に触れる。刹那、速度に上乗せされた質量が鞄を通して腕に伝う。

 それを押し返して。


「よし、うまくいった・・・っ!」


 チビトプスをはじき飛ばし、仰向けに倒れたのをすかさず鞄で押さえ込み、馬乗りになるようにして膝で押さえ込む。

 どうにか俺を退けようとして足をじたばたと暴れさせるが、甲斐なく空を切る。

 完全勝利だ。


 あとは、コイツの首にペンを突き立てるだけ。それだけだ。


「・・・っ」


 それだけ、なのだ。


「クソ・・・ッ!」


 それだけなのに、手が震えて仕方がないのだ。


「コイツは魔物で、ここは異世界で。そしてコイツは俺を食おうとして・・・っ。だから、だからいいんだ、いいだろ・・・ッ!」



 俺は葛藤していた。

 

 『本当に殺していいのか』と。


 今この瞬間、コイツに襲われ殺されかけたはずなのに、まだ俺はこの生き物に”情け”をかけてしまっているのだ。

 殺すということは、殺すということだ。

 俺が、この手で、命を奪うということなのだ。


 コイツにだってきっと痛覚はあるだろう。

 俺は素人だから、一発で仕留められないかもしれない。そうなったら、きっと苦しいだろう。

 家族だって、居るのだろうか。


「ああ、もう!」


 だんだんと息が上がってきていた。

 情けをかけてしまっている自分が、情けなくて仕方がない。


 悔しくて、仕方がない。


「は・・・っ、くっ」


 本当にどうしようも無いヤツだなあ、と。自分でもそう思う。



 俺は、涙を流していた。



 俺は、コイツを殺したくないんだ。


「ごめん・・・ごめん」


 何に謝っているのかだって、俺にも分からないんだ。

 けれど、こうなってしまったらもう無理だ。


 俺には、コイツを殺せない。


 俺はゆっくりと、そいつから離れた。

 まだほぼ無傷なのも、そいつがまだ戦う意思があるのも分かって離れた。


 俺が殺せなかった時点で、この勝負は俺の負けだったのだ。


 だから、すぐに跳び起きて、俺に襲い掛かろうとしているそいつの攻撃を、俺は防ごうともしなかった。

 心が、折れていたから。



「・・・全く。甘いなあ、若いの」



 そのしゃがれ声が聴覚を揺らすのと同じくして、目の前の”肉”が二つに分かたれていた。

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