第9話

 けれど、群れの方はひなたぼっこをしているようで、まだこちらに気が付いてないし、距離も倍近くある。今ならまだ引き返せそうだ。

 ・・・が。


「どう見たって臨戦態勢、だよな」


 一匹狼の方は円を描くように首を振り、フルルルと鼻息を鳴らしてこちらにジリジリと近づいてきている。

 半身でこちらを見ながら斜めに距離を縮めるその行為は、まんま猫が獲物を見つけた時の動きそのものだ。


 今からでも来た道を引き返すのはどうだろうか。

 その場合、一日以上は何もないとわかっている道を、未だ安全かは保障されていない道を戻ることとなる。ダメだ、そんなことをしていたらいつ野垂れ死にしたっておかしくない。

 さらに迂回してみるのはどうだろうか。

 この今にもとびかかってきそうな魔物を引き連れながら、あるか分からない安全なルートを探しつつ、別の魔物との接敵も避けながら?

 どちらも現実的ではない。むしろ生存率を下げていると言っていい。


 なら、戦うことを選ぶのはどうだろうか。

 どこかで聞いた話だけれど、戦闘において質量は絶対だそうだ。どうにか埋められる質量の差は二倍が限度だとか。

 それが事実ならば、あのバケモノと俺では、ややこちら側に軍配が上がる。体躯はこちらの圧勝、体重も奴より低いとは考えられない。となれば。


 ・・・戦闘を避けられないのなら、やるしかない。

 そう決意し、鞄を両手に持った。

 戦い方なんて知らない。だから、鞄を盾にして、あとは蹴ったり・・・でいいのだろうか。

 と言うか、周りに別の個体がいたりとかしたらまずいか?


 なんて、考えた一瞬。目を逸らしたのが命取りだった。


「まず・・・っい゛っ!?」


 その風貌からは想像もしなかった速度で一直線に俺の方へ向かい、跳んでいる。

 猪突猛進と言うに相応しい。


 反応が遅れはしたものの、咄嗟に鞄をソイツに向けて構えることは出来た。

 その甲斐あって鼻先の角は鞄でどうにか防いだ。

 しかし、右前足の硬い爪が鞄を押さえていた左手に強くぶつかり、さらに顔を防がれて仰け反った後ろ足が運悪く鳩尾みぞおちに入り込む。


「クソっ!」


 それに留まらず、速度が乗った上に全体重をぶつけられている。足の踏ん張りなど利くわけも無く、尻餅をく形で吹き飛ばされた。


まずい、まずい、まずい、まずい。食われる。死んでしまう。いやだ、いやだ、いやだ。


「やめろ、やめろ!!」


 鞄を捨てるようにして押し退け、右足で蹴り離す。

 すぐに立とうとするも、ソイツは依然襲い掛かってくる。


「こっちくんな!」


 倒れたまま体を横にし、不格好にも一心不乱に振りかぶった右足が、ソイツの耳と顎の間に見事にクリーンヒットし、振り抜いた。


「あ?」


 蹴られた方に120度ほど回転し、こけたかと思えば、興奮状態のままどこかに走り去っていった。

 ・・・なんとかなった、のか?


「・・・う゛ぇッ」


 くそッ、今更になって蹴られた鳩尾が響いてきやがる。

 左手の甲からもかなりの出血をしている。けれど、奴の爪が鉤爪じゃなく蹄で良かった。鉤爪だったら今頃肉は裂けていただろうし、そもそも爪が服に引っかかって振りほどけなかっただろう。


「痛い、痛い・・・っ。・・・死ぬかと思った」


 鼓動が鳴り響く。首の方まで脈が打っている感覚がある。


 ・・・人生で初めて死を意識した。

 正直、舐めていた。

 蜂にすら臆するような矮小な民族出身とはいえ、”本気になれば勝てるだろう”なんて、高を括っていた。蜂なんて潰せば勝ち、といった具合に。

 今回だってそうだ。怖い怖いとは思いつつ、どこかでは俺の四分の一程度の小動物なんだから、負けるわけがないと。そう思っていた。



 けれど俺が考えていたのは、どう”無傷”で勝ちおおせるのか、だったのだ。



 愚かだった。いつから俺はそんな高尚な存在になったつもりでいたんだ。

 ふざけるな。

 ここは異世界で、相手は魔物。俺は悪神を倒すためにこの世界に連れられたんだ。

 命の”やり取り”をしないでどうすんだ。俺。


「くそ・・・ッ」


 トスッ。


「・・・痛え」


 左手の拳を握って、地面を殴った。


 拳から滴る血を、戒めだと思った。

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